2011年1月1日土曜日

GOEMON

@忍者アクションとしては次第点
 @脚本は最低


キャシャーンから見えにくかったアクションシーンは大進歩した。しかしCGが進歩していないコレが『無双シリーズ』よりも前なら評価もかわったが、シンメトリー構図の多さは引き出しの少なさを露呈してしまった感は否めない
五右衛門の泥棒としての活躍は序盤にとどまっており(しかもそれが『カリオストロの城』にオマージュで終わっている)
基本、それなりの映画なのだが、アラが尖っている。面白さに尖った点はない。
私的に本作の失敗は終盤で登場人物全員がアホになってまう点が大きい。
・才蔵の家族が襲撃させると何故か予測していない五右衛門(石田三成が序盤で耳に入ってる。)
・立身出世が目的でいたにも関わらず死ぬ間際に世界平和を唱える才蔵。




他にも色々とあるが、 最終決戦手前の盛り上がりとも言うべき場所でのこの失敗は本作の評価を大幅に下げざるを得ない。というか、才蔵の演説よりも、その後に赤子を釜に放り投げる秀吉の方が圧倒的にインパクトがあった。演説の内容なぞみんな忘れる。
紀里谷和明監督は、素直に高いポテンシャルを持ってる“天才”に部類する監督だと思う。しかし登場人物が唱う世界平和だが、登場人物たちが戦う戦場ではどんな派手な戦闘シーン・流血シーンにも暴力的感情が込められていない。主人公が常に反体制側であるにも関わらず反体制を貫く“野蛮”なエネルギーに欠けている。

これらは彼の坊ちゃん気質に起因するものであると断言する。温室育ちで、映画撮らなくても食っていける。(彼の出身を鏡見れば革命家にでも成れば良かったのに)

本作でお尋ね者のアナーキストの筈の五右衛門が鳥の肉を食うシーンで、鳥の骨までしゃぶる事は無く、柔らかくて美味しそうな部分だけ食べて「ごちそうさん」という。
坊ちゃん監督の性格的な甘さがよく出ていたシーンだと私は断言する。

私が前期の作品の平和論が頭が悪いと評したのはそういう事ではない
徳川家康に天下の太平を約束させた五右衛門などは、キャシャーンの無意味かつ意味不明なバッドエンドからは随分飛躍できたと思う。しかし、途中から付いてきた子役は完全に蛇足な上に、支離滅裂な五右衛門の説教でその必要性は皆無だったりと、性善説を描こうとした結果登場人物が白痴化するという前例多々ある最低要素の一本。『モスラ3』の白亜紀編と同じでやらないほうが出来がよいのだ。


というか、本作の一番の見所はCGも何も使っていない、 平 幹二朗が人肉料理にされるシーンである。このシーンだけで「この映画見てよかった。」と思わせてくれるのだから紀里谷さんはもっと野蛮になるべき。

十三人の刺客(2010)

@名作
@『新・仁義の墓場』と同じぐらい名作で同じぐらい奇跡のPG-12




『十三人の刺客』というよりも『武士道戦国志』か『大笑い、十三人の、馬鹿騒ぎ』のほうが十兆倍しっくり来る作品。


敵味方含めて登場人物全員が各々のベクトルで常軌を逸しており、シグルイな価値観でのみこの異常極まりない超弩級残酷絵巻に参加している。 


仇役、松平の殿様からして既に凄い、鬼畜も鬼畜、CAVE語で言う鬼畜の領域であり『カムイ伝』の殿様と『武士道残酷物語』の殿様と『バイオレンスジャック』の殿様の全部盛りなのだ。気色悪さでは『ギニーピッグ2』の殿様の鱗片さえ見える。実際に映画を見れば小生の例えが恐ろしいほど正確である事が解る。
これを演じるのが稲垣吾郎といのもものすごい。本当に温室育ちのお殿様のイメージそのままで野蛮な悪党全部盛りなのだ。吾郎さんのいつものナルシストなオーラも相まって、立ってるだけで、不動のままで怖いとんでもない悪党が誕生してしまった。

13人の善いもんの鬼畜の親玉、役所広司はそいつの所業を目の当たりにして笑う、どん引きというよりも武者震いに近い。チープな狂笑というよりも、こみ上げる感情がなせる笑い。この導入部だけでこの映画は100点である。
で終盤の13人VS300人だが「13人が30人づつ殺れば楽勝じゃん?」と思う人も居るだろう。

『あずみと』は訳が違った、切っても切っても13人を圧殺する敵勢の圧倒的な数の脅威を描ききっている。地獄のような光景だ、13人の一人が息絶える直前に見る、敵味方が殺し殺される場面に顕著だと言える。

その末路に至るまでジャニーズ的には吾郎さんを出したのを後悔しただろうが、血だるまになりながら、鬼畜と化して「みなごろし」をやってのけたキャスト、描き抜いた三池組百点万点の武士道残酷物語ならぬ武士道鬼畜大宴会であった。