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2012年5月5日土曜日

学園黙示録 ハイスクール・オブ・ザ・デッドのDVDのオマケ


いつもあのテンションで頑張ったら『最低映画館』超えられるレベルのレビューサイトに変貌できるんだけどソレは無理だ。俺はド素人だ。学園黙示録級の駄作だからこそあんなレビューが書けた。

あのね、DVDが出た時にね特典ついてたらしいねん。知らんけど。
もう、ぶっちゃけると違法配信を流し観していたんですわ。その特典。

なんかね、舞台は島。漠然と島。

もうゾンビすら出てこないの。無様な奇乳を水着で丁重に隠していちゃいいちゃして終了の15分コース。

これさー『ゾンビ99』だよね。『ゾンビ99』だよね?

21世紀に入ってイタリアンゾンビ物以下の超絶駄作の特典映像が『ゾンビ99』の無承諾リメイクとかなんですか?斜め上過ぎますよ?

なめてんの?
萌えろと?
これでヌケと?
死ぬがよい?
死ぬがよいですか?

こんなもんもうアレだ、『淫妖蟲』のキャラじゃねーと耐えられないよ、学園黙示録見ながら「駄作!駄作でイクーーー!ひぎぃぃぃ!んほぉぉぉ!びょぉぉぉ!」とかアヘ顔で母乳出すわウジ虫産むわ子宮出すわ好き勝手絶頂して―ワタシの視界は暗転した―

いよいよもって柿ノ本歌麿の輪姦漫画に「学園黙示録を見せる」という責めが拝めますよ。
氏賀Y太は洒落にならないと判断してやらない。

そんでコミケには「学園黙示録をアスカに見せる」という情け容赦ない薄い本が惣流版と式波版で出まわりますよドSはアスカ大好きだから。「アスカ物理的に爆発しろ」だから。

いうなれば『鬼畜王ランス』でメナドたんが輪姦されて頭かち割られ惨殺されるテキストでヌクというレベルのサディスト野郎の責具が学園黙示録なのです。

もし貴方の彼氏彼女が学園黙示録を勧めてきたらもうマトモなSEXでは満足できない身体にされてしまうのです。別れることをおすすめします。

むしろ駄作なので観ること自体が悪魔の実験と称される『ギニーピッグ 悪魔の実験』の特別完全版みたいなのが出たら
「殴」「蹴」「抓」「回」「音」「剥」「焼」「虫」「学園黙示録を見せる」「刺」
で、ラストの眼球串刺しは学園黙示録をみた不細工が「もう耐えられない目を潰して!」って発狂したから串刺しにしたという悲しい悲しいエピソードが発覚するのだ。

セガールとチャック・ノリスすら「トゲトゲのチンピラナイフを装備しない」「学園黙示録を見ない」の二つを守って最強を維持してるのですわ。
ドルフ・ラングレンの来日の真の理由は学園黙示録に挑戦する為だったのでしょう。しかし極真会館の一同が全力で止めたという感動のエピソードがあるにちがいない。

ええ、こんな学園黙示録よりオモロないのは第一作と第二作をむりやりくっつけた伝説の金曜ロードショー編集版『トワイライト』ぐらいのもんですわ。それでもやや劣るというレベル。

次に西成区で暴動が起こるのは『朝のこども劇場』で学園黙示録が再放送された時。
ウィキペディアに第25次西成暴動―――日雇い労働者が見た朝のアニメのつまらなさを発端とする暴動 とか書かれればいい

というか平野耕太先生はさっさと『進め!聖学電脳研究部』の寺門兄弟が学園黙示録の世界で無双してガーゴイルとかムスカとかなりたいようになればいい。

2011年4月2日土曜日

レイダース 失われたゾンビ

@伝説の最低映画
@酷すぎて暴動が起こった(実話)

映画の内容云々以前にそのつまらなさに会場の客が続々と怒り初め。最終的には暴動に発展したという逸話があまりにも有名な作品。
(政治・宗教・人種等の問題を除いて純粋な糞さで暴動を引き起こした作品はおそらくこれだけだろう。)

しかもその会場というのがファンタスティック映画祭。要するに変な映画を寄せ集め褒め称えるオタクの会合という地雷原で暴動が発生した。この点も特筆すべきである。

虚無の『死霊の盆踊り』、ストレスの『失われたゾンビ』と語られており、『死霊の盆踊り』が引き合いにされている映画であると考えていただければ分かりやすいか。
ストレスを与える映画といえば『ネオンマニアックス』も相当なものだが、本作の観客への攻撃は一つ頭飛び抜けて凄まじいものである。

『死霊の盆踊り』すらエド・ウッドの脚本、クリズウェルのカンペ読みというマイナスのカリスマ劇が観客の前で繰り広げられる。これは快楽指数の高い瞬間だろう。

しかし本作は

冗長極まるシーンを
冗長極まる1カットで
ストーリーラインすらまともに存在していない中に
手抜きな上に下手くそな演出・編集で

フィルムに放りこまれている。ほとんど登場しない上にしないほうがマシなメイクのゾンビをトッピングして---

ストーリーラインに至っては「一貫性が無い」という表現すら不相応なレベルであり、評価のしようがない虚空の領域。
この虚無の中に潜む全てが観客にストレスを与えてくる。これはもはや精神汚染である。

頑張ったけど抜きどころのないポルノの虚無感とは異なったストレス(精神汚染)を観客に容赦なく浴びせ続けるのだ。

徹頭徹尾駄作のあまり約3分に及ぶフルコーラスの手抜きOPが本編と野次られる点は、正に最低映画界の『デスクリムゾン』と形容するに容易い。
否、デスクリムゾンこそがゲーム界に転生した『失われたゾンビ』といえよう。変な銃が活躍するなど、もはやコレは呪いである。

実際、筆者ですら学園黙示録が日本で放映されるまで本作に匹敵するストレス指数の高い駄作を見たことがない。

しかも学園黙示録ですら、

・面白そうな一話
・ただ小奇麗なだけの安定した作画
・頭の悪いキャラクターのお色気
・某漫画家平野耕太とは認めないが名貸

等、客寄せになるポイントは持っているが残念ながら本作はそれすら持ち合わせていない。

最大の謎は本作がなぜお蔵入りにならなかったのかという一点である。
なにかの間違いで本作をビデオ配給したTCC(徳間コミュニケーション)曰く

「興奮のあまり観客がスクリーンのゾンビと戦い始めた!」らしい。

なお、原題は『RAIDERS OF THE LIVING DEAD』であり邦題に関してはTCCに罪は無い。

*今回のレビュー、まったくやる気がない。というか学園黙示録の補足の為の記事である。個人的なストレス指数では本作を上回っている。
*ストーリーは他所を回ってくれ。死ぬほど疲れているんだ。

2010年10月6日水曜日

学園黙示録ハイスクール・オブ・ザ・デッド

@擁護不可能のゴミ
@制作関係者に不幸が起これば本編よりも楽しめる自信がある


00年代の“萌”史上主義が日本のアニメを如何に衰退させ事を象徴するような駄作。

10年に一度の駄作は恐らく『コードギアス反逆のルルーシュR2』で決まりかと思われた矢先原作が登場し、筆者を激怒させるという偉業を達成。
ギアスは一期の成功を完全に破壊したというのが大きいが、コレは徹頭徹尾駄目。

原作に忠実であるにも関わらず駄目。要するに原作からして観賞に耐えられない駄作なので平行してレビューしようと思うのだが、擁護不可能とあるように全編を構成する最低要素の尽くを私の力量で列挙できるかいささか不安である。

本作はゾンビ作品の造詣に詳しい者ほど楽しめないという非常に珍しい傾向を持っている。端からゾンビ映画のファンを商売の相手と見ていないゾンビアニメなのである。

例えばタイトルに学園黙示録とあるがゾンビ映画の基本である篭城を日本の高校で再現することは無い。原作一巻の後半に入った時点で学園から脱出してしまう。
あまりに短かった為、原作に至ってはコミックが進むにつれてオマケという形で学園にゾンビが発生した顛末を補完している。
そしてアニメにおいてはそのシークエンスを全て第一話に再編成される始末である。

これを私が脱構築と褒められないのは、追加シーンを含めて主人公たちが他のゾンビ作品の主人公達よりも優れた脱出計画を立てたとか脱出の努力を行ったのではなく、淡々とさも当たり前のように脱出に成功しているのである。工夫というものが一切合切感じられない。

ゾンビに至っては視覚を失って聴覚で反応しているという設定がある。恐らく元ネタは『バイオハザード2』のリッカーであろうが、そもそもリッカーはあのグロテスクな容貌に、第一作におけるハンターに近い立ち位置である。ゾンビよりも強いが故に目が見えないというハンデを与えられているのだ。これはドラキュラにニンニクや十字架という弱点があるような妥当な設定だ。しかし、本作ではゾンビが視界を奪われた暗闇で有利という描写すら無くただただ他作品と比較して脆弱な個体となっている。
まあ、高校生=ガキが相手にする上に、銃の無い日本が舞台なんだから必要な設定だろうと思っていると、主人公たちは日本では有り得ない事に簡単に重火器を入手してしまうのである。

この時点で本作は、主に米国で生産されるゾンビ映画を、日本を舞台に置き換えた際にシュミレーションすべきである銃規制という環境下でのゾンビとの戦いを完全に放棄している。しばしばコメディーと評される『ショーン・オブ・ザ・デッド』でさえこの考察に踏み込んでいた。

その経緯があまりにもお粗末も良い所で、運良くゾンビになっていない警官の遺体から、拳銃を手に入れるまでは良いとしても、主人公らに同伴する保険医の友人が警察の特殊部隊で、マンションの一室に馬鹿みたいにデカいライフルやら散弾銃を弾と一緒に3丁も置いており、それを無断に拝借する。果てには右翼団体の庇護受けるなど、日本において深刻な火力不足という事態に一介の高校生が全く陥らないのである。

この緊張感の無さに拍車をかけているのが“萌え”を重用した陳腐以下のキャラクター群像である。

この作品のメインキャラクターは主人公以外に男が居ない。もう一人、居ることは居るのだがデブのガンマニアというモテ無い街道まっしぐらのオタク君(モデルは平野耕太らしいが俺は認めない)。それ以外は全員女性という緊張感0のパーティー。

