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2011年4月9日土曜日

人肉ラーメン

@名作


『八仙飯店之人肉饅頭』以降、カニバルホラーというジャンルは露骨なグロ描写とホラーというよりはバイオレンス映画のような破壊衝動が画面を覆う傾向となっていた。

(単純に香港映画がホラーを苦手としている可能性もあるが・・・)

本作はその点、ホラー映画としてのおどろおどろしさに回帰している。もはやバイオレンスに逃げた人肉饅頭を叱咤するかのように乾いた暴力を排している。

オープニングで、人間がラーメンのスープに浸されるが、この段階ではさりとて凶悪なグロ・ゴア描写は無いのだがしかし、ただただ食材と扱われる成人男性の遺体は強烈なおぞましさだ。

かつ、本編冒頭から人のモツが入ったラーメンや吐き気を催す激痛の描写は筆者が長らく見てきたスプラッター描写の中でも上位に食い込む。

凶行に走るのがパッと見でギリギリ美人の分類な太めの中年のオバサンなのだが、虐待の過去や夫の家庭内暴力、そして人肉ラーメンを作り続けてきた異常者である姑の母権等に精神を病んでいる。本作ではその悲惨な生い立ちがコレでもかと時系列バラバラにモノローグ的に挿入される。
映画はこの凶悪な殺人鬼の悲しみを軸に展開されていく事となり、彼女は悲しみを深める度々に人肉を詰んだラーメンの屋台を引っ張ってあくせくと働く。

太めの中年女性を主人公に据えたこのアプローチは『死霊の罠2―ヒデキ―』を彷彿とさせているが、シュールの領域に突入してしまった『死霊~』よりも飽くまで現実感を優先した本作に軍配が上がる。

残念ながら主人公以外のキャラクターがとても薄い事と、凶行が露呈する場面においてそれまでの凶行は観客が把握し尽くしていた為にあまり恐怖心を煽らなかったり、終盤で主人公の狂乱する場面もフィルム効果を使い過ぎていてブツ切りの印象になったりといった欠点も抱えているが、久しぶりに上質のスプラッターホラーが、タイという映画産業としての注目度が高まりつつある機運の時に発表されたことを私は素晴らしいことだと思っている。

最後の最後で鬼畜の親玉である姑の家に逃げこみ、何故か少女の頃の姿で微笑み返すロジックにまみれたラストも好印象であった。

2011年4月2日土曜日

レイダース 失われたゾンビ

@伝説の最低映画
@酷すぎて暴動が起こった(実話)

映画の内容云々以前にそのつまらなさに会場の客が続々と怒り初め。最終的には暴動に発展したという逸話があまりにも有名な作品。
(政治・宗教・人種等の問題を除いて純粋な糞さで暴動を引き起こした作品はおそらくこれだけだろう。)

しかもその会場というのがファンタスティック映画祭。要するに変な映画を寄せ集め褒め称えるオタクの会合という地雷原で暴動が発生した。この点も特筆すべきである。

虚無の『死霊の盆踊り』、ストレスの『失われたゾンビ』と語られており、『死霊の盆踊り』が引き合いにされている映画であると考えていただければ分かりやすいか。
ストレスを与える映画といえば『ネオンマニアックス』も相当なものだが、本作の観客への攻撃は一つ頭飛び抜けて凄まじいものである。

『死霊の盆踊り』すらエド・ウッドの脚本、クリズウェルのカンペ読みというマイナスのカリスマ劇が観客の前で繰り広げられる。これは快楽指数の高い瞬間だろう。

しかし本作は

冗長極まるシーンを
冗長極まる1カットで
ストーリーラインすらまともに存在していない中に
手抜きな上に下手くそな演出・編集で

フィルムに放りこまれている。ほとんど登場しない上にしないほうがマシなメイクのゾンビをトッピングして---

ストーリーラインに至っては「一貫性が無い」という表現すら不相応なレベルであり、評価のしようがない虚空の領域。
この虚無の中に潜む全てが観客にストレスを与えてくる。これはもはや精神汚染である。

頑張ったけど抜きどころのないポルノの虚無感とは異なったストレス(精神汚染)を観客に容赦なく浴びせ続けるのだ。

徹頭徹尾駄作のあまり約3分に及ぶフルコーラスの手抜きOPが本編と野次られる点は、正に最低映画界の『デスクリムゾン』と形容するに容易い。
否、デスクリムゾンこそがゲーム界に転生した『失われたゾンビ』といえよう。変な銃が活躍するなど、もはやコレは呪いである。

実際、筆者ですら学園黙示録が日本で放映されるまで本作に匹敵するストレス指数の高い駄作を見たことがない。

しかも学園黙示録ですら、

・面白そうな一話
・ただ小奇麗なだけの安定した作画
・頭の悪いキャラクターのお色気
・某漫画家平野耕太とは認めないが名貸

等、客寄せになるポイントは持っているが残念ながら本作はそれすら持ち合わせていない。

最大の謎は本作がなぜお蔵入りにならなかったのかという一点である。
なにかの間違いで本作をビデオ配給したTCC(徳間コミュニケーション)曰く

「興奮のあまり観客がスクリーンのゾンビと戦い始めた!」らしい。

なお、原題は『RAIDERS OF THE LIVING DEAD』であり邦題に関してはTCCに罪は無い。

*今回のレビュー、まったくやる気がない。というか学園黙示録の補足の為の記事である。個人的なストレス指数では本作を上回っている。
*ストーリーは他所を回ってくれ。死ぬほど疲れているんだ。

2011年1月1日土曜日

GOEMON

@忍者アクションとしては次第点
 @脚本は最低


キャシャーンから見えにくかったアクションシーンは大進歩した。しかしCGが進歩していないコレが『無双シリーズ』よりも前なら評価もかわったが、シンメトリー構図の多さは引き出しの少なさを露呈してしまった感は否めない。
五右衛門の泥棒としての活躍は序盤にとどまっており(しかもそれが『カリオストロの城』にオマージュで終わっている)
基本、それなりの映画なのだが、アラが尖っている。面白さに尖った点はない。
私的に本作の失敗は終盤で登場人物全員がアホになってまう点が大きい。
・才蔵の家族が襲撃させると何故か予測していない五右衛門(石田三成が序盤で耳に入ってる。)
・立身出世が目的でいたにも関わらず死ぬ間際に世界平和を唱える才蔵。




他にも色々とあるが、 最終決戦手前の盛り上がりとも言うべき場所でのこの失敗は本作の評価を大幅に下げざるを得ない。というか、才蔵の演説よりも、その後に赤子を釜に放り投げる秀吉の方が圧倒的にインパクトがあった。演説の内容なぞみんな忘れる。
紀里谷和明監督は、素直に高いポテンシャルを持ってる“天才”に部類する監督だと思う。しかし登場人物が唱う世界平和だが、登場人物たちが戦う戦場ではどんな派手な戦闘シーン・流血シーンにも暴力的感情が込められていない。主人公が常に反体制側であるにも関わらず反体制を貫く“野蛮”なエネルギーに欠けている。

これらは彼の坊ちゃん気質に起因するものであると断言する。温室育ちで、映画撮らなくても食っていける。(彼の出身を鏡見れば革命家にでも成れば良かったのに)

本作でお尋ね者のアナーキストの筈の五右衛門が鳥の肉を食うシーンで、鳥の骨までしゃぶる事は無く、柔らかくて美味しそうな部分だけ食べて「ごちそうさん」という。
坊ちゃん監督の性格的な甘さがよく出ていたシーンだと私は断言する。

私が前期の作品の平和論が頭が悪いと評したのはそういう事ではない
。徳川家康に天下の太平を約束させた五右衛門などは、キャシャーンの無意味かつ意味不明なバッドエンドからは随分飛躍できたと思う。しかし、途中から付いてきた子役は完全に蛇足な上に、支離滅裂な五右衛門の説教でその必要性は皆無だったりと、性善説を描こうとした結果登場人物が白痴化するという前例多々ある最低要素の一本。『モスラ3』の白亜紀編と同じでやらないほうが出来がよいのだ。


