@名作
これまでの北野武監督の作品は、自身のナルシズムとニヒリズムを徹底的に貫いてきた。ナルシズムという表現をしたら妙な話だが、彼の本業は芸人(英語で言うコメディアン)である。徹底的に自分自身を研究し、追求し、発狂しなければなれない、笑とは名ばかりの修羅のみちなのである。
これまで、自分の体を張って"表現"を行って来て、自分主体でない物を考えるほうが難しいに違いない。だから恥ずかしがらず、「どうだ?カメラ写りはいいだろ?」と堂々と笑顔で答えなきゃダメな訳。
そうしたナルシズムとニヒリズムが先鋭化し、且つ、旧体化したヤクザ映画を否定したのが最高傑作である『ソナチネ』である。
そして、ナルシズムとニヒリズムをより多角化させ挑んだのが、かつて否定したヤクザ映画の潮流に乗った『アウトレイジ』、最高傑作その2である。
まず、北野武が『ソナチネ』で否定したのは、ショーモないTVドラマ並にVシネが量産された時期のヤクザ映画であって、ヤクザ映画そのものの否定ではない。そもそも彼は『仁義なき戦い』のファンを公言している。氏のアイデアが盛り込まれたファミコンゲーム『たけしの挑戦状』の劇中劇に『やくざ対やくざ』という「つまんねーえいが」があり、この頃から既にやくざ映画の先行きの暗さを見据えていたとしたらその先見性に驚かされる。
また、深作欣二が任侠映画を脱して以来、ヤクザ映画は日本固有の映画のジャンルであり、ビデオオリジナル作品でありながら現在も量産されている。このビデオ映画専門のオタクが存在するぐらいだ。多くは凡庸かそれ以下だが、確実に見ごたえある作品や名作も存在する(例、『新・仁義の墓場』、見ごたえ"だけ"なら『修羅のみち』)
『アウトレイジ』は北野武監督によるジャンル・ヤクザ映画であり、このジャンルでも面白い映画は撮れることを再認識させてくれる。
"俳優(本業:お笑い芸人)"ビートたけし演じる、大友は末端組織の組長で、暴力だけでヤクザ稼業で飯を食ってきた凶暴な老人だ。カッターナイフで指を詰めようとするヤクザを見てニヤニヤ笑い、挙句、カッターを取り上げてそいつの顔面をメッタ切りにする強烈なサディストだ。ビートたけしが演じてきたヤクザの中でも完全に異質の存在である。デビュー作『その男、凶暴につき』以来の暴力的な人間だ。
従来作では、周囲のヤクザが、落ち目に入って一廉の人物であるような姿を見せ、たけしもその内の一人であるが、狂気を内包させて描かれる。その様は、暴力的というよりは静かなトリックスター的な存在だった。
本作は上記の通り、ニヒリズムの多角化を見せており、終盤で化けるオールマイティーなトリックスターは存在せず、様々な種類の極悪人どもが内部抗争で暗躍をする事となる。
その極悪人どものキャスティングに関しては完璧である。
此処には列挙できないが、名だたる俳優全員が名演を披露する。
序盤こそ、Vシネと大して変わりないストーリーラインが提示されるが、徐々抗争は雪だるま式に巨大化していき、誰もが映画内で描かれる抗争の終点を予想する事ができなくなるだろう。
『アウトレイジ』は、『仁義なき戦い』を超えたヤクザ映画の一本である。
2010年5月6日木曜日
凶気の桜
@普通
本作なかなかセンスの光ったバイオレンス映画の怪作だ。窪塚を「イケメン俳優」とよいしょして、ヤンキーの青春映画を期待していた世間一般の評判は散々なのも納得だ。レイプなどドギツイ犯罪描写が続く上に、その被害者が所謂ヤンキーども。不良映画なら主人公サイドの筈だがこのバイオレンス映画で描かれるのは零細新興右翼ネオトージョーの不良狩りと、ヤクザとか殺し屋とかそんなんだ。
PVの手法を作中にふんだんに取り入れており、洗練はされていながともかくその大胆さは評価するべきだろう。冒頭の東映マークには引き込まれるし、ネオトージョー一派の不良狩りと私生活も、なかなか野蛮が伝わってくる。
窪塚君も「なに考えてるか解らないアブナイヤツ」としては能面ぶりでも納得の配役だ。
しかし、問題なのはストーリーが旧体系のヤクザ映画に従順すぎた事と、ヤクザと交流を深める内に信頼関係を築いてしまい、心身共に傷ついてしまうという難しい役どころを、窪塚が全然できていないこと。前半こそヤバイヤツでキマっていたが、後半は完全に能面だ。もったいない。
あと、スタッフロール後のオチ捻くれすぎ。全くの蛇足であり、本編ラストの余韻を自らの手で潰してしまっている。
(右翼だか、在日だかの描写にテーマ性が生かされていないという評価があるがこういうのは無視する。これ、そんな映画じゃねぇから。)
本作なかなかセンスの光ったバイオレンス映画の怪作だ。窪塚を「イケメン俳優」とよいしょして、ヤンキーの青春映画を期待していた世間一般の評判は散々なのも納得だ。レイプなどドギツイ犯罪描写が続く上に、その被害者が所謂ヤンキーども。不良映画なら主人公サイドの筈だがこのバイオレンス映画で描かれるのは零細新興右翼ネオトージョーの不良狩りと、ヤクザとか殺し屋とかそんなんだ。
PVの手法を作中にふんだんに取り入れており、洗練はされていながともかくその大胆さは評価するべきだろう。冒頭の東映マークには引き込まれるし、ネオトージョー一派の不良狩りと私生活も、なかなか野蛮が伝わってくる。
窪塚君も「なに考えてるか解らないアブナイヤツ」としては能面ぶりでも納得の配役だ。
しかし、問題なのはストーリーが旧体系のヤクザ映画に従順すぎた事と、ヤクザと交流を深める内に信頼関係を築いてしまい、心身共に傷ついてしまうという難しい役どころを、窪塚が全然できていないこと。前半こそヤバイヤツでキマっていたが、後半は完全に能面だ。もったいない。
あと、スタッフロール後のオチ捻くれすぎ。全くの蛇足であり、本編ラストの余韻を自らの手で潰してしまっている。
(右翼だか、在日だかの描写にテーマ性が生かされていないという評価があるがこういうのは無視する。これ、そんな映画じゃねぇから。)
2010年4月11日日曜日
第9地区
@名作
