2010年10月20日水曜日

エクスペンダブルズ

@超快作

『ランボー/最後の戦場』を彷彿とさせる血飛沫が多数見受けられるが想像以上に牧歌的というか旧態然なアクション映画に仕上がっている。否、堅実というべきか。ともあれ圧倒的な豪華キャストを惜しみなく、ふんだんに映画に参加させている。80年代~90年代を代表するアクションスター揃い踏みのメモリアル作品にして出来過ぎと評すべきだろう。いや、むしろそのコンセプトとしては80年代のアクション映画のスタイルに忠実である事がミソなのだ。

豪華キャストといえど、メインを絞ればスタローン、ジェット・リー、ジェイソン・ステイサムの3人となる。しかし脇を固めるキャストも彼らも志は同じにみえた、これまでどおり全力で役に望んでいる。それも変に意気込んだ演技力などではなく彼らが個々に持っている俳優力をもってしてだ。どんな役をやろうとスタローンはスタローンであり、ジェット・リーはジェット・リーなのだそれが観客の見たい全てなのだからだ。

脚本やら詩的な演出は端から期待していないし概ね凡庸だった(不覚にもスライとミッキー・ロークの語らいにはジ~ンと来たが)が、そこもこの映画のミソだ。随所に挿入されるアクションシーンに趣を置いて映画の尺は90分を保っている。王道の90分を貫いているのだ。 これはむしろ評価すべきである。

この映画の唯一の問題は、シルベスタ・スタローン以下、どいつもこいつも滅茶苦茶強そうにも関わらず、敵勢力があまりにも力不足であるといわざるを得ない。『コマンドー』におけるベネットに相当する身体的な攻撃力の差を覆すような敵が明らかに必要だった。
黒幕と言えば、『ダークナイト』でトゥーフェイスにあっさり殺されたエリック・ロバーツ。 
弱い。 
終盤では『タイムクライシス』のワイルド・ドッグを彷彿とさせる、計画破綻→ヒロイン連れて高飛びという負けフラグ全開でエクスペンダブルズに挑むが、自爆する事もなく死ぬ。弱い。


離叛したドルフ・ラングレンがエリック派に着いている時点ではいよいよ厄介な相手に思えるのだが、ドルフとジェット・リーの夢の対決(少なくともドルフのファンにとっては)が実現した後、退場してしまう(どっちが勝ったのかは映画を見てね。)

そういう意味では私的にはドルフ・ラングレンが一番、役得だったようにも思える。ジョークが通じるいつも(B級アクション映画)のドルフも、クレイジーで野蛮な悪党ドルフにも見せ場があったし、この映画に強敵を求めていた観客は誰も彼の退場を惜しんでいたに違いない。

2010年10月6日水曜日

学園黙示録ハイスクール・オブ・ザ・デッド

@擁護不可能のゴミ
@制作関係者に不幸が起これば本編よりも楽しめる自信がある


00年代の“萌”史上主義が日本のアニメを如何に衰退させ事を象徴するような駄作。

10年に一度の駄作は恐らく『コードギアス反逆のルルーシュR2』で決まりかと思われた矢先原作が登場し、筆者を激怒させるという偉業を達成。
ギアスは一期の成功を完全に破壊したというのが大きいが、コレは徹頭徹尾駄目。

原作に忠実であるにも関わらず駄目。要するに原作からして観賞に耐えられない駄作なので平行してレビューしようと思うのだが、擁護不可能とあるように全編を構成する最低要素の尽くを私の力量で列挙できるかいささか不安である。

本作はゾンビ作品の造詣に詳しい者ほど楽しめないという非常に珍しい傾向を持っている。端からゾンビ映画のファンを商売の相手と見ていないゾンビアニメなのである。

例えばタイトルに学園黙示録とあるがゾンビ映画の基本である篭城を日本の高校で再現することは無い。原作一巻の後半に入った時点で学園から脱出してしまう。
あまりに短かった為、原作に至ってはコミックが進むにつれてオマケという形で学園にゾンビが発生した顛末を補完している。
そしてアニメにおいてはそのシークエンスを全て第一話に再編成される始末である。

これを私が脱構築と褒められないのは、追加シーンを含めて主人公たちが他のゾンビ作品の主人公達よりも優れた脱出計画を立てたとか脱出の努力を行ったのではなく、淡々とさも当たり前のように脱出に成功しているのである。工夫というものが一切合切感じられない。

ゾンビに至っては視覚を失って聴覚で反応しているという設定がある。恐らく元ネタは『バイオハザード2』のリッカーであろうが、そもそもリッカーはあのグロテスクな容貌に、第一作におけるハンターに近い立ち位置である。ゾンビよりも強いが故に目が見えないというハンデを与えられているのだ。これはドラキュラにニンニクや十字架という弱点があるような妥当な設定だ。しかし、本作ではゾンビが視界を奪われた暗闇で有利という描写すら無くただただ他作品と比較して脆弱な個体となっている。
まあ、高校生=ガキが相手にする上に、銃の無い日本が舞台なんだから必要な設定だろうと思っていると、主人公たちは日本では有り得ない事に簡単に重火器を入手してしまうのである。

この時点で本作は、主に米国で生産されるゾンビ映画を、日本を舞台に置き換えた際にシュミレーションすべきである銃規制という環境下でのゾンビとの戦いを完全に放棄している。しばしばコメディーと評される『ショーン・オブ・ザ・デッド』でさえこの考察に踏み込んでいた。

その経緯があまりにもお粗末も良い所で、運良くゾンビになっていない警官の遺体から、拳銃を手に入れるまでは良いとしても、主人公らに同伴する保険医の友人が警察の特殊部隊で、マンションの一室に馬鹿みたいにデカいライフルやら散弾銃を弾と一緒に3丁も置いており、それを無断に拝借する。果てには右翼団体の庇護受けるなど、日本において深刻な火力不足という事態に一介の高校生が全く陥らないのである。

この緊張感の無さに拍車をかけているのが“萌え”を重用した陳腐以下のキャラクター群像である。

この作品のメインキャラクターは主人公以外に男が居ない。もう一人、居ることは居るのだがデブのガンマニアというモテ無い街道まっしぐらのオタク君(モデルは平野耕太らしいが俺は認めない)。それ以外は全員女性という緊張感0のパーティー。

特に主人公らの同伴者である保険医だが、街中にゾンビが居るという非常自体であるにもかかわらず、彼を守る大人という認識というものがなく、酔っ払て主人公に欲情し甘えたり、ブランド物服を破られて怒るなどといった、手のかかるお姉さんというキャラクターが全面的に押し出されており大人不在という最低系ラブコメから引用されたような人物である。

続いて剣道部の毒島ついてはただただ不愉快でしかない。
マンガとしか形容できない武家口調の彼女を大和撫子キャラとして萌えの対象と捉えているファンが居るが、下賎であることもはなはだしいというもの。初登場時に噛まれた生徒を生きてる内に撲殺するというインパクトは評価するものの、その後は服が濡れれば、裸エプロンにTバックで主人公の前に堂々と現れたりゾンビを殺せば「濡れる!」とサディストの色情狂にしか見えない。特にゾンビや暴漢を相手に立ち回って性的興奮をするなどとは本作に限らず性的サディズムと敵への加虐欲を一緒くたにした底の浅いキャラクターの典型ともいえる。その後も和服を着たりるなど形式ばった大和撫子を作り手は演出するのだが、やるだけキャラクターが浅さが露呈されるだけ。黒髪美少女が刀振り回してゾンビを狩り殺す事に文句言いたいのでは無いが毒島はただのテンプレートの寄せ集め。虚数の塊だ。

第8話におけるようやくピンチといえるピンチに陥る描写もひどい物で、ハマーみたいな大型車両に主人公一味はほぼ無傷で乗っているのだけれど、放置されたゾンビ用のバリケードに行く手を遮られるのだけれど、このバリケードがDVDで修正されるんじゃないだろうかってぐらいのスッカスカのワイヤーで作られている。ほんと、大人2、3人一変に通れるぐらい。

後ろからゾンビがやってきてみんな戦い始める。この戦い方もヒデーの。JKの巨乳を三脚代わりにライフルぶっ放すわ、その銃弾を追ってカメラがが上記の侍(笑)ガールの股間の間を通り抜けて食い込みパンツのドアップ。続く2発目は、侍ガールの揺れる乳と乳の間を間一髪ですり抜けちゃうの。

金網がスカスカなのはこんなくだらないシーンに時間をかけて作画スタッフが手を抜いたのかよ?

かくもゾンビの頭がパーンとか、仲間がゾンビに食われるとかいうゾンビ作品の醍醐味は起こらないまま。侍ガールと主人公は、散々乳やらパンツやら晒した挙句、余裕綽々とゾンビの群れを素の足で突破する・・・

つーかさー、こいつら重火器持ち歩いてるのにスッカスカのワイヤーを切れるようなペンチすら用意してないのかよ!
例えばゾンビに追い詰められたシーンで「そうだ!金網を切れ!早く!車載工具使え!」って流れになって、仲間たちが撃っても撃ってもやってくるゾンビの中で車載工具にあったバールで無理矢理に金網をねじ切っていって、人ひとりギリギリで通れる穴を空けて金網を突破。主人公らは難を逃れるが仲間の一人が・・・って流れならハラハラしておもろいんとちゃうん?

ていうかデブ(平野耕太とは認めない)は、武器の知識満載の癖にレザーマンの十徳プライヤーぐらい携帯しといてよ!男のロマンは銃撃戦<<ワイヤー切って要塞潜入といえばミリオタの義務じゃろがい!(ゴリエ風に)

このように浅い知識でゾンビを射撃の的程度にしか認識していない、世のゾンビマニア達には腹立たしい内容なのである。
たしかに『バイオハザード』はゾンビ虐殺ゲームという評価もあって、射撃の的ではあるんだけど、あれはまだ「ゾンビと戦える」という発想の黎明期のものだし、後年の『デッドライジング』もゾンビ虐殺ゲームには違い無いし、終盤フランクが強すぎたり、銃の優位性が皆無等は私的に評価を落とさざる得ない。
だが、これらは『ゲーム』であってクリボーにまでキャラクターは要求されない、それどころか両ゲームのゾンビはちゃんと作品のアイコンとして機能している上に、プレイヤーの攻撃によって倒されるその瞬間、血と肉の華と開花する時、確実に主人公よりも輝いて描かれている実質主役と言ってもいい。そもそも両者は倒しても倒しても現れる恐怖をしっかりと描いているし、ゲームオーバーも有り得る。

しかしアニメでそれをやるのはどうなんだ?本当に没個性な射撃の的だもん。強力な個体や以上に目に付くファッションのゾンビなんていやしない。主人公らの攻撃力が衰える事は無く(ハーブを食う代わりに精々JKが風呂入る程度)せっかくゾンビがえげつない死に方する時でさえ主人公やヒロインのほうが輝いて描かれている。同じことは『実写版バイオハザード』にも言えるが、本作は一つ頭飛び抜けて酷い。『実写版バイオ』は一応ヒロインアクションとしてはしっかりと作られている上に、スプラッターシーンにも趣を置いている。

本作は例えるならば、自分の考えたゲームの内容をベラベラと喋り始めた挙句に「ここで裏技が使える」と悦に浸って妄想を垂れ流されたようなものだ。しかも20分x12話=240分延々と。

しかし、本作。コレだけでアキバ系のお兄ちゃんの人気になったのではない。全編に頻繁に挿入されるネトウヨ的な未熟な政治的見識を全肯定するシーケンスの数々。

例えば、主人公らが武器を手に入れたマンションから見える橋にバリケードが築かれているんだけどそこに「彼らはゾンビではない!米軍が開発した殺人病ウイルスの犠牲者なのだ!」という世にもぞんざいな反米左派が橋に大挙その凶行によりバリケードが崩れゾンビと人々が橋の上で入り乱れて、人間屠殺場と化すホラー描写に転換される・・・・・・事は無く、警官が左翼を射殺して事態を収拾させる。

あのー?パニックは?地獄絵図は? 