というか、本作の一番の見所はCGも何も使っていない、 平 幹二朗が人肉料理にされるシーンである。このシーンだけで「この映画見てよかった。」と思わせてくれるのだから紀里谷さんはもっと野蛮になるべき。

2010年10月20日水曜日

エクスペンダブルズ

@超快作

『ランボー/最後の戦場』を彷彿とさせる血飛沫が多数見受けられるが想像以上に牧歌的というか旧態然なアクション映画に仕上がっている。否、堅実というべきか。ともあれ圧倒的な豪華キャストを惜しみなく、ふんだんに映画に参加させている。80年代~90年代を代表するアクションスター揃い踏みのメモリアル作品にして出来過ぎと評すべきだろう。いや、むしろそのコンセプトとしては80年代のアクション映画のスタイルに忠実である事がミソなのだ。

豪華キャストといえど、メインを絞ればスタローン、ジェット・リー、ジェイソン・ステイサムの3人となる。しかし脇を固めるキャストも彼らも志は同じにみえた、これまでどおり全力で役に望んでいる。それも変に意気込んだ演技力などではなく彼らが個々に持っている俳優力をもってしてだ。どんな役をやろうとスタローンはスタローンであり、ジェット・リーはジェット・リーなのだそれが観客の見たい全てなのだからだ。

脚本やら詩的な演出は端から期待していないし概ね凡庸だった(不覚にもスライとミッキー・ロークの語らいにはジ~ンと来たが)が、そこもこの映画のミソだ。随所に挿入されるアクションシーンに趣を置いて映画の尺は90分を保っている。王道の90分を貫いているのだ。 これはむしろ評価すべきである。

この映画の唯一の問題は、シルベスタ・スタローン以下、どいつもこいつも滅茶苦茶強そうにも関わらず、敵勢力があまりにも力不足であるといわざるを得ない。『コマンドー』におけるベネットに相当する身体的な攻撃力の差を覆すような敵が明らかに必要だった。
黒幕と言えば、『ダークナイト』でトゥーフェイスにあっさり殺されたエリック・ロバーツ。 
弱い。 
終盤では『タイムクライシス』のワイルド・ドッグを彷彿とさせる、計画破綻→ヒロイン連れて高飛びという負けフラグ全開でエクスペンダブルズに挑むが、自爆する事もなく死ぬ。弱い。


離叛したドルフ・ラングレンがエリック派に着いている時点ではいよいよ厄介な相手に思えるのだが、ドルフとジェット・リーの夢の対決(少なくともドルフのファンにとっては)が実現した後、退場してしまう(どっちが勝ったのかは映画を見てね。)

そういう意味では私的にはドルフ・ラングレンが一番、役得だったようにも思える。ジョークが通じるいつも(B級アクション映画)のドルフも、クレイジーで野蛮な悪党ドルフにも見せ場があったし、この映画に強敵を求めていた観客は誰も彼の退場を惜しんでいたに違いない。

2010年9月12日日曜日

モスラ3 キングギドラ来襲

@駄作
@っていうか、なぜこれを興行しようと思えた?

現在に至って平成『モスラ』シリーズは特撮ファンから無視されている。原因はその特殊効果の酷さにある。

『ゴジラVSデストロイア』でゴジラを休業させた東宝だったが、来年の正月に何を興行するのかと思いきや節操無く『モスラ』を発表。だれもが1961の大作『モスラ』のリメイクかその続編を想起させる予告編だったが、翌年、劇場に足を運べば、これがテッケレツのパァ(最低映画館風に)

おそらく平成ゴジラシリーズの半分かそれ以下の予算で制作されており、内容は子供向けにシフトチェンジ。
この「子供向け」というのが、昭和ゴジラの低迷の反省を全く活かしておらず、ただただ押し付けがましい教訓話を強引に引き合いにしながら続く、ショーモないホームドラマと、敵かモスラのいずれかが有利で面白みの無い戦いが続く。
「世代交代を明確に示す新・モスラ誕生」という本作の見せどころ流れに到るまでの全てが酷過ぎる。

翌年には、『モスラ2』を発表、大怪獣ガルーダよりも硫酸で漁師を焼き殺すヒトデの方がよっぽど怖いという本末転倒。

二作が子供に訴える「環境問題」については、子供に教えるというよりは、問題の解決を子供の将来に押し付けているようにさえ思える。

そしてトチ狂った東宝が最後に仕掛けたのがこの『モスラ3』である。
もはや内容はモスラでも子供向けでもない、『ゴッドマン』に近い。

3人の小美人の属性が『ゼルダの伝説』のトライフォースを盗用するに始まる。しかも本編に一切絡まない不要な設定。(当方の駄作評にて定着してきたが、糞映画の第一条件なんです。無意味な設定は)

続けて「嫌いな物を食べるのは自分に嘘を付いたことになる!」という小役の訴え。
しかもコレを黙々と聞き入れる父親が大仁田厚。とりあえずそんなガキ殴っとけよ!

で、我らがキングギドラ尊が上空を飛んで市街地をモリモリ破壊。ここはまあ面白い(約3分ちょっとカップラーメン作るときもこれで退屈しないね!)

しかし、キングギドラ尊の目的がセコ過ぎる。幼児誘拐だもん。
『学校の怪談』シリーズの妖怪と同じノリ。っていうかアレよりも特殊効果が酷い。子供がペラペラの紙みたいになってノイズが走って、ギドラ尊の富士樹海基地にワープする。あまりにも安っぽいぞこの特殊効果。小美人の一人がこの模様を「二億年も生きていたらこんな能力が身につくのか!」の一言で説明してしまうが全然意味がわからない。

小美人の珍プレーは他にもある、主人公に対面して、

小美人「お名前は」
「園田」
小美人「園田なにさん?」
「園田翔太」

迷子センターかよ!

この後も、子供たちを探して洞窟でさ迷う大仁田(以後、劇中で一切活躍はない)や、第一ラウンドでキングギドラに圧倒されたモスラに、園田翔太君が「がんばれ!」と声を賭けられると「キューン!キュワーン!」と相槌をを打つ律儀なモスラなど、ツッコミには事欠かない。

まあ、この辺はむしろ笑えるので許すが、本作は前記の通り特撮効果の酷さ故に、特撮ファンから無視されている。

その真骨頂たるが、タイムスリップして若い頃のキングギドラを殺そうってパート。
 (『ゴジラVSキングギドラ』の頃に同じく、タイムパラドックスの考察は一切なされていない。キングギドラが恐竜を滅ぼしたという設定なのだが、キングギドラ倒したら恐竜が滅ばないので、未来が変わって人類栄へんやろが!)


ここ、恐竜も勿論出てきますが、新しい着ぐるみを作る予算なんざありません。挙句にCG技術を持っていないので、ミニチュアで再現しておるのですが、ほんと、油粘土かなんかで作られたとしか思えない悲惨な造詣(夏休みの工作みたいな)で、見ているこっちは発狂しそうになりました。恐竜も恐竜なら、セットもセットで、てんで駄目。トイレのタンクの上蛇口に石敷いてそこにひっつける椰子の木のオモチャみたいなのがアホみたいに植えられてる。

以上の やる気無い特撮を散々見せられた後に、キングギドラとモスラの第二ラウンドに突入すが、駆け引きや、怪獣プロレスの要素は一切なく、キングギドラにまったく見せ場の無いままに装甲化したモスラの圧勝で映画は終わる。

なお、本作のキングギドラとモスラの戦いは全て、富士の樹海で行われている。なにも破壊される対象もなく、盛り上がりのバトルは東宝特撮の醍醐味というものを一切体現できていない。

そんな平成モスラシリーズでも褒められる所はある、悪者の小美人ベルベラと、進化するモスラだ。前者は老け顔だが後年のゴスロリ萌を先駆けてるし、進化するモスラは紛いなりにも子供向けというコンセプトを生かした唯一の良設定だ(ポケモンのパクリでもな!)

