2010年2月19日金曜日

「エヴァンゲリオン:破」って主演・ドルフ・ラングレン大尉だったら名作だったんじゃね?


ラングレン閣下、ザグマシンガンで氷の使途を
浄化
-KO-






トウジとケンスケの狩猟社を単身で
突破
-KO-

ついでに耳を回収



葛城宅を忍者屋敷に改造し、シンジを「俳句の読める真のサムライ」にするべく鍛え直す。



シンジを「ボンサァイクラブ」で男の付き合いを教えようとするが、そこに両親の仇、加持・リョウジ・タガワが同席しネルフに接近していた事に
 驚愕
-PANIC-



その間にレイ惚れられ布団の無いコタツで
ポカポカ
 -KO-



ミサトとは風呂場で
ポカポカ
 -KO-



ペンペンもついでに
 くわぁ
 -KO-



サハクィエル襲来。愛車のカウンタックで倉庫に誘導、倉庫内の台車で滑りながら最終的にはトランポリンを駆使して
穿越
-KO-



しかし、この戦闘で白い色に恐怖を覚える



バルティエル出現。レイが犠牲になりシンジと戦う羽目に。(*ラングレンは生身で戦っている)

レイがセップクをするのではないかと勘違いし、参号機内部に潜入し救出する。シンジは参号機を
奪回
-KO-

(ゲンドウはレイが吸収された為、まともな指令を出せず。結果的にはシンジとわだかまりを作る事は無い)



ゼルエル戦にて善戦するシンジ。役目を終えたと悟ったラングレンは加持・リョウジ・タガワを密かに忠殺。初号機は戦いの末その力を
解放
-KO-



ゼーレはラングレンに問答無用に破壊される
終結
-KO-



「Q」

ゼーレ無き後、冬月が秘密結社ネオ・アトランティスを復活さえ世界征服に乗り出す。ラングレンはビートたけしと共に救世主ネオ皇帝を
救済
-KO-
してしまおうと四苦八苦する。

しかし、時田が開発したJAが荷電粒子砲で地球全土を同時攻撃する。

2010年2月14日日曜日

覚書

後ドイツ映画界 鬼畜四死天

残酷無双電死映像無変集骸暴糞帝 アンドレアス・シュナーズ
不謹慎観念撲滅殲滅発狂轟悪絶帝 クリストフ・シュリゲンズィーフ
死悦霊産生命蹂躙滅謀頭蓋爆超帝 オラフ・イッテンバッハ
鬼畜絶望暗酷破戒魔侵死高快虐帝 ユルグ・ブットゲライト

2010年2月1日月曜日

狂気に満ちた耽美趣味のパラノイア

登場作品『ギニーピッグ2 血肉の華』

知力・・・・・・測定不能
学力・・・・・・測定不能
技能・・・・・・測定不能
武力・・・・・・測定不能
生命力・・・・・測定不能
政治力・・・・・測定不能
権力・・・・・・測定不能
性質・・・・・・測定不能
ルックス・・・・測定不能
カリスマ・・・・測定不能
ポリシー・・・・測定不能
運・・・・・・・測定不能

総合能力値 ???(-)

女性を誘拐しては生きたまま解剖(というよりも破壊)それを8mmで記録し、 人間のパーツを地獄絵図の如きギャラリーに飾っている。
この異常な殺戮は世間一般のSM的な意味合いとは一切合切かけ離れた得体の知れない性的興奮を得る為とも、本人は芸術を行ってると考えているとも言われる。(どっちにしろキチガイである)
怪奇漫画家・日野日出志のファンであり、8mmの一本と支離滅裂極まる手記を収めて送りつけている。

「女の白い肌を、真紅の血が生き物のように妖しく這い回ると、めくるめく恍惚と陶酔の血の海に溺れながら女は血と肉の華に開花するのだ。この世にこれほど美しい物は無い。これから、その美の極地を御覧に入れよう。」

以上、残虐卑劣鬼畜屑キチガイ極まる文字通りの人非人である。(当人には褒め言葉にしかならないのが残念でならない)
歴代のホラー映画界の殺人鬼でもここまで酷い(終わってる)のはそうそういない。