ていうか、こういう時に大挙するのってプラカードもった学生運動残党じゃなくて子供を抱えた親とか怪我したり噛まれた人かその親族や友人だよね? いや、いないことはないのよ。左翼に対して絶対数が有り得ないぐらい少ないの。むしろ彼らは警察に従順に描かれて、左翼が邪魔をして死んだって展開。

なんつーか、警察という国家権力がネトウヨの嫌いな物を否定するのをやりたかっただけじゃないの?
普通のゾンビ作品はゾンビにこういう役を譲る。ゾンビが左翼の内蔵を掻き分けて残虐な処刑を加えるのだ。観客が見たいものはソレの筈だからだ。
しかし、アニオタの間で増えるネトウヨ層はゾンビよりも国家権力が左翼を殺すのを望んでいるのね。
他にも『狂い咲きサンダーロード』のスーパー右翼みたいな連中が市民を守っているんだけど、ゾンビ化した同胞をオリに入れて要塞で「自己犠牲」や「愛国」などの綺麗事を並べて、保護している市民の前で処刑する。彼らの意思・肉体の強さやカッコよさを前面に押し出しているのだが……ごめんなさい。わざわざゾンビを要塞に連れ込む時点で、保護されている身分でも市民は「キチガイだぁ」って思っちゃうよ。綺麗事まで並べられたら尚更。
あげく原作では彼らを思想派右翼として三島由紀夫を引き合いにしているのだがそれでいいのか!自衛隊のお偉方を人質にして自衛隊員に「クーデターしようぜ!」っていうような人だよ?映画『MISHIMA』劇中でもあのへんの件は、思想派右翼としてではなく、劣等感とコンプレックスの暴挙として描かれてたんだが。

少なくとも「ここのお館様はキチガイだが、ゾンビに対抗できる武力を持ってるから従っておこう」「あのキチガイをどうにかして縄で包んしまって、自分たちでこの屋敷を乗取ってしまおう」という打算的な見解が人によってぞろぞろ出てくるハズだ。しかし、このアニメには彼らのような小市民的考えの大人は登場しない。右翼の屋敷に保護された大人たちは全員日教組的な左翼思想の持ち主で、「彼らはゾンビではない!米軍が開発した殺人病ウイルスの犠牲者なのだ!」と言い放つような愛国心とやらを忘れた人間しか居ないのだ。

別に右翼がどーの左翼がどーの俺が言いたい訳では無い。というかこんなアニメを引き合いに言ったら馬鹿だと思われることぐらい解ってる。上記の通りで、回りの見えなくなっている災害被害者や、打算的な見解がきる大人の存在を無いことにして進行する右左の二極論で物語が成り立ってしまう事が極めて不自然であるといいたいのだ。ゾンビという災害、パニックを描くストーリーで登場人物を2人しか出さないようなものではないか。

他にもペ・ヨンジュンをゾンビ化させて射殺したりしている。まあ、イ・ビョンホンだとゾンビ相手に大立ち回りをやらかして「コーブラー!!」(ジ~アイジョ~♪)とかやるからヨンジュンなんだろうけど、ヨンジュンもコムド(韓国の剣道流派)・合気道を収めているので、剣道部の女子高生が活躍できる世界ならそこそこ戦える筈だと思うんだけどね。

あと冒頭やENDロールに入る各国の危機的状況の描写が本編の内容と比較して極めてアンバランスに思える。っていうか駄作の定番である無意味な設定の描写だ。

なお、本作はそれなりにヒットしてしまい、第2期の制作が決定している。

・・・ごめんなさい。もっと言いたい事があるんだけどもう悲しくなってレビューできない。

兎に角かような駄作にもファンが付き、スポンサーが歓迎する日本アニメの現状はもはや世界一のアニメ大国などとは言えないに陥っていると断言できる。誰だよ、アニメの殿堂作れとかいったバカは。)

確かに深夜アニメとはいえ、こういう題材が表に出てきたのは評価すべきかもしれない。しかし、逆に言えば“萌コンテンツ”に乗る為には題材を選ばないというスポンサーの底の浅さが露呈した。テレビドラマと変わらないよ。

俺はアニメの娼婦を見たいんじゃない!ゾンビが見たいんだよ!もっと言えば美少女フィギュアなんざ買わねーからゾンビのフィギュア売れ!スポンサー!

と、いうわけで紛いなりにも面白い和製ゾンビアニメのアイデアを箇条書きして本作への溜飲を下げる事にする。

・OPはディルアングレイがものすごいゲロ声で最高のバラードを送ってくれる。ライブでは『残』並に何言ってる解らなくなる。
・主人公は派遣労働者。相棒は土方。
・ヒロインに豊齢線アリ。
・幼女の首を絞めてレイプするキモオタとが出てくる
・ゾンビのリボルテックとかフィギュアがモリモリ販売される。
・ゾンビのデザインはフルチ作品を参考にしておりウジやらゴカイやらの作画が糞リアル
・ゾンビは731部隊が開発した細菌兵器が原因。
・その封印を解いたのが赤ィなんたらっていうテロリスト。目的は帝国主義のネガキャンの為という回りくどさ
・過激派のボスは部下に黙って強盗計画を並行させていて、この騒動で退職金代わりに頂戴しようと目論んでいる。最後に「この金は俺のもんだ!ゾンビのケツを拭く紙になんざさせねぇ!」とかのたまって死ぬの。
・分身の術紛いの高速で移動しながら火の玉ばらまくアホみたいに強い個体が最終鬼畜兵器的に登場する。
・テロリストは復活させたその個体が皆殺しにする「ワタシハ ダレノ メイレモ ウケナイ タダ ハカイ スルノミ」
・なんか高圧ガス的な圧力が加えられた鉄パイプ的なナニに貫かれて、やたら強いっていうか1コインクリアさせる気が無い個体は死ぬ。

平野耕太先生。こっちのほうが面白そうでしょう?

2010年9月12日日曜日

モスラ3 キングギドラ来襲

@駄作
@っていうか、なぜこれを興行しようと思えた?

現在に至って平成『モスラ』シリーズは特撮ファンから無視されている。原因はその特殊効果の酷さにある。

『ゴジラVSデストロイア』でゴジラを休業させた東宝だったが、来年の正月に何を興行するのかと思いきや節操無く『モスラ』を発表。だれもが1961の大作『モスラ』のリメイクかその続編を想起させる予告編だったが、翌年、劇場に足を運べば、これがテッケレツのパァ(最低映画館風に)

おそらく平成ゴジラシリーズの半分かそれ以下の予算で制作されており、内容は子供向けにシフトチェンジ。
この「子供向け」というのが、昭和ゴジラの低迷の反省を全く活かしておらず、ただただ押し付けがましい教訓話を強引に引き合いにしながら続く、ショーモないホームドラマと、敵かモスラのいずれかが有利で面白みの無い戦いが続く。
「世代交代を明確に示す新・モスラ誕生」という本作の見せどころ流れに到るまでの全てが酷過ぎる。

翌年には、『モスラ2』を発表、大怪獣ガルーダよりも硫酸で漁師を焼き殺すヒトデの方がよっぽど怖いという本末転倒。

二作が子供に訴える「環境問題」については、子供に教えるというよりは、問題の解決を子供の将来に押し付けているようにさえ思える。

そしてトチ狂った東宝が最後に仕掛けたのがこの『モスラ3』である。
もはや内容はモスラでも子供向けでもない、『ゴッドマン』に近い。

3人の小美人の属性が『ゼルダの伝説』のトライフォースを盗用するに始まる。しかも本編に一切絡まない不要な設定。(当方の駄作評にて定着してきたが、糞映画の第一条件なんです。無意味な設定は)

続けて「嫌いな物を食べるのは自分に嘘を付いたことになる!」という小役の訴え。
しかもコレを黙々と聞き入れる父親が大仁田厚。とりあえずそんなガキ殴っとけよ!

で、我らがキングギドラ尊が上空を飛んで市街地をモリモリ破壊。ここはまあ面白い(約3分ちょっとカップラーメン作るときもこれで退屈しないね!)

しかし、キングギドラ尊の目的がセコ過ぎる。幼児誘拐だもん。
『学校の怪談』シリーズの妖怪と同じノリ。っていうかアレよりも特殊効果が酷い。子供がペラペラの紙みたいになってノイズが走って、ギドラ尊の富士樹海基地にワープする。あまりにも安っぽいぞこの特殊効果。小美人の一人がこの模様を「二億年も生きていたらこんな能力が身につくのか!」の一言で説明してしまうが全然意味がわからない。

小美人の珍プレーは他にもある、主人公に対面して、

小美人「お名前は」
「園田」
小美人「園田なにさん?」
「園田翔太」

迷子センターかよ!

この後も、子供たちを探して洞窟でさ迷う大仁田(以後、劇中で一切活躍はない)や、第一ラウンドでキングギドラに圧倒されたモスラに、園田翔太君が「がんばれ!」と声を賭けられると「キューン!キュワーン!」と相槌をを打つ律儀なモスラなど、ツッコミには事欠かない。

まあ、この辺はむしろ笑えるので許すが、本作は前記の通り特撮効果の酷さ故に、特撮ファンから無視されている。

その真骨頂たるが、タイムスリップして若い頃のキングギドラを殺そうってパート。
 (『ゴジラVSキングギドラ』の頃に同じく、タイムパラドックスの考察は一切なされていない。キングギドラが恐竜を滅ぼしたという設定なのだが、キングギドラ倒したら恐竜が滅ばないので、未来が変わって人類栄へんやろが!)


ここ、恐竜も勿論出てきますが、新しい着ぐるみを作る予算なんざありません。挙句にCG技術を持っていないので、ミニチュアで再現しておるのですが、ほんと、油粘土かなんかで作られたとしか思えない悲惨な造詣(夏休みの工作みたいな)で、見ているこっちは発狂しそうになりました。恐竜も恐竜なら、セットもセットで、てんで駄目。トイレのタンクの上蛇口に石敷いてそこにひっつける椰子の木のオモチャみたいなのがアホみたいに植えられてる。

以上の やる気無い特撮を散々見せられた後に、キングギドラとモスラの第二ラウンドに突入すが、駆け引きや、怪獣プロレスの要素は一切なく、キングギドラにまったく見せ場の無いままに装甲化したモスラの圧勝で映画は終わる。

なお、本作のキングギドラとモスラの戦いは全て、富士の樹海で行われている。なにも破壊される対象もなく、盛り上がりのバトルは東宝特撮の醍醐味というものを一切体現できていない。

そんな平成モスラシリーズでも褒められる所はある、悪者の小美人ベルベラと、進化するモスラだ。前者は老け顔だが後年のゴスロリ萌を先駆けてるし、進化するモスラは紛いなりにも子供向けというコンセプトを生かした唯一の良設定だ(ポケモンのパクリでもな!)