しかし、ソレに付けても酷い。
本作を擁護する似非特撮ファン曰く、「低予算の割に頑張った」「子供向けのエンターテイメント」

だアホ。

低予算の割に頑張るって言うのは、愚にもつかないタイムスリップに恐竜の模型を映さないようにする為に、そこを省略できて初めて頑張ると言えるのだ。
そもそも平成ガメラシリーズの予算は5億円と、こちらも平成ゴジラシリーズの半分以下の予算なのだ。そいつと比べて本作はどうだ?お粗末すぎる。

彼らは云う、「平成ガメラは"子供向け"ではない。」と、私は当時、子供の時分に劇場で本作を見たはずだったのだが、100円でビデオ漁るまで本作の存在を忘れている。一方で平成ガメラ燦然と記憶の中に輝いている。故に本作は「子供向け」どころか「子供に忘れられる」映画になっている。面白くないからだ。

東宝が上記のような自称特ファンの支えがあると勘違いしてる以上。日本の特撮の未来はいくらガメラが頑張っても暗い。

2010年6月2日水曜日

ブラッディ・ウェンズデー

@隠れた良作

実話を元にしたTVMで、銃乱射事件犯人の、悪夢・幻覚・孤独・不安などの心の病んだありさまを描ききった問題作である。

明らかな低予算作品だが、廃墟となったホテルのロケーションや、男の身の回りで起こる事象と、幻覚が入りみだる構成は秀逸であり、終盤では見てるこっちもその判断が困難になるほどだ。
男と、彼を介する観客にとって、おぞましい迷宮に迷い込んだような多大な不安を催す。
映画の半分以上は病んだ男の住むホテルでの密室劇だが、その迷宮の中で、男の心に静かな狂気が徐々に、徐々にと蓄積されていく。

特に秀逸なのは、幻覚として現れるベルボーイの存在感だ。彼は、犯人の分身なのかそれとも・・・・・・それも解らないままに、男はいよいよ、破滅に向かって本格的に病んでいく。そのありさまは、あまりに憐れだ。

この度のDVD化に際し、発売元はラストの銃撃シーンをスプラッターものとして売りにしているが、心理ホラーの秀作として強く押したい。

2010年5月6日木曜日

凶気の桜

@普通

本作なかなかセンスの光ったバイオレンス映画の怪作だ。窪塚を「イケメン俳優」とよいしょして、ヤンキーの青春映画を期待していた世間一般の評判は散々なのも納得だ。レイプなどドギツイ犯罪描写が続く上に、その被害者が所謂ヤンキーども。不良映画なら主人公サイドの筈だがこのバイオレンス映画で描かれるのは零細新興右翼ネオトージョーの不良狩りと、ヤクザとか殺し屋とかそんなんだ。

PVの手法を作中にふんだんに取り入れており、洗練はされていながともかくその大胆さは評価するべきだろう。冒頭の東映マークには引き込まれるし、ネオトージョー一派の不良狩りと私生活も、なかなか野蛮が伝わってくる。
窪塚君も「なに考えてるか解らないアブナイヤツ」としては能面ぶりでも納得の配役だ。

しかし、問題なのはストーリーが旧体系のヤクザ映画に従順すぎた事と、ヤクザと交流を深める内に信頼関係を築いてしまい、心身共に傷ついてしまうという難しい役どころを、窪塚が全然できていないこと。前半こそヤバイヤツでキマっていたが、後半は完全に能面だ。もったいない。

あと、スタッフロール後のオチ捻くれすぎ。全くの蛇足であり、本編ラストの余韻を自らの手で潰してしまっている。

(右翼だか、在日だかの描写にテーマ性が生かされていないという評価があるがこういうのは無視する。これ、そんな映画じゃねぇから。)

2010年4月11日日曜日

第9地区

@名作

『食人族』は、名作であった。グロテスクな映像が多々あれど、文明人も蛮族と代わり無い残酷を欲する人間だと、たかが映画の分際で笑い飛ばした。今でも、『食人族』が低俗なグロ映画という票を数多く見受けるが、見当違いもはなはだしい。モンド映画でありながらモンド映画を否定し、モンド映画の全てが目指したリアリティーを完遂し、グロ映画を観に来た観客をも野蛮人と嘲笑してのけた史上最高のアングラ映画である。

本作はその『食人族』以来、量産された擬似ドキュメンタリーの手法を劇映画として見事に取り入れる事に成功している。冒頭で多用される擬似ドキュメントが後半には完全に劇映画の中に飲み込まれる事、そしてジャンルこそ、フィクションであることが大前提の宇宙SFものである事は『食人族』と全くの逆だが、観客を野蛮人と嘲笑してのけたのは、あの『食人族』以来の快挙である。

舞台をヨハネスブルグ。近年のネット上で無法地帯としてスポットを当たっているが、本作では少々異なった歴史を歩んでおり、宇宙浮浪者“エビ”たちの犯罪が加わる。

エビ達を取り巻く環境は過酷だ。差別と貧困にあえぎ、主な買い物先は、地球人の犯罪者。ヨハネスブルグの筋金入りの悪ばかりだ。エビたちもエビたちで団結して状況の打破などは行わず、バラバラのままダラダラと悪行に手を染めていく。

主人公の人間も人間で、宇宙人の卵を、潰して回る様は強烈な不快さだ。はっきりいって、差別主義者の典型で、口先では平等平和主義者でも、弱者に対して容赦が無い。というよりも興味が無いのだ。
「~だからどうしよう。~こうしよう。~明るい未来の為に。」本作はそんな事を言わない。
突きつけられるのは、ヨハネスブルの現状を面白半分に土人の作った犯罪都市とはやし立てる、人々の滑稽さだ。それは、かつてモンド映画の類で、土人の人食いを映画館で眺めていた人間たちと同じだろう。

少々捻くれた点にレビューを重視してしまったが、決して難しい映画じゃない。単純明快な残虐過激SFバイオレンスだ。主人公と宇宙人[クリストファー]は利害の一致だけで協力するが、戦いを通して、この異種にも心があると、お互いは悟るまでに成長する。
決してハッピーエンドとは言えないが、宇宙人[クリストファー]の逞しい人格の有様には、主人公のみならず、観客にも希望を見出せると思う。


4/23
ちょっと、このレビューひねくれすぎた。皮肉の利かせ方が『食人族』を彷彿とさせたの事実だが、実際は裏テーマであり、本質は宇宙人と地球人によるスラム街を舞台にしたバイオレンスアクション大作。終盤は30秒に一回ぐらいのペースでロボットによって人間がミンチになる。素敵。

2010年4月5日月曜日

サマーウォーズ

@凡作

*完全ネタバレ

細川守監督による『デジモンアドベンチャー・ぼくらのウォーゲーム』の実質的なセルフリメイク作品。
『デジモン』はインターネット内部(デジタルワールド)を舞台に、コンピューターウイルス(悪いデジモン)に主人公らがデジモンと共に立ち向かうという内容だが、アニメの後日談で、主人公たちはデジモンと別れ、デジモンワールドにはいない。
そこでパソコンを使って再びデジモンと戦う。
とにかくガキの時分に見ても、傑作と確信している。インターネットの描写は先駆的だったし、ネットの接続に四苦八苦する主人公たち、そしてスピーディーなバトルには大興奮だった。

で、今やインターネットは持ってて当たり前の時代。携帯電話が21世紀のスイスアーミーナイフ例えられる今ならリメイクのタイミングとしては完璧だった。

テーマは「団結」や「家族愛」といった所か?ネット社会でコミュニケーションの低下が叫ばれているが、ネット自体は肯定的に描いて、このテーマを維持した事は特筆に価する。解決法を現実で見つけすぎという、評価もあるが、大事件はネット内部で起こっている以上、ヒントを現実で得る事は問題は無い。

キャラクターは主人公が数学の天才である事以外少々、無難すぎるが、“普通の一家の家族愛”という事なのでこんなもんか。ただし、ヒロインが全くに印象に残らない。ラストでケモノのアバターで緋牡丹博徒をするが、その頃にはもうお前誰だっけ?状態。
まぁ、そりゃこんな喧しい一家ならインターネットあっても無くてもコミュニケーションの低下は起こらねぇよ!