『食人族』は、名作であった。グロテスクな映像が多々あれど、文明人も蛮族と代わり無い残酷を欲する人間だと、たかが映画の分際で笑い飛ばした。今でも、『食人族』が低俗なグロ映画という票を数多く見受けるが、見当違いもはなはだしい。モンド映画でありながらモンド映画を否定し、モンド映画の全てが目指したリアリティーを完遂し、グロ映画を観に来た観客をも野蛮人と嘲笑してのけた史上最高のアングラ映画である。
本作はその『食人族』以来、量産された擬似ドキュメンタリーの手法を劇映画として見事に取り入れる事に成功している。冒頭で多用される擬似ドキュメントが後半には完全に劇映画の中に飲み込まれる事、そしてジャンルこそ、フィクションであることが大前提の宇宙SFものである事は『食人族』と全くの逆だが、観客を野蛮人と嘲笑してのけたのは、あの『食人族』以来の快挙である。
舞台をヨハネスブルグ。近年のネット上で無法地帯としてスポットを当たっているが、本作では少々異なった歴史を歩んでおり、宇宙浮浪者“エビ”たちの犯罪が加わる。
エビ達を取り巻く環境は過酷だ。差別と貧困にあえぎ、主な買い物先は、地球人の犯罪者。ヨハネスブルグの筋金入りの悪ばかりだ。エビたちもエビたちで団結して状況の打破などは行わず、バラバラのままダラダラと悪行に手を染めていく。
主人公の人間も人間で、宇宙人の卵を、潰して回る様は強烈な不快さだ。はっきりいって、差別主義者の典型で、口先では平等平和主義者でも、弱者に対して容赦が無い。というよりも興味が無いのだ。
「~だからどうしよう。~こうしよう。~明るい未来の為に。」本作はそんな事を言わない。
突きつけられるのは、ヨハネスブルの現状を面白半分に土人の作った犯罪都市とはやし立てる、人々の滑稽さだ。それは、かつてモンド映画の類で、土人の人食いを映画館で眺めていた人間たちと同じだろう。
少々捻くれた点にレビューを重視してしまったが、決して難しい映画じゃない。単純明快な残虐過激SFバイオレンスだ。主人公と宇宙人[クリストファー]は利害の一致だけで協力するが、戦いを通して、この異種にも心があると、お互いは悟るまでに成長する。
決してハッピーエンドとは言えないが、宇宙人[クリストファー]の逞しい人格の有様には、主人公のみならず、観客にも希望を見出せると思う。
4/23
ちょっと、このレビューひねくれすぎた。皮肉の利かせ方が『食人族』を彷彿とさせたの事実だが、実際は裏テーマであり、本質は宇宙人と地球人によるスラム街を舞台にしたバイオレンスアクション大作。終盤は30秒に一回ぐらいのペースでロボットによって人間がミンチになる。素敵。
『食人族』は、名作であった。グロテスクな映像が多々あれど、文明人も蛮族と代わり無い残酷を欲する人間だと、たかが映画の分際で笑い飛ばした。今でも、『食人族』が低俗なグロ映画という票を数多く見受けるが、見当違いもはなはだしい。モンド映画でありながらモンド映画を否定し、モンド映画の全てが目指したリアリティーを完遂し、グロ映画を観に来た観客をも野蛮人と嘲笑してのけた史上最高のアングラ映画である。
本作はその『食人族』以来、量産された擬似ドキュメンタリーの手法を劇映画として見事に取り入れる事に成功している。冒頭で多用される擬似ドキュメントが後半には完全に劇映画の中に飲み込まれる事、そしてジャンルこそ、フィクションであることが大前提の宇宙SFものである事は『食人族』と全くの逆だが、観客を野蛮人と嘲笑してのけたのは、あの『食人族』以来の快挙である。
舞台をヨハネスブルグ。近年のネット上で無法地帯としてスポットを当たっているが、本作では少々異なった歴史を歩んでおり、宇宙浮浪者“エビ”たちの犯罪が加わる。
エビ達を取り巻く環境は過酷だ。差別と貧困にあえぎ、主な買い物先は、地球人の犯罪者。ヨハネスブルグの筋金入りの悪ばかりだ。エビたちもエビたちで団結して状況の打破などは行わず、バラバラのままダラダラと悪行に手を染めていく。
主人公の人間も人間で、宇宙人の卵を、潰して回る様は強烈な不快さだ。はっきりいって、差別主義者の典型で、口先では平等平和主義者でも、弱者に対して容赦が無い。というよりも興味が無いのだ。
「~だからどうしよう。~こうしよう。~明るい未来の為に。」本作はそんな事を言わない。
突きつけられるのは、ヨハネスブルの現状を面白半分に土人の作った犯罪都市とはやし立てる、人々の滑稽さだ。それは、かつてモンド映画の類で、土人の人食いを映画館で眺めていた人間たちと同じだろう。
少々捻くれた点にレビューを重視してしまったが、決して難しい映画じゃない。単純明快な残虐過激SFバイオレンスだ。主人公と宇宙人[クリストファー]は利害の一致だけで協力するが、戦いを通して、この異種にも心があると、お互いは悟るまでに成長する。
決してハッピーエンドとは言えないが、宇宙人[クリストファー]の逞しい人格の有様には、主人公のみならず、観客にも希望を見出せると思う。
4/23
ちょっと、このレビューひねくれすぎた。皮肉の利かせ方が『食人族』を彷彿とさせたの事実だが、実際は裏テーマであり、本質は宇宙人と地球人によるスラム街を舞台にしたバイオレンスアクション大作。終盤は30秒に一回ぐらいのペースでロボットによって人間がミンチになる。素敵。
2010年3月21日日曜日
スーパーマグナム
@超快作
『狼よさらば』『ロサンゼルス』の二作はブロンソンのベストアクトにしばしば挙げられる。
妻子を蹂躙され悲しみ・怒りに支配された主人公ポール・ガーシーの孤独な無差別復讐劇は観客に強烈な印象を与えた。ガーシーの悲しみを深めつづける戦いに皆胸を打たれたことだろう。
本作『スーパーマグナム』は、そんな孤独な戦いを挑み続けていたポール・ガーシーを所謂バカ映画にシリーズをシフトチェンジした事で救った(?)映画である。
『ロサンゼルス』のラストの銃声。ガーシーがクライムハンターとして生きる覚悟を決めた事を暗示させていたが、本作において描かれるガーシーはプロのワンマン自警団云々というよりも、発狂したとしか思えない強烈な意志のありさまを見せつける。
