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2011年4月9日土曜日

人肉ラーメン

@名作


『八仙飯店之人肉饅頭』以降、カニバルホラーというジャンルは露骨なグロ描写とホラーというよりはバイオレンス映画のような破壊衝動が画面を覆う傾向となっていた。

(単純に香港映画がホラーを苦手としている可能性もあるが・・・)

本作はその点、ホラー映画としてのおどろおどろしさに回帰している。もはやバイオレンスに逃げた人肉饅頭を叱咤するかのように乾いた暴力を排している。

オープニングで、人間がラーメンのスープに浸されるが、この段階ではさりとて凶悪なグロ・ゴア描写は無いのだがしかし、ただただ食材と扱われる成人男性の遺体は強烈なおぞましさだ。

かつ、本編冒頭から人のモツが入ったラーメンや吐き気を催す激痛の描写は筆者が長らく見てきたスプラッター描写の中でも上位に食い込む。

凶行に走るのがパッと見でギリギリ美人の分類な太めの中年のオバサンなのだが、虐待の過去や夫の家庭内暴力、そして人肉ラーメンを作り続けてきた異常者である姑の母権等に精神を病んでいる。本作ではその悲惨な生い立ちがコレでもかと時系列バラバラにモノローグ的に挿入される。
映画はこの凶悪な殺人鬼の悲しみを軸に展開されていく事となり、彼女は悲しみを深める度々に人肉を詰んだラーメンの屋台を引っ張ってあくせくと働く。

太めの中年女性を主人公に据えたこのアプローチは『死霊の罠2―ヒデキ―』を彷彿とさせているが、シュールの領域に突入してしまった『死霊~』よりも飽くまで現実感を優先した本作に軍配が上がる。

残念ながら主人公以外のキャラクターがとても薄い事と、凶行が露呈する場面においてそれまでの凶行は観客が把握し尽くしていた為にあまり恐怖心を煽らなかったり、終盤で主人公の狂乱する場面もフィルム効果を使い過ぎていてブツ切りの印象になったりといった欠点も抱えているが、久しぶりに上質のスプラッターホラーが、タイという映画産業としての注目度が高まりつつある機運の時に発表されたことを私は素晴らしいことだと思っている。

最後の最後で鬼畜の親玉である姑の家に逃げこみ、何故か少女の頃の姿で微笑み返すロジックにまみれたラストも好印象であった。

2010年6月26日土曜日

アウトレイジ

@名作

これまでの北野武監督の作品は、自身のナルシズムとニヒリズムを徹底的に貫いてきた。ナルシズムという表現をしたら妙な話だが、彼の本業は芸人(英語で言うコメディアン)である。徹底的に自分自身を研究し、追求し、発狂しなければなれない、笑とは名ばかりの修羅のみちなのである。
これまで、自分の体を張って"表現"を行って来て、自分主体でない物を考えるほうが難しいに違いない。だから恥ずかしがらず、「どうだ?カメラ写りはいいだろ?」と堂々と笑顔で答えなきゃダメな訳。

そうしたナルシズムとニヒリズムが先鋭化し、且つ、旧体化したヤクザ映画を否定したのが最高傑作である『ソナチネ』である。

そして、ナルシズムとニヒリズムをより多角化させ挑んだのが、かつて否定したヤクザ映画の潮流に乗った『アウトレイジ』、最高傑作その2である。

まず、北野武が『ソナチネ』で否定したのは、ショーモないTVドラマ並にVシネが量産された時期のヤクザ映画であって、ヤクザ映画そのものの否定ではない。そもそも彼は『仁義なき戦い』のファンを公言している。氏のアイデアが盛り込まれたファミコンゲーム『たけしの挑戦状』の劇中劇に『やくざ対やくざ』という「つまんねーえいが」があり、この頃から既にやくざ映画の先行きの暗さを見据えていたとしたらその先見性に驚かされる。

また、深作欣二が任侠映画を脱して以来、ヤクザ映画は日本固有の映画のジャンルであり、ビデオオリジナル作品でありながら現在も量産されている。このビデオ映画専門のオタクが存在するぐらいだ。多くは凡庸かそれ以下だが、確実に見ごたえある作品や名作も存在する(例、『新・仁義の墓場』、見ごたえ"だけ"なら『修羅のみち』)

『アウトレイジ』は北野武監督によるジャンル・ヤクザ映画であり、このジャンルでも面白い映画は撮れることを再認識させてくれる。

"俳優(本業:お笑い芸人)"ビートたけし演じる、大友は末端組織の組長で、暴力だけでヤクザ稼業で飯を食ってきた凶暴な老人だ。カッターナイフで指を詰めようとするヤクザを見てニヤニヤ笑い、挙句、カッターを取り上げてそいつの顔面をメッタ切りにする強烈なサディストだ。ビートたけしが演じてきたヤクザの中でも完全に異質の存在である。デビュー作『その男、凶暴につき』以来の暴力的な人間だ。

従来作では、周囲のヤクザが、落ち目に入って一廉の人物であるような姿を見せ、たけしもその内の一人であるが、狂気を内包させて描かれる。その様は、暴力的というよりは静かなトリックスター的な存在だった。

