2009年9月26日土曜日

コードギアス 反逆のルルーシュR2

@サンライズは一刻一秒でも早く本作を公式に黒歴史と称して、どんな低予算低作画でも構わないから3話程度のOVAを予定しつつ1話で打ち切りという忌々しき目に会い、そちらを正史にするべき
@大駄作

前作『コードギアス:反逆のルルーシュ』に関してはいい加減な愚文を残しているので、先にこちらを作り直すべきなのかも知れないのだが、この『R2』への落胆の意を表さない限りそれはできない。 昔のブログで、『R2』のレビューは毎週書いていたが、後半でそれを中断させてしまう程の下らなさだ。
放送終了からこの1年間、この大駄作とようやく向き合い、ケリをつけられる。
はっきり言って『コードギアス』第一作は名作とは言えずとも2000年台を代表する傑作と言って過言ではない。第一作のラストで終わらせていても完璧に近い仕上がりであった。理想的なバッドエンドと言える。問題だったのは、この大駄作たるの為に余計な伏線を残していた事だ。そこまで上手く閉めた作品に伏線残してまで作られた『R2』は、第一作の功績を完膚なきまでに潰してしまっている。

1・ 完成された悪の活躍を放棄
主人公のルルーシュ、一期放映中こそ「『デスノート』の夜神月をヘタレにした感じ」として人気を博し、劇中でも「頭でっかちの童貞坊や」と嘲笑され、「シスコン」形容される妹への執着に顕著だ。彼のシスコンぶりは、所謂「妹萌」による近親相姦的な物として認知されているが、どちらかというと『スカーフェイス』のトニー・モンタナのソレに近い。「俺は親父よりマシだ。」という、ある種のコンプレックスの裏返しなのである。トニーと違う点といえば、妹にその点が見抜かれていない事と、環境に恵まれた身体障害者ゆえにこの妹がいつまでも幼いままなのだ。
しかし、ラスト3話で主人公のルルーシュが完全無欠の悪の権化と化す驚きがあった。
それが堕落なのか、はたまた逸脱なのかは解らないが、このコードギアスという物語がルルーシュの悪の花道を描くと言うのならば、一段の目標を見事にクリアしてる。『デスノート』はそこを疎かにしてしまっており、「本当の悪は自身が悪である事を自覚していない」という先入観ありきになってしまっていた。確かに、「価値観の異なる存在」というのは最大の脅威となる、しかし、スラムキングやジョーカー、柿崎憲等といった自身を悪と認識している“絶対悪”は存在しているし、彼らの凶行の数々は語り草となっている。その多くは、到底「価値観の差」では埋め合わせできない残虐非道。その点ではルルーシュは彼らに近い、
私はこのラスト三話にて魔王と化す主人公の秀逸な展開、描写でこのコードギアスというアニメが傑作であると確信した、というかこのラスト3話が無ければ此処まで褒めていない。(実はこのラスト3話の前には『ナディア島編』よりも酷い中だるみが続いている
ルルーシュは此処でようやく、夜神月では成し遂げられなかった歴代の悪党たちと肩を並べるに到るのである。
しかし、それでも彼のアキレス腱である妹ナナリーが捕らわれ、戦場から離脱したルルーシュは、旧友スザクに魔王となった自身を完全否定され銃口を向け合うと、虚しく銃声が響いた。
で、「R2」になるのだが……
冒頭からルルーシュは記憶が消されており、記憶を取り戻し、再びブリタニアに挑戦するのだが、一期ラスト3話における魔王としての才覚が記憶と共に戻る事は永遠に無かった。R2は終始、「頭でっかちの童貞坊や奮闘記」が繰り広げられ、挙句の果てに一期においては魔王の嘲笑するべき綺麗事をのたまう始末。
続編で描くべきは魔王と化したルルーシュの覇道ではないか?
どうしても「主人公は実は可哀想な奴なの!」と乙女ロード行くにしても、前作と同じような事で泣き言抜かす主人公ではなく、別の事で嘆き悲しむ主人公でなくてはならない。
いや、綺麗事が悪いとは言わない。かつての梟雄・魔王が名君主・英雄として蘇生する物語だとすればそれで良し。だが『R2』には改心などという描写や、テーマが打ち出されている所は一切無かった。