しかし、ソレに付けても酷い。
本作を擁護する似非特撮ファン曰く、「低予算の割に頑張った」「子供向けのエンターテイメント」

だアホ。

低予算の割に頑張るって言うのは、愚にもつかないタイムスリップに恐竜の模型を映さないようにする為に、そこを省略できて初めて頑張ると言えるのだ。
そもそも平成ガメラシリーズの予算は5億円と、こちらも平成ゴジラシリーズの半分以下の予算なのだ。そいつと比べて本作はどうだ?お粗末すぎる。

彼らは云う、「平成ガメラは"子供向け"ではない。」と、私は当時、子供の時分に劇場で本作を見たはずだったのだが、100円でビデオ漁るまで本作の存在を忘れている。一方で平成ガメラ燦然と記憶の中に輝いている。故に本作は「子供向け」どころか「子供に忘れられる」映画になっている。面白くないからだ。

東宝が上記のような自称特ファンの支えがあると勘違いしてる以上。日本の特撮の未来はいくらガメラが頑張っても暗い。

2010年6月26日土曜日

アウトレイジ

@名作

これまでの北野武監督の作品は、自身のナルシズムとニヒリズムを徹底的に貫いてきた。ナルシズムという表現をしたら妙な話だが、彼の本業は芸人(英語で言うコメディアン)である。徹底的に自分自身を研究し、追求し、発狂しなければなれない、笑とは名ばかりの修羅のみちなのである。
これまで、自分の体を張って"表現"を行って来て、自分主体でない物を考えるほうが難しいに違いない。だから恥ずかしがらず、「どうだ?カメラ写りはいいだろ?」と堂々と笑顔で答えなきゃダメな訳。

そうしたナルシズムとニヒリズムが先鋭化し、且つ、旧体化したヤクザ映画を否定したのが最高傑作である『ソナチネ』である。

そして、ナルシズムとニヒリズムをより多角化させ挑んだのが、かつて否定したヤクザ映画の潮流に乗った『アウトレイジ』、最高傑作その2である。

まず、北野武が『ソナチネ』で否定したのは、ショーモないTVドラマ並にVシネが量産された時期のヤクザ映画であって、ヤクザ映画そのものの否定ではない。そもそも彼は『仁義なき戦い』のファンを公言している。氏のアイデアが盛り込まれたファミコンゲーム『たけしの挑戦状』の劇中劇に『やくざ対やくざ』という「つまんねーえいが」があり、この頃から既にやくざ映画の先行きの暗さを見据えていたとしたらその先見性に驚かされる。

また、深作欣二が任侠映画を脱して以来、ヤクザ映画は日本固有の映画のジャンルであり、ビデオオリジナル作品でありながら現在も量産されている。このビデオ映画専門のオタクが存在するぐらいだ。多くは凡庸かそれ以下だが、確実に見ごたえある作品や名作も存在する(例、『新・仁義の墓場』、見ごたえ"だけ"なら『修羅のみち』)

『アウトレイジ』は北野武監督によるジャンル・ヤクザ映画であり、このジャンルでも面白い映画は撮れることを再認識させてくれる。

"俳優(本業:お笑い芸人)"ビートたけし演じる、大友は末端組織の組長で、暴力だけでヤクザ稼業で飯を食ってきた凶暴な老人だ。カッターナイフで指を詰めようとするヤクザを見てニヤニヤ笑い、挙句、カッターを取り上げてそいつの顔面をメッタ切りにする強烈なサディストだ。ビートたけしが演じてきたヤクザの中でも完全に異質の存在である。デビュー作『その男、凶暴につき』以来の暴力的な人間だ。

従来作では、周囲のヤクザが、落ち目に入って一廉の人物であるような姿を見せ、たけしもその内の一人であるが、狂気を内包させて描かれる。その様は、暴力的というよりは静かなトリックスター的な存在だった。

本作は上記の通り、ニヒリズムの多角化を見せており、終盤で化けるオールマイティーなトリックスターは存在せず、様々な種類の極悪人どもが内部抗争で暗躍をする事となる。

その極悪人どものキャスティングに関しては完璧である。
此処には列挙できないが、名だたる俳優全員が名演を披露する。

序盤こそ、Vシネと大して変わりないストーリーラインが提示されるが、徐々抗争は雪だるま式に巨大化していき、誰もが映画内で描かれる抗争の終点を予想する事ができなくなるだろう。

『アウトレイジ』は、『仁義なき戦い』を超えたヤクザ映画の一本である。

2010年6月5日土曜日

悪党図鑑「ナムル」



知力………8(機転・3 計画・5)「カニパンら少年の活躍が無かったら間違いなく勝っていた」
学力………7(文系・3 理系・4)「A級以上発明家免許を持っている可能性が高い」
技能………8(アナログ・4 デジタル・4)「暴走チップなどの設計能力から考慮」
武力………3(武器・2 格闘・1)「絵に書いたような知将」
生命力……10(肉体・5 精神・5)「心身ともに恐ろしい不死身ぶり」
政治力……10(指導・5 交渉・5)「権謀術数を使い、見事に会社内部を掌握」
権力………9(地位・4 影響力・5)「社長以上の発言力を持ち、彼が与えたロボットへの被害は十分深刻」
性質………8(度胸・5 冷酷・3)「人間には手を出さない。ただし二期では命と引き換えに母星を破壊しようとした。」
ルックス……5(美しさ・3 怖さ・2) 「良くも悪くもニヒルな二枚目」
カリスマ……7(オーラ・5 威圧感・2)「反ロボット派からは英雄・皇帝扱いされている」
ポリシー……10(信念・5 野望・5)「ロボットの意思などプログラムの数列に過ぎん!」
運…………10(チャンス・5 ピンチ・5)「後述するカニパンの存在以外は全てが上手い行っていた」

総合点95 総合評価・・・S

『発明BOYカニパン』時代
ロボットの叛乱、その脱構築であろうナムルは、意思をもつロボットと人間が共存するシャラク星において、「ロボットは人の下に道具であるべき」という信念の持ち主で、“なかよし回路”をもった思考型ロボットの絶滅を目論む。

秀逸なのはその手段で、所謂“悪の秘密結社”というものの実態を持たず、ロボット開発王手のエレックカンパニー社内に隠し部署を作り、ロボットの暴走を誘発する回路、その名も“暴走チップ”を発明。

その目的は、暴走によるロボットの破壊ではなく、「“なかよし回路”を持つロボットは暴走する」というネガティブキャンペーンを展開することであった。

やがて自身が、副社長に収まり、会社の全権を事実上完全に掌握すると、エレックカンパニーにおいてなかよし回路搭載ロボットの開発を完全に停止、さらに新型暴走チップを用いてネガティブキャンペーンを強化。街の公共用のロボットから思考型ロボットを追放する事に成功する。

ここまでは見事に主人公一向を欺き続け、ほとんど計画通りに“なかよし回路撲滅計画”を進めていた。しかし、社長の娘ミルクにその正体を露呈してしまう。

軟禁には成功するも、人間に対しては良心があり、口封じは出来ないと首をかしげていた所に、なかよし回路のリサイクル工場の位置を知る。
そこで、巨大移動要塞を使い、リサイクル工場の直接破壊を決行するが、主人公カニパンらの活躍により失敗に終わる。しかし、リサイクルに必要な材料Kリキッドの多くを駄目にしてしまう事に成功。
Kリキッドの再生の為に旅に出た主人公らの妨害を始めるが最終的には失敗。

逮捕されるが、脱獄。シャラク星から脱出した。

『超発明BOYカニパン』時代

時期は不明だが、その逃走過程で、シャラク星は、より人間に近いアンドロイドにより気象・環境がコントロールされていた事を知ると、「ロボットに支配され生かされてきた」と彼のプライドは許さず、シャラク星の創造主、タイシ博士をトレースしたアンドロイドを破壊、改造。その傀儡に収まる。
そして最悪の事態を考慮して作られた、シャラク星の心臓部を、避難用の新惑星に移動させる、“賢者のプログラム”を悪用し、その新惑星に「思考型ロボットの存在しない理想の帝国」を建造する野望を抱く。
そして暴走事件から5年後、同志を集い、惑星ナムル帝国計画を強行。

「暴走したタイシロボットが、ロボットの為だけの惑星を作り出し、なおかつ賢者のプログラムを発動」というシナリオを描き、脅えたロボット達が泣く泣く、人間を置いて新惑星に移動。しかし、ロボット達をそこで大量虐殺、「タイシロボットと、裏切りもののロボットたちはこのナムルが破壊した」と英雄談にした
挙句「賢者のプログラムは中止が不可能。ならばロボットの為の惑星を奪回し、裏切りもののロボットの存在しない理想郷を作るべき」と主張。
筋書き通り、新惑星に人々は大挙。パニックがピークになる。

ロボットはおろか、人の善意さえ信じないで混乱を嘲笑する有様は『ダークナイト』のジョーカーを先取りしたと言えば大げさだが、前作のように人間には手を出さないかった姿は既に無く。手段を選ばぬ非情の男と化している。新惑星では皇帝に納まり、なかよし回路不要論を絶対とする民衆の統率する気で居たと思われる。

しかし、カニパンらの攻防と、アンドロイドの一体であり、カニパンの恋人であるアンジェリカ(アン)が、新惑星に潜入。賢者のプログラムの中止に成功する。

五年越しの計画が破綻し自暴自棄となったナムルは、二人を新惑星の崩壊で道連れにしようと企むが失敗。いよいよ発狂すると、シャラク星の心臓部を、かつての暴走チップを模した小型宇宙船で攻撃。心臓部をメルトダウン状態にすると、自身もその衝撃波で命を落とした。

しかし、図らずとも強靭な生命力で生存。目を覚ました時には、カニパンら発明家の引き起こした大奇跡、シャラク星の復活を目の当たりにし愕然。挙句、自身の意思を取り戻したタイシロボに「あなたは悲しい人間だ」と、諭される。

しかし、彼は新天地を求めて、宇宙への放浪を開始した。奇しくもその日は、幼い頃から「タイシ博士のようにロボットと人間が仲良く暮らせる惑星を作る」という夢に向け、カニパン達が宇宙へ旅立った日であった……


文章にすると、とんでもない大悪党に思えるが、いかんせん小学生向けのキッズアニメの悪役なので大げさに暴れても、バイキンマンに同じくデフォルメされているので悪役としては怖さという物に欠けている。実際、書いてみて劇中の彼のズッコケと、計画の妙なリアルさの差には筆者が驚いてしまった。
そんなんだから、なかよし回路の撲滅を志した理由が、「家庭教師ロボットのスパルタに耐えられなかった」だもん。もっとも、親の愛情に飢え、ロボットとの友情を育む事ができなかったと約5秒ぐらいモノローグが入ったが・・・・・・
やや出来の悪い続編ではシリアスな秘密結社の親玉になっていたのでそのへんを掘り下げてさえいたら、もう少し面白かったかもしれない。