筆者を一目ぼれさせたあまりに秀逸なビジュアルは彼が頭おかしい事に十分すぎる説得力を与えている。

2010年1月22日金曜日

スラムキング

登場作品『バイオレンスジャック』 (ネタバレ

知力・・・・・・4(機転・3 計画・1)「日本の黒幕&関東最大の実力者くせにあまりにも粗暴」
学力・・・・・・4(文系・2 理系・2)「天才という設定であるが作中、発揮していない」
技能・・・・・・0(アナログ・0 デジタル・0)「筋肉の力が強すぎる為、細かい事は苦手のようだ」
武力・・・・・・10(武器・5 格闘・5)「文字通り魔王」
生命力・・・・・9(肉体・4 精神・5)「作中最強だが、 鎧が無ければ生きていられない」
政治力・・・・・3(指導・3 交渉・0)「交渉する時間があれば誰でもいいから殺しているタイプ」
権力・・・・・・10(地位・5 影響力・5)「関東最大の実力者であり、外界にも息の掛かった人間を送り込んでいるとされる」
性質・・・・・・10(度胸・5 冷酷・5)「人間を文字通り達磨にして犬のように虐待する鬼畜ぶり」
ルックス・・・・・・5(美しさ・0 怖さ・5) 「甲冑の下は皮膚の無い剥き身の筋肉」
カリスマ・・・・・10(オーラ・5 威圧感・5)「関東の無法者たちからは恐れ敬われている混沌と暴力のシンボル」
ポリシー・・・・10(信念・5 野望・5)「暴力による専制君主国家建設に拘る物凄さ」
運・・・・・・・10(チャンス・5 ピンチ・5)「スペックに拍車をかけている」

総合能力値 85(A)

本名、銅磨高虎
年齢、30歳前後 (終盤では40歳近く)
身長200cm・体重300kg以上(鎧含む)

名家、銅磨家の長男として誕生するも、異常筋力の持ち主で、母の腹を裂いて生まれてしまった。
また、誕生後間もなく、その筋力による内臓や骨格の負担は深刻な物になった。

そこで総鋼鉄製の鎧を身に纏う事で、筋肉の力を制御させる事で生き長らえた。
しかし、外に向けられた彼の筋力はやがて彼の皮膚を退化させ、鎧の中には剥き身の筋肉を持つ怪人となってしまった。


結局、跡取りは養子の高次が継ぐこととなり、異形の高虎は蔵に幽閉されたままで18年も生きることとなった。
その18歳のある日、東京から彼をなだめる目的で雇われた女子大生の家庭教師が、彼に誠心誠意、自ら裸になって、人間の脆さを教える事に成功。高虎は、結果的に母を殺した罪悪感にさえなまされながらも、「その力は怪物の物じゃないあなたはスーパーマンよ」と励まし、力のコントロールを教えてくれるこの女子大生を「先生」と慕い、恋心を抱くようになった。

しかし、先生は高次に陵辱された事を切欠に、彼と情事に耽るようになってしまい、高虎はコレに逆上。
高次のみならず、 先生をも八つ裂きした挙句、家中に火を放った。

その後の10年間の経緯は不明だが、銅磨家の権力のみならず、日本の黒幕格となり東京の中心部に巨大な屋敷を構え、誘拐したフランス人歌手、ジャンヌを監禁陵辱虐待しつづける
また、この頃にはジャンヌに生ませた息子・蛮がおり既に10年近く非道を行っていたと思われる。

M8.9の大地震、関東地獄地震はこの数年後に起こった物と思われ、日本列島から分断した関東に自身の圧倒的な暴力の下に専制君主国家建設を実行に移す。
最初の部下の出身は不明だが、既に高虎をスラムキングと呼んで絶対の服従を誓っており彼ら自身も鎧兜身に纏っている。
(鎧を着ている理由は「戦国時代」の再現とは動機が定かではないが部下がキングに陶酔した為か、劇中一度だけキングは歴史の造詣が深いと間接的に語られている)
(また、この頃から既に、斬馬刀持ちの男も居る。もしかするとキングの執事のような立場だったかもしれない)
この侵略初期の段階から、関東に悪名を轟かすドラゴン軍団の軸は殆ど出来上がっていた。