本作は上記の通り、ニヒリズムの多角化を見せており、終盤で化けるオールマイティーなトリックスターは存在せず、様々な種類の極悪人どもが内部抗争で暗躍をする事となる。

その極悪人どものキャスティングに関しては完璧である。
此処には列挙できないが、名だたる俳優全員が名演を披露する。

序盤こそ、Vシネと大して変わりないストーリーラインが提示されるが、徐々抗争は雪だるま式に巨大化していき、誰もが映画内で描かれる抗争の終点を予想する事ができなくなるだろう。

『アウトレイジ』は、『仁義なき戦い』を超えたヤクザ映画の一本である。

2010年4月11日日曜日

第9地区

@名作

『食人族』は、名作であった。グロテスクな映像が多々あれど、文明人も蛮族と代わり無い残酷を欲する人間だと、たかが映画の分際で笑い飛ばした。今でも、『食人族』が低俗なグロ映画という票を数多く見受けるが、見当違いもはなはだしい。モンド映画でありながらモンド映画を否定し、モンド映画の全てが目指したリアリティーを完遂し、グロ映画を観に来た観客をも野蛮人と嘲笑してのけた史上最高のアングラ映画である。

本作はその『食人族』以来、量産された擬似ドキュメンタリーの手法を劇映画として見事に取り入れる事に成功している。冒頭で多用される擬似ドキュメントが後半には完全に劇映画の中に飲み込まれる事、そしてジャンルこそ、フィクションであることが大前提の宇宙SFものである事は『食人族』と全くの逆だが、観客を野蛮人と嘲笑してのけたのは、あの『食人族』以来の快挙である。

舞台をヨハネスブルグ。近年のネット上で無法地帯としてスポットを当たっているが、本作では少々異なった歴史を歩んでおり、宇宙浮浪者“エビ”たちの犯罪が加わる。

エビ達を取り巻く環境は過酷だ。差別と貧困にあえぎ、主な買い物先は、地球人の犯罪者。ヨハネスブルグの筋金入りの悪ばかりだ。エビたちもエビたちで団結して状況の打破などは行わず、バラバラのままダラダラと悪行に手を染めていく。

主人公の人間も人間で、宇宙人の卵を、潰して回る様は強烈な不快さだ。はっきりいって、差別主義者の典型で、口先では平等平和主義者でも、弱者に対して容赦が無い。というよりも興味が無いのだ。
「~だからどうしよう。~こうしよう。~明るい未来の為に。」本作はそんな事を言わない。
突きつけられるのは、ヨハネスブルの現状を面白半分に土人の作った犯罪都市とはやし立てる、人々の滑稽さだ。それは、かつてモンド映画の類で、土人の人食いを映画館で眺めていた人間たちと同じだろう。

少々捻くれた点にレビューを重視してしまったが、決して難しい映画じゃない。単純明快な残虐過激SFバイオレンスだ。主人公と宇宙人[クリストファー]は利害の一致だけで協力するが、戦いを通して、この異種にも心があると、お互いは悟るまでに成長する。
決してハッピーエンドとは言えないが、宇宙人[クリストファー]の逞しい人格の有様には、主人公のみならず、観客にも希望を見出せると思う。


4/23
ちょっと、このレビューひねくれすぎた。皮肉の利かせ方が『食人族』を彷彿とさせたの事実だが、実際は裏テーマであり、本質は宇宙人と地球人によるスラム街を舞台にしたバイオレンスアクション大作。終盤は30秒に一回ぐらいのペースでロボットによって人間がミンチになる。素敵。

2010年3月15日月曜日

グラン・トリノ

@イーストウッドも老けちまったな

古き良き時代の男とはなんだろう?イーストウッド御大は実に素晴らしい解答を示している。
「マトモな男ならダクトテープとバイスプライヤ、潤滑油さえあれば家の物は大概直せる。」

男に必要なのはマグナム銃でも、サイコ野郎との戦いでもない。ぶっ壊れた物はとりあえず動くように自力で直す、DIY精神こそが、先進国男性諸君が忘れつつある男の魂なのだと。
じゃあなんだこの映画は日曜大工の映画かよ?そうでは無い。
本作はイーストウッド御大演じる老人の晩節を描いた秀作だ。
この老人、親戚の自分勝手で偏屈さに拍車がかかっており、住み慣れた我が家の防衛に余生を賭そうとしていた。と、言うのも共産党の圧制から逃れた中国のモン族が彼の近所を圧倒的な人数で席巻するようになってしまったからだ。隣に住んでる婆さんに至ってはイーストウッド御大よりもパンチが効いているというオマケ付き。しかも、隣の少年が自分の愛車グラン・トリノを盗もうとしたもんだから、イーストウッド御大は高血圧気味で余生を過ごす羽目となる。
しかし、モン族の若者の少数がストリートギャング化しており、黒人のギャングと張りあって、同じモン族に暴力を振るっていた。そこにやってきたのが、イーストウッド御大。
「芝刈りも出来ない粋がった小僧ムシが好かねぇ」とばかりにギャングどもを追っ払う。