しかし、大家族たちはかなりのエリートか名職人集団。不景気な時代を反映した普通の家族というよりは、完全に理想の大家族。普通じゃないよね。
おばあちゃんも、パソコンが解らんからアナログ方面で対抗するんだが、実はおばあちゃん、日本のフィクサーで、政界のお偉方に渇を入れる。

そんな影響力でネットとアナログを対比させるよりも、公務に携わる家族たちに応援するのでも十分だったと思うのだが・・・・・・
しかし、基本的には見ていて楽しい一家だ。愛に溢れている。


しかし、インターネット世界の設定は明らかに雑だった。
「OZ」という世界的な巨大なサイトを舞台としているが、その巨大さはもう普通にインターネット空間に置き換えても問題なかった。なぜなら、OZを運営してる会社などの描写は皆無であり、まるで不要な設定なのである。正味、冒頭の解説以降全く掘り下げられない

で、米軍がよりにもよって、コンピューターウイルス(正確には最新型のAI)をその大サイトにばら撒く訳。コンピューターウイルスの攻撃力を調べる為にだ。なんで自分の国の人間も大勢参加してるサイトにんなもんぶち込むんだよ!
米国が事実を闇に葬るためにOZを破壊したら幾分現実的だが、少々ブラック過ぎる。こんな映画には求めていない。

だから、整理して考えてみれば、OZは元々、米軍が開発したサイバーテロの演習地だったという設定にでもしておけば良かった。そうすれば、超巨大サイトでも、そこにAI兵器が入ってきても問題無い。実は、AIの作者は一家の一人で(こんな使い方されるとはしらず)終盤、有利に事を運べたのだが、過去のウイルスの集合体を吸収し手の付けられない状態だったら、後述のスペクタクルももう少し緊張感があったと思う

また、このAIはゲーム感覚でOZと世界を混乱させているとされているが、やることが少々、合理的過ぎる。ラストで原発に向けて無人探査船を落とそうというスペクタクがあるが、もし、無人探査船を最初から陣内家に落とそうとしていたら、“対戦相手”に絞られたゲーム感覚悪役として強烈だ。一つの家を破壊するためだけに無人探査船を落とそうとするという豪華絢爛作戦には狂気さえ垣間見えたろう。そんで原発なんて話を無理に大きくする必要も無い。

既にインフラ・交通の一部が大混乱で、そのせいで、お婆さんの治療も遅れて亡くなっている。
だから、最後のスペクタクルは後付けにしても雑すぎるし、本作では核爆発なんてブッラクな事が絶対起こらないファミリー映画という事を、ここまでの流れで解っている。なので緊張感に欠けた。


あと、この映画の真のヒロインはカズマきゅん

2010年4月4日日曜日

とられてたまるか!?/盗られてたまるか

『とられてたまるか!?』
@傑作

ファミリーコメディーとしてもブラックユーモアとしても低水準なのだが、武田鉄矢が最高に笑えると同時に応援したくなるという奇跡的な作品。

新興住宅街に一番乗りした唯野一家は、週一の頻度で明石屋さんま演じる泥棒の被害を受ける。
ところが、警備会社も警察も全員やってくるのは変人ばかり。(刑事が阿藤海というの凄すぎる)

とうとう泥棒にコケにされ、これではいかんと、一太郎(武田鉄矢)は家を改造。有刺鉄線に丸太を尖らせた柵を自作し、庭にはトラバサミをばらまき、玄関に堀をつくって二階にフォークリフトを設置。ロケット花火の改造銃で泥棒を迎え撃つが、泥棒はカメラ付けたラジコンヘリでその様をみて失笑する。
「ここまでやるかぁ?」と明石屋さんま。

しかし、堀が夜間に凍結してしまい一太郎は、お気に入りの酒と日記を奪われてしまう。

とうとう一太郎は通信教育や古本で格闘技を研究。公園の遊具で肉体改造に励みだす。「気ィ!」と叫んで気孔で空き缶をひっくり返し、投げ縄でサボる部下の雑誌を引き裂き「さぁ。働こうかぁ?」などなど器用な技を身に付けていく。

さんちゃんはというと、本職はゲームのプログラマーの開発部長だが、企画がダブってお蔵入り。
急造で、趣味の泥棒の経験を生かして、泥棒が主人公のゲームを作っていく。
モチーフはもちろん唯野家。
半ばストーカー紛いに、さんちゃんは一太郎に電話をかける。
おちょくるさんまに一太郎は「おまえはぁ、俺の恋人だよ。」と、最高に男らしい宣戦布告。

双方、うだつの上がらないアラサー男児だったが。この映画史上最も無意味な戦いで、どんどんカッコいいおっさんに成長していく。

だがラストはひたすら笑うしかない。武田鉄矢は「家内安全」と書かれた赤い道着を纏って「おれはぁ!お前の命を頂く!」と明石屋さんまに絶叫。
明石屋さんまは、一太郎の最高の宝であるテレビを奪うために、フォークリフトで唯野家を破壊する。

もうものすごい。大好きな映画。

『盗られてたまるか』
@駄作
韓国製リメイク版。
原作の面白かった点である、駄目主人公VS駄目悪党の構図からオンリー1VSオンリー1の傍目にダサいが応援したくなる構図へと変貌していく様が無くなってしまっている。

というのも、泥棒役がソ・ジソプ。ゲーム製作で成功した大金持ちで、泥棒は本当に趣味でしか無くなっている。
パク・サンミョンのお父さんも、真面目に道場に通って本当に強くなってしまう。

それ以外は、いかんせん微妙な原作をただなぞるだけ。韓国映画らしく、回想などにエフェクトを多用するがだからなんですか?笑えませんよと。
笑えたのは、、新興住宅地のはずが、恐竜の遺跡が発掘されて、陸の孤島となっている家の解説と、土佐犬を買いに行く所。(変なところで親日的だ)

2010年4月1日木曜日

アバター

@凡作
@映像は凄いよ・・・
@でもやっぱ・・・凡作

*ストーリー
話の筋はまんまドルフ閣下の『レッド・スコルピオン』か『メン・オブ・ウォー』。

特殊部隊、敵陣に潜入→あろうことか敵に情を移す→お上に対して無謀な戦いを挑む

という俗に言う白人酋長もの。『ラスト・サムライ』などもこの部類に入る。
白人至上主義として一部の人間に好まれていない(誰とは云わんが)
しかしだ、キリスト教圏における多神教の存在の容認はともかくとして、その享受は長年に渡りタブーであった、そこで一概に白人至上主義と批判するのは如何なものか?
そういう訳で私は『レッド・スコルピオン』と『ラスト・サムライ』は堂々と好きな映画だと言い張っている。

でも『レッド・スコルピオン』か『メン・オブ・ウォー』でアカデミー賞は無謀だろう。
構想十年かけて『レッド・スコルピオン』から進化してないってのは痛すぎるだろう。
しかも3時間。

*登場人物
『T4』でファンを量産したマーカス君ことサム・ワーシントンが、下半身不随の主人公を演じる。
シガニー・ウィバー演じる博士とミシェル・ロドリゲス演じる運び屋が本気を出したら、出番無さそうだが、宇宙人の培養体操るアバターによって、やんちゃしまくる。

ここまではいいが、軍上層部の体育会系気質はどうしたものか?体育会計つっても部活のノリ、ラグビー部あたり。向こうじゃアメフト部か?
アンチ体育会系にしても稚拙すぎる。なんて言ったらいいか3時間かける割にB級映画の悪役よりも“いかにも”な悪役。つーか、いじめに興じる不良つーか・・・・・・キャメロンよ、しっかりしろ!
3時間もあるんだからがんばってカーツ大佐(地獄の黙示録)、ロンゲーナ大佐(怒首領蜂)、スチュワート大佐(ダイハード2)並みの極悪非道すぎて息が出来なくなるような体育会系を用意しとけや!