2・無意味なスーパーロボット化
第一作からナイトメアフレームという、ロボットが登場している。これがよくダサイと後ろ指差されているがソレが良い。こいつらの造形は実に形容しやすく、近代型戦車に手足ポン付けしたようなロボットだ。しかも脱出用コンテナに胴体が殆ど占拠されていて物凄くブサイクなのだ。そこが最高だ。量産機の故にか、ここまで“リアル風”にデザインした潔さに敬意を感じるし、正直シブイ。これが画面所狭しと、潰し合いを繰り広げる。例えるなら「ザクとザクがガチバトル(ククルス・ドアン除く)」最高だ!
メインキャラの専用機はコレに無理矢理デコーレションを加えて空飛んだりして壊滅的にダサイのだが。で、『R2』ですよ。
序盤はともかくとして、この量産機にも飛行ユニットを搭載することが主流となってしまい、一期に頃にあった『野望の王国』的な戦略が展開されなくなる。かといって、ソレを穴埋めする空中戦というものは非常に乏しく、上記のメインキャラ専用機の射撃の的と化す。なにも面白くない。


3・曖昧な敵ブリタニア
これは第一作の頃からの欠点である。本作は、仮想歴史としてアメリカは独立に失敗。大陸にはブリタニアという軍事主義の専制君主国家が存在しており、これが世界の三分の一を植民地としている。
その凶暴性を露呈していた存在が若本規夫氏演じるルルーシュの実父、シャルル皇帝であった。登場早々、彼は民主主義の一切を否定し、暴力の一切を肯定する人格破綻者の演説を披露。作中からブリタニアは狂っているという事だけが漠然と巨然と伝わってきた。そして無差別だが計画的に植民地を拡大する軍事侵略国家として描かれる事となる。ただ、国家としての描写はなんというか浅いものだった。ブリタニアの腐敗した軍閥や封建制度なども非常に端的で、意味を成していない。
で『R2』ですよ。
物語中盤から終盤手前にかけて暴力の権化の如く立ちはだかっていた皇帝が、実は平和を望んで人類補完計画のような物を成功させる事こそが最大の目的であると、主人公ルルーシュに語られた。
はっきり言って「はぁ?」である。上記の文章、読んでも意味がわからないと思う。俺は何度本編を見直してもこう表現しかできない。全くもって意味不明なのである。この突如発生した意味不明イベントは、視聴者を置いてけぼりに展開される。
この人類補完計画的な何かを差し置いても、「実は平和を望む世界最強国家の最強な皇帝は嫌々、狂人演説と一方的侵略を行っていた」っと、意味不明である。
更に問題なのは、この人類補完計画的な何か、実現するために、他国へ侵略する必要が全く無い。
一体なんだったのかまるで判らない。本気で意味がわからない。
もう筆者は本件についてこれ以上の執筆を放棄する。9月から執筆をはじめ、一ヶ月以上この項で筆が狂い始め何度も書き直した。

とにかく、一期の頃で描写の浅さが目立った敵である侵略国家が、意味不明なオカルトじみた計画を世界平和の為にこそこそがんばっていた事が発覚。ただし、侵略は計画に一切関係ない。
という曖昧すぎる描写に俺が怒っている事だけは伝わればいい。本件によって一期から培われた物語が頓挫するに到る。