着々と、ドラゴン軍団を率いて侵略を繰り返すキングはやがて関東の魔王と呼ばれ、恐れられる存在となった。

上記にもあるように異常性欲者であり、SEXというよりは、拷問もしくは処刑と形容すべき凄惨さである。特に逆らった人間は、手足を切り落とし、舌を抜いて人犬(ひといぬ)と読んで虐待し続けている。
愛人のスラムクイーンたちは、全員がキングのボディーガードを兼ねている為、例外的に自由を与えられている。
(とはいえ、このスラムクイーン、途中から超能力者一名だけとなり、連載終了後の外伝にて後付でその経緯が触れられている*完全版では中盤に挿入)

自身の戦闘能力は超人そのものであり。200kgを超える鎧を着て体操選手の如く跳ね回る事ができる上に、刃渡り2mに及ぶ大太刀“斬馬刀”を片手で自在に操る事ができる。

そんな中で、関東に出現した巨人バイオレンスジャックが野望を悉く妨害に度重なる一騎打ちを挑むようになる。
しかし、バイオレンスジャックと、人々の出会いは、やがてキングの存在を揺るがす物へとなっていく。

巨匠、永井豪が作り上げた最終鬼畜兵器もしくは獄滅極戮至高兵器的超悪党。、
「スーパーマン」に成れなかった男の悲劇に有らず。
ラストパート、裏切った愛人をも残虐に処刑して辿り着いた荒野で「俺が戦いの化身である事を証明してくれる!」と、地獄の鬼よりもおぞましく絶叫。
バイオレンスジャックに最後の戦いを挑む。
銅磨高虎は過去を捨て「スーパーマン」など糞食らえとばかりに「スラムキング」として生きる事を選択した。

壮絶な一騎打ちの末ついにバイオレンスジャックを後一歩まで追い詰めるが、10年に渡り虐待しつづけてきた人犬の命を掛けた妨害により隙が生じ、ジャックに首を跳ね飛ばされ絶死した。

ここで終わっても完璧だったのだが、なぜか彼が『デビルマン』の魔王ゼノンであり、飛鳥了の悪意だった事が最終章で発覚。実はデビルマンだったバイオレンスジャックとの宇宙圏での死闘によりついに滅びる。

連載初期から登場し、その出身も明らかになっているが、どこかミステリアスなキャラクターであり、上記は筆者の見解を述べたまでで、異説は多数存在。彼の悪の魅力には尽きがない。

2010年1月19日火曜日

日本製少年

@金字塔的名作 ハイセンス過ぎるあまり埋もれてしまったのが残念無念

*ネタバレ

バブル崩壊後の日本という者にもっとも絶望したのは大人たちではない。むしろ若い世代であった。
少なくとも、大人はバブルの加護に触れることはできたが、新成人や青少年はその加護を受ける事は無い。
それは、親が得ていた物を自分が貰うことは無いという単なるエゴであるが。大小あれど、誰にだってこの矮小な感情を抱いてしまっていた。

そこで世間を逆恨みしてダラダラ作られたのが『オールナイトロング』という駄作である。
そしてエゴを認めつつもガムシャラに作られたのが本作である。
エゴを受け入れている者の方が狂っている事を嫌というほど見せ付けてくれるし、その器量がある者は映画にリアリティーを与える事もできる。

しかし、この映画はR-指定の扱いを受けているが、暴力描写に関しては劇中で1分も存在しない 性描写も3分もなく変態的でもなく過激ではない。
なにが不味かったのは言うまでも無く、少年少女のディストピア・東京のリアルさと、大沢樹生演じる大和の不健全な性格の偏りだ。それは廃頽のように上品な物ではない。ただ単に不摂生で、道を踏み外したのでグズグズと立ち止まってる。

大和は喧嘩の末、父親を殺しかけてしまい、家出をしたものの、やりたい事も無く定職にありつけず、街を彷徨っていた。夜は、テレフォンセックスの相手に実際の殺人事件の顛末を語る虚無的な変態であった。