社長の娘、ミルクも手なずけようとも考えていたが、当のミルクはファザコンじみた我侭をカニパンにぶつけるようになっていた。
また、5年間越しの計画もカニパンと恋仲になったアンドロイドによって頓挫。
彼の計画が悉く破綻したのは主人公カニパンがモテた事に尽きる。

ちなみにナムルを慕っていた秘書は、実に頭が愉快な有様で、クールなナムルと良いコンビであった。

2010年6月2日水曜日

発明BOYカニパン

『発明BOYカニパン』

@なつかしきC級キッズアニメ

本作、制作までの成り立ちが不明慮なアニメ作品の一本である。『スラップスティック』というTVゲームを基にしているまでは解っているが、そのアニメ化なのか、セガサターンでのリメイクを見越した商業展開の一環だったのか、ドリームキャストへの転換期でポシャッタ作品を元にしているのかよく解っていない。
「コロコロコミック」での番宣の内容も、本編の内容と著しく異なっていたとされている。

いずれにしろ、企画が未熟なままでスタートした本編前期と、後期ではスタッフのモチベーションが大きく異なっているようにも思える。

前半は子供向けと明らかに手を抜いているようにさえ思える。ただ、これは「どこまで子供向けに徹するか?」を試行錯誤した結果だとしたら失礼な言いようだが。こども騙しの一言で片付けられた。
そもそもキャラクターのテンプレートぶりが酷く。前半で登場した主人公カニパンの同級生は一人を除いて後期には殆ど登場しなくなる。

一方で後期は、ライバルキャラクターの登場と共にエンジンが温まっていき、主人公らのキャラクターの個性が際立つようになる。
特に悪役のナムルとその秘書のワルノリに拍車が掛かっていく。ナムルに関しては悪役図鑑で書くとして、
人格を持ったロボットと、人間の共存する平和な世界で、西に東と駆け回るドタバタなトラブル解決劇はTV漬けだった子供時代を送っていた人には、懐かしさを持って迎え入れることができるだろう。
結局タイアップの類が最後まで起こらなかった事で、スタッフも予算以外の制約も無かったのだろうか、この低予算キッズアニメは見てる側もストレスレスで見れるファミリー向けへと終盤には昇格を遂げた。

『超発明BOYカニパン』

@ラストで挽回するもC級以下

前作の翌週から放映が開始された。しかし、ドリームキャストを中心としたSEGAなどのタイアップが入り込んだ上に、萌えアニメの台頭が始まったあおりを受けて、痛々しい仕上がりになっている。

第一に、世界の危機が迫っているのに世界観が前作よりも狭まってしまったのはどういう事だ?物語は青年カニパンの家と、世界の裏側を行き来するつまらない物になっている。
第二に、ただでさえ低予算なのにアクションシーンを盛り込んでしまい、作画のクオリティーは見るに耐えない。
第三に、まったく魅力の無い新キャラクターとのラブコメが織り交ぜられた、前半のくだらなさ・・・

ただし、ナムル復活後以降の、惑星崩壊の危機は二転三転と盛り上がりを見せ、最終回前編後編の熱い展開は、前作後期のテンションの高さと、初代トランスフォーマーばりの無茶と、日本アニメ特有の臭い演出が同居した傑作となっている。前作終盤のパーティー+NEWヒロインを加えて旅立つエンディングも好印象だ。

でも上記の3点は本当に見るに耐えない。見てて本気で怒りたくなって来る。優秀の美を飾ったとはいえない。

ブラッディ・ウェンズデー

@隠れた良作

実話を元にしたTVMで、銃乱射事件犯人の、悪夢・幻覚・孤独・不安などの心の病んだありさまを描ききった問題作である。

明らかな低予算作品だが、廃墟となったホテルのロケーションや、男の身の回りで起こる事象と、幻覚が入りみだる構成は秀逸であり、終盤では見てるこっちもその判断が困難になるほどだ。
男と、彼を介する観客にとって、おぞましい迷宮に迷い込んだような多大な不安を催す。
映画の半分以上は病んだ男の住むホテルでの密室劇だが、その迷宮の中で、男の心に静かな狂気が徐々に、徐々にと蓄積されていく。

特に秀逸なのは、幻覚として現れるベルボーイの存在感だ。彼は、犯人の分身なのかそれとも・・・・・・それも解らないままに、男はいよいよ、破滅に向かって本格的に病んでいく。そのありさまは、あまりに憐れだ。

この度のDVD化に際し、発売元はラストの銃撃シーンをスプラッターものとして売りにしているが、心理ホラーの秀作として強く押したい。

2010年5月13日木曜日

マジシャン(TAYP-0)


登場作品『ハウス・オブ・ザ・デッド』『ハウス・オブ・ザ・デッド2』

知力………4(機転・2 計画・2)「バカでは無いだろうが力押しが目立つ」

学力………1(文系・1 理系・0)「片言の英語を喋る程度」
技能………0(アナログ・0 デジタル・0)「化け物なので」
武力………10(武器・5 格闘・5)「GST界で最強との声多数」
生命力……9(肉体・4 精神・5)「宣言どうり蘇る。が、いつも不完全な状態」
政治力……0(指導・0 交渉・0)「化け物なので」
権力………0(地位・0 影響力・0)「化け物なので」
性質………10(度胸・5 冷酷・5)「某STGでは無いが“鬼畜”を冠するに相応しい」
ルックス……10(美しさ・5 怖さ・5) 「無骨なグロさと中二病的カッコよさが見事に同居」
カリスマ……10(オーラ・5 威圧感・5)「こいつを倒す為に何人ものプレイヤーの財布がカラに」
ポリシー……7(信念・5 野望・2)「スベテヲハカイスル、と豪語するが、続編で最強の座をあっさり譲るあたり紳士」
運…………4(チャンス・2 ピンチ・2)「発揮される場面なしにつき」

総合点 55 評価……A(突出点が大きい為)

お断りしておくが、『ハウス・オブ・ザ・デッド』は鈍動なゾンビを倒すゲームであって、初見殺しも多々あれど、弱点をよく狙えば、最終ステージへの到達にはそう苦労しないはずだ。
ところがこのマジシャンはその戦術が全く通用しない。なんてったて分身の術紛いの高速で移動し、弾幕と形容できる火玉をぶちまけ回るのだ。そして、従来のボスのように弱点の説明ナシ(UNKOWN)その実は、筋繊維のような部分全部というのは製作者の良心なのだろうが、装甲に覆われた部分と同系色で、弾幕の処理で精一杯のなか、何所に当たった時にダメージ判定が出たのかなど解らない訳であって……続編ではエンペラーという純粋な攻撃力、弾幕は彼を上回るトンデモボスが登場するが、弱点がわかりやすい赤いコアであるため、まだ対処のしようができた。というか、前座で復活したマジシャンさえ倒せていれば、倒す事は可能である。

3以降のボスは常識的な範囲の難易度に収まっているが、これはこれで良いのだろうか?確かに堅実な難易度で見事にボスととりえているが、語られる事も無い。筆者は僻んで言う訳で無いが、GSTという媒介はカップルのデートコースの為の物になってしまったようで寂しくもある。確かに、難易度ばかり上がれば某STGの最終鬼畜兵器やら極殺兵器のような常人では対処しきれない(クリアできない)事態に陥りかねない。

しかし、しかしだ、ノーコンテニューとか、得点を一定値上回ったゲームファンへのご褒美としてマジシャンのような鬼のように、と言うよりも鬼そのもののような強い、ただ只管、純粋で澱みのない強いボスを用意すべきではないのだろうか?

そうすれば、お笑い芸人と化しつつあるワイルドドッグにも希望の光がある。

2010年5月6日木曜日

凶気の桜

@普通

本作なかなかセンスの光ったバイオレンス映画の怪作だ。窪塚を「イケメン俳優」とよいしょして、ヤンキーの青春映画を期待していた世間一般の評判は散々なのも納得だ。レイプなどドギツイ犯罪描写が続く上に、その被害者が所謂ヤンキーども。不良映画なら主人公サイドの筈だがこのバイオレンス映画で描かれるのは零細新興右翼ネオトージョーの不良狩りと、ヤクザとか殺し屋とかそんなんだ。

PVの手法を作中にふんだんに取り入れており、洗練はされていながともかくその大胆さは評価するべきだろう。冒頭の東映マークには引き込まれるし、ネオトージョー一派の不良狩りと私生活も、なかなか野蛮が伝わってくる。
窪塚君も「なに考えてるか解らないアブナイヤツ」としては能面ぶりでも納得の配役だ。

しかし、問題なのはストーリーが旧体系のヤクザ映画に従順すぎた事と、ヤクザと交流を深める内に信頼関係を築いてしまい、心身共に傷ついてしまうという難しい役どころを、窪塚が全然できていないこと。前半こそヤバイヤツでキマっていたが、後半は完全に能面だ。もったいない。

あと、スタッフロール後のオチ捻くれすぎ。全くの蛇足であり、本編ラストの余韻を自らの手で潰してしまっている。

(右翼だか、在日だかの描写にテーマ性が生かされていないという評価があるがこういうのは無視する。これ、そんな映画じゃねぇから。)

2010年4月16日金曜日

随筆「ザの人」着眼者の皆様へ

現在、ザの人は、閉鎖も考えているという未確認ながら不穏な情報が流れております。しかし、現状回復の見込みが無い以上。ザの人閉鎖に備えて、HPおよび、ブログなどを持っている方。もしくはザの人閉鎖後に、新しいボヤキの場をすでに見つけているお方はコメント欄に一方を願いたい。ネット上の浅い付き合いとはいえ、皆様との繋がりを易々と断ち切るべきでは無いと思うのです。

2010年4月11日日曜日

第9地区

@名作

『食人族』は、名作であった。グロテスクな映像が多々あれど、文明人も蛮族と代わり無い残酷を欲する人間だと、たかが映画の分際で笑い飛ばした。今でも、『食人族』が低俗なグロ映画という票を数多く見受けるが、見当違いもはなはだしい。モンド映画でありながらモンド映画を否定し、モンド映画の全てが目指したリアリティーを完遂し、グロ映画を観に来た観客をも野蛮人と嘲笑してのけた史上最高のアングラ映画である。

本作はその『食人族』以来、量産された擬似ドキュメンタリーの手法を劇映画として見事に取り入れる事に成功している。冒頭で多用される擬似ドキュメントが後半には完全に劇映画の中に飲み込まれる事、そしてジャンルこそ、フィクションであることが大前提の宇宙SFものである事は『食人族』と全くの逆だが、観客を野蛮人と嘲笑してのけたのは、あの『食人族』以来の快挙である。

舞台をヨハネスブルグ。近年のネット上で無法地帯としてスポットを当たっているが、本作では少々異なった歴史を歩んでおり、宇宙浮浪者“エビ”たちの犯罪が加わる。

エビ達を取り巻く環境は過酷だ。差別と貧困にあえぎ、主な買い物先は、地球人の犯罪者。ヨハネスブルグの筋金入りの悪ばかりだ。エビたちもエビたちで団結して状況の打破などは行わず、バラバラのままダラダラと悪行に手を染めていく。