NYに戻ってきたガーシー、しかし時はまさに世紀末(にしか見えない)。町のチンピラどもは『狼よさらば』時代以上に凶暴(というか頭が悪くなって)に暴虐の限りを尽くしていた。
ガーシーは誤認逮捕を経て、NYの治安回復に絶望を感じていた警察署長直々に悪党狩りの密約を結ぶ。
作中でガーシーはワンマン自警団として都市伝説状態で伝承しており、地元住民から期待されて迎え入れられる。
ガーシーは早速「友達のウィルディを呼ぼう」と、電話をかけると、後日、通信販売から.475ウィルディマグナムなる極殺兵器を購入-Purchase-
カメラや新車を囮にしてまで悪党を狩り殺しまくる。その様は満足な仕事ができた伝統工芸士のような表情である。果てに民家に罠まで設置。暴徒VSガーシーの戦いは激化の一途を辿り、ついに暴徒は、ガーシーを殺すためだけの暴走族連合を結成し、通り魔的に火炎瓶やら手榴弾やらで町中攻撃、女は犯され、家は燃やされる。
そんな暴動状態のNYでガーシーは地元住民の朝鮮帰還兵が隠し持っていたM1919重機関銃なる最終鬼畜兵器を開放し、通信販売で追加購入したロケットランチャーなる獄滅極戮至高兵器をもってして、暴徒を圧倒的な弾幕で虐殺しまくる……
此処に来て御歳64歳(ブロンソンの年齢)ポール・ガーシーは哀愁など女々しいとばかりに、圧倒的な火力を躊躇なく噴射する危険極めた猛毒老人となっている。
実は殺人に快楽を見出してしまったのか?第一作で暗示されていた野獣の魂が目覚めきったのか?いずれにしろポール・ガーシーは悲しみを経てヒーローとなったのである。映画の出来が恐ろしく雑なのは認めるが、なんか素敵だ。本文、冒頭でバカ映画と形容したが、素敵な映画だと思うよ。俺は。
『狼よさらば』『ロサンゼルス』の二作はブロンソンのベストアクトにしばしば挙げられる。
妻子を蹂躙され悲しみ・怒りに支配された主人公ポール・ガーシーの孤独な無差別復讐劇は観客に強烈な印象を与えた。ガーシーの悲しみを深めつづける戦いに皆胸を打たれたことだろう。
本作『スーパーマグナム』は、そんな孤独な戦いを挑み続けていたポール・ガーシーを所謂バカ映画にシリーズをシフトチェンジした事で救った(?)映画である。
『ロサンゼルス』のラストの銃声。ガーシーがクライムハンターとして生きる覚悟を決めた事を暗示させていたが、本作において描かれるガーシーはプロのワンマン自警団云々というよりも、発狂したとしか思えない強烈な意志のありさまを見せつける。
NYに戻ってきたガーシー、しかし時はまさに世紀末(にしか見えない)。町のチンピラどもは『狼よさらば』時代以上に凶暴(というか頭が悪くなって)に暴虐の限りを尽くしていた。
ガーシーは誤認逮捕を経て、NYの治安回復に絶望を感じていた警察署長直々に悪党狩りの密約を結ぶ。
作中でガーシーはワンマン自警団として都市伝説状態で伝承しており、地元住民から期待されて迎え入れられる。
ガーシーは早速「友達のウィルディを呼ぼう」と、電話をかけると、後日、通信販売から.475ウィルディマグナムなる極殺兵器を購入-Purchase-
カメラや新車を囮にしてまで悪党を狩り殺しまくる。その様は満足な仕事ができた伝統工芸士のような表情である。果てに民家に罠まで設置。暴徒VSガーシーの戦いは激化の一途を辿り、ついに暴徒は、ガーシーを殺すためだけの暴走族連合を結成し、通り魔的に火炎瓶やら手榴弾やらで町中攻撃、女は犯され、家は燃やされる。
そんな暴動状態のNYでガーシーは地元住民の朝鮮帰還兵が隠し持っていたM1919重機関銃なる最終鬼畜兵器を開放し、通信販売で追加購入したロケットランチャーなる獄滅極戮至高兵器をもってして、暴徒を圧倒的な弾幕で虐殺しまくる……
此処に来て御歳64歳(ブロンソンの年齢)ポール・ガーシーは哀愁など女々しいとばかりに、圧倒的な火力を躊躇なく噴射する危険極めた猛毒老人となっている。
実は殺人に快楽を見出してしまったのか?第一作で暗示されていた野獣の魂が目覚めきったのか?いずれにしろポール・ガーシーは悲しみを経てヒーローとなったのである。映画の出来が恐ろしく雑なのは認めるが、なんか素敵だ。本文、冒頭でバカ映画と形容したが、素敵な映画だと思うよ。俺は。
2009年12月27日日曜日
バトル・ロワイアルII 鎮魂歌
@未完成作品につき保留
@息子が撮った方の映画は駄作ですらなく糞
世界の深作欣ニの遺作として認知されてしまってるが、実際に深作欣ニ御大が生前直接監督として関わってるとされる場面は竹内力による“ホームルーム”シーンのみとされ、大概の馬脚を晒しているのはオタクな息子の方である。
正直、竹内力の件は物凄い。何度見ても面白いのである。ギャグなのかシリアスなのかその境界が早速曖昧にされる。『野望の王国』の柿崎の活躍を見てるときと同じような感覚に侵される。
ここで、虎の意を借る事となるが世界の三池崇史も『極道戦国志=不動=』のDVD特典において同じ旨を述べている「竹内力が凄い(中略)下手すりゃ深作監督の最高傑作かもしれないよね」のような内容であった。
さて、こうなってくると、深作欣ニが完全な状態で完成させた『BRⅡ』どのような物になったのだろうか?ブルース・リーの『死亡遊戯』のように研究されるべき作品である。
一先ず、独自研究という形で私の見解を残しておく。
1.製作までの経緯~愛と幻想のファシズムと9.11~
まず、製作発表の前から深作欣ニ氏の容態は悪化している。次で最後であると本人は早い段階から悟っていた。そこであの大問題作『愛と幻想のファシズム』の実写化を決意していたとされる。
結局最後まで拘ったバイオレンス映画の集大成とすべく、この題材を選んだのだ。
トウジに藤原竜也を起用という噂もあり、草案が纏まりかけていた折、9.11テロ事件が発生した煽りを受けて「テロリストを主人公とした作品は不謹慎である。」として企画が倒れたとされている。
それを知った時、小生はハァ?としか思えなかった、当の深作欣ニ監督はハァ?では済まなかっただろうが。
何が故に他所の国のドンパチで、こちとらの映画作るを止め無ければならないのか?