*CG
CGによる自然環境の人口製造は難しいと本作にて確信。
本作のメカニック描写は3D効果もあいまって秀逸だったが、自然環境というのはいかんせん、いびつな物であり、なかなかキレイに纏まっていない。故に、人間の視角に纏まった綺麗に見える背景がボンボン連発することで、皮肉にも世界観のリアリティーが消失していってしまった感は否めない。

2010年3月22日月曜日

JM

@凡作

『マトリックス』のヒット以降、その致命的なダサさで再認識された映画。
キアヌ・リーブス演じる行き当たりばったりな記憶屋の近未来バイオレンスの触れ込みながら、設定倒れしたストーリーの頭の悪さ、ビートたけし、ドルフ・ラングレン、アイス-T等、謎過ぎるキャスティング。そしてダサさで興行的惨敗した。
初期のシャ乱Qとかメタリカのデビュー盤とかマノウォーとかXジャンプとかジャクスン・ジョーカーそんなダサさじゃない。要するに褒められるダサさではない。『北斗の拳』の雑魚など世紀末ファッショとか、指からレーザーカッターとかファミコンのパワグローブ状の操作デバイスとか、バーチャルボーイ状のインターフェイスとか、そもそも脳味噌を利用してデータを運搬とか……壮絶にズレた未来予想。
サイバーパンクって言葉を辞書引かずに、語感だけで妄想するとこんな感じのダサさになる。

そんな独特(というよりも安直)な世界観なんぞよりも、キアヌの行き当たりばったりさには泣けてくる。
開始十分も無いのに観客が彼についていけなるなる珍シーンに移る。

キ「俺の脳の記憶容量は80GBだ、約束した記憶容量4倍化装置は手にいれたんだろうな?」
 「すまん、2倍化装置なら用意できた。」
キ「この野郎、足りないだろうが、まあいい無いよりマシだ、これで俺の記憶容量は160GBだ」
↓
依頼人「運んで貰う情報量は320GBだ」
キ「(内心ビビリつつ)大丈夫だはじめよう」
↓
キ「早くデータを脳から出さないと死んじゃう!」

こんな感情移入の余地の無いアホが手に入れたデータを狙うのがビートたけし演じるヤクザとドルフ・ラングレン演じるカルト宗教の教祖
ドルフに至っては、キアヌがマジビビリして、格闘シーン無しという逸話つきだ!

キアヌ・リーブスがビートたけしとドルフ・ラングレンに襲われるってなんやねん。
そんな状態のキアヌを助けるのがアイス-Tって頼りなさ過ぎるだろ!そんなアイス-Tの尊敬するリーダーは麻薬中毒のイルカ。
魚じゃん!哺乳類でも食料じゃん!頭良くても魚じゃん!頭良くても麻薬中毒じゃん!麻薬中毒の食べれないじゃん!
『フェノミナ』に出てきたチンパンジーの方がまだ役に立つわ!
Tがギャングスタラッパーかなんかしらんが、映画的にはたけしとドルフなんて緋蜂改ですから。

ビックバイパー・キアヌがオプションにアイスとイルカのみで緋蜂改に挑んでるんですよ!

ま、たけしが自滅して、キアヌが勝つんだけど。ドルフが黒焦げになって世界に平和が訪れるんだけど。

余談・映画版『電車男』では、マトリックスと本作を一緒くたにした演出がラストに存在する。

2010年3月21日日曜日

スーパーマグナム

@超快作

『狼よさらば』『ロサンゼルス』の二作はブロンソンのベストアクトにしばしば挙げられる。
妻子を蹂躙され悲しみ・怒りに支配された主人公ポール・ガーシーの孤独な無差別復讐劇は観客に強烈な印象を与えた。ガーシーの悲しみを深めつづける戦いに皆胸を打たれたことだろう。

本作『スーパーマグナム』は、そんな孤独な戦いを挑み続けていたポール・ガーシーを所謂バカ映画にシリーズをシフトチェンジした事で救った(?)映画である。
『ロサンゼルス』のラストの銃声。ガーシーがクライムハンターとして生きる覚悟を決めた事を暗示させていたが、本作において描かれるガーシーはプロのワンマン自警団云々というよりも、発狂したとしか思えない強烈な意志のありさまを見せつける。

NYに戻ってきたガーシー、しかし時はまさに世紀末(にしか見えない)。町のチンピラどもは『狼よさらば』時代以上に凶暴(というか頭が悪くなって)に暴虐の限りを尽くしていた。
ガーシーは誤認逮捕を経て、NYの治安回復に絶望を感じていた警察署長直々に悪党狩りの密約を結ぶ。
作中でガーシーはワンマン自警団として都市伝説状態で伝承しており、地元住民から期待されて迎え入れられる。

ガーシーは早速「友達のウィルディを呼ぼう」と、電話をかけると、後日、通信販売から.475ウィルディマグナムなる極殺兵器を購入-Purchase-
カメラや新車を囮にしてまで悪党を狩り殺しまくる。その様は満足な仕事ができた伝統工芸士のような表情である。果てに民家に罠まで設置。暴徒VSガーシーの戦いは激化の一途を辿り、ついに暴徒は、ガーシーを殺すためだけの暴走族連合を結成し、通り魔的に火炎瓶やら手榴弾やらで町中攻撃、女は犯され、家は燃やされる。
そんな暴動状態のNYでガーシーは地元住民の朝鮮帰還兵が隠し持っていたM1919重機関銃なる最終鬼畜兵器を開放し、通信販売で追加購入したロケットランチャーなる獄滅極戮至高兵器をもってして、暴徒を圧倒的な弾幕で虐殺しまくる……

此処に来て御歳64歳(ブロンソンの年齢)ポール・ガーシーは哀愁など女々しいとばかりに、圧倒的な火力を躊躇なく噴射する危険極めた猛毒老人となっている。
実は殺人に快楽を見出してしまったのか?第一作で暗示されていた野獣の魂が目覚めきったのか?いずれにしろポール・ガーシーは悲しみを経てヒーローとなったのである。映画の出来が恐ろしく雑なのは認めるが、なんか素敵だ。本文、冒頭でバカ映画と形容したが、素敵な映画だと思うよ。俺は。

2010年3月15日月曜日

グラン・トリノ

@イーストウッドも老けちまったな

古き良き時代の男とはなんだろう?イーストウッド御大は実に素晴らしい解答を示している。
「マトモな男ならダクトテープとバイスプライヤ、潤滑油さえあれば家の物は大概直せる。」

男に必要なのはマグナム銃でも、サイコ野郎との戦いでもない。ぶっ壊れた物はとりあえず動くように自力で直す、DIY精神こそが、先進国男性諸君が忘れつつある男の魂なのだと。
じゃあなんだこの映画は日曜大工の映画かよ?そうでは無い。
本作はイーストウッド御大演じる老人の晩節を描いた秀作だ。
この老人、親戚の自分勝手で偏屈さに拍車がかかっており、住み慣れた我が家の防衛に余生を賭そうとしていた。と、言うのも共産党の圧制から逃れた中国のモン族が彼の近所を圧倒的な人数で席巻するようになってしまったからだ。隣に住んでる婆さんに至ってはイーストウッド御大よりもパンチが効いているというオマケ付き。しかも、隣の少年が自分の愛車グラン・トリノを盗もうとしたもんだから、イーストウッド御大は高血圧気味で余生を過ごす羽目となる。
しかし、モン族の若者の少数がストリートギャング化しており、黒人のギャングと張りあって、同じモン族に暴力を振るっていた。そこにやってきたのが、イーストウッド御大。
「芝刈りも出来ない粋がった小僧ムシが好かねぇ」とばかりにギャングどもを追っ払う。

すると、翌日からモン族から感謝の声・お礼参りが殺到。
生きてる内に“お供え物”が毎日のように届く事態に激昂するイーストウッド御大だが、モン族の少女になだめられ、ようやく、地域住民との交流を結ぶようになる。
そして、車を盗んだ少年が謝罪の為に彼の元で雑用をこなすようになって行く。
イーストウッド御大は少年に色々な事を教えるようになっていくのだったが……

人種問題の根の暗さに踏み込むと同時に、過去や人種、年齢に縛られない男の友情をも描いた男のための映画である。

でも、イーストウッドよ、ライバル故チャールズ・ブロンソンのように町の不良どもなぞ通販で買ってきた最終鬼畜兵器による容赦ない皆殺しでもいいんでないかい?
あんた老けていてもビジュアルも演技もダーティー・ハリーのまんまなんだから。

2010年3月7日日曜日

ファニーゲーム

@駄作

本作の評価についてはもう語り尽くされている。
確かに、理不尽な猟奇殺人の現場を描きぬいた秀作なんだ。
悲惨にして不愉快にして平凡な映像。
呼吸するように排泄するように流される残虐事件。
素晴らしい。こんな悲惨美を見せる映画は無い。
だが、だが、なぜだ?なぜなのだ?