すると、翌日からモン族から感謝の声・お礼参りが殺到。
生きてる内に“お供え物”が毎日のように届く事態に激昂するイーストウッド御大だが、モン族の少女になだめられ、ようやく、地域住民との交流を結ぶようになる。
そして、車を盗んだ少年が謝罪の為に彼の元で雑用をこなすようになって行く。
イーストウッド御大は少年に色々な事を教えるようになっていくのだったが……

人種問題の根の暗さに踏み込むと同時に、過去や人種、年齢に縛られない男の友情をも描いた男のための映画である。

でも、イーストウッドよ、ライバル故チャールズ・ブロンソンのように町の不良どもなぞ通販で買ってきた最終鬼畜兵器による容赦ない皆殺しでもいいんでないかい?
あんた老けていてもビジュアルも演技もダーティー・ハリーのまんまなんだから。

2010年1月19日火曜日

日本製少年

@金字塔的名作 ハイセンス過ぎるあまり埋もれてしまったのが残念無念

*ネタバレ

バブル崩壊後の日本という者にもっとも絶望したのは大人たちではない。むしろ若い世代であった。
少なくとも、大人はバブルの加護に触れることはできたが、新成人や青少年はその加護を受ける事は無い。
それは、親が得ていた物を自分が貰うことは無いという単なるエゴであるが。大小あれど、誰にだってこの矮小な感情を抱いてしまっていた。

そこで世間を逆恨みしてダラダラ作られたのが『オールナイトロング』という駄作である。
そしてエゴを認めつつもガムシャラに作られたのが本作である。
エゴを受け入れている者の方が狂っている事を嫌というほど見せ付けてくれるし、その器量がある者は映画にリアリティーを与える事もできる。

しかし、この映画はR-指定の扱いを受けているが、暴力描写に関しては劇中で1分も存在しない。 性描写も3分もなく変態的でもなく過激ではない。
なにが不味かったのは言うまでも無く、少年少女のディストピア・東京のリアルさと、大沢樹生演じる大和の不健全な性格の偏りだ。それは廃頽のように上品な物ではない。ただ単に不摂生で、道を踏み外したのでグズグズと立ち止まってる。

大和は喧嘩の末、父親を殺しかけてしまい、家出をしたものの、やりたい事も無く定職にありつけず、街を彷徨っていた。夜は、テレフォンセックスの相手に実際の殺人事件の顛末を語る虚無的な変態であった。

ある日、彼は町でティッシュ配りをする少女、薫が目に留まり、彼女にちょっかいを出す。
呆れながらも薫は、面白半分に彼を事務所とされるマンションに連れ込む。
そこで、日本語が明らかにおかしい女が、面白半分に二人に拳銃を手渡した。
薫の雇い主はヤクザだったのだ。このヤクザは、事務所に戻ってくると物腰柔らく大和に言い寄り、彼に料理を振る舞い、職の無い大和にトルエンの売人をやらせる。

こんな所で働いている薫もまた、家出少女であったのだろう。
彼女は、大和が親を殺しかけたと話すと彼女は彼に興味を抱いた事から、経緯は明かされないが、親に対して恨みを持っているようでもある。

二人を叱る大人など、いない。
二人は時に欲望のままにお互いの体を弄び。時に寄り添い、時にふざけあい、恋に落ちていった。

薫は、心臓の病が原因でペースメーカーを埋め込んでいた。
彼女は「サイボーグ トシテ ウマレカワッタノダー」など、自嘲するが、大和は「嫌になったら、電池を抜けばいい」と、心無い言葉をかけて彼女の乳房をまさぐる。
そうしていって薫も「私が死んだら燃えないゴミの日に捨ててね」と、大和に告げる。

そんな、二人はお互いを慰め合うように、癒すように、仕事以外は常に共にいるようになっていった。
しかし、大和はトルエンの取引中に拉致され、そのはずみで、チンピラを拳銃で射殺してしまう。

二人は逃げ出した、ヤクザから、警察から。昼は寄り添い合って、夜は絡み合って、街を彷徨う。
やがて、大和の実家へとたどり着くが、両親は大和の帰りを待つことは無く転居していた。
電話でこそ母と話していた大和は、ここで初めて後悔に身を震わせた。

結局二人は、行く当てもなく街へと戻っていった。
そこでは、ヤクザが待ち構えていた。
ヤクザは「お前らの面倒は俺が見る、逃げる手配をする。」とまたも優しく言い寄るが、それは彼らのお陰で露呈した不法行為を全て、彼らに擦り付ける為だ。
大和はすぐにコレを見破りヤクザを射殺。

ヤクザの逆襲で傷ついた大和だったが、幸い命に別状なし。
完全にドン詰まった二人は海岸に寝そべって、ふざけあっていた。不安をごまかすように。

しかし、薫は笑顔で言う「君がトルエン売ってたあたりなら見つからないかな?」
「バーカ!」と大和。

しかし、言葉と感情とは裏腹に、薫はペースメーカーの電池切れで死んでしまう。
二人で慰めあう事はできても、支えあう為の土台となる場所など無いと、虚無の浜辺にて悟っていたかのようにだ。
今日、その浜辺で力尽きたが、彼女は悔いなど無かっただろう。死に場所を見出せたのだから。