主人公の人間も人間で、宇宙人の卵を、潰して回る様は強烈な不快さだ。はっきりいって、差別主義者の典型で、口先では平等平和主義者でも、弱者に対して容赦が無い。というよりも興味が無いのだ。
「~だからどうしよう。~こうしよう。~明るい未来の為に。」本作はそんな事を言わない。
突きつけられるのは、ヨハネスブルの現状を面白半分に土人の作った犯罪都市とはやし立てる、人々の滑稽さだ。それは、かつてモンド映画の類で、土人の人食いを映画館で眺めていた人間たちと同じだろう。

少々捻くれた点にレビューを重視してしまったが、決して難しい映画じゃない。単純明快な残虐過激SFバイオレンスだ。主人公と宇宙人[クリストファー]は利害の一致だけで協力するが、戦いを通して、この異種にも心があると、お互いは悟るまでに成長する。
決してハッピーエンドとは言えないが、宇宙人[クリストファー]の逞しい人格の有様には、主人公のみならず、観客にも希望を見出せると思う。


4/23
ちょっと、このレビューひねくれすぎた。皮肉の利かせ方が『食人族』を彷彿とさせたの事実だが、実際は裏テーマであり、本質は宇宙人と地球人によるスラム街を舞台にしたバイオレンスアクション大作。終盤は30秒に一回ぐらいのペースでロボットによって人間がミンチになる。素敵。

碇シンジ育成計画

@評価外

元々がクソゲーとして有名な『碇シンジ育成計画』の漫画化であるが、内容はこれまたクソゲーとして有名な『鋼鉄のガールフレンド2nd』に近い。
その実態は『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターを流用したエロコメ。ラブコメなんて上等なものではない。
初期こそラブコメとしてストーリーと演出がなされているが悉く陳腐であり怒る気力すら失ってくる。
そうしてる内に、完全なエロコメに転換され、レイ・アスカらは身売りに等しい待遇。

とはいえ、画力が画力で、アスカ、シンジは公式でも認められているが、レイまで同じ顔なんだからだれがだれやら。

『いちご100%』や『オヤマ!菊之助』ならばそのコンセプトは明確だ。雑誌にお色気が欲しいという雑誌側と、漫画家の頭の良くない阿吽の呼吸でセクシーな絵を作っていく。評価などどうだっていい。平気のへいさ。
本作が連載されいるのは、かつて漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』本編が掲載されていた月刊少年エース。『ハンターハンター』に並んで休載に事欠かない事で有名だが、どう考えても雑誌側の体質を問うべきだ。

「レイとアスカのマン筋描いたらもっと受けるんじゃね?」「レイとアスカのマンコに顔をうずめてぇなー」等という頭の悪い阿吽の呼吸がなされているのだろう。


おらならもっと面白いもの作れるわ!とTWITTERで好き勝手絶頂に書き込んだので以下抜粋

『碇シンジ強化計画』
シンジがミサト姐さんに「おねいちゃん?」、もしくは「ミサトさま!(ミネバさまの発音)ひいてはハマーンさまの為!」とか言って、常に暴走。


 『愛と幻想の碇シンジファシジム計画』
ケンスケとトウジが時田殺してJAつかってネルフを倒して、なんか日本の支配者になる計画。素敵。

 『進め!碇シンジ以下略』
ケンスケが暴れん坊天狗のコスプレしたり、第3話に出てきた老先生が使徒をチョークスリーパーで倒しまくるギャフン

『碇シンジクックロビン計画』
MI6のエージェント、美少年キラー・カヲル君が第一話からネルフに(主にシンジに)襲い掛かる!使徒は世界一かっこいいマリネラ国王子がおちょくる。

 『碇シンジ遊戯計画』
闇シンジきゅんにきゅんきゅん

 『碇シンジ挑戦状計画』
要するにゲンドウを机にめり込ませる計画

 『碇シンジ大往生計画』
汎用人型最強撲滅戦闘機エヴァンゲリオン初号機に乗って、碇シンジ、驚愕-PANIC-

 『碇シンジ改竄素敵計画』
光翼帝型残酷獄滅極戮至高完全鬼畜兵器全部塩沢 ^/|=-[] さまの後光にありがたや。
碇シンジ 浄化-KO-

『碇シンジ悪魔の実験計画』
アスカがボコボコにされた挙句、目玉を抉られる。あ、本編と一緒だ。

『碇シンジ血肉の華計画』
アスカが内臓を摘出される。あ、本編と一緒だ。

『碇シンジ戦慄!死なない計画』
アスカ「大腸がなくてもだいちょーぶ」あ、本編ry

『碇シンジ悪魔のお医者さん計画』
アスカが量産機を好き勝手嬲る。あ、ry

『碇シンジマンホールの人魚計画』
衰弱したアスカが全裸でバスタブry

『碇シンジノートルダムのアンドロイド計画』
アスカがシンジに殺されそうにry

『碇シンジLSD計画』
アスカが病院で廃人ry

『碇シンジえじき計画』
『碇シンジ燃える月計画』
『碇シンジチェーンソー大虐殺計画』
『碇シンジロマンティック計画』
ドイツのきちく四天王に笑いながら嬲り殺されまえ(主にアスカが)

2010年4月5日月曜日

サマーウォーズ

@凡作

*完全ネタバレ

細川守監督による『デジモンアドベンチャー・ぼくらのウォーゲーム』の実質的なセルフリメイク作品。
『デジモン』はインターネット内部(デジタルワールド)を舞台に、コンピューターウイルス(悪いデジモン)に主人公らがデジモンと共に立ち向かうという内容だが、アニメの後日談で、主人公たちはデジモンと別れ、デジモンワールドにはいない。
そこでパソコンを使って再びデジモンと戦う。
とにかくガキの時分に見ても、傑作と確信している。インターネットの描写は先駆的だったし、ネットの接続に四苦八苦する主人公たち、そしてスピーディーなバトルには大興奮だった。

で、今やインターネットは持ってて当たり前の時代。携帯電話が21世紀のスイスアーミーナイフ例えられる今ならリメイクのタイミングとしては完璧だった。

テーマは「団結」や「家族愛」といった所か?ネット社会でコミュニケーションの低下が叫ばれているが、ネット自体は肯定的に描いて、このテーマを維持した事は特筆に価する。解決法を現実で見つけすぎという、評価もあるが、大事件はネット内部で起こっている以上、ヒントを現実で得る事は問題は無い。

キャラクターは主人公が数学の天才である事以外少々、無難すぎるが、“普通の一家の家族愛”という事なのでこんなもんか。ただし、ヒロインが全くに印象に残らない。ラストでケモノのアバターで緋牡丹博徒をするが、その頃にはもうお前誰だっけ?状態。
まぁ、そりゃこんな喧しい一家ならインターネットあっても無くてもコミュニケーションの低下は起こらねぇよ!

しかし、大家族たちはかなりのエリートか名職人集団。不景気な時代を反映した普通の家族というよりは、完全に理想の大家族。普通じゃないよね。
おばあちゃんも、パソコンが解らんからアナログ方面で対抗するんだが、実はおばあちゃん、日本のフィクサーで、政界のお偉方に渇を入れる。

そんな影響力でネットとアナログを対比させるよりも、公務に携わる家族たちに応援するのでも十分だったと思うのだが・・・・・・
しかし、基本的には見ていて楽しい一家だ。愛に溢れている。


しかし、インターネット世界の設定は明らかに雑だった。
「OZ」という世界的な巨大なサイトを舞台としているが、その巨大さはもう普通にインターネット空間に置き換えても問題なかった。なぜなら、OZを運営してる会社などの描写は皆無であり、まるで不要な設定なのである。正味、冒頭の解説以降全く掘り下げられない

で、米軍がよりにもよって、コンピューターウイルス(正確には最新型のAI)をその大サイトにばら撒く訳。コンピューターウイルスの攻撃力を調べる為にだ。なんで自分の国の人間も大勢参加してるサイトにんなもんぶち込むんだよ!
米国が事実を闇に葬るためにOZを破壊したら幾分現実的だが、少々ブラック過ぎる。こんな映画には求めていない。

だから、整理して考えてみれば、OZは元々、米軍が開発したサイバーテロの演習地だったという設定にでもしておけば良かった。そうすれば、超巨大サイトでも、そこにAI兵器が入ってきても問題無い。実は、AIの作者は一家の一人で(こんな使い方されるとはしらず)終盤、有利に事を運べたのだが、過去のウイルスの集合体を吸収し手の付けられない状態だったら、後述のスペクタクルももう少し緊張感があったと思う

また、このAIはゲーム感覚でOZと世界を混乱させているとされているが、やることが少々、合理的過ぎる。ラストで原発に向けて無人探査船を落とそうというスペクタクがあるが、もし、無人探査船を最初から陣内家に落とそうとしていたら、“対戦相手”に絞られたゲーム感覚悪役として強烈だ。一つの家を破壊するためだけに無人探査船を落とそうとするという豪華絢爛作戦には狂気さえ垣間見えたろう。そんで原発なんて話を無理に大きくする必要も無い。

既にインフラ・交通の一部が大混乱で、そのせいで、お婆さんの治療も遅れて亡くなっている。
だから、最後のスペクタクルは後付けにしても雑すぎるし、本作では核爆発なんてブッラクな事が絶対起こらないファミリー映画という事を、ここまでの流れで解っている。なので緊張感に欠けた。


あと、この映画の真のヒロインはカズマきゅん

2010年4月4日日曜日

とられてたまるか!?/盗られてたまるか

『とられてたまるか!?』
@傑作

ファミリーコメディーとしてもブラックユーモアとしても低水準なのだが、武田鉄矢が最高に笑えると同時に応援したくなるという奇跡的な作品。

新興住宅街に一番乗りした唯野一家は、週一の頻度で明石屋さんま演じる泥棒の被害を受ける。
ところが、警備会社も警察も全員やってくるのは変人ばかり。(刑事が阿藤海というの凄すぎる)

とうとう泥棒にコケにされ、これではいかんと、一太郎(武田鉄矢)は家を改造。有刺鉄線に丸太を尖らせた柵を自作し、庭にはトラバサミをばらまき、玄関に堀をつくって二階にフォークリフトを設置ロケット花火の改造銃で泥棒を迎え撃つが、泥棒はカメラ付けたラジコンヘリでその様をみて失笑する。
「ここまでやるかぁ?」と明石屋さんま。

しかし、堀が夜間に凍結してしまい一太郎は、お気に入りの酒と日記を奪われてしまう。

とうとう一太郎は通信教育や古本で格闘技を研究。公園の遊具で肉体改造に励みだす。「気ィ!」と叫んで気孔で空き缶をひっくり返し、投げ縄でサボる部下の雑誌を引き裂き「さぁ。働こうかぁ?」などなど器用な技を身に付けていく。