ある日、彼は町でティッシュ配りをする少女、が目に留まり、彼女にちょっかいを出す。
呆れながらも薫は、面白半分に彼を事務所とされるマンションに連れ込む。
そこで、日本語が明らかにおかしい女が、面白半分に二人に拳銃を手渡した
薫の雇い主はヤクザだったのだ。このヤクザは、事務所に戻ってくると物腰柔らく大和に言い寄り、彼に料理を振る舞い、職の無い大和にトルエンの売人をやらせる。

こんな所で働いている薫もまた、家出少女であったのだろう。
彼女は、大和が親を殺しかけたと話すと彼女は彼に興味を抱いた事から、経緯は明かされないが、親に対して恨みを持っているようでもある。

二人を叱る大人など、いない。
二人は時に欲望のままにお互いの体を弄び。時に寄り添い、時にふざけあい、恋に落ちていった。

薫は、心臓の病が原因でペースメーカーを埋め込んでいた。
彼女は「サイボーグ トシテ ウマレカワッタノダー」など、自嘲するが、大和は「嫌になったら、電池を抜けばいい」と、心無い言葉をかけて彼女の乳房をまさぐる。
そうしていって薫も「私が死んだら燃えないゴミの日に捨ててね」と、大和に告げる。

そんな、二人はお互いを慰め合うように、癒すように、仕事以外は常に共にいるようになっていった。
しかし、大和はトルエンの取引中に拉致され、そのはずみで、チンピラを拳銃で射殺してしまう。

二人は逃げ出した、ヤクザから、警察から。昼は寄り添い合って、夜は絡み合って、街を彷徨う。
やがて、大和の実家へとたどり着くが、両親は大和の帰りを待つことは無く転居していた。
電話でこそ母と話していた大和は、ここで初めて後悔に身を震わせた。

結局二人は、行く当てもなく街へと戻っていった。
そこでは、ヤクザが待ち構えていた。
ヤクザは「お前らの面倒は俺が見る、逃げる手配をする。」とまたも優しく言い寄るが、それは彼らのお陰で露呈した不法行為を全て、彼らに擦り付ける為だ。
大和はすぐにコレを見破りヤクザを射殺。

ヤクザの逆襲で傷ついた大和だったが、幸い命に別状なし。
完全にドン詰まった二人は海岸に寝そべって、ふざけあっていた。不安をごまかすように。

しかし、薫は笑顔で言う「君がトルエン売ってたあたりなら見つからないかな?」
「バーカ!」と大和。

しかし、言葉と感情とは裏腹に、薫はペースメーカーの電池切れで死んでしまう。
二人で慰めあう事はできても、支えあう為の土台となる場所など無いと、虚無の浜辺にて悟っていたかのようにだ。
今日、その浜辺で力尽きたが、彼女は悔いなど無かっただろう。死に場所を見出せたのだから。

大和は、はじめこそ彼女の死を受け入れられなかったが、やがて、薫の亡骸からペースメーカーをえぐり出すと、街から消えた。薫を空き缶のゴミ箱に詰めて。
しかし、ここでも薫の死顔は、微笑んでいるようにさえ見える。

ラストシーン。
映像が荒い、夜も深けた。
大和が、突然車を止めると、無意味に銃を構え出した。
そして彼は、不敵な笑みを見せている。それは薫に見せていた男の笑顔では既になかった。
大和は、無意味に車へと戻った。

ただ単に「死んだ→悲しい」とか「後味が悪い→何度も見たくが良い映画」といった趣きを逸脱してしまったこのエンディングに筆者涙した。 切なくて、切なくて。

大和は銃口を何処に向けてしまうのか?もしくは一生もう引き金を引くことは無いのか?
小生どちらとも、考えたくなかった。

主人公大和を演じる大沢樹生、ジャニーズとの確執は不明だが、当時干されていた時期だ。
アイドルから急転直下、救いの手さえ伸ばされない荒んだ青年を見事に演じきっている。