4・サンライズ版、『野望の王国』になりきれず主人公自殺END
『R2』は第一作で描かれていたルルーシュというキャラクターからは、おおよそ考えられない、主人公の自殺にて物語が締めくくられる。その内容というのは、世界を独裁政治で支配したことで全ての憎しみを向けられた存在となった自分を、ゼロという「救世主」に扮したスザクに討たせることで憎しみを断ち切るというもの。オレが思うにこんな計画は成功しない。日本レベルだけで考えても、マスコミの言うままに鳩山を神輿に上げた大衆といい、「俺たちの麻生!」と政治家を疑わないオタク層といい、世の中には、権威という物にどうしようもなく弱く、彼らの前では思考を停止してしまう人が沢山いる。ともなれば、ルルーシュの死=権威の喪失を憂う者たちとの新たな戦いの火種にしかならないのだ。

少なくとも、第一期のルルーシュならば、こんな考えは嘲笑の対象だし、なによる自分がまるで可哀想な奴みたいで絶対にやらない。『R2』作中でもさしたる改心の描写などなく唐突に自殺する。
コードギアス一期が、ロボットや仮想歴史が横行するような世界観であるにも関わらず、このような夢想事が入る隙が無いほど殺伐として荒んだ『野望の王国』状態を見事に描いていた。しかし、結末で人類全員が世間の問題や憎しみをルルーシュ自身に向けるなど、生善説に根性&精神論の作品になってしまっている。
と、主人公ルルーシュを中心に、本作の破綻ぶりを示したが、脇を固める登場人物全員にも同じく設定破綻に行動の矛盾が生じており、もはや列挙しきれない。大きなものを上げると・・・
作中最大のライバルのスザクにしても、立ち回りがいい加減で、裏切るタイミングや、立ち回りが悪く、主人公に対してのさしたる脅威となっていない。ルルーシュの日本人を寄せ集めた私兵、黒の騎士団にしても、終盤で敵であるブリタニアと手を結ぶなどは、一期における日本人の冷遇描写を考慮するに本作の世界観までもが大いに揺らいでいる。

また、破綻というほどではないが、ジュレミアという登場人物がおり、前作でルルーシュに貶められ絶命するが、左右非対称サイボーグの復讐鬼と化して復活を開始する。だが、あっさりルルーシュの仲間になってしまい、その調理を間違っている。

私はかつて、終盤の予算的なクオリティ低下を遺憾に思うゆえに「エヴァンゲリオン」を最低のアニメと評したが、本作は予定調和で製作されていたにも関わらず、列挙しきれない破綻を膨大に生み出し、近年、キャラクターの造型が重視されるゆえに作画にばかりアニメの評価が傾いているが、ストーリーにおいて本作に劣る駄作は恐らく向こう10年登場しないだろう。「エヴァ」と「R2」は世間的に傑作であっても私にとっては10年に一度の大駄作たちである。

2009年9月22日火曜日

人肉饅頭三部作

『八仙飯店之人肉饅頭』

@傑作

凶悪殺人鬼ウォンはマージャンに負けた腹いせに八仙飯店の一家を惨殺、店を乗っ取っり死体を饅頭にして売りさばいた。しかし、従業員たちは当然、店長一家の不在を不審に思う、それに気づくや否やウォンは男性従業員を伝票刺しで殺害、続けて女性従業員を強姦した後に、女淫に割り箸の束を叩き込み殺害。やはり饅頭の具にして売りさばく。かれは、饅頭に出来なかった部位を海に捨ててしまった為に警察に逮捕されるが、中々口を割らない。刑事たちは彼を取調室、留置所、病院にてリンチに駆ける事でようやく、一連の凶行を認めるのだが…