特に主人公らの同伴者である保険医だが、街中にゾンビが居るという非常自体であるにもかかわらず、彼を守る大人という認識というものがなく、酔っ払て主人公に欲情し甘えたり、ブランド物服を破られて怒るなどといった、手のかかるお姉さんというキャラクターが全面的に押し出されており大人不在という最低系ラブコメから引用されたような人物である。

続いて剣道部の毒島ついてはただただ不愉快でしかない。
マンガとしか形容できない武家口調の彼女を大和撫子キャラとして萌えの対象と捉えているファンが居るが、下賎であることもはなはだしいというもの。初登場時に噛まれた生徒を生きてる内に撲殺するというインパクトは評価するものの、その後は服が濡れれば、裸エプロンにTバックで主人公の前に堂々と現れたりゾンビを殺せば「濡れる!」とサディストの色情狂にしか見えない。特にゾンビや暴漢を相手に立ち回って性的興奮をするなどとは本作に限らず性的サディズムと敵への加虐欲を一緒くたにした底の浅いキャラクターの典型ともいえる。その後も和服を着たりるなど形式ばった大和撫子を作り手は演出するのだが、やるだけキャラクターが浅さが露呈されるだけ。黒髪美少女が刀振り回してゾンビを狩り殺す事に文句言いたいのでは無いが毒島はただのテンプレートの寄せ集め。虚数の塊だ。

第8話におけるようやくピンチといえるピンチに陥る描写もひどい物で、ハマーみたいな大型車両に主人公一味はほぼ無傷で乗っているのだけれど、放置されたゾンビ用のバリケードに行く手を遮られるのだけれど、このバリケードがDVDで修正されるんじゃないだろうかってぐらいのスッカスカのワイヤーで作られている。ほんと、大人2、3人一変に通れるぐらい。

後ろからゾンビがやってきてみんな戦い始める。この戦い方もヒデーの。JKの巨乳を三脚代わりにライフルぶっ放すわ、その銃弾を追ってカメラがが上記の侍(笑)ガールの股間の間を通り抜けて食い込みパンツのドアップ。続く2発目は、侍ガールの揺れる乳と乳の間を間一髪ですり抜けちゃうの。

金網がスカスカなのはこんなくだらないシーンに時間をかけて作画スタッフが手を抜いたのかよ?

かくもゾンビの頭がパーンとか、仲間がゾンビに食われるとかいうゾンビ作品の醍醐味は起こらないまま。侍ガールと主人公は、散々乳やらパンツやら晒した挙句、余裕綽々とゾンビの群れを素の足で突破する・・・

つーかさー、こいつら重火器持ち歩いてるのにスッカスカのワイヤーを切れるようなペンチすら用意してないのかよ!
例えばゾンビに追い詰められたシーンで「そうだ!金網を切れ!早く!車載工具使え!」って流れになって、仲間たちが撃っても撃ってもやってくるゾンビの中で車載工具にあったバールで無理矢理に金網をねじ切っていって、人ひとりギリギリで通れる穴を空けて金網を突破。主人公らは難を逃れるが仲間の一人が・・・って流れならハラハラしておもろいんとちゃうん?

ていうかデブ(平野耕太とは認めない)は、武器の知識満載の癖にレザーマンの十徳プライヤーぐらい携帯しといてよ!男のロマンは銃撃戦<<ワイヤー切って要塞潜入といえばミリオタの義務じゃろがい!(ゴリエ風に)

このように浅い知識でゾンビを射撃の的程度にしか認識していない、世のゾンビマニア達には腹立たしい内容なのである。
たしかに『バイオハザード』はゾンビ虐殺ゲームという評価もあって、射撃の的ではあるんだけど、あれはまだ「ゾンビと戦える」という発想の黎明期のものだし、後年の『デッドライジング』もゾンビ虐殺ゲームには違い無いし、終盤フランクが強すぎたり、銃の優位性が皆無等は私的に評価を落とさざる得ない。
だが、これらは『ゲーム』であってクリボーにまでキャラクターは要求されない、それどころか両ゲームのゾンビはちゃんと作品のアイコンとして機能している上に、プレイヤーの攻撃によって倒されるその瞬間、血と肉の華と開花する時、確実に主人公よりも輝いて描かれている実質主役と言ってもいい。そもそも両者は倒しても倒しても現れる恐怖をしっかりと描いているし、ゲームオーバーも有り得る。

しかしアニメでそれをやるのはどうなんだ?本当に没個性な射撃の的だもん。強力な個体や以上に目に付くファッションのゾンビなんていやしない。主人公らの攻撃力が衰える事は無く(ハーブを食う代わりに精々JKが風呂入る程度)せっかくゾンビがえげつない死に方する時でさえ主人公やヒロインのほうが輝いて描かれている。同じことは『実写版バイオハザード』にも言えるが、本作は一つ頭飛び抜けて酷い。『実写版バイオ』は一応ヒロインアクションとしてはしっかりと作られている上に、スプラッターシーンにも趣を置いている。

本作は例えるならば、自分の考えたゲームの内容をベラベラと喋り始めた挙句に「ここで裏技が使える」と悦に浸って妄想を垂れ流されたようなものだ。しかも20分x12話=240分延々と。

しかし、本作。コレだけでアキバ系のお兄ちゃんの人気になったのではない。全編に頻繁に挿入されるネトウヨ的な未熟な政治的見識を全肯定するシーケンスの数々。

例えば、主人公らが武器を手に入れたマンションから見える橋にバリケードが築かれているんだけど、そこに「彼らはゾンビではない!米軍が開発した殺人病ウイルスの犠牲者なのだ!」という世にもぞんざいな反米左派が橋に大挙。その凶行によりバリケードが崩れゾンビと人々が橋の上で入り乱れて、人間屠殺場と化すホラー描写に転換される・・・・・・事は無く、警官が左翼を射殺して事態を収拾させる。

あのー?パニックは?地獄絵図は? 

ていうか、こういう時に大挙するのってプラカードもった学生運動残党じゃなくて子供を抱えた親とか怪我したり噛まれた人かその親族や友人だよね? いや、いないことはないのよ。左翼に対して絶対数が有り得ないぐらい少ないの。むしろ彼らは警察に従順に描かれて、左翼が邪魔をして死んだって展開。

なんつーか、警察という国家権力がネトウヨの嫌いな物を否定するのをやりたかっただけじゃないの?
普通のゾンビ作品はゾンビにこういう役を譲る。ゾンビが左翼の内蔵を掻き分けて残虐な処刑を加えるのだ。観客が見たいものはソレの筈だからだ。
しかし、アニオタの間で増えるネトウヨ層はゾンビよりも国家権力が左翼を殺すのを望んでいるのね。
他にも『狂い咲きサンダーロード』のスーパー右翼みたいな連中が市民を守っているんだけど、ゾンビ化した同胞をオリに入れて要塞で「自己犠牲」や「愛国」などの綺麗事を並べて、保護している市民の前で処刑する。彼らの意思・肉体の強さやカッコよさを前面に押し出しているのだが……ごめんなさい。わざわざゾンビを要塞に連れ込む時点で、保護されている身分でも市民は「キチガイだぁ」って思っちゃうよ。綺麗事まで並べられたら尚更。
あげく原作では彼らを思想派右翼として三島由紀夫を引き合いにしているのだがそれでいいのか!自衛隊のお偉方を人質にして自衛隊員に「クーデターしようぜ!」っていうような人だよ?映画『MISHIMA』劇中でもあのへんの件は、思想派右翼としてではなく、劣等感とコンプレックスの暴挙として描かれてたんだが。

少なくとも「ここのお館様はキチガイだが、ゾンビに対抗できる武力を持ってるから従っておこう」か「あのキチガイをどうにかして縄で包んしまって、自分たちでこの屋敷を乗取ってしまおう」という打算的な見解が人によってぞろぞろ出てくるハズだ。しかし、このアニメには彼らのような小市民的考えの大人は登場しない。右翼の屋敷に保護された大人たちは全員日教組的な左翼思想の持ち主で、「彼らはゾンビではない!米軍が開発した殺人病ウイルスの犠牲者なのだ!」と言い放つような愛国心とやらを忘れた人間しか居ないのだ。

別に右翼がどーの左翼がどーの俺が言いたい訳では無い。というかこんなアニメを引き合いに言ったら馬鹿だと思われることぐらい解ってる。上記の通りで、回りの見えなくなっている災害被害者や、打算的な見解がきる大人の存在を無いことにして進行する右左の二極論で物語が成り立ってしまう事が極めて不自然であるといいたいのだ。ゾンビという災害、パニックを描くストーリーで登場人物を2人しか出さないようなものではないか。

他にもペ・ヨンジュンをゾンビ化させて射殺したりしている。まあ、イ・ビョンホンだとゾンビ相手に大立ち回りをやらかして「コーブラー!!」(ジ~アイジョ~♪)とかやるからヨンジュンなんだろうけど、ヨンジュンもコムド(韓国の剣道流派)・合気道を収めているので、剣道部の女子高生が活躍できる世界ならそこそこ戦える筈だと思うんだけどね。

あと冒頭やENDロールに入る各国の危機的状況の描写が本編の内容と比較して極めてアンバランスに思える。っていうか駄作の定番である無意味な設定の描写だ。

なお、本作はそれなりにヒットしてしまい、第2期の制作が決定している。

・・・ごめんなさい。もっと言いたい事があるんだけどもう悲しくなってレビューできない。

兎に角かような駄作にもファンが付き、スポンサーが歓迎する日本アニメの現状はもはや世界一のアニメ大国などとは言えない危機的状態に陥っていると断言できる。(誰だよ、アニメの殿堂作れとかいったバカは。)

確かに深夜アニメとはいえ、こういう題材が表に出てきたのは評価すべきかもしれない。しかし、逆に言えば“萌コンテンツ”に乗る為には題材を選ばないというスポンサーの底の浅さが露呈した。テレビドラマと変わらないよ。

俺はアニメの娼婦を見たいんじゃない!ゾンビが見たいんだよ!もっと言えば美少女フィギュアなんざ買わねーからゾンビのフィギュア売れ!スポンサー!