もし、これが……イスラム圏で起こったテロだったとしたら、ここまでの配慮を行う必要は無かったはずだ。
米国が傷を受けた事が大事件なのである。
『BRⅡ』にいわゆる反米色が強まったのは一本の映画を潰された監督の私怨なのかもしれない。
同時に、彼は折れなかった、より明確にテロリスト側(嫌味とばかりに米国のステレオタイプ)を描いた作品を世に送り出す事を決心する。『BRⅡ』の冒頭で「“スベテのオトナ”に宣戦布告する。」と嘯く七原は、深作欣ニの本音だったと思われる。(死後、脚本の改変が無ければ)
ここで、すべての“スベテのオトナ”とは七原からすれば、BR法のような理不尽を行う人々であり、深作欣ニにとっては商売の邪魔を行う米追従型社会という体制なのであろう。
なお、映画の出来がお粗末な故に、このセリフ「安っぽい反体制」として片付けられている。
深作監督の名誉の為に言っておく、七原は前作『バトル・ロワイアル』(『BR』)で生き地獄を味わった生き残りであり、彼が日本に対して反体制などと嘲笑される事を行うには十分すぎる動機があるのでは無いかと。物語としては全く問題ないし「お前も大人じゃねーか」ではただの揚げ足取りであり、見苦しい。
ただ、本作の七原がイスラムのテロリストかぶれなのは問題であった。それは後述する。
2.幼稚な反米なのか反米だから幼稚なのか?(少なくとも息子の映画は幼稚)
まず、竹内力が米国に攻撃された国を読み上げるシーンを分析しようと思う。既に笑える光景だが、どうにもコレが遺憾というか癪に障る人が多いようで、Wikipediaにも
>>深作のイデオロギーが加わりアメリカに爆撃を受けた22カ国(日本、中国、北朝鮮、グアテマラなど)の名称を上げるなど反米主義的な要素もあった。
と、本作の欠点として記述されている。
反米主義だから糞なのか?
反米主義の内容が安っぽい反体制だからだめなのか?
このシーンには続きがあり「人の命は平等なんかじゃありません!」そして「人間は、勝ち組と負け組に分かれます。貴方は勝ち組ですか?負け組ですか?」というセリフがある。
そもそも、22カ国中、もっとも多くの人命を奪われたのは日本である。
その日本人が拗ねたように「人の命は平等なんかじゃありません!」とのたまい、あたかも自身が勝ち組のように、「勝ち組と負け組に分かれます。」と堂々と発言。
それを竹内力がハイテンションかつ流暢かつ若干のオーバーアクションで熱弁する。
ハッキリいっておく、風刺としては100満点である。
だが、この後の息子の撮ったほうのがショーモなさ過ぎる。
「あの国を怒らせちゃいかん!」とかもうねぇ・・・
3.キタノシオリは何者なのか?
ベターだが、「テロの犠牲者として七原を許せない人物」に尽きる。
しかし劇中で喚きまわって「やっぱゆるします、だって主人公だもん☆」と、“観客を泣かせる感動的な現象(笑)”として流される。
ただし、息子が撮ったBR2は敵までもが「俺にだって女房子供がいるお!」と説明的に感動的(笑)で死ぬため(意味不明)、本件に限った事ではない。
前作では、死に際にはドラマを交えつつもリアルに抑えており、辞世の弁は殆どがモノローグとなっている。
欣ニ監督が存命ならばこの演出は生かされ、もう少し、殺伐とした心情が垣間見えたろうに。
また、キタノは七原が最初に殺した“オトナ”である。
もう少し因縁めいたものを盛り込む余地は腐るほどあった。
4.では、名作だったか?
答えはNO。
本作の問題点は、現実のテロリストと作中のワイルドセブンの整合性の悪さである。
そもそも七原が罰したい敵は、BR法が運用されながら知らんプリを決め込んでいる偽善者“オトナ”のはずだ。
だから、プロローグで都庁を爆破・粉砕・虐殺した。
(ここは、特撮シーンなのでほぼ、欣ニ氏の要望どおりと思われる。ホームルームと同様、シリアスとしてもギャグとしても、ものすごい)
間接的に米国が関わっている描写があるが、むしろソレが混迷をよんでおり、グダグダになっていく。
やはり、七原はそれらとは異なった反体制としての、反逆者としてのテロリストである必要があるのだが、劇中で明確に紛争地帯の武装勢力に影響を受けたとされている。
アルカイダなどのテロ組織も実態を探れば米国とは別の体制であり、無力な人々を殺戮する事を武勇と称えているヤクザどもである。
おそらく、監督存命でもこの点が改善されていたとは思えない。
そもそも、前作『BR』も正直、名作とは言いがたい。
メインキャストがどう見ても中学生には見えないのに、原作どおり中学生のままだし、 だれが生き残るのか丸解りだ。
だが、国産残酷映画の傑作である。
最近の監督は低予算を言い訳に、チープな残酷描写で笑いを撮る映画ばっかだ。(しかも既在の映像を真似てパロディーと言い訳する体たらく)
低予算しか与えられない身の程を知れよと、全力投球しろよと。
『BR』は爺さんがそれなりの予算を与えられながらも、残虐過激な映画を大真面目に撮ったのだぞと。
また、ある朝のニュースで、「撮影末期になって突然、アフガンでのロケを行った」と報道された。
もはや、アフガンでロケを行う体力など、病態の欣ニ監督には残っていない筈であり、ほぼ後付のラストである。だが、深作欣ニ氏は、七原が死ぬラストに難色を示していたとされている。もし、このラストが欣ニ監督の実現不可能な願望だったとしたら、やはり映画の出来は知れていた。
殆どコスプレのような衣装はどうにかなっただろうが、何故にアフガンを絡めるのだろう?