大和は、はじめこそ彼女の死を受け入れられなかったが、やがて、薫の亡骸からペースメーカーをえぐり出すと、街から消えた。薫を空き缶のゴミ箱に詰めて。
しかし、ここでも薫の死顔は、微笑んでいるようにさえ見える。

ラストシーン。
映像が荒い、夜も深けた。
大和が、突然車を止めると、無意味に銃を構え出した。
そして彼は、不敵な笑みを見せている。それは薫に見せていた男の笑顔では既になかった。
大和は、無意味に車へと戻った。

ただ単に「死んだ→悲しい」とか「後味が悪い→何度も見たくが良い映画」といった趣きを逸脱してしまったこのエンディングに筆者涙した。 切なくて、切なくて。

大和は銃口を何処に向けてしまうのか?もしくは一生もう引き金を引くことは無いのか?
小生どちらとも、考えたくなかった。

主人公大和を演じる大沢樹生、ジャニーズとの確執は不明だが、当時干されていた時期だ。
アイドルから急転直下、救いの手さえ伸ばされない荒んだ青年を見事に演じきっている。

薫を演じるのはAV女優の嶋田加織。しかし、彼女は下手すると唯の色情狂の電波女になりかねない薫という役を、絶妙なさじ加減で少女として演じきっている。一体なぜAVに身を落としていたのか見当がつかない。
(最も、AVに出演でもしていなければ本作のようなロマンチックとは言い難い濡れ場を演じたとも思えない)
この不可解な女優は本作の完成直後、AV界から突如引退。まるで映画の薫と同様忽然と姿を消した。

また、登場は僅かだが、この二人を完全に食っているヤクザを演じるのが鈴木一功。
このヤクザだが、あまりのリアルさに開いた口がふさがらなかった。暴力をちらつかせながら優しく言い寄る姿などは、連中の常套手段。鈴木氏はヤクザに騙された事でもあるのか、異常過ぎるリアルさである。
もし、『新・仁義なき戦い3』が作られるのならば、山守ポジションは彼しかいないだろう。

また、本稿には書ききれないが、独特とも言えるセリフの妙。
タランティーノ作品以上に無意味な会話だが、本作の脚本は完全に彼よりも一枚上手を行っている。

また本作は、三池崇史の最高傑作『新・仁義の墓場』にも絶大な影響を与えている事は明白である。
大沢樹生の起用と、配役のモノローグを活用したナレーション、ラストの荒いフィルムの効果等は明らかに本作を意識した物である。他、『日本黒社会』においても、トルエンで世界征服を企む男を哀川翔に演じさせている。
小生、『新・仁義の墓場』のレビューを最初に載せた時、ラストのこのフィルム効果に「受けを狙いすぎて好きになれない」といった趣旨の文章を文末に付け加えていた。しかし、その違和感の正体を結局解らず、削除したが、この度確信を持てた。世界の三池崇史が、その最高傑作にて本作をパクッたのである。

しかし、監督・脚本の 及川中 氏。本作以外まともな作品を撮っていない。

2009年12月12日土曜日

復讐者に憐れみを

@おすすめはできません

平野耕太という漫画家がいる。氏のブログ(現在は閉鎖)でパチンコに関する話題があり、曰く「『冬のソナタ』だか『チャングムの秋』とか知らんから、CR『オールドボーイ』とCR『親切なクムジャさん』を出せや!」と、全面的に同意できる氏の作風からは考えられない建築的な提案に私は感激した。その後は、氏の考えたリーチ演出(オデスが餃子食うリーチ、トンカチで歯を抜くリーチ、漂白剤で毒殺リーチなど)が書き連ねられていた。
しかし、本作『復讐者に憐れみを』に関する話題は一切なかった。
本作と『オールド~』『クムジャさん』はパク・チャヌク監督による復讐三部作という“韓流バイオレンス”の触れ込みで日本では公開されており、業界でも屈指のオタクである氏ならば、間違いなく目を通している筈なのだが、その後のCR『シルミド』のいい加減な記事内容からどうにも意図的に本作に関する話題は避けている。

というのもメチャメチャに後味の悪い作品なのである本作。
いや、後味どころか最初から最後まで、嫌な嫌な復讐の、殺し合いの連鎖が描かれる。

『オールドボーイ』では無敵の肉体を手に入れたオッサンによる悪党どつきまくり。
『クムジャさん』では殺しぶりが必殺シリーズのようなギャグと化し、被害描写すらブラックユーモアの域であった。

本作においてはそんなものは微塵もない。電源機による拷問殺害シーンは、ギャグっぽいのだが、見事に滑っており、痛々しい悲鳴が淡々と映され、そこに運悪く出前を届けにきたオッサンすら無慈悲にも殺す。シャレになっていない。