さんちゃんはというと、本職はゲームのプログラマーの開発部長だが、企画がダブってお蔵入り。
急造で、趣味の泥棒の経験を生かして、泥棒が主人公のゲームを作っていく。
モチーフはもちろん唯野家。
半ばストーカー紛いに、さんちゃんは一太郎に電話をかける。
おちょくるさんまに一太郎は「おまえはぁ、俺の恋人だよ。」と、最高に男らしい宣戦布告。

双方、うだつの上がらないアラサー男児だったが。この映画史上最も無意味な戦いで、どんどんカッコいいおっさんに成長していく。

だがラストはひたすら笑うしかない。武田鉄矢は「家内安全」と書かれた赤い道着を纏って「おれはぁ!お前の命を頂く!」と明石屋さんまに絶叫。
明石屋さんまは、一太郎の最高の宝であるテレビを奪うために、フォークリフトで唯野家を破壊する。

もうものすごい。大好きな映画。

『盗られてたまるか』
@駄作
韓国製リメイク版。
原作の面白かった点である、駄目主人公VS駄目悪党の構図からオンリー1VSオンリー1の傍目にダサいが応援したくなる構図へと変貌していく様が無くなってしまっている。

というのも、泥棒役がソ・ジソプ。ゲーム製作で成功した大金持ちで、泥棒は本当に趣味でしか無くなっている。
パク・サンミョンのお父さんも、真面目に道場に通って本当に強くなってしまう。

それ以外は、いかんせん微妙な原作をただなぞるだけ。韓国映画らしく、回想などにエフェクトを多用するがだからなんですか?笑えませんよと。
笑えたのは、、新興住宅地のはずが、恐竜の遺跡が発掘されて、陸の孤島となっている家の解説と、土佐犬を買いに行く所。(変なところで親日的だ)

2010年4月1日木曜日

アバター

@凡作
@映像は凄いよ・・・
@でもやっぱ・・・凡作

*ストーリー
話の筋はまんまドルフ閣下の『レッド・スコルピオン』か『メン・オブ・ウォー』。

特殊部隊、敵陣に潜入→あろうことか敵に情を移す→お上に対して無謀な戦いを挑む

という俗に言う白人酋長もの。『ラスト・サムライ』などもこの部類に入る。
白人至上主義として一部の人間に好まれていない(誰とは云わんが)
しかしだ、キリスト教圏における多神教の存在の容認はともかくとして、その享受は長年に渡りタブーであった、そこで一概に白人至上主義と批判するのは如何なものか?
そういう訳で私は『レッド・スコルピオン』と『ラスト・サムライ』は堂々と好きな映画だと言い張っている。

でも『レッド・スコルピオン』か『メン・オブ・ウォー』でアカデミー賞は無謀だろう。
構想十年かけて『レッド・スコルピオン』から進化してないってのは痛すぎるだろう。
しかも3時間

*登場人物
『T4』でファンを量産したマーカス君ことサム・ワーシントンが、下半身不随の主人公を演じる。
シガニー・ウィバー演じる博士とミシェル・ロドリゲス演じる運び屋が本気を出したら、出番無さそうだが、宇宙人の培養体操るアバターによって、やんちゃしまくる。

ここまではいいが、軍上層部の体育会系気質はどうしたものか?体育会計つっても部活のノリ、ラグビー部あたり。向こうじゃアメフト部か?
アンチ体育会系にしても稚拙すぎる。なんて言ったらいいか3時間かける割にB級映画の悪役よりも“いかにも”な悪役。つーか、いじめに興じる不良つーか・・・・・・キャメロンよ、しっかりしろ!
3時間もあるんだからがんばってカーツ大佐(地獄の黙示録)、ロンゲーナ大佐(怒首領蜂)、スチュワート大佐(ダイハード2)並みの極悪非道すぎて息が出来なくなるような体育会系を用意しとけや!

*CG
CGによる自然環境の人口製造は難しいと本作にて確信。
本作のメカニック描写は3D効果もあいまって秀逸だったが、自然環境というのはいかんせん、いびつな物であり、なかなかキレイに纏まっていない。故に、人間の視角に纏まった綺麗に見える背景がボンボン連発することで、皮肉にも世界観のリアリティーが消失していってしまった感は否めない。

2010年3月24日水曜日

ジル・リップス=殺戮者=

@ドルフ主演作的には黒歴史
@大駄作

1975年のボストンを舞台としているが、この時代設定そのものが全く無意味である。
ある日、ドルフ演じる主人公の兄が亀甲縛りで発見されるという猟奇的なOPを迎える。
ドルフは元・刑事で、兄の死について単身で探偵の真似事を始めるが……
(アル中という設定があるが、スウィーパー以上に無意味な設定であり早々に忘れられる)

まず、本作冒頭から真犯人の候補が続々と羅列される。ドルフが発見した訳では無く、ダラダラと登場する。

兄が建造に反対していた地下鉄の鉄道会社。
鉄道会社の用心棒(何故か吹き替えが名古屋弁)
兄の妻
兄が足しげく通っていたSM嬢

何か猟奇的な人物によるサスペンスなどは無いのだ。

しかし、稚拙な脚本を除けば、低予算ながらアングラじみた冒頭の雰囲気はなかなか引き込まれてしまう。
新たな犠牲者が発見された時の、「発見者がトラックで遺体を引いてしまった!」とか、その遺体の特殊メイクの秀逸さはいよいよドラマが本格的に動くのかと期待してしまったが、
物語は此処でSM界隈に縛られ(そっちの意味じゃない)どんどんつまらない物に。
ラングレンは挙句にパンツ一丁で亀甲縛りという情けない姿を(視聴者に)さらす羽目に。
結局犯人も、冒頭で列挙された人物たちに代わる事も無く、結局そいつかよ!ってオチがつく。

なお、本作。ラングレンが弱い。弱すぎる。鉄道会社の用心棒に手も足も出ないなんてのは酷過ぎる。

小生ならこう考える、
強硬派の刑事は、とうとう警察を免職。アル中に落ちいていたが、兄が猟奇的な殺人で殺される。
ドルフは怒りのあまり、単身総当たりのゴリ押し捜査を開始。SMクラブで大乱闘、鉄道会社で大乱闘の果て、真犯人の鱗片を拾い集めていくのだが・・・・・・

でも本作はこう、
アル中の割に元気で人間関係良好な元・刑事が、兄をSMと見せかけた猟奇殺人っぽいSMプレイで殺され、ドルフは怒りの余り、図体の割に、鉄道会社でボコボコにされ、SMクラブで亀甲縛りにされながら単身捜査を続ける。がんばった割に犯人は一番身近にいた兄の妻

2010年3月22日月曜日

JM

@凡作

『マトリックス』のヒット以降、その致命的なダサさで再認識された映画。
キアヌ・リーブス演じる行き当たりばったりな記憶屋の近未来バイオレンスの触れ込みながら、設定倒れしたストーリーの頭の悪さ、ビートたけし、ドルフ・ラングレン、アイス-T等、謎過ぎるキャスティング。そしてダサさで興行的惨敗した。
初期のシャ乱Qとかメタリカのデビュー盤とかマノウォーとかXジャンプとかジャクスン・ジョーカーそんなダサさじゃない。要するに褒められるダサさではない。『北斗の拳』の雑魚など世紀末ファッショとか、指からレーザーカッターとかファミコンのパワグローブ状の操作デバイスとか、バーチャルボーイ状のインターフェイスとか、そもそも脳味噌を利用してデータを運搬とか……壮絶にズレた未来予想。
サイバーパンクって言葉を辞書引かずに、語感だけで妄想するとこんな感じのダサさになる。

そんな独特(というよりも安直)な世界観なんぞよりも、キアヌの行き当たりばったりさには泣けてくる。
開始十分も無いのに観客が彼についていけなるなる珍シーンに移る。

キ「俺の脳の記憶容量は80GBだ、約束した記憶容量4倍化装置は手にいれたんだろうな?」
 「すまん、2倍化装置なら用意できた。」
キ「この野郎、足りないだろうが、まあいい無いよりマシだ、これで俺の記憶容量は160GBだ」

依頼人「運んで貰う情報量は320GBだ」
キ「(内心ビビリつつ)大丈夫だはじめよう」

キ「早くデータを脳から出さないと死んじゃう!」

こんな感情移入の余地の無いアホが手に入れたデータを狙うのがビートたけし演じるヤクザとドルフ・ラングレン演じるカルト宗教の教祖
ドルフに至っては、キアヌがマジビビリして、格闘シーン無しという逸話つきだ!

キアヌ・リーブスがビートたけしとドルフ・ラングレンに襲われるってなんやねん。
そんな状態のキアヌを助けるのがアイス-Tって頼りなさ過ぎるだろ!そんなアイス-Tの尊敬するリーダーは麻薬中毒のイルカ。
魚じゃん!哺乳類でも食料じゃん!頭良くても魚じゃん!頭良くても麻薬中毒じゃん!麻薬中毒の食べれないじゃん!
『フェノミナ』に出てきたチンパンジーの方がまだ役に立つわ!
Tがギャングスタラッパーかなんかしらんが、映画的にはたけしとドルフなんて緋蜂改ですから。

ビックバイパー・キアヌがオプションにアイスとイルカのみで緋蜂改に挑んでるんですよ!

ま、たけしが自滅して、キアヌが勝つんだけど。ドルフが黒焦げになって世界に平和が訪れるんだけど。

余談・映画版『電車男』では、マトリックスと本作を一緒くたにした演出がラストに存在する。

2010年3月21日日曜日

スーパーマグナム

@超快作

『狼よさらば』『ロサンゼルス』の二作はブロンソンのベストアクトにしばしば挙げられる。
妻子を蹂躙され悲しみ・怒りに支配された主人公ポール・ガーシーの孤独な無差別復讐劇は観客に強烈な印象を与えた。ガーシーの悲しみを深めつづける戦いに皆胸を打たれたことだろう。

本作『スーパーマグナム』は、そんな孤独な戦いを挑み続けていたポール・ガーシーを所謂バカ映画にシリーズをシフトチェンジした事で救った(?)映画である。
『ロサンゼルス』のラストの銃声。ガーシーがクライムハンターとして生きる覚悟を決めた事を暗示させていたが、本作において描かれるガーシーはプロのワンマン自警団云々というよりも、発狂したとしか思えない強烈な意志のありさまを見せつける。

NYに戻ってきたガーシー、しかし時はまさに世紀末(にしか見えない)。町のチンピラどもは『狼よさらば』時代以上に凶暴(というか頭が悪くなって)に暴虐の限りを尽くしていた。
ガーシーは誤認逮捕を経て、NYの治安回復に絶望を感じていた警察署長直々に悪党狩りの密約を結ぶ。
作中でガーシーはワンマン自警団として都市伝説状態で伝承しており、地元住民から期待されて迎え入れられる。

ガーシーは早速「友達のウィルディを呼ぼう」と、電話をかけると、後日、通信販売から.475ウィルディマグナムなる極殺兵器を購入-Purchase-
カメラや新車を囮にしてまで悪党を狩り殺しまくる。その様は満足な仕事ができた伝統工芸士のような表情である。果てに民家に罠まで設置。暴徒VSガーシーの戦いは激化の一途を辿り、ついに暴徒は、ガーシーを殺すためだけの暴走族連合を結成し、通り魔的に火炎瓶やら手榴弾やらで町中攻撃、女は犯され、家は燃やされる
そんな暴動状態のNYでガーシーは地元住民の朝鮮帰還兵が隠し持っていたM1919重機関銃なる最終鬼畜兵器を開放し、通信販売で追加購入したロケットランチャーなる獄滅極戮至高兵器をもってして、暴徒を圧倒的な弾幕で虐殺しまくる……