ただ、映画として致命的にリアリティーに欠け、感動的で美しい(イケメン)な死を盛り込んだような、息子の映画にはなっていない筈だ。
大きな破綻こそあれど、映画としてはリアリティーを保ちつつ、深作式バイオレンスにより蹂躙される登場人物、感動的というよりは無情な死の連続、前作同様に残酷映画の傑作となっていた余地はある。
4.異説として。
元々、クエンティン・タランティーノ監督が米国大統領役で出演する予定であった。
氏は、筋金入りのオタクであり深作欣ニの狂妄的信者であり、生粋のアメリカ人である。
この点から、BRⅡはアメリカ人など受け入れずに反米的内容を行う事はしようとしていなかったようとも考えられる。
私怨を含めて、冒頭のホームルームのような米国に向けて風刺を行おうと思ったのではいか?反米と風刺ならば、その意味合いは異なる。前者はインテリの世界だが、後者はデザインだ。
故にむしろ、観客の内半分を怒らせる不謹慎な映画を作る事が目的だったと言っても過言では無い。
前記の通り、残されたスタッフは、無き深作欣ニの遺志を汲んでアフガンロケを行ったのか、それとも脚本を書き直して行ったのか。
しかし、タランティーノによる米国大統領の実現は見送った。
何故だ?
「スケジュールが合わない」というのが通説だが、劇中の描写から察するに、米大統領はカメオ出演程度だったはずでは?
ここでも、脚本の改変があったのだろうか?
もし、タランティーノが大統領で「これから貴様等はなんの手助けも受けず、ただひたすら、死ぬだけだ。どこまで もがき苦しむか見せてもらおう。死ぬがよい。」とか言ってたらギャグにしかならないだろうが、映画の異常さは際立った事だろう。 前作でもなんとか・アスカ・ラングレーの中の人が作品の異常さを盛り上げていた。
だが、もし、残されたスタッフが本作をギャグ扱いされる事を忌々しいと思っていたら・・・
深作欣ニの遺作を撮ることに酔っていたら・・・
感動的(笑)でリアル(どこが?)な反米映画、つまらない訳である。
@息子が撮った方の映画は駄作ですらなく糞
世界の深作欣ニの遺作として認知されてしまってるが、実際に深作欣ニ御大が生前直接監督として関わってるとされる場面は竹内力による“ホームルーム”シーンのみとされ、大概の馬脚を晒しているのはオタクな息子の方である。
正直、竹内力の件は物凄い。何度見ても面白いのである。ギャグなのかシリアスなのかその境界が早速曖昧にされる。『野望の王国』の柿崎の活躍を見てるときと同じような感覚に侵される。
ここで、虎の意を借る事となるが世界の三池崇史も『極道戦国志=不動=』のDVD特典において同じ旨を述べている「竹内力が凄い(中略)下手すりゃ深作監督の最高傑作かもしれないよね」のような内容であった。
さて、こうなってくると、深作欣ニが完全な状態で完成させた『BRⅡ』どのような物になったのだろうか?ブルース・リーの『死亡遊戯』のように研究されるべき作品である。
一先ず、独自研究という形で私の見解を残しておく。
1.製作までの経緯~愛と幻想のファシズムと9.11~
まず、製作発表の前から深作欣ニ氏の容態は悪化している。次で最後であると本人は早い段階から悟っていた。そこであの大問題作『愛と幻想のファシズム』の実写化を決意していたとされる。
結局最後まで拘ったバイオレンス映画の集大成とすべく、この題材を選んだのだ。
トウジに藤原竜也を起用という噂もあり、草案が纏まりかけていた折、9.11テロ事件が発生した煽りを受けて「テロリストを主人公とした作品は不謹慎である。」として企画が倒れたとされている。
それを知った時、小生はハァ?としか思えなかった、当の深作欣ニ監督はハァ?では済まなかっただろうが。
何が故に他所の国のドンパチで、こちとらの映画作るを止め無ければならないのか?
もし、これが……イスラム圏で起こったテロだったとしたら、ここまでの配慮を行う必要は無かったはずだ。
米国が傷を受けた事が大事件なのである。
『BRⅡ』にいわゆる反米色が強まったのは一本の映画を潰された監督の私怨なのかもしれない。
同時に、彼は折れなかった、より明確にテロリスト側(嫌味とばかりに米国のステレオタイプ)を描いた作品を世に送り出す事を決心する。『BRⅡ』の冒頭で「“スベテのオトナ”に宣戦布告する。」と嘯く七原は、深作欣ニの本音だったと思われる。(死後、脚本の改変が無ければ)
ここで、すべての“スベテのオトナ”とは七原からすれば、BR法のような理不尽を行う人々であり、深作欣ニにとっては商売の邪魔を行う米追従型社会という体制なのであろう。
なお、映画の出来がお粗末な故に、このセリフ「安っぽい反体制」として片付けられている。
深作監督の名誉の為に言っておく、七原は前作『バトル・ロワイアル』(『BR』)で生き地獄を味わった生き残りであり、彼が日本に対して反体制などと嘲笑される事を行うには十分すぎる動機があるのでは無いかと。物語としては全く問題ないし「お前も大人じゃねーか」ではただの揚げ足取りであり、見苦しい。
ただ、本作の七原がイスラムのテロリストかぶれなのは問題であった。それは後述する。
2.幼稚な反米なのか反米だから幼稚なのか?(少なくとも息子の映画は幼稚)
まず、竹内力が米国に攻撃された国を読み上げるシーンを分析しようと思う。既に笑える光景だが、どうにもコレが遺憾というか癪に障る人が多いようで、Wikipediaにも
>>深作のイデオロギーが加わりアメリカに爆撃を受けた22カ国(日本、中国、北朝鮮、グアテマラなど)の名称を上げるなど反米主義的な要素もあった。
と、本作の欠点として記述されている。
反米主義だから糞なのか?