それよりも後の二作との決定的な違いは、悪党が存在していない点である。強いて言うならば、聾唖の主人公から姉の手術費用騙し取ったギャングがいるが、悪党というにはちと弱々しい。騙される主人公も間抜けだった。しかし、姉の為に思考停止していたのだから彼を責めるもの酷。最終的に金策に困り果て、共産主義に傾倒するアレな彼女と共に社長の幼娘を誘拐。姉には、友人から預かったとして、身代金が届くまで一緒に楽しく遊んでいた「ぼのぼの」を見たりして。しかし、姉は誘拐の事実を知って自身病体が原因だと嘆き自殺。 主人公は遺体を木の根元に遺棄、そして自責の念に駆られている内に、誘拐した娘がキチガイに連れ回された挙句に川に投げ込まれる。(聾唖の為に気付けず)
父親は、悲しみのあまりに発狂。空虚な怨念の申し子となりて、警察に捕まる前に犯人を自ら殺害する事を決意。主人公は、ヤケクソになりギャングの根城を襲撃する。
襲撃の当日、父親は、主人公の彼女を殺害。負傷しながらも襲撃に成功し主人公だったが、待っている筈の彼女は既に死体袋に包まれていた。
絶望し、生気さえ失せた主人公、だが父親は、容赦なく彼に襲い掛かり、足の健を切り刻んで川に放り込む、ここで父親は主人公に悲痛な顔をして呟いた。

「おまえ、多分いい奴だ。だから、解るだろ?俺がお前を殺すのが。」

復讐を終えた父親だったが、思わぬ所から彼に刺客が向けられた。
刺客たちに滅多挿しにされ、見に覚えないの無い「天誅」の二文字を貼り付けられる。

苦痛にもだえ、呻き喚き泣き叫び苦しむ父親の眼前には、自らの手で解体した聾唖者の肉塊の詰まった砂袋があった。

END。
(その後スタッフロール中にも父親の呻き声が絶命するまで聞こえるという不愉快極まりない仕様である。)

復讐を描き、徹底的に不愉快になった映画の前例としてショーン・S・カニンガム、ウェス・クレイブンによる『鮮血の美学』がある。こちらは「最低映画館」の岸田裁月氏のレビューれ有名だが、こちらはまだ、殺される側が当然の報いであったし、ボロボロ傷ついた復讐者の悲しみ俯いた姿のラストカットに希望を見出せる余地があった。
本作はどうだろう?強烈な不幸と死の連鎖にはケータイ小説だのの“悲劇”性は無く、恐ろしいまでにリアルな物だ。だからといって特にメッセージ性や教訓の無いハードさ。構築された映像は洗練され、隙が無く完成度は復讐三部作中最も高い仕上がりなのである、だが誰が見ても得しない、そんな映画。

2009年6月13日土曜日

ターミネーター4

@100-30+10=80点

*完全ネタバレ(マックGの奴は突っ込みを期待してるに違いないから)

タイトルは第一作を彷彿させる入り方だ。
で、その直後、2003年、死刑囚マーカスが、死後の自分の肉体をサイバーダイン社の人体実験の同意書にサインする場面に切り替わる。

予想外すぎた、ただでさえT2の続き、T3以上の糞を想像し難かった観客にとってもターミーネーターの始祖と思われる物がストーリーに絡めてくるとは。

しかし、またしても場面は変わり、西暦2018年。
ジョン・コナー率いる反乱軍はスカイネットの支部を襲撃する。
クリスチャン・ベールは今回無精髭生やした不健康そうな革命戦士をやってるが、ジョン・コナーというよりも何故か「グランド・セフト・オートⅣ」の主人公に激似である。

主人公にしてもグランドセフトオートにしても本作のジョン・コナー、恐ろしく頑丈設計を見せ付ける。
核爆弾の放射能をものともせず、荒れ狂う海にダイブして潜水艦に乗車など、ニック・スタールの時から進化しすぎだ。

そして、また場面は変わってマーカス君、核爆発の衝撃でターミネーター流儀にならって全裸で登場。戦死者の遺品からバイオレンスジャックの如くボロボロのロングコートで放浪を始めた。

また場面は変わってジョン・コナー、親父こと少年時代のカイルがスカイネットの暗殺リストナンバー1に昇格されたと知知る。しかも、反乱軍の上層部は捕虜を見捨ててスカイネットへの総攻撃を計画していた。これに四苦八苦するさまが描写されたと思いきや、

また場面は変わってマーカス君、LAに到着。うまいことカイル少年とT-600の戦闘に巻き込まれる。 カイル少年とスター幼女の罠にはまってアホの子600は秒殺される。

その後、ひと悶着ありながらもマーカス君とカイル少年は意気投合。マーカス君も事の事情を把握。お礼とばかりにラジオを修理するマーカス君。

するとどうでしょう。ラジオからジョン・コナーが世界中の人類を鼓舞しておるではないですか。

マーカス君とカイル少年とスター幼女は、彼らとの合流を試みにエスケープフロムLA。

ようやっと物語が強引な場面転換抜きに動き出すと、後はCGがパカパカ動きまくるターミネーター軍団との壮絶な撤退戦が繰り広げられる。

そして燃料探しにギャングが占拠する商店に迷い込むと、超ド級巨大ターミネーターの襲撃を受け捕虜にされそうになる一行。

マッドマックスばりの卑怯戦法で辛くも逃げ出すのだが、巨大ターミネーター、体内からバイク型ターミネーターを放出。マーカス君にカイル少年は、トラックの装備を駆使して脅威の追撃を逃れたかに見えた。
しかし、スカイハンターに先回りされた挙句に、巨大ターミーネーターに追いつかれ、カイル少年とスター幼女と、マーカス君は逸れてしまう。