と、いうわけで紛いなりにも面白い和製ゾンビアニメのアイデアを箇条書きして本作への溜飲を下げる事にする。

・OPはディルアングレイがものすごいゲロ声で最高のバラードを送ってくれる。ライブでは『残』並に何言ってる解らなくなる。
・主人公は派遣労働者。相棒は土方。
・ヒロインに豊齢線アリ。
・幼女の首を絞めてレイプするキモオタとが出てくる
・ゾンビのリボルテックとかフィギュアがモリモリ販売される。
・ゾンビのデザインはフルチ作品を参考にしておりウジやらゴカイやらの作画が糞リアル
・ゾンビは731部隊が開発した細菌兵器が原因。
・その封印を解いたのが赤ィなんたらっていうテロリスト。目的は帝国主義のネガキャンの為という回りくどさ
・過激派のボスは部下に黙って強盗計画を並行させていて、この騒動で退職金代わりに頂戴しようと目論んでいる。最後に「この金は俺のもんだ!ゾンビのケツを拭く紙になんざさせねぇ!」とかのたまって死ぬの。
・分身の術紛いの高速で移動しながら火の玉ばらまくアホみたいに強い個体が最終鬼畜兵器的に登場する。
・テロリストは復活させたその個体が皆殺しにする「ワタシハ ダレノ メイレモ ウケナイ タダ ハカイ スルノミ」
・なんか高圧ガス的な圧力が加えられた鉄パイプ的なナニに貫かれて、やたら強いっていうか1コインクリアさせる気が無い個体は死ぬ。

平野耕太先生。こっちのほうが面白そうでしょう?

2010年9月12日日曜日

モスラ3 キングギドラ来襲

@駄作
@っていうか、なぜこれを興行しようと思えた?

現在に至って平成『モスラ』シリーズは特撮ファンから無視されている。原因はその特殊効果の酷さにある。

『ゴジラVSデストロイア』でゴジラを休業させた東宝だったが、来年の正月に何を興行するのかと思いきや節操無く『モスラ』を発表。だれもが1961の大作『モスラ』のリメイクかその続編を想起させる予告編だったが、翌年、劇場に足を運べば、これがテッケレツのパァ(最低映画館風に)

おそらく平成ゴジラシリーズの半分かそれ以下の予算で制作されており、内容は子供向けにシフトチェンジ。
この「子供向け」というのが、昭和ゴジラの低迷の反省を全く活かしておらず、ただただ押し付けがましい教訓話を強引に引き合いにしながら続く、ショーモないホームドラマと、敵かモスラのいずれかが有利で面白みの無い戦いが続く。
「世代交代を明確に示す新・モスラ誕生」という本作の見せどころ流れに到るまでの全てが酷過ぎる。

翌年には、『モスラ2』を発表、大怪獣ガルーダよりも硫酸で漁師を焼き殺すヒトデの方がよっぽど怖いという本末転倒。

二作が子供に訴える「環境問題」については、子供に教えるというよりは、問題の解決を子供の将来に押し付けているようにさえ思える。

そしてトチ狂った東宝が最後に仕掛けたのがこの『モスラ3』である。
もはや内容はモスラでも子供向けでもない、『ゴッドマン』に近い。

3人の小美人の属性が『ゼルダの伝説』のトライフォースを盗用するに始まる。しかも本編に一切絡まない不要な設定。(当方の駄作評にて定着してきたが、糞映画の第一条件なんです。無意味な設定は)

続けて「嫌いな物を食べるのは自分に嘘を付いたことになる!」という小役の訴え。
しかもコレを黙々と聞き入れる父親が大仁田厚。とりあえずそんなガキ殴っとけよ!

で、我らがキングギドラ尊が上空を飛んで市街地をモリモリ破壊。ここはまあ面白い(約3分ちょっとカップラーメン作るときもこれで退屈しないね!)

しかし、キングギドラ尊の目的がセコ過ぎる。幼児誘拐だもん。
『学校の怪談』シリーズの妖怪と同じノリ。っていうかアレよりも特殊効果が酷い。子供がペラペラの紙みたいになってノイズが走って、ギドラ尊の富士樹海基地にワープする。あまりにも安っぽいぞこの特殊効果。小美人の一人がこの模様を「二億年も生きていたらこんな能力が身につくのか!」の一言で説明してしまうが全然意味がわからない。

小美人の珍プレーは他にもある、主人公に対面して、

小美人「お名前は」
「園田」
小美人「園田なにさん?」
「園田翔太」

迷子センターかよ!

この後も、子供たちを探して洞窟でさ迷う大仁田(以後、劇中で一切活躍はない)や、第一ラウンドでキングギドラに圧倒されたモスラに、園田翔太君が「がんばれ!」と声を賭けられると「キューン!キュワーン!」と相槌をを打つ律儀なモスラなど、ツッコミには事欠かない。

まあ、この辺はむしろ笑えるので許すが、本作は前記の通り特撮効果の酷さ故に、特撮ファンから無視されている。

その真骨頂たるが、タイムスリップして若い頃のキングギドラを殺そうってパート。
 (『ゴジラVSキングギドラ』の頃に同じく、タイムパラドックスの考察は一切なされていない。キングギドラが恐竜を滅ぼしたという設定なのだが、キングギドラ倒したら恐竜が滅ばないので、未来が変わって人類栄へんやろが!)


ここ、恐竜も勿論出てきますが、新しい着ぐるみを作る予算なんざありません。挙句にCG技術を持っていないので、ミニチュアで再現しておるのですが、ほんと、油粘土かなんかで作られたとしか思えない悲惨な造詣(夏休みの工作みたいな)で、見ているこっちは発狂しそうになりました。恐竜も恐竜なら、セットもセットで、てんで駄目。トイレのタンクの上蛇口に石敷いてそこにひっつける椰子の木のオモチャみたいなのがアホみたいに植えられてる。

以上の やる気無い特撮を散々見せられた後に、キングギドラとモスラの第二ラウンドに突入すが、駆け引きや、怪獣プロレスの要素は一切なく、キングギドラにまったく見せ場の無いままに装甲化したモスラの圧勝で映画は終わる。

なお、本作のキングギドラとモスラの戦いは全て、富士の樹海で行われている。なにも破壊される対象もなく、盛り上がりのバトルは東宝特撮の醍醐味というものを一切体現できていない。

そんな平成モスラシリーズでも褒められる所はある、悪者の小美人ベルベラと、進化するモスラだ。前者は老け顔だが後年のゴスロリ萌を先駆けてるし、進化するモスラは紛いなりにも子供向けというコンセプトを生かした唯一の良設定だ(ポケモンのパクリでもな!)

しかし、ソレに付けても酷い。
本作を擁護する似非特撮ファン曰く、「低予算の割に頑張った」「子供向けのエンターテイメント」

だアホ。

低予算の割に頑張るって言うのは、愚にもつかないタイムスリップに恐竜の模型を映さないようにする為に、そこを省略できて初めて頑張ると言えるのだ。
そもそも平成ガメラシリーズの予算は5億円と、こちらも平成ゴジラシリーズの半分以下の予算なのだ。そいつと比べて本作はどうだ?お粗末すぎる。

彼らは云う、「平成ガメラは"子供向け"ではない。」と、私は当時、子供の時分に劇場で本作を見たはずだったのだが、100円でビデオ漁るまで本作の存在を忘れている。一方で平成ガメラ燦然と記憶の中に輝いている。故に本作は「子供向け」どころか「子供に忘れられる」映画になっている。面白くないからだ。

東宝が上記のような自称特ファンの支えがあると勘違いしてる以上。日本の特撮の未来はいくらガメラが頑張っても暗い。

2010年4月11日日曜日

碇シンジ育成計画

@評価外

元々がクソゲーとして有名な『碇シンジ育成計画』の漫画化であるが、内容はこれまたクソゲーとして有名な『鋼鉄のガールフレンド2nd』に近い。
その実態は『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターを流用したエロコメ。ラブコメなんて上等なものではない。
初期こそラブコメとしてストーリーと演出がなされているが悉く陳腐であり怒る気力すら失ってくる。
そうしてる内に、完全なエロコメに転換され、レイ・アスカらは身売りに等しい待遇。

とはいえ、画力が画力で、アスカ、シンジは公式でも認められているが、レイまで同じ顔なんだからだれがだれやら。

『いちご100%』や『オヤマ!菊之助』ならばそのコンセプトは明確だ。雑誌にお色気が欲しいという雑誌側と、漫画家の頭の良くない阿吽の呼吸でセクシーな絵を作っていく。評価などどうだっていい。平気のへいさ。
本作が連載されいるのは、かつて漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』本編が掲載されていた月刊少年エース。『ハンターハンター』に並んで休載に事欠かない事で有名だが、どう考えても雑誌側の体質を問うべきだ。

「レイとアスカのマン筋描いたらもっと受けるんじゃね?」「レイとアスカのマンコに顔をうずめてぇなー」等という頭の悪い阿吽の呼吸がなされているのだろう。


おらならもっと面白いもの作れるわ!とTWITTERで好き勝手絶頂に書き込んだので以下抜粋

『碇シンジ強化計画』
シンジがミサト姐さんに「おねいちゃん?」、もしくは「ミサトさま!(ミネバさまの発音)ひいてはハマーンさまの為!」とか言って、常に暴走。


 『愛と幻想の碇シンジファシジム計画』
ケンスケとトウジが時田殺してJAつかってネルフを倒して、なんか日本の支配者になる計画。素敵。

 『進め!碇シンジ以下略』
ケンスケが暴れん坊天狗のコスプレしたり、第3話に出てきた老先生が使徒をチョークスリーパーで倒しまくるギャフン

『碇シンジクックロビン計画』
MI6のエージェント、美少年キラー・カヲル君が第一話からネルフに(主にシンジに)襲い掛かる!使徒は世界一かっこいいマリネラ国王子がおちょくる。