反米主義の内容が安っぽい反体制だからだめなのか?
このシーンには続きがあり「人の命は平等なんかじゃありません!」そして「人間は、勝ち組と負け組に分かれます。貴方は勝ち組ですか?負け組ですか?」というセリフがある。
そもそも、22カ国中、もっとも多くの人命を奪われたのは日本である。
その日本人が拗ねたように「人の命は平等なんかじゃありません!」とのたまい、あたかも自身が勝ち組のように、「勝ち組と負け組に分かれます。」と堂々と発言。
それを竹内力がハイテンションかつ流暢かつ若干のオーバーアクションで熱弁する。
ハッキリいっておく、風刺としては100満点である。
だが、この後の息子の撮ったほうのがショーモなさ過ぎる。
「あの国を怒らせちゃいかん!」とかもうねぇ・・・
3.キタノシオリは何者なのか?
ベターだが、「テロの犠牲者として七原を許せない人物」に尽きる。
しかし劇中で喚きまわって「やっぱゆるします、だって主人公だもん☆」と、“観客を泣かせる感動的な現象(笑)”として流される。
ただし、息子が撮ったBR2は敵までもが「俺にだって女房子供がいるお!」と説明的に感動的(笑)で死ぬため(意味不明)、本件に限った事ではない。
前作では、死に際にはドラマを交えつつもリアルに抑えており、辞世の弁は殆どがモノローグとなっている。
欣ニ監督が存命ならばこの演出は生かされ、もう少し、殺伐とした心情が垣間見えたろうに。
また、キタノは七原が最初に殺した“オトナ”である。
もう少し因縁めいたものを盛り込む余地は腐るほどあった。
4.では、名作だったか?
答えはNO。
本作の問題点は、現実のテロリストと作中のワイルドセブンの整合性の悪さである。
そもそも七原が罰したい敵は、BR法が運用されながら知らんプリを決め込んでいる偽善者“オトナ”のはずだ。
だから、プロローグで都庁を爆破・粉砕・虐殺した。
(ここは、特撮シーンなのでほぼ、欣ニ氏の要望どおりと思われる。ホームルームと同様、シリアスとしてもギャグとしても、ものすごい)
間接的に米国が関わっている描写があるが、むしろソレが混迷をよんでおり、グダグダになっていく。
やはり、七原はそれらとは異なった反体制としての、反逆者としてのテロリストである必要があるのだが、劇中で明確に紛争地帯の武装勢力に影響を受けたとされている。
アルカイダなどのテロ組織も実態を探れば米国とは別の体制であり、無力な人々を殺戮する事を武勇と称えているヤクザどもである。
おそらく、監督存命でもこの点が改善されていたとは思えない。
そもそも、前作『BR』も正直、名作とは言いがたい。
メインキャストがどう見ても中学生には見えないのに、原作どおり中学生のままだし、 だれが生き残るのか丸解りだ。
だが、国産残酷映画の傑作である。
最近の監督は低予算を言い訳に、チープな残酷描写で笑いを撮る映画ばっかだ。(しかも既在の映像を真似てパロディーと言い訳する体たらく)
低予算しか与えられない身の程を知れよと、全力投球しろよと。
『BR』は爺さんがそれなりの予算を与えられながらも、残虐過激な映画を大真面目に撮ったのだぞと。
また、ある朝のニュースで、「撮影末期になって突然、アフガンでのロケを行った」と報道された。
もはや、アフガンでロケを行う体力など、病態の欣ニ監督には残っていない筈であり、ほぼ後付のラストである。だが、深作欣ニ氏は、七原が死ぬラストに難色を示していたとされている。もし、このラストが欣ニ監督の実現不可能な願望だったとしたら、やはり映画の出来は知れていた。
殆どコスプレのような衣装はどうにかなっただろうが、何故にアフガンを絡めるのだろう?
ただ、映画として致命的にリアリティーに欠け、感動的で美しい(イケメン)な死を盛り込んだような、息子の映画にはなっていない筈だ。
大きな破綻こそあれど、映画としてはリアリティーを保ちつつ、深作式バイオレンスにより蹂躙される登場人物、感動的というよりは無情な死の連続、前作同様に残酷映画の傑作となっていた余地はある。
4.異説として。
元々、クエンティン・タランティーノ監督が米国大統領役で出演する予定であった。
氏は、筋金入りのオタクであり深作欣ニの狂妄的信者であり、生粋のアメリカ人である。
この点から、BRⅡはアメリカ人など受け入れずに反米的内容を行う事はしようとしていなかったようとも考えられる。
私怨を含めて、冒頭のホームルームのような米国に向けて風刺を行おうと思ったのではいか?反米と風刺ならば、その意味合いは異なる。前者はインテリの世界だが、後者はデザインだ。
故にむしろ、観客の内半分を怒らせる不謹慎な映画を作る事が目的だったと言っても過言では無い。
前記の通り、残されたスタッフは、無き深作欣ニの遺志を汲んでアフガンロケを行ったのか、それとも脚本を書き直して行ったのか。
しかし、タランティーノによる米国大統領の実現は見送った。
何故だ?
「スケジュールが合わない」というのが通説だが、劇中の描写から察するに、米大統領はカメオ出演程度だったはずでは?
ここでも、脚本の改変があったのだろうか?