なんで巻き戻さなきゃならないのか?
なんで巻き戻してしまったのか?
なんでなんで?

どうしてもこのワンシーンで本作の評価を下げざるを得ないのは残念でならない。

2010年2月1日月曜日

狂気に満ちた耽美趣味のパラノイア

登場作品『ギニーピッグ2 血肉の華』

知力・・・・・・測定不能
学力・・・・・・測定不能
技能・・・・・・測定不能
武力・・・・・・測定不能
生命力・・・・・測定不能
政治力・・・・・測定不能
権力・・・・・・測定不能
性質・・・・・・測定不能
ルックス・・・・測定不能
カリスマ・・・・測定不能
ポリシー・・・・測定不能
運・・・・・・・測定不能

総合能力値 ???(-)

女性を誘拐しては生きたまま解剖(というよりも破壊)それを8mmで記録し、 人間のパーツを地獄絵図の如きギャラリーに飾っている。
この異常な殺戮は世間一般のSM的な意味合いとは一切合切かけ離れた得体の知れない性的興奮を得る為とも、本人は芸術を行ってると考えているとも言われる。(どっちにしろキチガイである)
怪奇漫画家・日野日出志のファンであり、8mmの一本と支離滅裂極まる手記を収めて送りつけている。

「女の白い肌を、真紅の血が生き物のように妖しく這い回ると、めくるめく恍惚と陶酔の血の海に溺れながら女は血と肉の華に開花するのだ。この世にこれほど美しい物は無い。これから、その美の極地を御覧に入れよう。」

以上、残虐卑劣鬼畜屑キチガイ極まる文字通りの人非人である。(当人には褒め言葉にしかならないのが残念でならない)
歴代のホラー映画界の殺人鬼でもここまで酷い(終わってる)のはそうそういない。

筆者を一目ぼれさせたあまりに秀逸なビジュアルは彼が頭おかしい事に十分すぎる説得力を与えている。

2010年1月19日火曜日

日本製少年

@金字塔的名作 ハイセンス過ぎるあまり埋もれてしまったのが残念無念

*ネタバレ

バブル崩壊後の日本という者にもっとも絶望したのは大人たちではない。むしろ若い世代であった。
少なくとも、大人はバブルの加護に触れることはできたが、新成人や青少年はその加護を受ける事は無い。
それは、親が得ていた物を自分が貰うことは無いという単なるエゴであるが。大小あれど、誰にだってこの矮小な感情を抱いてしまっていた。

そこで世間を逆恨みしてダラダラ作られたのが『オールナイトロング』という駄作である。
そしてエゴを認めつつもガムシャラに作られたのが本作である。
エゴを受け入れている者の方が狂っている事を嫌というほど見せ付けてくれるし、その器量がある者は映画にリアリティーを与える事もできる。

しかし、この映画はR-指定の扱いを受けているが、暴力描写に関しては劇中で1分も存在しない。 性描写も3分もなく変態的でもなく過激ではない。
なにが不味かったのは言うまでも無く、少年少女のディストピア・東京のリアルさと、大沢樹生演じる大和の不健全な性格の偏りだ。それは廃頽のように上品な物ではない。ただ単に不摂生で、道を踏み外したのでグズグズと立ち止まってる。

大和は喧嘩の末、父親を殺しかけてしまい、家出をしたものの、やりたい事も無く定職にありつけず、街を彷徨っていた。夜は、テレフォンセックスの相手に実際の殺人事件の顛末を語る虚無的な変態であった。

ある日、彼は町でティッシュ配りをする少女、薫が目に留まり、彼女にちょっかいを出す。
呆れながらも薫は、面白半分に彼を事務所とされるマンションに連れ込む。
そこで、日本語が明らかにおかしい女が、面白半分に二人に拳銃を手渡した。
薫の雇い主はヤクザだったのだ。このヤクザは、事務所に戻ってくると物腰柔らく大和に言い寄り、彼に料理を振る舞い、職の無い大和にトルエンの売人をやらせる。

こんな所で働いている薫もまた、家出少女であったのだろう。
彼女は、大和が親を殺しかけたと話すと彼女は彼に興味を抱いた事から、経緯は明かされないが、親に対して恨みを持っているようでもある。

二人を叱る大人など、いない。
二人は時に欲望のままにお互いの体を弄び。時に寄り添い、時にふざけあい、恋に落ちていった。

薫は、心臓の病が原因でペースメーカーを埋め込んでいた。
彼女は「サイボーグ トシテ ウマレカワッタノダー」など、自嘲するが、大和は「嫌になったら、電池を抜けばいい」と、心無い言葉をかけて彼女の乳房をまさぐる。
そうしていって薫も「私が死んだら燃えないゴミの日に捨ててね」と、大和に告げる。

そんな、二人はお互いを慰め合うように、癒すように、仕事以外は常に共にいるようになっていった。
しかし、大和はトルエンの取引中に拉致され、そのはずみで、チンピラを拳銃で射殺してしまう。

二人は逃げ出した、ヤクザから、警察から。昼は寄り添い合って、夜は絡み合って、街を彷徨う。
やがて、大和の実家へとたどり着くが、両親は大和の帰りを待つことは無く転居していた。
電話でこそ母と話していた大和は、ここで初めて後悔に身を震わせた。

結局二人は、行く当てもなく街へと戻っていった。
そこでは、ヤクザが待ち構えていた。
ヤクザは「お前らの面倒は俺が見る、逃げる手配をする。」とまたも優しく言い寄るが、それは彼らのお陰で露呈した不法行為を全て、彼らに擦り付ける為だ。
大和はすぐにコレを見破りヤクザを射殺。

ヤクザの逆襲で傷ついた大和だったが、幸い命に別状なし。
完全にドン詰まった二人は海岸に寝そべって、ふざけあっていた。不安をごまかすように。

しかし、薫は笑顔で言う「君がトルエン売ってたあたりなら見つからないかな?」
「バーカ!」と大和。

しかし、言葉と感情とは裏腹に、薫はペースメーカーの電池切れで死んでしまう。
二人で慰めあう事はできても、支えあう為の土台となる場所など無いと、虚無の浜辺にて悟っていたかのようにだ。
今日、その浜辺で力尽きたが、彼女は悔いなど無かっただろう。死に場所を見出せたのだから。

大和は、はじめこそ彼女の死を受け入れられなかったが、やがて、薫の亡骸からペースメーカーをえぐり出すと、街から消えた。薫を空き缶のゴミ箱に詰めて。
しかし、ここでも薫の死顔は、微笑んでいるようにさえ見える。

ラストシーン。
映像が荒い、夜も深けた。
大和が、突然車を止めると、無意味に銃を構え出した。
そして彼は、不敵な笑みを見せている。それは薫に見せていた男の笑顔では既になかった。
大和は、無意味に車へと戻った。

ただ単に「死んだ→悲しい」とか「後味が悪い→何度も見たくが良い映画」といった趣きを逸脱してしまったこのエンディングに筆者涙した。 切なくて、切なくて。

大和は銃口を何処に向けてしまうのか?もしくは一生もう引き金を引くことは無いのか?
小生どちらとも、考えたくなかった。

主人公大和を演じる大沢樹生、ジャニーズとの確執は不明だが、当時干されていた時期だ。
アイドルから急転直下、救いの手さえ伸ばされない荒んだ青年を見事に演じきっている。

薫を演じるのはAV女優の嶋田加織。しかし、彼女は下手すると唯の色情狂の電波女になりかねない薫という役を、絶妙なさじ加減で少女として演じきっている。一体なぜAVに身を落としていたのか見当がつかない。
(最も、AVに出演でもしていなければ本作のようなロマンチックとは言い難い濡れ場を演じたとも思えない)
この不可解な女優は本作の完成直後、AV界から突如引退。まるで映画の薫と同様忽然と姿を消した。

また、登場は僅かだが、この二人を完全に食っているヤクザを演じるのが鈴木一功。
このヤクザだが、あまりのリアルさに開いた口がふさがらなかった。暴力をちらつかせながら優しく言い寄る姿などは、連中の常套手段。鈴木氏はヤクザに騙された事でもあるのか、異常過ぎるリアルさである。
もし、『新・仁義なき戦い3』が作られるのならば、山守ポジションは彼しかいないだろう。