此処に来て御歳64歳(ブロンソンの年齢)ポール・ガーシーは哀愁など女々しいとばかりに、圧倒的な火力を躊躇なく噴射する危険極めた猛毒老人となっている。
実は殺人に快楽を見出してしまったのか?第一作で暗示されていた野獣の魂が目覚めきったのか?いずれにしろポール・ガーシーは悲しみを経てヒーローとなったのである。映画の出来が恐ろしく雑なのは認めるが、なんか素敵だ。本文、冒頭でバカ映画と形容したが、素敵な映画だと思うよ。俺は。

2010年3月15日月曜日

グラン・トリノ

@イーストウッドも老けちまったな

古き良き時代の男とはなんだろう?イーストウッド御大は実に素晴らしい解答を示している。
「マトモな男ならダクトテープとバイスプライヤ、潤滑油さえあれば家の物は大概直せる。」

男に必要なのはマグナム銃でも、サイコ野郎との戦いでもない。ぶっ壊れた物はとりあえず動くように自力で直す、DIY精神こそが、先進国男性諸君が忘れつつある男の魂なのだと。
じゃあなんだこの映画は日曜大工の映画かよ?そうでは無い。
本作はイーストウッド御大演じる老人の晩節を描いた秀作だ。
この老人、親戚の自分勝手で偏屈さに拍車がかかっており、住み慣れた我が家の防衛に余生を賭そうとしていた。と、言うのも共産党の圧制から逃れた中国のモン族が彼の近所を圧倒的な人数で席巻するようになってしまったからだ。隣に住んでる婆さんに至ってはイーストウッド御大よりもパンチが効いているというオマケ付き。しかも、隣の少年が自分の愛車グラン・トリノを盗もうとしたもんだから、イーストウッド御大は高血圧気味で余生を過ごす羽目となる。
しかし、モン族の若者の少数がストリートギャング化しており、黒人のギャングと張りあって、同じモン族に暴力を振るっていた。そこにやってきたのが、イーストウッド御大。
「芝刈りも出来ない粋がった小僧ムシが好かねぇ」とばかりにギャングどもを追っ払う。

すると、翌日からモン族から感謝の声・お礼参りが殺到。
生きてる内に“お供え物”が毎日のように届く事態に激昂するイーストウッド御大だが、モン族の少女になだめられ、ようやく、地域住民との交流を結ぶようになる。
そして、車を盗んだ少年が謝罪の為に彼の元で雑用をこなすようになって行く。
イーストウッド御大は少年に色々な事を教えるようになっていくのだったが……

人種問題の根の暗さに踏み込むと同時に、過去や人種、年齢に縛られない男の友情をも描いた男のための映画である。

でも、イーストウッドよ、ライバル故チャールズ・ブロンソンのように町の不良どもなぞ通販で買ってきた最終鬼畜兵器による容赦ない皆殺しでもいいんでないかい?
あんた老けていてもビジュアルも演技もダーティー・ハリーのまんまなんだから。

2010年3月7日日曜日

ファニーゲーム

@駄作

本作の評価についてはもう語り尽くされている。
確かに、理不尽な猟奇殺人の現場を描きぬいた秀作なんだ。
悲惨にして不愉快にして平凡な映像。
呼吸するように排泄するように流される残虐事件。
素晴らしい。こんな悲惨美を見せる映画は無い。
だが、だが、なぜだ?なぜなのだ?

なんで巻き戻さなきゃならないのか?
なんで巻き戻してしまったのか?
なんでなんで?

どうしてもこのワンシーンで本作の評価を下げざるを得ないのは残念でならない。

2010年2月19日金曜日

「エヴァンゲリオン:破」って主演・ドルフ・ラングレン大尉だったら名作だったんじゃね?


ラングレン閣下、ザグマシンガンで氷の使途を
浄化
-KO-






トウジとケンスケの狩猟社を単身で
突破
-KO-

ついでに耳を回収



葛城宅を忍者屋敷に改造し、シンジを「俳句の読める真のサムライ」にするべく鍛え直す。



シンジを「ボンサァイクラブ」で男の付き合いを教えようとするが、そこに両親の仇、加持・リョウジ・タガワが同席しネルフに接近していた事に
 驚愕
-PANIC-



その間にレイ惚れられ布団の無いコタツで
ポカポカ
 -KO-



ミサトとは風呂場で
ポカポカ
 -KO-



ペンペンもついでに
 くわぁ
 -KO-



サハクィエル襲来。愛車のカウンタックで倉庫に誘導、倉庫内の台車で滑りながら最終的にはトランポリンを駆使して
穿越
-KO-



しかし、この戦闘で白い色に恐怖を覚える



バルティエル出現。レイが犠牲になりシンジと戦う羽目に。(*ラングレンは生身で戦っている)

レイがセップクをするのではないかと勘違いし、参号機内部に潜入し救出する。シンジは参号機を
奪回
-KO-

(ゲンドウはレイが吸収された為、まともな指令を出せず。結果的にはシンジとわだかまりを作る事は無い)



ゼルエル戦にて善戦するシンジ。役目を終えたと悟ったラングレンは加持・リョウジ・タガワを密かに忠殺。初号機は戦いの末その力を
解放
-KO-



ゼーレはラングレンに問答無用に破壊される
終結
-KO-



「Q」

ゼーレ無き後、冬月が秘密結社ネオ・アトランティスを復活さえ世界征服に乗り出す。ラングレンはビートたけしと共に救世主ネオ皇帝を
救済
-KO-
してしまおうと四苦八苦する。

しかし、時田が開発したJAが荷電粒子砲で地球全土を同時攻撃する。

2010年2月14日日曜日

覚書

後ドイツ映画界 鬼畜四死天

残酷無双電死映像無変集骸暴糞帝 アンドレアス・シュナーズ
不謹慎観念撲滅殲滅発狂轟悪絶帝 クリストフ・シュリゲンズィーフ
死悦霊産生命蹂躙滅謀頭蓋爆超帝 オラフ・イッテンバッハ
鬼畜絶望暗酷破戒魔侵死高快虐帝 ユルグ・ブットゲライト

2010年2月1日月曜日

狂気に満ちた耽美趣味のパラノイア

登場作品『ギニーピッグ2 血肉の華』

知力・・・・・・測定不能
学力・・・・・・測定不能
技能・・・・・・測定不能
武力・・・・・・測定不能
生命力・・・・・測定不能
政治力・・・・・測定不能
権力・・・・・・測定不能
性質・・・・・・測定不能
ルックス・・・・測定不能
カリスマ・・・・測定不能
ポリシー・・・・測定不能
運・・・・・・・測定不能

総合能力値 ???(-)

女性を誘拐しては生きたまま解剖(というよりも破壊)それを8mmで記録し、 人間のパーツを地獄絵図の如きギャラリーに飾っている。
この異常な殺戮は世間一般のSM的な意味合いとは一切合切かけ離れた得体の知れない性的興奮を得る為とも、本人は芸術を行ってると考えているとも言われる。(どっちにしろキチガイである)
怪奇漫画家・日野日出志のファンであり、8mmの一本と支離滅裂極まる手記を収めて送りつけている。

「女の白い肌を、真紅の血が生き物のように妖しく這い回ると、めくるめく恍惚と陶酔の血の海に溺れながら女は血と肉の華に開花するのだ。この世にこれほど美しい物は無い。これから、その美の極地を御覧に入れよう。」

以上、残虐卑劣鬼畜屑キチガイ極まる文字通りの人非人である。(当人には褒め言葉にしかならないのが残念でならない)
歴代のホラー映画界の殺人鬼でもここまで酷い(終わってる)のはそうそういない。

筆者を一目ぼれさせたあまりに秀逸なビジュアルは彼が頭おかしい事に十分すぎる説得力を与えている。

2010年1月22日金曜日

スラムキング

登場作品『バイオレンスジャック』 (ネタバレ

知力・・・・・・4(機転・3 計画・1)「日本の黒幕&関東最大の実力者くせにあまりにも粗暴」
学力・・・・・・4(文系・2 理系・2)「天才という設定であるが作中、発揮していない」
技能・・・・・・0(アナログ・0 デジタル・0)「筋肉の力が強すぎる為、細かい事は苦手のようだ」
武力・・・・・・10(武器・5 格闘・5)「文字通り魔王」
生命力・・・・・9(肉体・4 精神・5)「作中最強だが、 鎧が無ければ生きていられない」
政治力・・・・・3(指導・3 交渉・0)「交渉する時間があれば誰でもいいから殺しているタイプ」
権力・・・・・・10(地位・5 影響力・5)「関東最大の実力者であり、外界にも息の掛かった人間を送り込んでいるとされる」
性質・・・・・・10(度胸・5 冷酷・5)「人間を文字通り達磨にして犬のように虐待する鬼畜ぶり」
ルックス・・・・・・5(美しさ・0 怖さ・5) 「甲冑の下は皮膚の無い剥き身の筋肉」
カリスマ・・・・・10(オーラ・5 威圧感・5)「関東の無法者たちからは恐れ敬われている混沌と暴力のシンボル」
ポリシー・・・・10(信念・5 野望・5)「暴力による専制君主国家建設に拘る物凄さ」
運・・・・・・・10(チャンス・5 ピンチ・5)「スペックに拍車をかけている」

総合能力値 85(A)

本名、銅磨高虎
年齢、30歳前後 (終盤では40歳近く)
身長200cm・体重300kg以上(鎧含む)

名家、銅磨家の長男として誕生するも、異常筋力の持ち主で、母の腹を裂いて生まれてしまった。
また、誕生後間もなく、その筋力による内臓や骨格の負担は深刻な物になった。

そこで総鋼鉄製の鎧を身に纏う事で、筋肉の力を制御させる事で生き長らえた。
しかし、外に向けられた彼の筋力はやがて彼の皮膚を退化させ、鎧の中には剥き身の筋肉を持つ怪人となってしまった。


結局、跡取りは養子の高次が継ぐこととなり、異形の高虎は蔵に幽閉されたままで18年も生きることとなった。
その18歳のある日、東京から彼をなだめる目的で雇われた女子大生の家庭教師が、彼に誠心誠意、自ら裸になって、人間の脆さを教える事に成功。高虎は、結果的に母を殺した罪悪感にさえなまされながらも、「その力は怪物の物じゃないあなたはスーパーマンよ」と励まし、力のコントロールを教えてくれるこの女子大生を「先生」と慕い、恋心を抱くようになった。

しかし、先生は高次に陵辱された事を切欠に、彼と情事に耽るようになってしまい、高虎はコレに逆上。
高次のみならず、 先生をも八つ裂きした挙句、家中に火を放った。

その後の10年間の経緯は不明だが、銅磨家の権力のみならず、日本の黒幕格となり東京の中心部に巨大な屋敷を構え、誘拐したフランス人歌手、ジャンヌを監禁陵辱虐待しつづける
また、この頃にはジャンヌに生ませた息子・蛮がおり既に10年近く非道を行っていたと思われる。