もし、タランティーノが大統領で「これから貴様等はなんの手助けも受けず、ただひたすら、死ぬだけだ。どこまで もがき苦しむか見せてもらおう。死ぬがよい。」とか言ってたらギャグにしかならないだろうが、映画の異常さは際立った事だろう。 前作でもなんとか・アスカ・ラングレーの中の人が作品の異常さを盛り上げていた。
だが、もし、残されたスタッフが本作をギャグ扱いされる事を忌々しいと思っていたら・・・
深作欣ニの遺作を撮ることに酔っていたら・・・
感動的(笑)でリアル(どこが?)な反米映画、つまらない訳である。
2009年7月19日日曜日
悪党図鑑「角町」

登場作品「いつかギラギラする日」
知力・・・・・・3(機転・2 計画・1)「文字通り馬鹿」
学力・・・・・・2(文系・1 理系・1)「ジャクスンジョーカーのメンバーより(失礼)馬鹿なのは明らか」
技能・・・・・・5(アナログ・4 デジタル・1)「車の運転は上手かった」
武力・・・・・・8(武器・5 格闘・3)「関西から出張ってきた殺し屋より強いことは明白」
生命力・・・・・4(肉体・2 精神・2)「運が良かった点が多く、特別強靭な描写なし。」
政治力・・・・・2(指導・1 交渉・1)「マイ如き手玉に取れないのは論外。(馬鹿だからむしろマイがリードそてて正解)そもそも情緒面に難あり。」
権力・・・・・・0(地位・0 影響力・0)「文字通りのロック的」
性質・・・・・・8(勇敢・5 冷酷・3)
カリスマ・・・・4(美貌・4 オーラ・0)
ポリシー・・・・10(信念・5 野望・5)「ロックしろよ!ロック!」
運・・・・・・・・・9(チャンス・5 ピンチ・4)
総合能力値55(C)
DQN。この言葉ほどアニオタ(アニメしか見ないオタク)の愚劣さを示す言葉は無い。
角町、こいつはどうしようもない馬鹿で、ごく潰しで、not「けいおん!」(2009年のアニメ)な廃退音楽信者(ロックジャンキー)。
しかし、この男を知るものは誰しも、同情と賞賛の念を禁じ得ないのである。
スカーフェイスのトニー・モンタナよりもしょぼい、否、素朴な目標であるライブハウスの建設。
彼はそれに全力を賭した。借金も背負った。強盗もした。最終的にヤクザと警察、北海道中を敵に回した。
彼の女は、別に誰でも良い寂しいだけのアバズレ(ビッチ)、そんなのにも情を移してしまうが彼女も死なせてしまう。
しかし、最終的に彼を葬ったのは、国家権力でも、一人じゃ何もできないヤクザ者でもなく、
強盗に全てを賭す初老間近のギャングだった。そして、そいつは角町にとって初めて、同じ馬鹿な、そして馬鹿な大人だった。
現代の不良になれない少年たちよ、「ロックしろよ!ロック!」
2009年5月27日水曜日
片腕マシンガール
@不合格
B級映画鑑賞とは、ノーマルな映画ファンたちが掃いて捨てる低予算作品たちを、いかに楽しむか、いかに馬鹿にするか、いかに褒めるのか?という侘び寂びの世界なのだが、本作は上映そうそう「血が出たら笑ってください」等、スプラッタ映画の楽しみ型を指南する形にした結果、その楽しみ型を限定した作品となってしまっている。
残虐描写が予定調和なのもマイナスだ、予想外の奇天烈なゴアシーンは殆どはなくどこかで観たことがあるものばかりだ、
主人公の腕が天婦羅にされるシーンだが、 もう何回も観たよ。『女虐』しかり『DEAD OR ALIVE 犯罪者』しかり、一番最初にギャグでやったのは『悪魔の毒々モンスター』だった筈。(ちなみに、いずれも『霊幻道士3』のキョンシー姿揚げを凌ぐ破壊力は持ち合わせていない。)
が、悪くない点もある、深夜全力疾走で主人公が叫ぶ「私は復讐を果たすまで鬼畜であり続ける!」と漫☆画太郎を地で行く狂った描写や、死体の前の穴を犯すか後ろの穴を犯すかで相槌をうつヤクザの子分など。
強いて言えば、ちゃんと馬鹿映画として作るのではなくあえてシリアスに作っていればこういったシーンも引き立ったのである。
全篇血みどろでデタラメな和製『悪魔の毒々モンスター』的な一本。
それなりに面白いのだが、物足りない。
この手の映画で最大の褒め言葉は「監督はヤクでもキメてたのか?」とか「乞食の飼い犬が脚本書いたのか?」「女優はプロデューサーとファックでもしてたのか?」等など、普通は悪口にしかならない異常な発言であり、早速名言が登場するのだが、残念ながら「どこのボンボンが撮ったんだ?」って疑問符が沸く程度である。
B級映画鑑賞とは、ノーマルな映画ファンたちが掃いて捨てる低予算作品たちを、いかに楽しむか、いかに馬鹿にするか、いかに褒めるのか?という侘び寂びの世界なのだが、本作は上映そうそう「血が出たら笑ってください」等、スプラッタ映画の楽しみ型を指南する形にした結果、その楽しみ型を限定した作品となってしまっている。
残虐描写が予定調和なのもマイナスだ、予想外の奇天烈なゴアシーンは殆どはなくどこかで観たことがあるものばかりだ、
主人公の腕が天婦羅にされるシーンだが、 もう何回も観たよ。『女虐』しかり『DEAD OR ALIVE 犯罪者』しかり、一番最初にギャグでやったのは『悪魔の毒々モンスター』だった筈。(ちなみに、いずれも『霊幻道士3』のキョンシー姿揚げを凌ぐ破壊力は持ち合わせていない。)
が、悪くない点もある、深夜全力疾走で主人公が叫ぶ「私は復讐を果たすまで鬼畜であり続ける!」と漫☆画太郎を地で行く狂った描写や、死体の前の穴を犯すか後ろの穴を犯すかで相槌をうつヤクザの子分など。
強いて言えば、ちゃんと馬鹿映画として作るのではなくあえてシリアスに作っていればこういったシーンも引き立ったのである。
2009年5月18日月曜日
アドレナリン
@COOL!!
ジェイソン・ステイサム演じる殺し屋が毒を盛られた!