 『碇シンジ遊戯計画』
闇シンジきゅんにきゅんきゅん

 『碇シンジ挑戦状計画』
要するにゲンドウを机にめり込ませる計画

 『碇シンジ大往生計画』
汎用人型最強撲滅戦闘機エヴァンゲリオン初号機に乗って、碇シンジ、驚愕-PANIC-

 『碇シンジ改竄素敵計画』
光翼帝型残酷獄滅極戮至高完全鬼畜兵器全部塩沢 ^/|=-[] さまの後光にありがたや。
碇シンジ 浄化-KO-

『碇シンジ悪魔の実験計画』
アスカがボコボコにされた挙句、目玉を抉られる。あ、本編と一緒だ。

『碇シンジ血肉の華計画』
アスカが内臓を摘出される。あ、本編と一緒だ。

『碇シンジ戦慄!死なない計画』
アスカ「大腸がなくてもだいちょーぶ」あ、本編ry

『碇シンジ悪魔のお医者さん計画』
アスカが量産機を好き勝手嬲る。あ、ry

『碇シンジマンホールの人魚計画』
衰弱したアスカが全裸でバスタブry

『碇シンジノートルダムのアンドロイド計画』
アスカがシンジに殺されそうにry

『碇シンジLSD計画』
アスカが病院で廃人ry

『碇シンジえじき計画』
『碇シンジ燃える月計画』
『碇シンジチェーンソー大虐殺計画』
『碇シンジロマンティック計画』
ドイツのきちく四天王に笑いながら嬲り殺されまえ(主にアスカが)

2010年3月24日水曜日

ジル・リップス=殺戮者=

@ドルフ主演作的には黒歴史
@大駄作

1975年のボストンを舞台としているが、この時代設定そのものが全く無意味である。
ある日、ドルフ演じる主人公の兄が亀甲縛りで発見されるという猟奇的なOPを迎える。
ドルフは元・刑事で、兄の死について単身で探偵の真似事を始めるが……
(アル中という設定があるが、スウィーパー以上に無意味な設定であり早々に忘れられる)

まず、本作冒頭から真犯人の候補が続々と羅列される。ドルフが発見した訳では無く、ダラダラと登場する。

兄が建造に反対していた地下鉄の鉄道会社。
鉄道会社の用心棒(何故か吹き替えが名古屋弁)
兄の妻
兄が足しげく通っていたSM嬢

何か猟奇的な人物によるサスペンスなどは無いのだ。

しかし、稚拙な脚本を除けば、低予算ながらアングラじみた冒頭の雰囲気はなかなか引き込まれてしまう。
新たな犠牲者が発見された時の、「発見者がトラックで遺体を引いてしまった!」とか、その遺体の特殊メイクの秀逸さはいよいよドラマが本格的に動くのかと期待してしまったが、
物語は此処でSM界隈に縛られ(そっちの意味じゃない)どんどんつまらない物に。
ラングレンは挙句にパンツ一丁で亀甲縛りという情けない姿を(視聴者に)さらす羽目に。
結局犯人も、冒頭で列挙された人物たちに代わる事も無く、結局そいつかよ!ってオチがつく。

なお、本作。ラングレンが弱い。弱すぎる。鉄道会社の用心棒に手も足も出ないなんてのは酷過ぎる。

小生ならこう考える、
強硬派の刑事は、とうとう警察を免職。アル中に落ちいていたが、兄が猟奇的な殺人で殺される。
ドルフは怒りのあまり、単身総当たりのゴリ押し捜査を開始。SMクラブで大乱闘、鉄道会社で大乱闘の果て、真犯人の鱗片を拾い集めていくのだが・・・・・・

でも本作はこう、
アル中の割に元気で人間関係良好な元・刑事が、兄をSMと見せかけた猟奇殺人っぽいSMプレイで殺され、ドルフは怒りの余り、図体の割に、鉄道会社でボコボコにされ、SMクラブで亀甲縛りにされながら単身捜査を続ける。がんばった割に犯人は一番身近にいた兄の妻

2010年3月7日日曜日

ファニーゲーム

@駄作

本作の評価についてはもう語り尽くされている。
確かに、理不尽な猟奇殺人の現場を描きぬいた秀作なんだ。
悲惨にして不愉快にして平凡な映像。
呼吸するように排泄するように流される残虐事件。
素晴らしい。こんな悲惨美を見せる映画は無い。
だが、だが、なぜだ?なぜなのだ?

なんで巻き戻さなきゃならないのか?
なんで巻き戻してしまったのか?
なんでなんで?

どうしてもこのワンシーンで本作の評価を下げざるを得ないのは残念でならない。

2009年12月27日日曜日

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

@未完成作品につき保留
@息子が撮った方の映画は駄作ですらなく糞

世界の深作欣ニの遺作として認知されてしまってるが、実際に深作欣ニ御大が生前直接監督として関わってるとされる場面は竹内力による“ホームルーム”シーンのみとされ、大概の馬脚を晒しているのはオタクな息子の方である。
正直、竹内力の件は物凄い。何度見ても面白いのである。ギャグなのかシリアスなのかその境界が早速曖昧にされる。『野望の王国』の柿崎の活躍を見てるときと同じような感覚に侵される。
ここで、虎の意を借る事となるが世界の三池崇史も『極道戦国志=不動=』のDVD特典において同じ旨を述べている「竹内力が凄い(中略)下手すりゃ深作監督の最高傑作かもしれないよね」のような内容であった。

さて、こうなってくると、深作欣ニが完全な状態で完成させた『BRⅡ』どのような物になったのだろうか?ブルース・リーの『死亡遊戯』のように研究されるべき作品である。
一先ず、独自研究という形で私の見解を残しておく。

1.製作までの経緯~愛と幻想のファシズムと9.11~

まず、製作発表の前から深作欣ニ氏の容態は悪化している。次で最後であると本人は早い段階から悟っていた。そこであの大問題作『愛と幻想のファシズム』の実写化を決意していたとされる。
結局最後まで拘ったバイオレンス映画の集大成とすべく、この題材を選んだのだ。
トウジに藤原竜也を起用という噂もあり、草案が纏まりかけていた折、9.11テロ事件が発生した煽りを受けて「テロリストを主人公とした作品は不謹慎である。」として企画が倒れたとされている。
それを知った時、小生はハァ?としか思えなかった、当の深作欣ニ監督はハァ?では済まなかっただろうが。
何が故に他所の国のドンパチで、こちとらの映画作るを止め無ければならないのか?
もし、これが……イスラム圏で起こったテロだったとしたら、ここまでの配慮を行う必要は無かったはずだ。
米国が傷を受けた事が大事件なのである。
『BRⅡ』にいわゆる反米色が強まったのは一本の映画を潰された監督の私怨なのかもしれない。
同時に、彼は折れなかった、より明確にテロリスト側(嫌味とばかりに米国のステレオタイプ)を描いた作品を世に送り出す事を決心する。『BRⅡ』の冒頭で「“スベテのオトナ”に宣戦布告する。」と嘯く七原は、深作欣ニの本音だったと思われる。(死後、脚本の改変が無ければ)

ここで、すべての“スベテのオトナ”とは七原からすれば、BR法のような理不尽を行う人々であり、深作欣ニにとっては商売の邪魔を行う米追従型社会という体制なのであろう。

なお、映画の出来がお粗末な故に、このセリフ「安っぽい反体制」として片付けられている。
深作監督の名誉の為に言っておく、七原は前作『バトル・ロワイアル』(『BR』)で生き地獄を味わった生き残りであり、彼が日本に対して反体制などと嘲笑される事を行うには十分すぎる動機があるのでは無いかと。物語としては全く問題ないし「お前も大人じゃねーか」ではただの揚げ足取りであり、見苦しい。
ただ、本作の七原がイスラムのテロリストかぶれなのは問題であった。それは後述する。


2.幼稚な反米なのか反米だから幼稚なのか?(少なくとも息子の映画は幼稚)

まず、竹内力が米国に攻撃された国を読み上げるシーンを分析しようと思う。既に笑える光景だが、どうにもコレが遺憾というか癪に障る人が多いようで、Wikipediaにも

>>深作のイデオロギーが加わりアメリカに爆撃を受けた22カ国(日本、中国、北朝鮮、グアテマラなど)の名称を上げるなど反米主義的な要素もあった。

と、本作の欠点として記述されている。

反米主義だから糞なのか?
反米主義の内容が安っぽい反体制だからだめなのか?

このシーンには続きがあり「人の命は平等なんかじゃありません!」そして「人間は、勝ち組と負け組に分かれます。貴方は勝ち組ですか?負け組ですか?」というセリフがある。

そもそも、22カ国中、もっとも多くの人命を奪われたのは日本である。
その日本人が拗ねたように「人の命は平等なんかじゃありません!」とのたまい、あたかも自身が勝ち組のように、「勝ち組と負け組に分かれます。」と堂々と発言。
それを竹内力がハイテンションかつ流暢かつ若干のオーバーアクションで熱弁する。

ハッキリいっておく、風刺としては100満点である。

だが、この後の息子の撮ったほうのがショーモなさ過ぎる。
「あの国を怒らせちゃいかん!」とかもうねぇ・・・

3.キタノシオリは何者なのか?

ベターだが、「テロの犠牲者として七原を許せない人物」に尽きる。
しかし劇中で喚きまわって「やっぱゆるします、だって主人公だもん☆」と、“観客を泣かせる感動的な現象(笑)”として流される。
ただし、息子が撮ったBR2は敵までもが「俺にだって女房子供がいるお!」と説明的に感動的(笑)で死ぬため(意味不明)、本件に限った事ではない。
前作では、死に際にはドラマを交えつつもリアルに抑えており、辞世の弁は殆どがモノローグとなっている。
欣ニ監督が存命ならばこの演出は生かされ、もう少し、殺伐とした心情が垣間見えたろうに。

また、キタノは七原が最初に殺した“オトナ”である。
もう少し因縁めいたものを盛り込む余地は腐るほどあった。


4.では、名作だったか?
答えはNO。
本作の問題点は、現実のテロリストと作中のワイルドセブンの整合性の悪さである。
そもそも七原が罰したい敵は、BR法が運用されながら知らんプリを決め込んでいる偽善者“オトナ”のはずだ。
だから、プロローグで都庁を爆破・粉砕・虐殺した。
(ここは、特撮シーンなのでほぼ、欣ニ氏の要望どおりと思われる。ホームルームと同様、シリアスとしてもギャグとしても、ものすごい)

間接的に米国が関わっている描写があるが、むしろソレが混迷をよんでおり、グダグダになっていく。
やはり、七原はそれらとは異なった反体制としての、反逆者としてのテロリストである必要があるのだが、劇中で明確に紛争地帯の武装勢力に影響を受けたとされている。

アルカイダなどのテロ組織も実態を探れば米国とは別の体制であり、無力な人々を殺戮する事を武勇と称えているヤクザどもである。

おそらく、監督存命でもこの点が改善されていたとは思えない。

そもそも、前作『BR』も正直、名作とは言いがたい。
メインキャストがどう見ても中学生には見えないのに、原作どおり中学生のままだし、 だれが生き残るのか丸解りだ。

だが、国産残酷映画の傑作である。
最近の監督は低予算を言い訳に、チープな残酷描写で笑いを撮る映画ばっかだ。(しかも既在の映像を真似てパロディーと言い訳する体たらく)
低予算しか与えられない身の程を知れよと、全力投球しろよと。
『BR』は爺さんがそれなりの予算を与えられながらも、残虐過激な映画を大真面目に撮ったのだぞと。

また、ある朝のニュースで、「撮影末期になって突然、アフガンでのロケを行った」と報道された。
もはや、アフガンでロケを行う体力など、病態の欣ニ監督には残っていない筈であり、ほぼ後付のラストである。だが、深作欣ニ氏は、七原が死ぬラストに難色を示していたとされている。もし、このラストが欣ニ監督の実現不可能な願望だったとしたら、やはり映画の出来は知れていた。
殆どコスプレのような衣装はどうにかなっただろうが、何故にアフガンを絡めるのだろう?