マーカス君、またしても放浪開始するが、ここでジョンの部下、女レジスタンスを助け出し、道中、ギャングの脅威からも守るのであった。

その頃、カイルたちは人体実験の材料として運び込まれる。
もうスカイネットは原爆落としたり、人体実験やったりと、第二次世界大戦の戦争犯罪の博物館の如き極悪人ぶりである。
カイルはとうとうターミネーターに見つかってしまうのだが、なぜか殺しはせずに彼を独房に放り込んだ。

女レジスタンス、ようやくジョンの下に戻ってきたのだが、マーカス君がターミネーターだと発覚。衝撃を受けるマーカス。「知っとるわ」と心の中で切れる観客。

マーカスと女レジスタンスは、駆け落ちを試みるのだが、見事失敗。
徐々にボロボロになっていくマーカス。
しかし、怪我の功名。ジョン・コナーを蛇型のターミネーターから救ったマーカス君。

ジョンは彼にチャンスを与える。スカイネットに侵入し、捕虜収容所のカイル少年救出を手伝えと。

マーカスは通信機片手に、カイル救出に向かう。

そして、捕虜ごとスカイネット爆破を試みる非常な反乱軍の元締めたち。
ジョンはコレに徹底反抗。バイク型ターミネーターを鹵獲して単身でマーカスの後を追って、スカイネットを目指す。曰く「I'll be back!」

そしてFF7のミッドガルとスラムキングの新生魔王城をごった煮したようなスカイネット本部では、マーカス君は衝撃の事実を知るのであった。スカイネットがビジュアル系だろうが鎧武者だろうが斬馬刀を持っていない事を祈ったのは俺だけでいい。
なんとマーカス君はターミネーターのプロトタイプなどではなく、スカイネットが2003年のサイバーダインに干渉して作り上げた、ワンオフの特注品だという事が発覚。一番衝撃を受けたの当人以上に試作機だと思い込んでいた観客。

その時ジョンとカイル少年はスカイネット本部の中に―――

マーカス君は起動次第、最低限の遠隔干渉で、カイル少年とジョンを、スカイネットに連れ込むみ罠によって両者を抹殺するというスカイネットの悲願を背負ったターミネーターだったのだ!

そして、ジョンはカイル少年の独房を発見したと思いきや、中から出て来たのはアーノルド・シュワルツェネッガーをCGで描写したT-800!
ジョンは、間髪いれずに蘇った鋼鉄の悪魔にマシンガンをぶちかます!

T3のアホらしい自身の死因フラグを2秒で完全破壊したジョン・コナー
スカイネットに操られ、今はおちょくられて完全にぶち切れたマーカス君
未来への希望となったカイル少年。
そしてあらゆる意味で不気味なT-800は未来を賭けた最終決戦に身を投じるのである。


と、大体の粗筋に初期の映画秘宝を意識して突っ込みを入れてみたのだが、アクションシーンのデティールの細かさや、T-800との観客の全身の血が燃え滾り全霊が咆哮する熱い漢の戦い、マーカス君の決断に感動を禁じえないラストは当方では伝えきれません。実際に御覧いただければ100点に相応しい内容だったのですが・・・・・・

序盤、観客を引き込み損なったのは10点マイナス。序盤の場面転換は常に荒削りであり、リスチャン・ベールの登場を遅らせれば解決できたはずだ。(本末転倒になりかねないが)

あと、メカニック。人類軍の装備がハイテクすぎる。USBメモリにiphoneみたいなタッチパネルのガジェットなど、どこのブルース・ウェインが持ってきた?
ソレに対してT1、T2の時はレーザーライフルを撃ちまくってたスカイネットの、ガトリングガン至上主義はなんなのか?ちょっとローテク過ぎるだろ。これも10点マイナス。

で、シュワルツェネッガーことT-800初回限定版。
登場時のインパクトは抜群だったが、次のカットで影ノミで現れた瞬間。観客全員が鼻で笑っていたぞ。あと、骨格化するの早すぎ。ご丁寧に顔面から消失。また観客全員が鼻で笑っていた。俺は笑いを堪えていた。たぶん俺が笑っていたら全員笑っていただろう。
というわけで、手を抜かない事。マイナス10点。

しかし、10点献上したい事が一つある。
T1のラストを思い出していただきたい。サラ・コナーがジープで駆けていく永久に見えたあの荒野を。

本作ではあの荒野の雰囲気が存分に引き継がれている。その点では本作はT1の最も正当な続編と呼ぶに相応しい貫禄を得ている。

2009年5月18日月曜日

アドレナリン

@COOL!!

ジェイソン・ステイサム演じる殺し屋が毒を盛られた!
解毒剤を入手するまでの間、アドレナリンによって毒の進行が抑えれられるという毒物の特性を利用し、上映時間90分弱、延々とクレイジー&バイオレンスなアドレナリン大放出行為を繰り広げながら、敵のギャングを血祭りに上げていく。

気取った芸術家気取りで、クールを寒いと書いた様なくっだらねぇ映像加工が蔓延するデジタル時代において、ついに出ました決定版!