残忍な描写ばかりが話題になった作品だが、実際はバイオレンス映画の暴力性と、スプラッター映画の残虐性が同居した凶悪殺人鬼の凄まじい無軌道かつ残虐なる犯行をアンソニー・ウォンが見事に怪演し、場違いな刑事たちのコメディリリーフな演出が加わり、その二つが絶妙なテンポの良さで拮抗し、香港返還前の熱気と不信感が生んだ会心作となっている。グロテスクなのに「見たい」と思わせてしまうあたりは、怖い物見たさエンターテイメントとして見事に昇華させている事は間違いなく、「羊たちの沈黙」路線に乗っけての興行だったが本作でしか見れない物もちゃんと持っている。犯人の人肉を饅頭にする凶行が、変態的なカニバリズムに直結した行動ではなく、死体の処理の為に選んだ最善策と思考しており、本人は人肉を食していない。先述の事件を追う刑事たちの大袈裟過ぎないコントなどは本作の持ち味である。

『八仙飯店之人肉饅頭2』

@凡作
前作から、実に五年後に製作され、全く期待されていなかった事に加えて、特筆する点が特に無く絶望的なまでに知名度の低い作品。
アンソニー・ウォンは、デブで小市民の刑事を演じている。
本作で殺人鬼を演じるのはポーリー・シュン、ブルドックみたいなババァをペンキ撒いた挙句に燃やしたりやりたい放題。 あ、Mの方々、美人さんですよ。
この娘(ファン)が、淫乱で散財家の嫁の尻に敷かれている主人公を誘惑するわけであります。
旦那がファンと外に出た時に惚気て軽はずみで撮ったウエディングドレス店の写真が嫁が帰ってきたら家中に飾られ、いよいよ、修羅場になって、ファンは嫁を殺害。死体を処分するために、旦那は嫁のバラバラ死体を泣く泣くチャーシューに、それでもファンの異常さはとどまる事は無くついに…
ポーリーの目玉をカッと見開いた目をドアップに映される凶行は、所謂ヤンデレの奔りであり、もうちょっと評価されてもおかしくは無いのだが、いかんせんアンソニー・ウォンの狂演には敵わない。
また、宣伝に虚偽が見られ、アンソニー・ウォンとポーリー・シュンが肉を焼くという劇中ではありえない姿が、ビデオのジャケットでも確認でき、そもそも、人肉饅頭ではなく嫁のチャーシューだ。


『八仙飯店之人肉饅頭3』

@駄作
本作は、複数犯を描いておりますが、全員罪が意識に耐え切れず完全犯罪目前で自白してしまうという、ある意味、3作中もっともリアリティがある題材である事意外、特に書くべき点は無く、第一作の功績と前作の変化球を一切踏襲していない代物。つまらないです。そもそも、人肉すら登場しないし。

2009年9月18日金曜日

溶屍鬼

@凡作だが、アルバトラスに騙された感で駄作な気分。

本作の解説文で「変態天皇」とアンソニー・ウォンに最高の褒め言葉を与えたアルバトラス。

しかし、この映画ではウォンさま、汚いおっさんで、コロンボの出来損ないで、刑事で、主演じゃありません。
主演で犯人は小奇麗なフランシス・ンさんでした。
で、溶けた屍は、冒頭でチラッとだけ出てくるだけです。
あと、裁判員制度が日本で採用されましたが、本作で裁判員が口をそろえて「めんどくせー!」「めんどくせー!」って、民度最低な日本人みたいな事いってました。
やばい、またネット右翼から不人気になるのだわ、私のブログ。

でも、ウォンさま凄いよね。
フランシスは劇中でオナニーしたり、不倫したり、たぼこ20箱要求したり、獄中結婚したりしたけど。
ウォンさま、下ネタ言った瞬間だけで、フランシスの50倍はキモイからね

なんで私ってアンソニー・ウォンみたいな顔に生まれたのかしら?(実話)
なんでこのビデオを500円で買ったのかしら?(ウォンさまだから)
こんなレビューでいいのかしら?(裁判員制度だからって勧める程の映画じゃありません)

2009年9月7日月曜日

マーチ・オブ・ミッキー・ノックス

ぽくらの刑務所のリーダーは
ミッキー・ノックス ミッキー・ノックス
ミッキー ミッキー・ノックス
お喋りキチガイ目立ちたがり
ミッキー・ノックス ミッキー・ノックス
ミッキー ミッキー・ノックス
ミッキー・ノックス ミッキー・ノックス
さあ叫べよ「ノックス夫妻」 へイ ヘイ ヘイ