ただ、映画として致命的にリアリティーに欠け、感動的で美しい(イケメン)な死を盛り込んだような、息子の映画にはなっていない筈だ。
大きな破綻こそあれど、映画としてはリアリティーを保ちつつ、深作式バイオレンスにより蹂躙される登場人物、感動的というよりは無情な死の連続、前作同様に残酷映画の傑作となっていた余地はある。


4.異説として。

元々、クエンティン・タランティーノ監督が米国大統領役で出演する予定であった。
氏は、筋金入りのオタクであり深作欣ニの狂妄的信者であり、生粋のアメリカ人である。
この点から、BRⅡはアメリカ人など受け入れずに反米的内容を行う事はしようとしていなかったようとも考えられる。
私怨を含めて、冒頭のホームルームのような米国に向けて風刺を行おうと思ったのではいか?反米と風刺ならば、その意味合いは異なる。前者はインテリの世界だが、後者はデザインだ。
故にむしろ、観客の内半分を怒らせる不謹慎な映画を作る事が目的だったと言っても過言では無い。

前記の通り、残されたスタッフは、無き深作欣ニの遺志を汲んでアフガンロケを行ったのか、それとも脚本を書き直して行ったのか。
しかし、タランティーノによる米国大統領の実現は見送った。
何故だ?
「スケジュールが合わない」というのが通説だが、劇中の描写から察するに、米大統領はカメオ出演程度だったはずでは?
ここでも、脚本の改変があったのだろうか?
もし、タランティーノが大統領で「これから貴様等はなんの手助けも受けず、ただひたすら、死ぬだけだ。どこまで もがき苦しむか見せてもらおう。死ぬがよい。」とか言ってたらギャグにしかならないだろうが、映画の異常さは際立った事だろう。 前作でもなんとか・アスカ・ラングレーの中の人が作品の異常さを盛り上げていた。

だが、もし、残されたスタッフが本作をギャグ扱いされる事を忌々しいと思っていたら・・・
深作欣ニの遺作を撮ることに酔っていたら・・・

感動的(笑)でリアル(どこが?)な反米映画、つまらない訳である。

2009年11月28日土曜日

黒い太陽731の動画版レビュー

『黒い太陽731』
@駄作

http://www.nicovideo.jp/watch/sm8939801

ニコニコ動画はGOOGLEのブログサービスに対応していない事が発覚。
ご鑑賞いただくにはアカウントが必要なのであしからず。

*なんかネット右翼批判な動画になってしまった。
*製作に時間をかけすぎた。
*「ローゼン閣下」と「ゴルゴ13閣下」。選挙では後者の方が少なくとも有利だったろうに。
*宇宙人「リベラルが思想が麻薬とはよく言ったものだ」 
*麻…いや、川中島「暗い…開票モニターが真っ暗だ・・・」
*麻…いや、川中島「卑しい電気紙芝居風情に俺の画像を使うなど無礼なクソバエが!」

11/30追記

*思い出してみれば、今回の動画製作の切欠は、ネット右翼がウザイのと、左翼気取がウザイと思って作り始めたのだ、政治色が濃くなったのは当然だ。だが、これはこれでいいのだ。出来の良し悪しは視聴者の皆様に委ねて俺は次回作を作ればよいのだ。

2009年9月26日土曜日

コードギアス 反逆のルルーシュR2

@サンライズは一刻一秒でも早く本作を公式に黒歴史と称して、どんな低予算低作画でも構わないから3話程度のOVAを予定しつつ1話で打ち切りという忌々しき目に会い、そちらを正史にするべき
@大駄作

前作『コードギアス:反逆のルルーシュ』に関してはいい加減な愚文を残しているので、先にこちらを作り直すべきなのかも知れないのだが、この『R2』への落胆の意を表さない限りそれはできない。 昔のブログで、『R2』のレビューは毎週書いていたが、後半でそれを中断させてしまう程の下らなさだ。
放送終了からこの1年間、この大駄作とようやく向き合い、ケリをつけられる。
はっきり言って『コードギアス』第一作は名作とは言えずとも2000年台を代表する傑作と言って過言ではない。第一作のラストで終わらせていても完璧に近い仕上がりであった。理想的なバッドエンドと言える。問題だったのは、この大駄作たるの為に余計な伏線を残していた事だ。そこまで上手く閉めた作品に伏線残してまで作られた『R2』は、第一作の功績を完膚なきまでに潰してしまっている。

1・ 完成された悪の活躍を放棄
主人公のルルーシュ、一期放映中こそ「『デスノート』の夜神月をヘタレにした感じ」として人気を博し、劇中でも「頭でっかちの童貞坊や」と嘲笑され、「シスコン」形容される妹への執着に顕著だ。彼のシスコンぶりは、所謂「妹萌」による近親相姦的な物として認知されているが、どちらかというと『スカーフェイス』のトニー・モンタナのソレに近い。「俺は親父よりマシだ。」という、ある種のコンプレックスの裏返しなのである。トニーと違う点といえば、妹にその点が見抜かれていない事と、環境に恵まれた身体障害者ゆえにこの妹がいつまでも幼いままなのだ。
しかし、ラスト3話で主人公のルルーシュが完全無欠の悪の権化と化す驚きがあった。
それが堕落なのか、はたまた逸脱なのかは解らないが、このコードギアスという物語がルルーシュの悪の花道を描くと言うのならば、一段の目標を見事にクリアしてる。『デスノート』はそこを疎かにしてしまっており、「本当の悪は自身が悪である事を自覚していない」という先入観ありきになってしまっていた。確かに、「価値観の異なる存在」というのは最大の脅威となる、しかし、スラムキングやジョーカー、柿崎憲等といった自身を悪と認識している“絶対悪”は存在しているし、彼らの凶行の数々は語り草となっている。その多くは、到底「価値観の差」では埋め合わせできない残虐非道。その点ではルルーシュは彼らに近い、
私はこのラスト三話にて魔王と化す主人公の秀逸な展開、描写でこのコードギアスというアニメが傑作であると確信した、というかこのラスト3話が無ければ此処まで褒めていない。(実はこのラスト3話の前には『ナディア島編』よりも酷い中だるみが続いている)
ルルーシュは此処でようやく、夜神月では成し遂げられなかった歴代の悪党たちと肩を並べるに到るのである。
しかし、それでも彼のアキレス腱である妹ナナリーが捕らわれ、戦場から離脱したルルーシュは、旧友スザクに魔王となった自身を完全否定され銃口を向け合うと、虚しく銃声が響いた。
で、「R2」になるのだが……
冒頭からルルーシュは記憶が消されており、記憶を取り戻し、再びブリタニアに挑戦するのだが、一期ラスト3話における魔王としての才覚が記憶と共に戻る事は永遠に無かった。R2は終始、「頭でっかちの童貞坊や奮闘記」が繰り広げられ、挙句の果てに一期においては魔王の嘲笑するべき綺麗事をのたまう始末。
続編で描くべきは魔王と化したルルーシュの覇道ではないか?
どうしても「主人公は実は可哀想な奴なの!」と乙女ロード行くにしても、前作と同じような事で泣き言抜かす主人公ではなく、別の事で嘆き悲しむ主人公でなくてはならない。
いや、綺麗事が悪いとは言わない。かつての梟雄・魔王が名君主・英雄として蘇生する物語だとすればそれで良し。だが『R2』には改心などという描写や、テーマが打ち出されている所は一切無かった。

2・無意味なスーパーロボット化
第一作からナイトメアフレームという、ロボットが登場している。これがよくダサイと後ろ指差されているがソレが良い。こいつらの造形は実に形容しやすく、近代型戦車に手足ポン付けしたようなロボットだ。しかも脱出用コンテナに胴体が殆ど占拠されていて物凄くブサイクなのだ。そこが最高だ。量産機の故にか、ここまで“リアル風”にデザインした潔さに敬意を感じるし、正直シブイ。これが画面所狭しと、潰し合いを繰り広げる。例えるなら「ザクとザクがガチバトル(ククルス・ドアン除く)」最高だ!
メインキャラの専用機はコレに無理矢理デコーレションを加えて空飛んだりして壊滅的にダサイのだが。で、『R2』ですよ。
序盤はともかくとして、この量産機にも飛行ユニットを搭載することが主流となってしまい、一期に頃にあった『野望の王国』的な戦略が展開されなくなる。かといって、ソレを穴埋めする空中戦というものは非常に乏しく、上記のメインキャラ専用機の射撃の的と化す。なにも面白くない。