GOOGLEアースに、注射器のメモリ、不統一なテロップ。
全部、単純明快で、下品さチープさ全開。

だからこそCOOL!ステイサム出演のイカレタ低俗映画にゃ最高のスパイスなのさ。

ストリートギャングに喧嘩を売る。
ショッピングモールで暴走車両。
病院襲撃。
ワッフルメイカーによる自傷行為。
公開SEX。
大ステイサム空中決戦。

等などなど・・・全編ダレ場無しの本番勝負。必見!

2009年4月21日火曜日

13日の金曜日(2009)

大傑作


本作、あまりの出来の良さに驚いた。『テキサスチェーンソー』のおける失敗を完全に見直している上に、十余年ぶりに丁寧な作りの『13金』を見ることが出来たのだ。
思い出して頂きたい。13金はパート6からは完全に馬鹿映画だったではないか?7、8、10などはマリファナ吸いながら作ってると疑いたくなってくる。(9?帰れ☆)それほどシリーズに対しての作り手の怠慢を感じた。それでもジェイソンというキャラクターが確固たるものであったのは演じたケイン・ホッダーの功績といえる。

で、本作、はそんなシリーズ後期のに渇を入れるべく、前期シリーズの時代を超えた総決算たる作品である。

物語は第一作のラストシーンのリメイクから始まる。
そしてタイトルインまでの約20分、マリファナを探しにきた不良学生を、風紀委員の如く取り締まるジェイソン君。
これまでのお決まりパターンを態々短時間でおさらい。本編は2~4のリメイクとして進行する。
ジェイソンの理不尽な殺戮は常に映像に緊張感を絶やさない。これこそがホラー映画の真髄である。6作目以降、奪われていた牙をジェイソンは取り戻したのだ。

ジェイソンも2~4作をトレースしつつも現代風に上手くアレンジしている。
が、ネグラに死体を持ち帰る描写は蛇足である。

もっとも興奮した場面を上げればあのジェイソンが車を運転しているのではないかと焦らすシーンである。
ジェイソンが車を運転しているのか後ろから現れて打ち殺すのかはぜひ肉眼で確認していただきたい。

2008年12月6日土曜日

「ゴジラ」(84版)

9年ぶりの新作、SFブーム、米ソ冷戦期などなどの特殊な事情により、ゴジラシリーズとしても、怪獣映画としてもカナリの異色作となってしまい、賛否が現在も特撮オタクの間でやいのやいのうるさい事になっているが、私は異色作だからこそ本作に一票。

本作、大人向け(つまり一般大衆向け)のゴジラを撮ろうと奮起するあまりに、映画全体が終始暗い、冷たい、重い。三拍子の空気で構成されている。

しかし、これらは結果として、新生ゴジラに不気味さ、おどろおどろしさ、体重3万トンの重厚感を与えており、恐怖の象徴としての怪獣の二文字に相応しいものとなっており、その破壊描写もどこか陰惨だ。
怖いゴジラ単騎を描くのならばこういうのは全然アリだろう。

ドラマ面では、ゴジラが国際的問題として取り上げられ、核を使うか否かという論議にまで発展するなど政治戦略的な場面が盛り込まれ、逃げ遅れた主人公一向のゴジラの襲撃を受ける東京のビルからの脱出はゴジラの被害を被る個人を描いた試みも評価されるべきだろう。

ただ、良い所ばかりではない、都心へとゴジラを誘導する自衛隊。ゴジラが来てるのに運行する新幹線。核兵器を結局使うソ連。など等、

撮りたい画の為に理性を失ったスタッフの暴走が伺える。

ただし、出来上がった映像は迫力満点。名場面の連発なので仕方が無い。
ただ、この辺の問題を解消していたならば娯楽作以上の評価を得ただろう。

2008年11月12日水曜日

「いつかギラギラする日」

いやー本当に面白い。作品全体が見せ場と言わんばかりのテンポのよさと暴れぶり。深作欣二監督によるバイオレンス映画の傑作だが、過小評価されぎみ。たぶん世代の違いだろう、ゲーム「GTA(グランドセフトオート」で発生するようなドライで荒々しいカーアクションと銃撃戦は今の世代向けといえる。

仲間を罠に嵌められた凶悪強盗犯、神崎(萩原健一)と、強盗ネタを持ち込むロック狂の不良、角町(木村一八)・裏切り者の麻衣(荻野目慶子)との間ですさまじい現金争奪戦が展開される。

要するに旧態然とした「ギャング同士の金の取り合い」なのであるが、ハリウッドの最低映画ような見せ場だけにこだわらず、アジトや武器商店のディティールの細かさ、度を過ぎないがアイデアに富んでいて荒々しいアクションが、旧新ギャング同士の金の奪い合いというストーリーに渋くマッチ。邦画はもっとこういう映画を撮るべきである。ハリウッドの猿真似では最低映画しかできないよ。