みんなで楽しい暴動生中継
ミッキー・ノックス ミッキー・ノックス
ミッキー ミッキー・ノックス

2009年9月6日日曜日

ミッキー・ノックス/マロリー・ノックス


映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』に登場
チンピラ風の肉屋の兄ちゃんミッキーは、当時父親に性的虐待を受けたマロリーとお互いに一目惚れ。
マロリーと共に父親一家を虐殺した後、マロリーと共に無軌道な人間狩りを開始。三週間で52を殺害する。
しかし、逃亡中に成り行きで隠者のような生活をしていたインディアンから家に招かれる。
皮肉な事に、メディアによって脚色された凶悪犯であった二人を、何も知らない隠者は何処かで哀みを感じる。
さらに皮肉なことにミッキーはこの日、父親の自殺、そして義理の父からの虐待のトラウマを夢で見てしまい、
寝ぼけて隠者を殺害。「殺すべきではなかった」と叫ぶマロリーと口論の末、二人はガラガラ蛇に噛まれ、
駆け込んだ薬局で銃撃戦の末逮捕される。
その後、1年、二人は同じ刑務所で別の独房で文通のみを心の支えに生きていたが、ミッキーのTVインタビューが切欠となり、
刑務所内で暴動が発生。ミッキーはそれを知らずに、護衛の警官に隙を作ってショットガンを奪い、マロリーと共に脱獄に成功。
その後の足取りは不明。

ミッキー・ノックス
知力・・・・・・6(機転・5 計画・1)
学力・・・・・・0(文系・0 理系・0)
技能・・・・・・4(アナログ・2 デジタル・2)
武力・・・・・・8(武器・5 格闘・3)
生命力・・・・・10(肉体・5 精神・5)
政治力・・・・・4(指導・2 交渉・2)
権力・・・・・・3(地位・0 影響力・3)「生放送インタビューで刑務所内に暴動を引き起こす」
性質・・・・・・9(度胸・5 冷酷・4)
ルックス・・・・・・8(美しさ・4 怖さ・4)

カリスマ・・・・・9(オーラ・5 威圧感・4)
運・・・・・・・10(チャンス・5 ピンチ・5)

総合能力値 79(A)

兎に角よくキザったらしい言葉を延々と喋る男で、映画の実態が「俺様は何故、ナチュラルボーンキラーなのか?」に近く、自身も過去に父親の自殺に加え、義理の父親の暴力を受けており、肉屋の雑用に落ちぶれていた。
そうなると「ナチュラル・ボーン・キラー」などとは程遠く、また彼の正体を知らずに家に招いたインディアンの隠者曰く「誰からも救済を拒んでいる。」等、もはや彼の徹底的な悪意はある種のマゾヒズムに直結してるとさえ思え、そうなると派手な犯行は露悪趣味でしかない。
しかし、徹底的に「ナチュラル・ボーン・キラー」に成ろうと試みる執念とあくまで余裕を決める姿、最大の武器であるお弁舌が凄まじく、転じてTVを通して大衆にも解り易いキチガイ像を確立。
最後まで大衆に勝ち続けた殺人鬼であった。
なお、コロンバイン高校銃乱射事件の犯人もこの男の影響を受けており、刑務所内のインタビューを暗記していたという。
もう一人影響を受けた作品が「POSTAL」だったというが、「POSTAL2」でキャラクター付けされたポスタル・デュードではどうだっただろうか?