3・曖昧な敵ブリタニア
これは第一作の頃からの欠点である。本作は、仮想歴史としてアメリカは独立に失敗。大陸にはブリタニアという軍事主義の専制君主国家が存在しており、これが世界の三分の一を植民地としている。
その凶暴性を露呈していた存在が若本規夫氏演じるルルーシュの実父、シャルル皇帝であった。登場早々、彼は民主主義の一切を否定し、暴力の一切を肯定する人格破綻者の演説を披露。作中からブリタニアは狂っているという事だけが漠然と巨然と伝わってきた。そして無差別だが計画的に植民地を拡大する軍事侵略国家として描かれる事となる。ただ、国家としての描写はなんというか浅いものだった。ブリタニアの腐敗した軍閥や封建制度なども非常に端的で、意味を成していない。
で『R2』ですよ。
物語中盤から終盤手前にかけて暴力の権化の如く立ちはだかっていた皇帝が、実は平和を望んで人類補完計画のような物を成功させる事こそが最大の目的であると、主人公ルルーシュに語られた。
はっきり言って「はぁ?」である。上記の文章、読んでも意味がわからないと思う。俺は何度本編を見直してもこう表現しかできない。全くもって意味不明なのである。この突如発生した意味不明イベントは、視聴者を置いてけぼりに展開される。
この人類補完計画的な何かを差し置いても、「実は平和を望む世界最強国家の最強な皇帝は嫌々、狂人演説と一方的侵略を行っていた」っと、意味不明である。
更に問題なのは、この人類補完計画的な何か、実現するために、他国へ侵略する必要が全く無い。
一体なんだったのかまるで判らない。本気で意味がわからない。
もう筆者は本件についてこれ以上の執筆を放棄する。9月から執筆をはじめ、一ヶ月以上この項で筆が狂い始め何度も書き直した。

とにかく、一期の頃で描写の浅さが目立った敵である侵略国家が、意味不明なオカルトじみた計画を世界平和の為にこそこそがんばっていた事が発覚。ただし、侵略は計画に一切関係ない。
という曖昧すぎる描写に俺が怒っている事だけは伝わればいい。本件によって一期から培われた物語が頓挫するに到る。

4・サンライズ版、『野望の王国』になりきれず主人公自殺END
『R2』は第一作で描かれていたルルーシュというキャラクターからは、おおよそ考えられない、主人公の自殺にて物語が締めくくられる。その内容というのは、世界を独裁政治で支配したことで全ての憎しみを向けられた存在となった自分を、ゼロという「救世主」に扮したスザクに討たせることで憎しみを断ち切るというもの。オレが思うにこんな計画は成功しない。日本レベルだけで考えても、マスコミの言うままに鳩山を神輿に上げた大衆といい、「俺たちの麻生!」と政治家を疑わないオタク層といい、世の中には、権威という物にどうしようもなく弱く、彼らの前では思考を停止してしまう人が沢山いる。ともなれば、ルルーシュの死=権威の喪失を憂う者たちとの新たな戦いの火種にしかならないのだ。

少なくとも、第一期のルルーシュならば、こんな考えは嘲笑の対象だし、なによる自分がまるで可哀想な奴みたいで絶対にやらない。『R2』作中でもさしたる改心の描写などなく唐突に自殺する。
コードギアス一期が、ロボットや仮想歴史が横行するような世界観であるにも関わらず、このような夢想事が入る隙が無いほど殺伐として荒んだ『野望の王国』状態を見事に描いていた。しかし、結末で人類全員が世間の問題や憎しみをルルーシュ自身に向けるなど、生善説に根性&精神論の作品になってしまっている。
と、主人公ルルーシュを中心に、本作の破綻ぶりを示したが、脇を固める登場人物全員にも同じく設定破綻に行動の矛盾が生じており、もはや列挙しきれない。大きなものを上げると・・・
作中最大のライバルのスザクにしても、立ち回りがいい加減で、裏切るタイミングや、立ち回りが悪く、主人公に対してのさしたる脅威となっていない。ルルーシュの日本人を寄せ集めた私兵、黒の騎士団にしても、終盤で敵であるブリタニアと手を結ぶなどは、一期における日本人の冷遇描写を考慮するに本作の世界観までもが大いに揺らいでいる。

また、破綻というほどではないが、ジュレミアという登場人物がおり、前作でルルーシュに貶められ絶命するが、左右非対称サイボーグの復讐鬼と化して復活を開始する。だが、あっさりルルーシュの仲間になってしまい、その調理を間違っている。

私はかつて、終盤の予算的なクオリティ低下を遺憾に思うゆえに「エヴァンゲリオン」を最低のアニメと評したが、本作は予定調和で製作されていたにも関わらず、列挙しきれない破綻を膨大に生み出し、近年、キャラクターの造型が重視されるゆえに作画にばかりアニメの評価が傾いているが、ストーリーにおいて本作に劣る駄作は恐らく向こう10年登場しないだろう。「エヴァ」と「R2」は世間的に傑作であっても私にとっては10年に一度の大駄作たちである。

2009年9月5日土曜日

ドラマ「こち亀」は何故失敗したのか?

少なくとも、インターネット利用者の多くは「キャスティング」を上げて他に一切眼を向けていない。それは実に愚かしい事なのだ。オタクの需要エンタメを動かしてるとか思ってるんじゃないよ思い上がりも甚だしい。モテない男どもの僻みだ。童貞を誇る勇気も反骨精神も持ち合わせない人間の僻みだ。

下手だよ。メインの3人衆。絶望的とは言わずともマシとも言えず、でもそんなのは、今始まったばかりじゃないし、本作に限ったことじゃないし、わざわざ俺のブログに書きこまない。

それよりも、本作において最大に失敗してるのは、その作風が過去に放送された「アニメ版」の模倣にある事である。影響ならともかくとして、このドラマ版では、アニメの演出を安上がりでできる限りは徹底的に模倣している。
そして、出演者全員にアニメの物まねやらせている。
作ってる馬鹿は「実写とアニメの融合に成功した。」などと高尚なお客様相手に上等な料理を振舞った気分だと思うが、当の教養の無いお客はゲロだされたようなもんだ。
多分、口うるさいと思ってるお前の所のスポンサー様のゲロのほうがよっぽどマシだ。
お前より、視聴者より美味い酒飲んで高カロリーで栄養ある物を食ってるのは確かなんだからな。


なにもかもが浮いている。ここまで酷いものは珍しい。
そうだ、俺たち視聴者も悪いのだろう。TV大好きな20代は、ほんど全員「アニメ版」を視聴してたからな。
しかも出来が良かったもんだから誰も忘れちゃいない。小学生や中学生のアンケート信じるな。
女の子が皆ドラマ見てると本気で思ってるのか?クラスの半分以上は『こち亀』見てたぞ。

で、おめでたいテレビ局はトドメにラサール石井を出しちまったのよ。
誰もラサールを出さない事を絶対的に責めている訳ではない、もうアニメで十分すぎるほどやってるし、 流石に老け込んでる。
だが、このドラマの作風だと、ラサールを出すのが完璧だった上に、ラサールが演じてる姿を見て慎吾ちゃんの10兆倍様になってる姿を視聴者は完璧なまでに想像してしまった。

出ている素材が、どれも視聴者の中のアニメとのオバーラップができていない。そして何もかもが噛み合っていない。

テレビに映ってるのはジャニーズでもスイーツでも無いよ。(ッキリ)
時代錯誤の電気紙芝居屋どもが人を見下してる姿だけだ。(ッキリ)

2009年8月13日木曜日

女子高生コンクリート詰め殺人事件 ~壊れたセブンティーンたち~

松村克弥はフェイスが一番嫌いな監督である。
『オールナイトロング』シリーズに代表される、世間を逆恨みした無意味な描写の数々に閉口してしまう。
公私混同のうち、公が全くない作風の上にユーモア欠乏。頭の悪さを露呈しつづける作品にイライラ。
この馬鹿の自己顕著欲に片棒を担ぐ連中も嫌いだ。

本作におけるこの馬鹿の発想は中学生時代に事件の概要を知った当時のフェイスと全く一緒。
(2chにログがあるだろうから読めよ。ガキの頃の俺の愚かさを!ただし批判は中二病以外で受け付ける。)

「リアル志向で事件の概要を皆さんに伝えよう!」って発想。

で、そのリアル志向の結果が、被害者A子さんの顔写真を晒しものにし、激似の女優を起用。
被害者のプライバシーを侵害しておいて、「この子かわいそうだろ!!!?だから糞餓鬼は死刑!!!」

リアル志向の前に己の思考を停止してどうするんだ。

暴力シーンは『オールナイトロング』の比でなく、ようやっと見ごたえがあった。
でも流石に実際のリンチの再現を、手放しで楽しめるほどフェイスは鬼畜ではないので無意味であった。

しかし、犯人の親にメスを入れたのはかなりの功績であったと認める。主犯の両親が共産党関係者だった為にこの「四十一日監禁暴行致死事件」は、「コンクリート詰め事件」などという表記で茶を濁され、事件を未然に防げたはずなのに責任問題に上がらなかった。

いづれにしろ、松村の言うリアリズム、もとい独善にまみれた本作は、被害者両親の抗議で事実上発禁処分に近いものを受け、闇に葬られた。

ちなみに本作の発売元はアダルトビデオ会社だった。要するに誰も買い手が付かなかったのだ。低俗な内容だという事に、松村は気づけないほど愚かなのである。

松村の意図とは逆に、事件を元にした『少年の法』なるAVも後に発売。
さらに歴史は繰り返される。『コンクリート』では、本作同様に遺族への配慮に欠けた上に本作に劣る内容、A子役はAV女優であった。これに到っては2chで炎上を引き起こす。

「41日、男もろくに知らない少女が拷問に等しい淫虐を繰り返された挙句に惨殺される」
文章にすると、これほど世のサディストの股座をいきり立たせるインモラルな一文も無いだろう。サディストへの需要を考えなければならない点で、アダルトビデオ業界を責める事はできない。
しかし、人が死んどるのだよ実際に暴行を受けた上で、何をしてアダルトビデオが卑しいというと、この件のような商売を平然と行う所に顕著と言える。

今のところ女子校生41日監禁惨殺事件に関しての映像化は

・共産党と加害者の人権擁護派、被害者家族および擁護派による妨害。
・事件を風化させたくないとのたまう思考停止に陥った三流クリエイター
・少年法改正をやたら訴える馬鹿
・インモラルな内容に金儲けに走るAV業界

によってまともなものは永久に現れないだろう。

こりゃ冥福祈れんよ。むしろ化けて出ろ。

筆者はドキュメンタリーとして、加害者を擁した暴力団や、出所後、結成したギャング団、引きこもりに陥った加害者にアポ無しインタビューしたほうがよっぽど良いと思うぞ?