薫を演じるのはAV女優の嶋田加織。しかし、彼女は下手すると唯の色情狂の電波女になりかねない薫という役を、絶妙なさじ加減で少女として演じきっている。一体なぜAVに身を落としていたのか見当がつかない。
(最も、AVに出演でもしていなければ本作のようなロマンチックとは言い難い濡れ場を演じたとも思えない)
この不可解な女優は本作の完成直後、AV界から突如引退。まるで映画の薫と同様忽然と姿を消した。

また、登場は僅かだが、この二人を完全に食っているヤクザを演じるのが鈴木一功。
このヤクザだが、あまりのリアルさに開いた口がふさがらなかった。暴力をちらつかせながら優しく言い寄る姿などは、連中の常套手段。鈴木氏はヤクザに騙された事でもあるのか、異常過ぎるリアルさである。
もし、『新・仁義なき戦い3』が作られるのならば、山守ポジションは彼しかいないだろう。

また、本稿には書ききれないが、独特とも言えるセリフの妙。
タランティーノ作品以上に無意味な会話だが、本作の脚本は完全に彼よりも一枚上手を行っている。

また本作は、三池崇史の最高傑作『新・仁義の墓場』にも絶大な影響を与えている事は明白である。
大沢樹生の起用と、配役のモノローグを活用したナレーション、ラストの荒いフィルムの効果等は明らかに本作を意識した物である。他、『日本黒社会』においても、トルエンで世界征服を企む男を哀川翔に演じさせている。
小生、『新・仁義の墓場』のレビューを最初に載せた時、ラストのこのフィルム効果に「受けを狙いすぎて好きになれない」といった趣旨の文章を文末に付け加えていた。しかし、その違和感の正体を結局解らず、削除したが、この度確信を持てた。世界の三池崇史が、その最高傑作にて本作をパクッたのである。

しかし、監督・脚本の 及川中 氏。本作以外まともな作品を撮っていない。

2010年1月16日土曜日

バイオレンスの海のナディア 黒の島編

ジャン「や、やめてくれぇキング!」
キング「ジャンッ!地獄へいけ!!」
ナディア「きゃー!」
キング「ナ、ナディアはオ、オレをウラギッた!!ウラギッた~!!」
   「オレは!オレは!愛されていると思っていた!」
   「こんなライオンのオレを愛してくれる人がいると思っていた!」

宇宙一カッコいい銀河大総統(平野耕太談)ガーゴル様様「黒の島は・・・ライオンの心の奥底を映し出す。」

2009年12月27日日曜日

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

@未完成作品につき保留
@息子が撮った方の映画は駄作ですらなく糞

世界の深作欣ニの遺作として認知されてしまってるが、実際に深作欣ニ御大が生前直接監督として関わってるとされる場面は竹内力による“ホームルーム”シーンのみとされ、大概の馬脚を晒しているのはオタクな息子の方である。
正直、竹内力の件は物凄い。何度見ても面白いのである。ギャグなのかシリアスなのかその境界が早速曖昧にされる。『野望の王国』の柿崎の活躍を見てるときと同じような感覚に侵される。
ここで、虎の意を借る事となるが世界の三池崇史も『極道戦国志=不動=』のDVD特典において同じ旨を述べている「竹内力が凄い(中略)下手すりゃ深作監督の最高傑作かもしれないよね」のような内容であった。

さて、こうなってくると、深作欣ニが完全な状態で完成させた『BRⅡ』どのような物になったのだろうか?ブルース・リーの『死亡遊戯』のように研究されるべき作品である。
一先ず、独自研究という形で私の見解を残しておく。