また、本稿には書ききれないが、独特とも言えるセリフの妙。
タランティーノ作品以上に無意味な会話だが、本作の脚本は完全に彼よりも一枚上手を行っている。

また本作は、三池崇史の最高傑作『新・仁義の墓場』にも絶大な影響を与えている事は明白である。
大沢樹生の起用と、配役のモノローグを活用したナレーション、ラストの荒いフィルムの効果等は明らかに本作を意識した物である。他、『日本黒社会』においても、トルエンで世界征服を企む男を哀川翔に演じさせている。
小生、『新・仁義の墓場』のレビューを最初に載せた時、ラストのこのフィルム効果に「受けを狙いすぎて好きになれない」といった趣旨の文章を文末に付け加えていた。しかし、その違和感の正体を結局解らず、削除したが、この度確信を持てた。世界の三池崇史が、その最高傑作にて本作をパクッたのである。

しかし、監督・脚本の 及川中 氏。本作以外まともな作品を撮っていない。

2009年12月27日日曜日

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

@未完成作品につき保留
@息子が撮った方の映画は駄作ですらなく糞

世界の深作欣ニの遺作として認知されてしまってるが、実際に深作欣ニ御大が生前直接監督として関わってるとされる場面は竹内力による“ホームルーム”シーンのみとされ、大概の馬脚を晒しているのはオタクな息子の方である。
正直、竹内力の件は物凄い。何度見ても面白いのである。ギャグなのかシリアスなのかその境界が早速曖昧にされる。『野望の王国』の柿崎の活躍を見てるときと同じような感覚に侵される。
ここで、虎の意を借る事となるが世界の三池崇史も『極道戦国志=不動=』のDVD特典において同じ旨を述べている「竹内力が凄い(中略)下手すりゃ深作監督の最高傑作かもしれないよね」のような内容であった。

さて、こうなってくると、深作欣ニが完全な状態で完成させた『BRⅡ』どのような物になったのだろうか?ブルース・リーの『死亡遊戯』のように研究されるべき作品である。
一先ず、独自研究という形で私の見解を残しておく。

1.製作までの経緯~愛と幻想のファシズムと9.11~

まず、製作発表の前から深作欣ニ氏の容態は悪化している。次で最後であると本人は早い段階から悟っていた。そこであの大問題作『愛と幻想のファシズム』の実写化を決意していたとされる。
結局最後まで拘ったバイオレンス映画の集大成とすべく、この題材を選んだのだ。
トウジに藤原竜也を起用という噂もあり、草案が纏まりかけていた折、9.11テロ事件が発生した煽りを受けて「テロリストを主人公とした作品は不謹慎である。」として企画が倒れたとされている。
それを知った時、小生はハァ?としか思えなかった、当の深作欣ニ監督はハァ?では済まなかっただろうが。
何が故に他所の国のドンパチで、こちとらの映画作るを止め無ければならないのか?
もし、これが……イスラム圏で起こったテロだったとしたら、ここまでの配慮を行う必要は無かったはずだ。
米国が傷を受けた事が大事件なのである。
『BRⅡ』にいわゆる反米色が強まったのは一本の映画を潰された監督の私怨なのかもしれない。
同時に、彼は折れなかった、より明確にテロリスト側(嫌味とばかりに米国のステレオタイプ)を描いた作品を世に送り出す事を決心する。『BRⅡ』の冒頭で「“スベテのオトナ”に宣戦布告する。」と嘯く七原は、深作欣ニの本音だったと思われる。(死後、脚本の改変が無ければ)

ここで、すべての“スベテのオトナ”とは七原からすれば、BR法のような理不尽を行う人々であり、深作欣ニにとっては商売の邪魔を行う米追従型社会という体制なのであろう。

なお、映画の出来がお粗末な故に、このセリフ「安っぽい反体制」として片付けられている。
深作監督の名誉の為に言っておく、七原は前作『バトル・ロワイアル』(『BR』)で生き地獄を味わった生き残りであり、彼が日本に対して反体制などと嘲笑される事を行うには十分すぎる動機があるのでは無いかと。物語としては全く問題ないし「お前も大人じゃねーか」ではただの揚げ足取りであり、見苦しい。
ただ、本作の七原がイスラムのテロリストかぶれなのは問題であった。それは後述する。


2.幼稚な反米なのか反米だから幼稚なのか?(少なくとも息子の映画は幼稚)

まず、竹内力が米国に攻撃された国を読み上げるシーンを分析しようと思う。既に笑える光景だが、どうにもコレが遺憾というか癪に障る人が多いようで、Wikipediaにも

>>深作のイデオロギーが加わりアメリカに爆撃を受けた22カ国(日本、中国、北朝鮮、グアテマラなど)の名称を上げるなど反米主義的な要素もあった。

と、本作の欠点として記述されている。

反米主義だから糞なのか?
反米主義の内容が安っぽい反体制だからだめなのか?

このシーンには続きがあり「人の命は平等なんかじゃありません!」そして「人間は、勝ち組と負け組に分かれます。貴方は勝ち組ですか?負け組ですか?」というセリフがある。

そもそも、22カ国中、もっとも多くの人命を奪われたのは日本である。
その日本人が拗ねたように「人の命は平等なんかじゃありません!」とのたまい、あたかも自身が勝ち組のように、「勝ち組と負け組に分かれます。」と堂々と発言。
それを竹内力がハイテンションかつ流暢かつ若干のオーバーアクションで熱弁する。

ハッキリいっておく、風刺としては100満点である。

だが、この後の息子の撮ったほうのがショーモなさ過ぎる。
「あの国を怒らせちゃいかん!」とかもうねぇ・・・

3.キタノシオリは何者なのか?

ベターだが、「テロの犠牲者として七原を許せない人物」に尽きる。
しかし劇中で喚きまわって「やっぱゆるします、だって主人公だもん☆」と、“観客を泣かせる感動的な現象(笑)”として流される。
ただし、息子が撮ったBR2は敵までもが「俺にだって女房子供がいるお!」と説明的に感動的(笑)で死ぬため(意味不明)、本件に限った事ではない。
前作では、死に際にはドラマを交えつつもリアルに抑えており、辞世の弁は殆どがモノローグとなっている。
欣ニ監督が存命ならばこの演出は生かされ、もう少し、殺伐とした心情が垣間見えたろうに。

また、キタノは七原が最初に殺した“オトナ”である。
もう少し因縁めいたものを盛り込む余地は腐るほどあった。


4.では、名作だったか?
答えはNO。
本作の問題点は、現実のテロリストと作中のワイルドセブンの整合性の悪さである。
そもそも七原が罰したい敵は、BR法が運用されながら知らんプリを決め込んでいる偽善者“オトナ”のはずだ。
だから、プロローグで都庁を爆破・粉砕・虐殺した。
(ここは、特撮シーンなのでほぼ、欣ニ氏の要望どおりと思われる。ホームルームと同様、シリアスとしてもギャグとしても、ものすごい)

間接的に米国が関わっている描写があるが、むしろソレが混迷をよんでおり、グダグダになっていく。
やはり、七原はそれらとは異なった反体制としての、反逆者としてのテロリストである必要があるのだが、劇中で明確に紛争地帯の武装勢力に影響を受けたとされている。

アルカイダなどのテロ組織も実態を探れば米国とは別の体制であり、無力な人々を殺戮する事を武勇と称えているヤクザどもである。

おそらく、監督存命でもこの点が改善されていたとは思えない。

そもそも、前作『BR』も正直、名作とは言いがたい。
メインキャストがどう見ても中学生には見えないのに、原作どおり中学生のままだし、 だれが生き残るのか丸解りだ。

だが、国産残酷映画の傑作である。
最近の監督は低予算を言い訳に、チープな残酷描写で笑いを撮る映画ばっかだ。(しかも既在の映像を真似てパロディーと言い訳する体たらく)
低予算しか与えられない身の程を知れよと、全力投球しろよと。
『BR』は爺さんがそれなりの予算を与えられながらも、残虐過激な映画を大真面目に撮ったのだぞと。

また、ある朝のニュースで、「撮影末期になって突然、アフガンでのロケを行った」と報道された。
もはや、アフガンでロケを行う体力など、病態の欣ニ監督には残っていない筈であり、ほぼ後付のラストである。だが、深作欣ニ氏は、七原が死ぬラストに難色を示していたとされている。もし、このラストが欣ニ監督の実現不可能な願望だったとしたら、やはり映画の出来は知れていた。
殆どコスプレのような衣装はどうにかなっただろうが、何故にアフガンを絡めるのだろう?