マロリー・ノックス
知力・・・・・・2(機転・2 計画・0)
学力・・・・・・0(文系・0 理系・0)
技能・・・・・・4(アナログ・2 デジタル・2)
武力・・・・・・7(武器・5 格闘・2)
生命力・・・・・10(肉体・5 精神・5)
政治力・・・・・0(指導・0 交渉・0)
権力・・・・・・0(地位・0 影響力・0)
性質・・・・・・8(度胸・3 冷酷・5)
ルックス・・・・・・9(美しさ・4 怖さ・5)

カリスマ・・・・・7(オーラ・2 威圧感・5)
運・・・・・・・10(チャンス・5 ピンチ・5)

相力能力値 59(C)
凶暴極まりない真性のキチガイ女。ベラベラ喋るミッキーとは逆に、その凶暴さは「ナチュラルボーンキラー」に相応しいのだが、知性というものを一切感じさせず、野獣と形容すべきが正しい。
ミッキーの影響を直に受けており、ミッキーと自分以外は本気で虫ケラと思い込んでいる節があり、さらにミッキーよりも残忍な節があり、トドメに自身を絶対的なサディストと思い込んでいる節がある。
結論を言えば、幼少期の虐待のトラウマを抱える男(ミッキー)の“理想のナチュラル・ボーン・キラー像”と“理想の恋人像”を同居させた不健全極まりない存在。
その知性を除いては上記の彼の身勝手マゾヒズムを満たすサディストとして大変危険な存在なのだが、伴侶というよりも本体とも言うべきミッキーと離れた1年間の刑務所生活の結果は宙に浮いたアホを地で行っていた。

2009年9月5日土曜日

ドラマ「こち亀」は何故失敗したのか?

少なくとも、インターネット利用者の多くは「キャスティング」を上げて他に一切眼を向けていない。それは実に愚かしい事なのだ。オタクの需要エンタメを動かしてるとか思ってるんじゃないよ思い上がりも甚だしい。モテない男どもの僻みだ。童貞を誇る勇気も反骨精神も持ち合わせない人間の僻みだ。

下手だよ。メインの3人衆。絶望的とは言わずともマシとも言えず、でもそんなのは、今始まったばかりじゃないし、本作に限ったことじゃないし、わざわざ俺のブログに書きこまない。

それよりも、本作において最大に失敗してるのは、その作風が過去に放送された「アニメ版」の模倣にある事である。影響ならともかくとして、このドラマ版では、アニメの演出を安上がりでできる限りは徹底的に模倣している。
そして、出演者全員にアニメの物まねやらせている。
作ってる馬鹿は「実写とアニメの融合に成功した。」などと高尚なお客様相手に上等な料理を振舞った気分だと思うが、当の教養の無いお客はゲロだされたようなもんだ。
多分、口うるさいと思ってるお前の所のスポンサー様のゲロのほうがよっぽどマシだ。
お前より、視聴者より美味い酒飲んで高カロリーで栄養ある物を食ってるのは確かなんだからな。


なにもかもが浮いている。ここまで酷いものは珍しい。
そうだ、俺たち視聴者も悪いのだろう。TV大好きな20代は、ほんど全員「アニメ版」を視聴してたからな。
しかも出来が良かったもんだから誰も忘れちゃいない。小学生や中学生のアンケート信じるな。
女の子が皆ドラマ見てると本気で思ってるのか?クラスの半分以上は『こち亀』見てたぞ。

で、おめでたいテレビ局はトドメにラサール石井を出しちまったのよ。
誰もラサールを出さない事を絶対的に責めている訳ではない、もうアニメで十分すぎるほどやってるし、 流石に老け込んでる。
だが、このドラマの作風だと、ラサールを出すのが完璧だった上に、ラサールが演じてる姿を見て慎吾ちゃんの10兆倍様になってる姿を視聴者は完璧なまでに想像してしまった。

出ている素材が、どれも視聴者の中のアニメとのオバーラップができていない。そして何もかもが噛み合っていない。

テレビに映ってるのはジャニーズでもスイーツでも無いよ。(ッキリ)
時代錯誤の電気紙芝居屋どもが人を見下してる姿だけだ。(ッキリ)