M8.9の大地震、関東地獄地震はこの数年後に起こった物と思われ、日本列島から分断した関東に自身の圧倒的な暴力の下に専制君主国家建設を実行に移す。
最初の部下の出身は不明だが、既に高虎をスラムキングと呼んで絶対の服従を誓っており彼ら自身も鎧兜身に纏っている。
(鎧を着ている理由は「戦国時代」の再現とは動機が定かではないが部下がキングに陶酔した為か、劇中一度だけキングは歴史の造詣が深いと間接的に語られている)
(また、この頃から既に、斬馬刀持ちの男も居る。もしかするとキングの執事のような立場だったかもしれない)
この侵略初期の段階から、関東に悪名を轟かすドラゴン軍団の軸は殆ど出来上がっていた。

着々と、ドラゴン軍団を率いて侵略を繰り返すキングはやがて関東の魔王と呼ばれ、恐れられる存在となった。

上記にもあるように異常性欲者であり、SEXというよりは、拷問もしくは処刑と形容すべき凄惨さである。特に逆らった人間は、手足を切り落とし、舌を抜いて人犬(ひといぬ)と読んで虐待し続けている。
愛人のスラムクイーンたちは、全員がキングのボディーガードを兼ねている為、例外的に自由を与えられている。
(とはいえ、このスラムクイーン、途中から超能力者一名だけとなり、連載終了後の外伝にて後付でその経緯が触れられている*完全版では中盤に挿入)

自身の戦闘能力は超人そのものであり。200kgを超える鎧を着て体操選手の如く跳ね回る事ができる上に、刃渡り2mに及ぶ大太刀“斬馬刀”を片手で自在に操る事ができる。

そんな中で、関東に出現した巨人バイオレンスジャックが野望を悉く妨害に度重なる一騎打ちを挑むようになる。
しかし、バイオレンスジャックと、人々の出会いは、やがてキングの存在を揺るがす物へとなっていく。

巨匠、永井豪が作り上げた最終鬼畜兵器もしくは獄滅極戮至高兵器的超悪党。、
「スーパーマン」に成れなかった男の悲劇に有らず。
ラストパート、裏切った愛人をも残虐に処刑して辿り着いた荒野で「俺が戦いの化身である事を証明してくれる!」と、地獄の鬼よりもおぞましく絶叫。
バイオレンスジャックに最後の戦いを挑む。
銅磨高虎は過去を捨て「スーパーマン」など糞食らえとばかりに「スラムキング」として生きる事を選択した。

壮絶な一騎打ちの末ついにバイオレンスジャックを後一歩まで追い詰めるが、10年に渡り虐待しつづけてきた人犬の命を掛けた妨害により隙が生じ、ジャックに首を跳ね飛ばされ絶死した。

ここで終わっても完璧だったのだが、なぜか彼が『デビルマン』の魔王ゼノンであり、飛鳥了の悪意だった事が最終章で発覚。実はデビルマンだったバイオレンスジャックとの宇宙圏での死闘によりついに滅びる。

連載初期から登場し、その出身も明らかになっているが、どこかミステリアスなキャラクターであり、上記は筆者の見解を述べたまでで、異説は多数存在。彼の悪の魅力には尽きがない。

2010年1月19日火曜日

日本製少年

@金字塔的名作 ハイセンス過ぎるあまり埋もれてしまったのが残念無念

*ネタバレ

バブル崩壊後の日本という者にもっとも絶望したのは大人たちではない。むしろ若い世代であった。
少なくとも、大人はバブルの加護に触れることはできたが、新成人や青少年はその加護を受ける事は無い。
それは、親が得ていた物を自分が貰うことは無いという単なるエゴであるが。大小あれど、誰にだってこの矮小な感情を抱いてしまっていた。

そこで世間を逆恨みしてダラダラ作られたのが『オールナイトロング』という駄作である。
そしてエゴを認めつつもガムシャラに作られたのが本作である。
エゴを受け入れている者の方が狂っている事を嫌というほど見せ付けてくれるし、その器量がある者は映画にリアリティーを与える事もできる。

しかし、この映画はR-指定の扱いを受けているが、暴力描写に関しては劇中で1分も存在しない 性描写も3分もなく変態的でもなく過激ではない。
なにが不味かったのは言うまでも無く、少年少女のディストピア・東京のリアルさと、大沢樹生演じる大和の不健全な性格の偏りだ。それは廃頽のように上品な物ではない。ただ単に不摂生で、道を踏み外したのでグズグズと立ち止まってる。

大和は喧嘩の末、父親を殺しかけてしまい、家出をしたものの、やりたい事も無く定職にありつけず、街を彷徨っていた。夜は、テレフォンセックスの相手に実際の殺人事件の顛末を語る虚無的な変態であった。

ある日、彼は町でティッシュ配りをする少女、が目に留まり、彼女にちょっかいを出す。
呆れながらも薫は、面白半分に彼を事務所とされるマンションに連れ込む。
そこで、日本語が明らかにおかしい女が、面白半分に二人に拳銃を手渡した
薫の雇い主はヤクザだったのだ。このヤクザは、事務所に戻ってくると物腰柔らく大和に言い寄り、彼に料理を振る舞い、職の無い大和にトルエンの売人をやらせる。

こんな所で働いている薫もまた、家出少女であったのだろう。
彼女は、大和が親を殺しかけたと話すと彼女は彼に興味を抱いた事から、経緯は明かされないが、親に対して恨みを持っているようでもある。

二人を叱る大人など、いない。
二人は時に欲望のままにお互いの体を弄び。時に寄り添い、時にふざけあい、恋に落ちていった。

薫は、心臓の病が原因でペースメーカーを埋め込んでいた。
彼女は「サイボーグ トシテ ウマレカワッタノダー」など、自嘲するが、大和は「嫌になったら、電池を抜けばいい」と、心無い言葉をかけて彼女の乳房をまさぐる。
そうしていって薫も「私が死んだら燃えないゴミの日に捨ててね」と、大和に告げる。

そんな、二人はお互いを慰め合うように、癒すように、仕事以外は常に共にいるようになっていった。
しかし、大和はトルエンの取引中に拉致され、そのはずみで、チンピラを拳銃で射殺してしまう。

二人は逃げ出した、ヤクザから、警察から。昼は寄り添い合って、夜は絡み合って、街を彷徨う。
やがて、大和の実家へとたどり着くが、両親は大和の帰りを待つことは無く転居していた。
電話でこそ母と話していた大和は、ここで初めて後悔に身を震わせた。

結局二人は、行く当てもなく街へと戻っていった。
そこでは、ヤクザが待ち構えていた。
ヤクザは「お前らの面倒は俺が見る、逃げる手配をする。」とまたも優しく言い寄るが、それは彼らのお陰で露呈した不法行為を全て、彼らに擦り付ける為だ。
大和はすぐにコレを見破りヤクザを射殺。

ヤクザの逆襲で傷ついた大和だったが、幸い命に別状なし。
完全にドン詰まった二人は海岸に寝そべって、ふざけあっていた。不安をごまかすように。

しかし、薫は笑顔で言う「君がトルエン売ってたあたりなら見つからないかな?」
「バーカ!」と大和。

しかし、言葉と感情とは裏腹に、薫はペースメーカーの電池切れで死んでしまう。
二人で慰めあう事はできても、支えあう為の土台となる場所など無いと、虚無の浜辺にて悟っていたかのようにだ。
今日、その浜辺で力尽きたが、彼女は悔いなど無かっただろう。死に場所を見出せたのだから。

大和は、はじめこそ彼女の死を受け入れられなかったが、やがて、薫の亡骸からペースメーカーをえぐり出すと、街から消えた。薫を空き缶のゴミ箱に詰めて。
しかし、ここでも薫の死顔は、微笑んでいるようにさえ見える。

ラストシーン。
映像が荒い、夜も深けた。
大和が、突然車を止めると、無意味に銃を構え出した。
そして彼は、不敵な笑みを見せている。それは薫に見せていた男の笑顔では既になかった。
大和は、無意味に車へと戻った。

ただ単に「死んだ→悲しい」とか「後味が悪い→何度も見たくが良い映画」といった趣きを逸脱してしまったこのエンディングに筆者涙した。 切なくて、切なくて。

大和は銃口を何処に向けてしまうのか?もしくは一生もう引き金を引くことは無いのか?
小生どちらとも、考えたくなかった。

主人公大和を演じる大沢樹生、ジャニーズとの確執は不明だが、当時干されていた時期だ。
アイドルから急転直下、救いの手さえ伸ばされない荒んだ青年を見事に演じきっている。

薫を演じるのはAV女優の嶋田加織。しかし、彼女は下手すると唯の色情狂の電波女になりかねない薫という役を、絶妙なさじ加減で少女として演じきっている。一体なぜAVに身を落としていたのか見当がつかない。
(最も、AVに出演でもしていなければ本作のようなロマンチックとは言い難い濡れ場を演じたとも思えない)
この不可解な女優は本作の完成直後、AV界から突如引退。まるで映画の薫と同様忽然と姿を消した。

また、登場は僅かだが、この二人を完全に食っているヤクザを演じるのが鈴木一功。
このヤクザだが、あまりのリアルさに開いた口がふさがらなかった。暴力をちらつかせながら優しく言い寄る姿などは、連中の常套手段。鈴木氏はヤクザに騙された事でもあるのか、異常過ぎるリアルさである。
もし、『新・仁義なき戦い3』が作られるのならば、山守ポジションは彼しかいないだろう。

また、本稿には書ききれないが、独特とも言えるセリフの妙。
タランティーノ作品以上に無意味な会話だが、本作の脚本は完全に彼よりも一枚上手を行っている。

また本作は、三池崇史の最高傑作『新・仁義の墓場』にも絶大な影響を与えている事は明白である。
大沢樹生の起用と、配役のモノローグを活用したナレーション、ラストの荒いフィルムの効果等は明らかに本作を意識した物である。他、『日本黒社会』においても、トルエンで世界征服を企む男を哀川翔に演じさせている。
小生、『新・仁義の墓場』のレビューを最初に載せた時、ラストのこのフィルム効果に「受けを狙いすぎて好きになれない」といった趣旨の文章を文末に付け加えていた。しかし、その違和感の正体を結局解らず、削除したが、この度確信を持てた。世界の三池崇史が、その最高傑作にて本作をパクッたのである。

しかし、監督・脚本の 及川中 氏。本作以外まともな作品を撮っていない。

2010年1月16日土曜日

バイオレンスの海のナディア 黒の島編

ジャン「や、やめてくれぇキング!」
キング「ジャンッ!地獄へいけ!!」
ナディア「きゃー!」
キング「ナ、ナディアはオ、オレをウラギッた!!ウラギッた~!!」
   「オレは!オレは!愛されていると思っていた!」
   「こんなライオンのオレを愛してくれる人がいると思っていた!」

宇宙一カッコいい銀河大総統(平野耕太談)ガーゴル様様「黒の島は・・・ライオンの心の奥底を映し出す。」