2009年7月1日水曜日

ネオンマニアックス

@糞すぎてこいつは俺をABMN(怒れるB級映画オタク)に豹変させた。

まずこの聳え立つ糞のようなタイトルだが、サムライ、原始人、ベトコン、カウボーイ等など、各地各々のステレオタイプな歴史上の人種像をモチーフに作られたゾンビのような怪物たちのことだ。糞みたいなオープニングナレーションがそう言ってたよ。


世界に暴力がはびこり 人間の魂の光がかげる時
若者の上に暗い影がかかる 恐るべきネオンマニアックスの影が・・・・



ナレーションが終わると、ある夜の事、暴力のボの字もない平和な町で釣りを終えたオッサンがグロテスクな怪人のブロマイドを拾う。ブロマイドを眺めていた所に斧の一撃がオッサンに降り注がれ町には悲鳴が木霊した―――
すげーよ!本編に無関係の被害描写による冒頭シーンなんざ、糞の定番過ぎて監督に殺意しか沸かない所を、冒頭のナレーションと関連の薄すぎるシーンを早速もってきたんだ。監督を監禁して飢え死にさせたい衝動を掻き立てやがったよ。
町は平和だ!オッサンは釣りを嗜む愛すべき隣人だ!
そんなオッサンを頭にマサカリが降り注いだ!ネオンマニアックスのブロマイドが血にまみれた!
でもこいつが中二病なんてもんじゃないペドフィリアどものビチ糞をかき集めたような臭さを放つ由来は、オッサンが拾った糞ネオンマニアックスどものブロマイドは本編で一切語られない。っていうか登場すらしないんだ。 奴らがブロマイドから現れたとか、ブロマイドが本体とか、そんなのすら無い一切合切無用な演出なんだよ!
本編が始まると主人公のナタリー嬢が不良どもと夜の公園でヤクを吸ったり、ファックしたりにほいほいと付いていく。途中で、本作のヒーローさまと主人公が良く有る、美女とブ男な出会いをする。おかげで公園に行くまで10分弱かけやがった。良く有る美女とブ男の出会いにしても限度がある、カメラは常に固定で退屈だし、3分今日もだらだらとダサい男が女を口説こうとするんだぜ?20年後、「トランスフォーマー」は30秒で美女とブ男の出会い終わらせていた。
でようやった公園にやってきた不良学生ども、ようやくネオンマニアックスと遭遇する。
どういう訳かここも一々糞みたいなシーンが連発するんだよ!

この不良どもは、見るからにヤバそうなネオンマニアックスたちにケンカ売るんだよ!
中にはボウガンやら、刀持ってる連中が居るのに、この馬鹿どもは素手でケンカ売るんだよ!

ちんたらと案の定、ナタリー以外全滅して、ナタリーは警察に行くんだよ。
ナタリーは当然のように「ラリッて訳の分からない事を言ってる。」と、警察たちに信用されないんだ。でも町の若者が一夜の内に5人近く行方不明になってるんだぞ?誰一人ナタリーがショック状態に陥って記憶障害に陥ったとかいう仮説も立てずに、イタズラかヤクでラリってたの一点張り。保護者たちはナタリーに「息子を何処にやった!」と詰め寄ったりと、途轍もなく町の大人たちが無能なんだよ。
監督は何を考えてストーリーを練ったんだ!「警察官に足りない物は想像力だ。」とでも訴えたかったのか?開始30分弱でここまで下らない映画でどんなメッセージを社会に訴えられるんだ。
で、その後どうでもいいシーンばっか続くんだよ。
ヒーロー君はノイローゼ気味に落ちいったナタリーを口説きに死苦八苦。
マニアックスどもといえば主人公のナタリーの周りに現れてちょっかい出すだけで誰も殺しやしねんだ!しかも一番酷いのはたまに出てくるマニアックスで一番活躍してるのは、半裸でほぼノーメイクの原始人のマニアックスなんだよ! 鎧武者やボウガン持った奴じゃスーツアクターの給料をケチらなきゃならなかったのか、動きにくかったのか、半裸のオッサンに活躍の機会を設けすぎなんだよ!

ようやっと二人の便秘糞どもと関係ないところで ポーラというB級映画マニアがウロウロし始めるんだよ。
で、マニアックスが水溜りに嵌って溶け出すの見て、ナタリーに協力を呼びかけるんだ。

そうだよ糞マニアックスの弱点はタダの水だんだよ。聖水でも、小便でもなくただ単なる水。いくらなんでもそんな弱点有り得ないだろ。
頭部を破壊とか、太陽の光とか、心臓を一突きとか往年の名作にはそんな弱点にも説得力と、漠然とした常人たちのハンデを感じさせたよ。

この映画の場合は漠然と水なんだよ!

だが、ナタリーは一切理由不明のままポーラの協力を終盤まで断りつづけて、ヒーローは終盤までナタリーを口説いて回るんだよ!
で、理由は特に無く、終盤でようやくポーラを協力することにするんだ。なんでだよ、いったいポーラの何が気に入らないんだ?

監督は尺を稼ぐ為のこの無意味な中盤に、「思春期の少女たちの複雑な心境を描きたかった。」と言い訳できると思ってるのか?

まあ、ここまで糞を小便で煮詰めたような不愉快なスクールデイズ描写が続いたら、体育館におびき寄せてスプリンクラーで一網打尽にすると思うだろ?

この映画のボンクラヒーローは体育館でハロウィンパーティーを開いて、客に水鉄砲渡して戦わせようと考えたんだ。で、このボンクラヒーローはライブまで開いてやがる。俺をそんなに怒らせたいのか?

そこにマニアックスがのたのたやってくるんだよ。ここまで全くといっていいほど活躍してない糞ネオンマニアックスがだ。

と、マニアックスが進行⇒糞ライブが交互に延々と繰り返されるんだよ。何一つ動きの無いままにだ。5分ぐらいダラダラとな。

で、ようやくマニアックスどもが糞ライブ会場に乱入していた。おそろしくゆっくり歩いての乱入だが救世主のように見えたね。あの糞ライブを終了させてくれたんだ。

で、みんなで水鉄砲でこいつらを溶かして大団円だと思うだろ?

無意味にリアリティを崇高な監督様は追求して、パニックで役にたたず、常にコンマ1秒遅れたリアクションで、体育館の体育館の中で終始無表情でウロウロしはじめるんだ。
え?逃げてるんじゃないのかって?

あんたは逃げる人間がカメラの前を何往復もすると思ってるのか?

最終的に約200人中、2~3人の尊い命がマニアックスの餌食になってしまうんだ。よく避難訓練のできた連中だ。
ポーラだけが、消火栓のホースを使ってマニアックスに唯一対抗していたよ。なんだよこのポーラ萌え映画。

で、ラストは最初の証言よりもさらに荒唐無稽になったこっちの証言を信じて橋げたの小屋に警察が水鉄砲で押し入るんだよ。
でもそこにマニアックスの姿はなく、後で帰り遅れた所長が、マニアックスの餌食になってTHE END。

と、糞映画の定石を踏んでくれたEDなら俺は此処までキレなかった。
所長がマニアックスに殺された後、

「水鉄砲はまだ残っているな。この雨はすぐに止んでしまう。」

という不要・不愉快・不細工極まりないヒーローのうざったい一言が入ってようやく、ようやっと、ついにTHEEND。

とにかく酷い!無個性な糞映画達がいかに可愛いか。
コノ映画は、あらゆる糞要素に、いちいち観客の癪に障る演出や、糞みたいなアイデアを空っぽのストーリーラインに可能な限りねじ込みかやがったんだ。

おそらく、俺が」「何一切期待をしていない。」「一点ぐらい褒められる点を見つけてやろう。」「B級映画鑑賞とは詫び寂びの心」と、ここまで寛大な受け入れ態勢でマッタリ観ようとしていたのに、ここまで俺を怒らせた事自体が、奇跡に等しい。

怒りの余りにこの文章書くのに2日掛かったんだだぞ!

監督のケツの穴に溶けた鉛を注ぎこんで栓をして内臓が焦げて死ぬ前に、逆さに吊るして、木刀を買い与えた中学生4,5人に撲殺させるんだ。

正直こっちの方が皆さんも見たいでしょ?

2009年6月10日水曜日

ガーディアン

@ドルフ主演作的には駄作。

我らがドルフ・ラングレンの主演最新作。

ム所にぶち込まれたぞドルフに喧嘩を売る無謀極まりない囚人たち。
無論。秒殺するドルフ。

ドルフ、誘拐された女を救出することを条件に釈放。
しかし、これは陰謀でこの女から、女の親父の油田の相続権を奪いたい叔父の陰謀で、ドルフはこの叔父の内通者のCIA工作員や、女の医療技術を狙う軍隊そしてマフィア相手に戦う羽目になるのだが・・・

しかし、刑務所でた後のドルフが弱いのなんの。
おそらく史上最弱のドルフだぞ?マフィアに2回も負けるなんて・・・
(10/03/25追記、もっと弱い映画があった)


で、敵対組織をむやみに配置する割りに、脚本が全然整理されていない為、黒幕の叔父が「とりあえず軍とかCIAとかマフィアとか強いからいっぱい雇った方がいいよね!」って感じのアホにしかみえない。

でも、ラストでCIAエージェントの懐に手榴弾を突っ込んで窓から投げ捨てて空中爆散させるドルフの鬼畜戦法に5点献上。

2009年5月18日月曜日

ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝

@いま一つ

全体的にいまいちな作品。
第一作、第二作にあった程よいホラー要素の消失や、VFXの質の低下。
アクションも、特筆すべき点はなにもない。

圧倒的につまらない作品という訳でも無い。所々笑えるシーンはあるし、
前記の安っぽいVFXによるチープなCGクリチャーの挙動などもやはり笑える。

だが、我らがあくのしはいしゃジェット・リー皇帝は、復活してからが壊滅的に弱かったり、キングギドラとキングコングのコスプレをするあたりが最高に滑ってる。悪役がスタッフの無能さを象徴した良い例である。