1.製作までの経緯~愛と幻想のファシズムと9.11~

まず、製作発表の前から深作欣ニ氏の容態は悪化している。次で最後であると本人は早い段階から悟っていた。そこであの大問題作『愛と幻想のファシズム』の実写化を決意していたとされる。
結局最後まで拘ったバイオレンス映画の集大成とすべく、この題材を選んだのだ。
トウジに藤原竜也を起用という噂もあり、草案が纏まりかけていた折、9.11テロ事件が発生した煽りを受けて「テロリストを主人公とした作品は不謹慎である。」として企画が倒れたとされている。
それを知った時、小生はハァ?としか思えなかった、当の深作欣ニ監督はハァ?では済まなかっただろうが。
何が故に他所の国のドンパチで、こちとらの映画作るを止め無ければならないのか?
もし、これが……イスラム圏で起こったテロだったとしたら、ここまでの配慮を行う必要は無かったはずだ。
米国が傷を受けた事が大事件なのである。
『BRⅡ』にいわゆる反米色が強まったのは一本の映画を潰された監督の私怨なのかもしれない。
同時に、彼は折れなかった、より明確にテロリスト側(嫌味とばかりに米国のステレオタイプ)を描いた作品を世に送り出す事を決心する。『BRⅡ』の冒頭で「“スベテのオトナ”に宣戦布告する。」と嘯く七原は、深作欣ニの本音だったと思われる。(死後、脚本の改変が無ければ)

ここで、すべての“スベテのオトナ”とは七原からすれば、BR法のような理不尽を行う人々であり、深作欣ニにとっては商売の邪魔を行う米追従型社会という体制なのであろう。

なお、映画の出来がお粗末な故に、このセリフ「安っぽい反体制」として片付けられている。
深作監督の名誉の為に言っておく、七原は前作『バトル・ロワイアル』(『BR』)で生き地獄を味わった生き残りであり、彼が日本に対して反体制などと嘲笑される事を行うには十分すぎる動機があるのでは無いかと。物語としては全く問題ないし「お前も大人じゃねーか」ではただの揚げ足取りであり、見苦しい。
ただ、本作の七原がイスラムのテロリストかぶれなのは問題であった。それは後述する。


2.幼稚な反米なのか反米だから幼稚なのか?(少なくとも息子の映画は幼稚)

まず、竹内力が米国に攻撃された国を読み上げるシーンを分析しようと思う。既に笑える光景だが、どうにもコレが遺憾というか癪に障る人が多いようで、Wikipediaにも

>>深作のイデオロギーが加わりアメリカに爆撃を受けた22カ国(日本、中国、北朝鮮、グアテマラなど)の名称を上げるなど反米主義的な要素もあった。

と、本作の欠点として記述されている。

反米主義だから糞なのか?
反米主義の内容が安っぽい反体制だからだめなのか?

このシーンには続きがあり「人の命は平等なんかじゃありません!」そして「人間は、勝ち組と負け組に分かれます。貴方は勝ち組ですか?負け組ですか?」というセリフがある。

そもそも、22カ国中、もっとも多くの人命を奪われたのは日本である。
その日本人が拗ねたように「人の命は平等なんかじゃありません!」とのたまい、あたかも自身が勝ち組のように、「勝ち組と負け組に分かれます。」と堂々と発言。
それを竹内力がハイテンションかつ流暢かつ若干のオーバーアクションで熱弁する。

ハッキリいっておく、風刺としては100満点である。

だが、この後の息子の撮ったほうのがショーモなさ過ぎる。
「あの国を怒らせちゃいかん!」とかもうねぇ・・・

3.キタノシオリは何者なのか?

ベターだが、「テロの犠牲者として七原を許せない人物」に尽きる。
しかし劇中で喚きまわって「やっぱゆるします、だって主人公だもん☆」と、“観客を泣かせる感動的な現象(笑)”として流される。
ただし、息子が撮ったBR2は敵までもが「俺にだって女房子供がいるお!」と説明的に感動的(笑)で死ぬため(意味不明)、本件に限った事ではない。
前作では、死に際にはドラマを交えつつもリアルに抑えており、辞世の弁は殆どがモノローグとなっている。
欣ニ監督が存命ならばこの演出は生かされ、もう少し、殺伐とした心情が垣間見えたろうに。