解毒剤を入手するまでの間、アドレナリンによって毒の進行が抑えれられるという毒物の特性を利用し、上映時間90分弱、延々とクレイジー&バイオレンスなアドレナリン大放出行為を繰り広げながら、敵のギャングを血祭りに上げていく。
気取った芸術家気取りで、クールを寒いと書いた様なくっだらねぇ映像加工が蔓延するデジタル時代において、ついに出ました決定版!
GOOGLEアースに、注射器のメモリ、不統一なテロップ。
全部、単純明快で、下品さチープさ全開。
だからこそCOOL!ステイサム出演のイカレタ低俗映画にゃ最高のスパイスなのさ。
ストリートギャングに喧嘩を売る。
ショッピングモールで暴走車両。
病院襲撃。
ワッフルメイカーによる自傷行為。
公開SEX。
大ステイサム空中決戦。
等などなど・・・全編ダレ場無しの本番勝負。必見!
ジェイソン・ステイサム演じる殺し屋が毒を盛られた!
解毒剤を入手するまでの間、アドレナリンによって毒の進行が抑えれられるという毒物の特性を利用し、上映時間90分弱、延々とクレイジー&バイオレンスなアドレナリン大放出行為を繰り広げながら、敵のギャングを血祭りに上げていく。
気取った芸術家気取りで、クールを寒いと書いた様なくっだらねぇ映像加工が蔓延するデジタル時代において、ついに出ました決定版!
GOOGLEアースに、注射器のメモリ、不統一なテロップ。
全部、単純明快で、下品さチープさ全開。
だからこそCOOL!ステイサム出演のイカレタ低俗映画にゃ最高のスパイスなのさ。
ストリートギャングに喧嘩を売る。
ショッピングモールで暴走車両。
病院襲撃。
ワッフルメイカーによる自傷行為。
公開SEX。
大ステイサム空中決戦。
等などなど・・・全編ダレ場無しの本番勝負。必見!
2009年5月9日土曜日
ハロウィン(ロブ・ゾンビ版)
@面白いのだが、不満の残るリメイク
ノスタルジーな原作と異なり、家庭内暴力や少年犯罪といった現代でクローズアップされる現象を題材として取り入れている。
しかし、ホラー映画然としていた原作の空気をまったく無視している。
ともならば、ストーリーも大幅に異なる物か?いや、オリジナルと殆どそのまんま進行する。
本作の殺人鬼マイケルのキャラクターは原作を知る者の期待を存分に裏切っている。
マイケル・マイヤーズの格好をした別人でとなっているのだ。
原作レイプがリメイクの醍醐味と言える、たしかに見応えはあるのだよ、でもそれはマイケルを踏襲する意味のリメイクではなく、よく出来たまがい物に関心する程度のものである。
しかし作風自体は、ハロウィンを踏襲しつつ、ロブの品性下劣な感性をぶちまけておりこれも見応えがある。
まさに古典的だったオリジナルの恐怖演出をすべて、スプラッター&バイオレンスで彩って正しい原作レイプをやってくれた。でも、素直にシリーズ最新作として作った方が3倍は面白かったと思う。
ノスタルジーな原作と異なり、家庭内暴力や少年犯罪といった現代でクローズアップされる現象を題材として取り入れている。
しかし、ホラー映画然としていた原作の空気をまったく無視している。
ともならば、ストーリーも大幅に異なる物か?いや、オリジナルと殆どそのまんま進行する。
本作の殺人鬼マイケルのキャラクターは原作を知る者の期待を存分に裏切っている。
マイケル・マイヤーズの格好をした別人でとなっているのだ。
原作レイプがリメイクの醍醐味と言える、たしかに見応えはあるのだよ、でもそれはマイケルを踏襲する意味のリメイクではなく、よく出来たまがい物に関心する程度のものである。
しかし作風自体は、ハロウィンを踏襲しつつ、ロブの品性下劣な感性をぶちまけておりこれも見応えがある。
まさに古典的だったオリジナルの恐怖演出をすべて、スプラッター&バイオレンスで彩って正しい原作レイプをやってくれた。でも、素直にシリーズ最新作として作った方が3倍は面白かったと思う。
2008年11月12日水曜日
「いつかギラギラする日」
いやー本当に面白い。作品全体が見せ場と言わんばかりのテンポのよさと暴れぶり。深作欣二監督によるバイオレンス映画の傑作だが、過小評価されぎみ。たぶん世代の違いだろう、ゲーム「GTA(グランドセフトオート」で発生するようなドライで荒々しいカーアクションと銃撃戦は今の世代向けといえる。
仲間を罠に嵌められた凶悪強盗犯、神崎(萩原健一)と、強盗ネタを持ち込むロック狂の不良、角町(木村一八)・裏切り者の麻衣(荻野目慶子)との間ですさまじい現金争奪戦が展開される。
要するに旧態然とした「ギャング同士の金の取り合い」なのであるが、ハリウッドの最低映画ような見せ場だけにこだわらず、アジトや武器商店のディティールの細かさ、度を過ぎないがアイデアに富んでいて荒々しいアクションが、旧新ギャング同士の金の奪い合いというストーリーに渋くマッチ。邦画はもっとこういう映画を撮るべきである。ハリウッドの猿真似では最低映画しかできないよ。
ただ、本作深作作品にしては珍しく音楽がOPの最初のほう以外まるで出来が悪い。
「ロックしろよ!ロック!」名言と共に再評価されるべき傑作である。
仲間を罠に嵌められた凶悪強盗犯、神崎(萩原健一)と、強盗ネタを持ち込むロック狂の不良、角町(木村一八)・裏切り者の麻衣(荻野目慶子)との間ですさまじい現金争奪戦が展開される。
要するに旧態然とした「ギャング同士の金の取り合い」なのであるが、ハリウッドの最低映画ような見せ場だけにこだわらず、アジトや武器商店のディティールの細かさ、度を過ぎないがアイデアに富んでいて荒々しいアクションが、旧新ギャング同士の金の奪い合いというストーリーに渋くマッチ。邦画はもっとこういう映画を撮るべきである。ハリウッドの猿真似では最低映画しかできないよ。
ただ、本作深作作品にしては珍しく音楽がOPの最初のほう以外まるで出来が悪い。
「ロックしろよ!ロック!」名言と共に再評価されるべき傑作である。
登録:
投稿 (Atom)