ただ、映画として致命的にリアリティーに欠け、感動的で美しい(イケメン)な死を盛り込んだような、息子の映画にはなっていない筈だ。
大きな破綻こそあれど、映画としてはリアリティーを保ちつつ、深作式バイオレンスにより蹂躙される登場人物、感動的というよりは無情な死の連続、前作同様に残酷映画の傑作となっていた余地はある。


4.異説として。

元々、クエンティン・タランティーノ監督が米国大統領役で出演する予定であった。
氏は、筋金入りのオタクであり深作欣ニの狂妄的信者であり、生粋のアメリカ人である。
この点から、BRⅡはアメリカ人など受け入れずに反米的内容を行う事はしようとしていなかったようとも考えられる。
私怨を含めて、冒頭のホームルームのような米国に向けて風刺を行おうと思ったのではいか?反米と風刺ならば、その意味合いは異なる。前者はインテリの世界だが、後者はデザインだ。
故にむしろ、観客の内半分を怒らせる不謹慎な映画を作る事が目的だったと言っても過言では無い。

前記の通り、残されたスタッフは、無き深作欣ニの遺志を汲んでアフガンロケを行ったのか、それとも脚本を書き直して行ったのか。
しかし、タランティーノによる米国大統領の実現は見送った。
何故だ?
「スケジュールが合わない」というのが通説だが、劇中の描写から察するに、米大統領はカメオ出演程度だったはずでは?
ここでも、脚本の改変があったのだろうか?
もし、タランティーノが大統領で「これから貴様等はなんの手助けも受けず、ただひたすら、死ぬだけだ。どこまで もがき苦しむか見せてもらおう。死ぬがよい。」とか言ってたらギャグにしかならないだろうが、映画の異常さは際立った事だろう。 前作でもなんとか・アスカ・ラングレーの中の人が作品の異常さを盛り上げていた。

だが、もし、残されたスタッフが本作をギャグ扱いされる事を忌々しいと思っていたら・・・
深作欣ニの遺作を撮ることに酔っていたら・・・

感動的(笑)でリアル(どこが?)な反米映画、つまらない訳である。

2009年12月12日土曜日

復讐者に憐れみを

@おすすめはできません

平野耕太という漫画家がいる。氏のブログ(現在は閉鎖)でパチンコに関する話題があり、曰く「『冬のソナタ』だか『チャングムの秋』とか知らんから、CR『オールドボーイ』とCR『親切なクムジャさん』を出せや!」と、全面的に同意できる氏の作風からは考えられない建築的な提案に私は感激した。その後は、氏の考えたリーチ演出(オデスが餃子食うリーチ、トンカチで歯を抜くリーチ、漂白剤で毒殺リーチなど)が書き連ねられていた。
しかし、本作『復讐者に憐れみを』に関する話題は一切なかった。
本作と『オールド~』『クムジャさん』はパク・チャヌク監督による復讐三部作という“韓流バイオレンス”の触れ込みで日本では公開されており、業界でも屈指のオタクである氏ならば、間違いなく目を通している筈なのだが、その後のCR『シルミド』のいい加減な記事内容からどうにも意図的に本作に関する話題は避けている。

というのもメチャメチャに後味の悪い作品なのである本作。
いや、後味どころか最初から最後まで、嫌な嫌な復讐の、殺し合いの連鎖が描かれる。

『オールドボーイ』では無敵の肉体を手に入れたオッサンによる悪党どつきまくり。
『クムジャさん』では殺しぶりが必殺シリーズのようなギャグと化し、被害描写すらブラックユーモアの域であった。

本作においてはそんなものは微塵もない。電源機による拷問殺害シーンは、ギャグっぽいのだが、見事に滑っており、痛々しい悲鳴が淡々と映され、そこに運悪く出前を届けにきたオッサンすら無慈悲にも殺す。シャレになっていない。

それよりも後の二作との決定的な違いは、悪党が存在していない点である。強いて言うならば、聾唖の主人公から姉の手術費用騙し取ったギャングがいるが、悪党というにはちと弱々しい。騙される主人公も間抜けだった。しかし、姉の為に思考停止していたのだから彼を責めるもの酷。最終的に金策に困り果て、共産主義に傾倒するアレな彼女と共に社長の幼娘を誘拐。姉には、友人から預かったとして、身代金が届くまで一緒に楽しく遊んでいた「ぼのぼの」を見たりして。しかし、姉は誘拐の事実を知って自身病体が原因だと嘆き自殺。 主人公は遺体を木の根元に遺棄、そして自責の念に駆られている内に、誘拐した娘がキチガイに連れ回された挙句に川に投げ込まれる。(聾唖の為に気付けず)
父親は、悲しみのあまりに発狂。空虚な怨念の申し子となりて、警察に捕まる前に犯人を自ら殺害する事を決意。主人公は、ヤケクソになりギャングの根城を襲撃する。
襲撃の当日、父親は、主人公の彼女を殺害。負傷しながらも襲撃に成功し主人公だったが、待っている筈の彼女は既に死体袋に包まれていた。
絶望し、生気さえ失せた主人公、だが父親は、容赦なく彼に襲い掛かり、足の健を切り刻んで川に放り込む、ここで父親は主人公に悲痛な顔をして呟いた。

「おまえ、多分いい奴だ。だから、解るだろ?俺がお前を殺すのが。」

復讐を終えた父親だったが、思わぬ所から彼に刺客が向けられた。
刺客たちに滅多挿しにされ、見に覚えないの無い「天誅」の二文字を貼り付けられる。

苦痛にもだえ、呻き喚き泣き叫び苦しむ父親の眼前には、自らの手で解体した聾唖者の肉塊の詰まった砂袋があった。

END。
(その後スタッフロール中にも父親の呻き声が絶命するまで聞こえるという不愉快極まりない仕様である。)

復讐を描き、徹底的に不愉快になった映画の前例としてショーン・S・カニンガム、ウェス・クレイブンによる『鮮血の美学』がある。こちらは「最低映画館」の岸田裁月氏のレビューれ有名だが、こちらはまだ、殺される側が当然の報いであったし、ボロボロ傷ついた復讐者の悲しみ俯いた姿のラストカットに希望を見出せる余地があった。
本作はどうだろう?強烈な不幸と死の連鎖にはケータイ小説だのの“悲劇”性は無く、恐ろしいまでにリアルな物だ。だからといって特にメッセージ性や教訓の無いハードさ。構築された映像は洗練され、隙が無く完成度は復讐三部作中最も高い仕上がりなのである、だが誰が見ても得しない、そんな映画。

2009年11月28日土曜日

黒い太陽731の動画版レビュー

『黒い太陽731』
@駄作

http://www.nicovideo.jp/watch/sm8939801

ニコニコ動画はGOOGLEのブログサービスに対応していない事が発覚。
ご鑑賞いただくにはアカウントが必要なのであしからず。

*なんかネット右翼批判な動画になってしまった。
*製作に時間をかけすぎた。
*「ローゼン閣下」と「ゴルゴ13閣下」。選挙では後者の方が少なくとも有利だったろうに。
*宇宙人「リベラルが思想が麻薬とはよく言ったものだ」 
*麻…いや、川中島「暗い…開票モニターが真っ暗だ・・・」
*麻…いや、川中島「卑しい電気紙芝居風情に俺の画像を使うなど無礼なクソバエが!」

11/30追記

*思い出してみれば、今回の動画製作の切欠は、ネット右翼がウザイのと、左翼気取がウザイと思って作り始めたのだ、政治色が濃くなったのは当然だ。だが、これはこれでいいのだ。出来の良し悪しは視聴者の皆様に委ねて俺は次回作を作ればよいのだ。