また、キタノは七原が最初に殺した“オトナ”である。
もう少し因縁めいたものを盛り込む余地は腐るほどあった。


4.では、名作だったか?
答えはNO。
本作の問題点は、現実のテロリストと作中のワイルドセブンの整合性の悪さである。
そもそも七原が罰したい敵は、BR法が運用されながら知らんプリを決め込んでいる偽善者“オトナ”のはずだ。
だから、プロローグで都庁を爆破・粉砕・虐殺した。
(ここは、特撮シーンなのでほぼ、欣ニ氏の要望どおりと思われる。ホームルームと同様、シリアスとしてもギャグとしても、ものすごい)

間接的に米国が関わっている描写があるが、むしろソレが混迷をよんでおり、グダグダになっていく。
やはり、七原はそれらとは異なった反体制としての、反逆者としてのテロリストである必要があるのだが、劇中で明確に紛争地帯の武装勢力に影響を受けたとされている。

アルカイダなどのテロ組織も実態を探れば米国とは別の体制であり、無力な人々を殺戮する事を武勇と称えているヤクザどもである。

おそらく、監督存命でもこの点が改善されていたとは思えない。

そもそも、前作『BR』も正直、名作とは言いがたい。
メインキャストがどう見ても中学生には見えないのに、原作どおり中学生のままだし、 だれが生き残るのか丸解りだ。

だが、国産残酷映画の傑作である。
最近の監督は低予算を言い訳に、チープな残酷描写で笑いを撮る映画ばっかだ。(しかも既在の映像を真似てパロディーと言い訳する体たらく)
低予算しか与えられない身の程を知れよと、全力投球しろよと。
『BR』は爺さんがそれなりの予算を与えられながらも、残虐過激な映画を大真面目に撮ったのだぞと。

また、ある朝のニュースで、「撮影末期になって突然、アフガンでのロケを行った」と報道された。
もはや、アフガンでロケを行う体力など、病態の欣ニ監督には残っていない筈であり、ほぼ後付のラストである。だが、深作欣ニ氏は、七原が死ぬラストに難色を示していたとされている。もし、このラストが欣ニ監督の実現不可能な願望だったとしたら、やはり映画の出来は知れていた。
殆どコスプレのような衣装はどうにかなっただろうが、何故にアフガンを絡めるのだろう?

ただ、映画として致命的にリアリティーに欠け、感動的で美しい(イケメン)な死を盛り込んだような、息子の映画にはなっていない筈だ。
大きな破綻こそあれど、映画としてはリアリティーを保ちつつ、深作式バイオレンスにより蹂躙される登場人物、感動的というよりは無情な死の連続、前作同様に残酷映画の傑作となっていた余地はある。


4.異説として。

元々、クエンティン・タランティーノ監督が米国大統領役で出演する予定であった。
氏は、筋金入りのオタクであり深作欣ニの狂妄的信者であり、生粋のアメリカ人である。
この点から、BRⅡはアメリカ人など受け入れずに反米的内容を行う事はしようとしていなかったようとも考えられる。
私怨を含めて、冒頭のホームルームのような米国に向けて風刺を行おうと思ったのではいか?反米と風刺ならば、その意味合いは異なる。前者はインテリの世界だが、後者はデザインだ。
故にむしろ、観客の内半分を怒らせる不謹慎な映画を作る事が目的だったと言っても過言では無い。

前記の通り、残されたスタッフは、無き深作欣ニの遺志を汲んでアフガンロケを行ったのか、それとも脚本を書き直して行ったのか。
しかし、タランティーノによる米国大統領の実現は見送った。
何故だ?
「スケジュールが合わない」というのが通説だが、劇中の描写から察するに、米大統領はカメオ出演程度だったはずでは?
ここでも、脚本の改変があったのだろうか?
もし、タランティーノが大統領で「これから貴様等はなんの手助けも受けず、ただひたすら、死ぬだけだ。どこまで もがき苦しむか見せてもらおう。ぬがよい。」とか言ってたらギャグにしかならないだろうが、映画の異常さは際立った事だろう。 前作でもなんとか・アスカ・ラングレーの中の人が作品の異常さを盛り上げていた。

だが、もし、残されたスタッフが本作をギャグ扱いされる事を忌々しいと思っていたら・・・
深作欣ニの遺作を撮ることに酔っていたら・・・

感動的(笑)でリアル(どこが?)な反米映画、つまらない訳である。