ただ、本作深作作品にしては珍しく音楽がOPの最初のほう以外まるで出来が悪い。
「ロックしろよ!ロック!」名言と共に再評価されるべき傑作である。

2008年9月21日日曜日

ネクロマンティック=特別版=

シリーズ2作が上映禁止の上にフィルムを焼却せよと命令が下り、
監督がダビングした素材を持ったまま行方不明になり、
世界各国のキワモノ配給会社がこぞって救済の手を差し伸べ、 結局一儲けできたという面白すぎる逸話が残っている、 ドイツでは『ギニーピッグ』に相当する危険物である。

この特別版、上客だった我が国の「アルバトラス」のお金儲けの為に、
1と2をくっ付けたバージョン。(これで儲かっている日本に生まれてよかったと思っている)

ゲームマニアにも解り易い様に言うと「コーエー」のパワーアップキット的意図の作品である。

とはいってフェイスは、人生でようやく遭遇できたのはこのバージョンだけで
特に文句を言わず謹んで危険物の取り扱いの注意書き・・・・じゃなくて感想を書こうと思う。

「・・ロマンティック」とあるように、死体をロマンチックに撮ろうと凄まじい努力が見られるが、死体との3Pを真面目に撮っている為、悪趣味で笑えないコントそのもので、ほか心理表現が妙に上手い演出が、シュールな光景と微妙な共感を生むのだが、中盤の主人公の割腹大射精自殺で、ドン引きせざるを得ない。

後半になると、二人目のネクロマニア(女)が“恋と死体”の間で葛藤するのであった。
で、死体と愛と葛藤の深刻なのは登場人物だけの120分のラストには・・・

もうこの大残酷シーンは・・・凄まじすぎて笑うしかなかった。

「思考回路はショート寸前♪」で120分見てたが此処で、
完全にショートしてフルメタルジャケットを装填し、軍曹を襲撃するような破壊力がおれの腹筋を破壊した。

いやー、ドイツ病んでるよ、ドイツかわいいよ、ドイツ。ドイツは俺の嫁。

2008年9月18日木曜日

新・仁義の墓場

『仁義の墓場』(深作欣二)は、実在した狂犬ヤクザをモデルに作られた作品で、要所要所に資料映像が入る(ただし、殆ど捏造である。)『仁義なき戦い』以上の実録色を誇る怪作。「戦後の暴力史上最も凶暴といわれた“伝説の狂犬”石川力夫。16歳時の新宿の抗争事件から頭角を現し、21歳で親分を斬りつけヤクザ社会から「関東所払い10年」の制裁を受ける。特異な生き様を送った実在のヤクザの半生をダイナミックに描く。」(アマゾンから引用)

石川力夫の行動は、犯罪、犯罪、犯罪、と実在した人物とは思えない潰れっぷりである。
まさに仁義なき殺人機械。これは初主演だった渡哲也の最大の異色作であるといえる。
『仁義なき戦い』以上に暴れ狂う一発撮りと思われるカメラワーク深作欣二の実録ヤクザ路線の
持ち味を最大限に発揮され文句無しのやくざ映画の傑作である。

で、「新・仁義の墓場」(三池崇史)は、現在の日本に舞台を変えて、主人公の名を石松陸男に改めフィクションとして作られた作品である。

結論から言おう。本家を上回る超名作であり、邦画史において21世紀最初の凶悪な残虐暴力巨編である。
深作さんは、狂犬として石川を描いたが、三池さんは狂気として描いている。
わたしは大概のことにはビビらないが、本当に本作の石松陸男(岸谷五郎)には心底恐怖した。
石川力夫は遺骨を喰うなど常軌逸した行動で観客をドン引きさせたが、それ含めてある種の感情移入ができた。 救いようが無い滅びる絶対悪、その姿は常にどこか哀れだった。
だが、石松陸夫はそれこそ劇中の鉄パイプにぎって殴りかかってくる恐怖がビシビシと観客の脳裏に叩きつけられ、画面越しに恐怖した。それこそスプラッター映画の殺人鬼のような正体不明の恐怖と暴力の恐怖から、ありがちな部分、安心できるお約束を差し引いたた感じである。

次に何をしでかすかまるで読めない狂人の所業。誰も石松陸男の狂気と破壊から逃れる事はできない。

以下、全編見所の本作において特筆すべき見所。

ジョン・ウー作品へのオマージュで二丁拳銃で暴れる三池崇史
レイプ前に、カラオケボックスで「あーあー」と延々唸ってる石松陸男
ラリって爆音メタルのリズムに合わせて自室で銃を延々と乱射する石松陸男
鉄パイプで嫁の仇を取るツンデレな石松陸男
その後の戦利品をあさる不振な挙動
パンツ一丁で警官隊と互角に銃撃戦を繰り広げる石松陸男
銃撃戦の末、嫁の名前を連呼するデレデレの石松陸男

お勧めの作品

『仁義なき戦い・広島死闘編』・・・同じく狂人ヤクザ、大友勝利の残虐ファイトに注目せよ。
『野望の王国』・・・柿崎憲
『八仙飯店之人肉饅頭』・・・変態的カニバリズムを一切排した合理主義者のウォンの冷徹な狂気は石松に通じる物がある。