2009年5月10日日曜日

パンプキンシザーズ

@駄作

『HELLSHING』が好きなら嵌ると勧められたのだが、私はこの漫画、てんで駄目だと思う。

物語は戦災復興を目的に結成されつつも軍部のお飾り扱いを受けている"パンプキンシザーズ”と、彼らをエゴの為に妨害する腐敗した官僚、暴力団との戦いが描かれる。

これだけだと、すごく面白そうな題材なのですが、無意味な悪党の性格描写と、悪党どもへの説教台詞の多さに呆れ果てる。

この作品、一応最後には悪党どもも欲に駆られた哀れな存在として性善説を描こうと試みている。
そのためか、悪党の特徴を描くシーンがあるのだが、恐ろしく退屈。
なにが退屈かって、どの話を読んでもステレオタイプな悪役の独り言ばっかなんだよ。

そして純粋に正義を行おうとしてる主人公たちの姿に青臭さを作者は感じてるのか?
戦闘中にまで悪党へのお説教を開始するのである。しかも、要約している短いセリフに限って、大ゴマで決める。

主人公サイドは魅力的な登場人物が多く、戦災復興に四苦八苦する姿などは応援に値する。
それは見ていて恥ずかしいシーンかも知れない。
しかし意味の無い長ゼリフは彼らの熱い正義心を虚飾に代えかねない愚かな行為だ。

あと、なんか悪そうなおっさんおばちゃんが悪巧みをする描写が随所に挿入されるが、物語の進行とは関連性が余りにも薄い。エヴァンゲリオンの後半のゼーレじみている。
途中、悪そうな連中の被害者である男が主人公たちと戦う羽目になり、いよいよ接触があるのか?と、思いきややはり絡む事は無い。

オールマイティーな作品を作ろうという無駄な努力の産物。生善論を唱えるのならば主人公と絡みのない巨悪の描写は無意味だ。

まあ、ここまで嫌いになったのも筆者自身、人生最短の落胆を感じさせた主人公登場の冒頭2Pに集約されている。

休戦を知らされた主人公は「なぜもっと早く終わらなかった・・・」と、焼け野原と瓦礫を背景に兵士のモノローグ。ほとんど100点の登場シーンである。
誰だって瓦礫の山を築けば、相手が敵でも良心の呵責に押しつぶされそうになる。それは偽善などではない。人間の抱える矛盾というものだ。が、次のページで一瞬で興ざめした。

「俺はいったい明日からなにして生きていけばいい・・・」と、虚ろな目で呟く巨漢。

蛇足だ。そして、なぜ退職後の心配を回りくどく言っているのか?

この後、巨漢は、運命的な出会いでパンプキンシザーズに加入し、身を粉にして新たな戦いに身を投じるのだが、その姿はやはり応援できるものである。
でも、やっぱり登場シーンと同じく、無意味で説得力にかけるセリフの応酬が全てを台無しにしている。物語からリアリティを奪っている。

とはいえ、バイオレントな戦闘シーンは特筆に価する。
お前ら、自分を信じてもうちょっと黙って戦え!

2009年4月18日土曜日

エアポート80

本作、正月早々実家で全員が失笑し、3日間話題に困らなかったという伝説を残してくれた伝説的最低映画。
東宝東和造語辞典として我が家では活躍している『映画秘法「底抜け超大作」』にも、というか世界的にも、本作の最低伝説は広く分布している。冒頭に、「コンコルドは有害だ!」と主張する環境保護団体がコンコルドを気球で妨害するが、本編に一切絡まない。
ニュースキャスターのマギー(スーザン・ブレイクリー)の元に、彼女の恋人である兵器産業の会長ハリソン(ロバート・ワグナー)が、武器をテロリストにも提供しているという証拠が手渡され、彼女はこの暴露を決心し、コンコルド旅客機に搭乗する。その模様を終始、不自然な歩き方で窓越しにガン見していたハリソンは、彼女をコンコルドごと抹殺しようと無茶苦茶な計画を実行した。
<「自社のミサイルが暴走した。」と、自社の株価暴落確実の作戦を実行に移したハリソン。このミサイルをパイロット、ポール・メトラン(アラン・ドロン)はコンコルドを宙返りさせてやり過ごす。
機内の乗客は、場末の遊園地のジェットコースターに乗っているようなリアクション。機内には、やたら新聞紙が四散する。乗客の殆どは、飛ばされそうになった荷物を自ら拾っている。
コンコルドがミサイルを回避した事に焦りまくるハリソン(当たり前)は、第二の刺客である買収した戦闘機を差し向ける。
機長のパトローネ(ジョージ:ケネディ)は戦闘機の攻撃に「撃ってくるか!」と、やる気満々の意思を見せ付けると、「戦闘機のミサイルは熱源追跡型だ!」と、根拠の無い戦力分析。
そして、コンコルドよりも高い熱源の物でミサイルを確実に破壊するために、コンコルドのコクピットの窓をガラガラ~と開けちゃって、信号弾にてこれを破壊。ただし、残った弾が機内で暴発。あわや火事になるところだったという寸劇のおまけ付き。
果てには、超音速のコンコルドで海面すれすれを急上昇して戦闘機を海面に叩き付ける。なんで小回りの利く戦闘機がコンコルドができた急上昇ができんのだそんな無茶をやってたせいか、逃げ遂せたコンコルド、今度はエンジントラブルで、空港の滑走路に仕掛けられた緊急停止装置で強制減速着陸。(緊急停止装置を通るたびに、滑走路が若干捲れる。)で、停止した飛行機の中からは便所でシャイクされたばあさんが気絶した。ジョージ・ケネディのベッドシーンを挟んでそんな大混乱にも関わらず翌日乗客は誰一人も降りずにコンコルドに搭乗・・・
他にももっと突っ込みどころはあるのですが。今はこれが精一杯(カリ城風に)

2009年3月6日金曜日

氏賀Y太作品考察

猟奇エロ漫画の最右翼と恐れられる氏賀Y太氏の作品をこの度、ほぼ全巻入手する幸運に巡り合えた。

結論から言うとは・・・えー、結論ですが・・・・なんも無いです。

氏賀Y太の漫画は総じてカラッポとしか言いようがない。本当になにもない。
と、いうのもオマンコを書くことを目的としたのがエロマンガという代物であって、あとは可能な限りエロくしていくという単純作業しか残っていないのである。恐怖演出だとか、トリックだとかは誰からも追及は受けない。

結果としてY太は、エロスなど追及されず、ハラワタを延々と書き連ねていっているだけなのである。
かといって臓物の描き方の工夫とかそんなんは編集者が匙を投げており(後書きに書かれている。)
エスカレートしていくのは殺害方法の残虐さだけだ。

こういった背景によってY太作品におけるグロテスクさは『悪魔の毒々モンスター』のメルビンによる不良虐殺のようなもはやエロスと切り離されたアホ丸出しの加害描写となっている、

特に強烈なのは幼女を生きた状態で天婦羅にして食いたいという寝言が叶う話とか、
娘の生皮剥いで作った全身タイツを着用してエクスタシーに浸る母親とか
便座カバーに改造される女子高生など此処まで来るとギャグである。

『真・現代猟奇伝』において彼の持ち味は存分に発揮されており、メッセージ性もなければ、特別エロさもなくひたすら暴力、暴力、暴力の嵐である。

だが、彼ははっきりいって絵が下手だ。迫力が無く、エスカレートしていく殺害方法の発想力のみが取柄といってなんら過言ではない。

2009年2月12日木曜日

冷血バイオレンスマスク「銃弾のえじき」

駄作

主人公、デブリンは交通事故で大怪我を負い記憶を失う。記憶は戻らなかったが、看護婦と結婚し、新たな人生を謳歌していたのだが、かれには7年前の一家惨殺事件の犯人ではないかという疑惑が元警察官の老人を発端に取り巻いていく。

生活描写で登場人物を紹介するという理想には叶っているのだが、冒頭30分近くにそれを消耗する結果を生んでおり、おまけに軸となっているロマンス描写が中学生が書いたのかと疑うほど陳腐な代物である。しかし、事故でズタズタになった主人公の特殊メイクと周囲のシニナルな反応や、ヒロインの爛れた性生活など、妙なディティールが利いてるのは評価できる。

で、物語がようやった動き出す6年後、(残り上映時間約1時間)
犯人を執拗に探す警官は、既に退職していたのだが、もと部下曰く。
「あんたが辞めさせられたのは政治的な問題だ!」と、本筋に関係のない叫びを打ちかます。

まあ、はいはいと匿名の情報提供者があらわれてデブリンが7年前の一家惨殺事件の犯人ちゃうかと。
ともなれば、早速デブリンの裏を洗うのかと思いきや、あっさりとデブリンに自分の正体と、調査していた事件、主人公を疑っている事を暴露する。
もうちょっと一策練ってから記憶喪失だと確信してくれよ。ぜんぜん頑固じゃねえじゃん。退職後も彼を狙う執念と、その前の生活描写においても頑固さを発揮していたのに。

そいで、彼曰く
「情報提供者は匿名だった。送り主はきっと奴だ。デブリン本人だ! 彼は記憶喪失に陥ったが、心の中にまだ一家殺しの犯人が生きていて、新しい家族をまた殺したくない。 だから俺に止めてくれと、送ってきたのだ。」
辞職した刑事が今も事件の捜査を続けているのを記憶喪失の主人公が知っている筈が無いだろうがと、
こんな無能なの退職させられて当然だわ。

この時点で視聴者が予測しえる送り主は冒頭で爛れた関係を持っていたヒロインの元情事相手に限定された。

しかし物語りは唐突に登場したボンテージマスクの連続レイプ犯による強引な展開へと運ばれていき、犯人は結局主人公という、意外性のかけらが無さ過ぎて除外されたラストへとしゃあしゃあと運ばれて終わり。劇中、銃弾のえじきとなったのは射殺される主人公ただ一人である。

2008年12月22日月曜日

「ヘル・スネーク:淫蛇の交わり」

罰当たりなぐらいケバ過ぎる処女に蛇の悪魔が取り付いて淫行の限りを尽くす。
しかし、ラストに出てくる蛇は“映画史上最も無害な姿の蛇”それをプツッと踏み潰してめでたしめでたしという馬鹿極まりないラストのレビューだけが世界的に分布し映画。

えーと、エロシーンなんですがショーガール以上に興奮しません。「エクソシスト:デュレクターズ版」が世に出回っていない時代なので“ブリッジパロディ”すらされていません。
見所は蛇に取り付かれた体がバックレイプ図になって一人永遠と喘ぐ馬鹿の真骨頂のシーンです。