2010年10月20日水曜日

エクスペンダブルズ

@超快作

『ランボー/最後の戦場』を彷彿とさせる血飛沫が多数見受けられるが想像以上に牧歌的というか旧態然なアクション映画に仕上がっている。否、堅実というべきか。ともあれ圧倒的な豪華キャストを惜しみなく、ふんだんに映画に参加させている。80年代~90年代を代表するアクションスター揃い踏みのメモリアル作品にして出来過ぎと評すべきだろう。いや、むしろそのコンセプトとしては80年代のアクション映画のスタイルに忠実である事がミソなのだ。

豪華キャストといえど、メインを絞ればスタローン、ジェット・リー、ジェイソン・ステイサムの3人となる。しかし脇を固めるキャストも彼らも志は同じにみえた、これまでどおり全力で役に望んでいる。それも変に意気込んだ演技力などではなく彼らが個々に持っている俳優力をもってしてだ。どんな役をやろうとスタローンはスタローンであり、ジェット・リーはジェット・リーなのだそれが観客の見たい全てなのだからだ。

脚本やら詩的な演出は端から期待していないし概ね凡庸だった(不覚にもスライとミッキー・ロークの語らいにはジ~ンと来たが)が、そこもこの映画のミソだ。随所に挿入されるアクションシーンに趣を置いて映画の尺は90分を保っている。王道の90分を貫いているのだ。 これはむしろ評価すべきである。

この映画の唯一の問題は、シルベスタ・スタローン以下、どいつもこいつも滅茶苦茶強そうにも関わらず、敵勢力があまりにも力不足であるといわざるを得ない。『コマンドー』におけるベネットに相当する身体的な攻撃力の差を覆すような敵が明らかに必要だった。
黒幕と言えば、『ダークナイト』でトゥーフェイスにあっさり殺されたエリック・ロバーツ。 
弱い。 
終盤では『タイムクライシス』のワイルド・ドッグを彷彿とさせる、計画破綻→ヒロイン連れて高飛びという負けフラグ全開でエクスペンダブルズに挑むが、自爆する事もなく死ぬ。弱い。


離叛したドルフ・ラングレンがエリック派に着いている時点ではいよいよ厄介な相手に思えるのだが、ドルフとジェット・リーの夢の対決(少なくともドルフのファンにとっては)が実現した後、退場してしまう(どっちが勝ったのかは映画を見てね。)

そういう意味では私的にはドルフ・ラングレンが一番、役得だったようにも思える。ジョークが通じるいつも(B級アクション映画)のドルフも、クレイジーで野蛮な悪党ドルフにも見せ場があったし、この映画に強敵を求めていた観客は誰も彼の退場を惜しんでいたに違いない。

2010年10月6日水曜日

学園黙示録ハイスクール・オブ・ザ・デッド

@擁護不可能のゴミ
@制作関係者に不幸が起これば本編よりも楽しめる自信がある


00年代の“萌”史上主義が日本のアニメを如何に衰退させ事を象徴するような駄作。

10年に一度の駄作は恐らく『コードギアス反逆のルルーシュR2』で決まりかと思われた矢先原作が登場し、筆者を激怒させるという偉業を達成。
ギアスは一期の成功を完全に破壊したというのが大きいが、コレは徹頭徹尾駄目。

原作に忠実であるにも関わらず駄目。要するに原作からして観賞に耐えられない駄作なので平行してレビューしようと思うのだが、擁護不可能とあるように全編を構成する最低要素の尽くを私の力量で列挙できるかいささか不安である。

本作はゾンビ作品の造詣に詳しい者ほど楽しめないという非常に珍しい傾向を持っている。端からゾンビ映画のファンを商売の相手と見ていないゾンビアニメなのである。

例えばタイトルに学園黙示録とあるがゾンビ映画の基本である篭城を日本の高校で再現することは無い。原作一巻の後半に入った時点で学園から脱出してしまう。
あまりに短かった為、原作に至ってはコミックが進むにつれてオマケという形で学園にゾンビが発生した顛末を補完している。
そしてアニメにおいてはそのシークエンスを全て第一話に再編成される始末である。

これを私が脱構築と褒められないのは、追加シーンを含めて主人公たちが他のゾンビ作品の主人公達よりも優れた脱出計画を立てたとか脱出の努力を行ったのではなく、淡々とさも当たり前のように脱出に成功しているのである。工夫というものが一切合切感じられない。

ゾンビに至っては視覚を失って聴覚で反応しているという設定がある。恐らく元ネタは『バイオハザード2』のリッカーであろうが、そもそもリッカーはあのグロテスクな容貌に、第一作におけるハンターに近い立ち位置である。ゾンビよりも強いが故に目が見えないというハンデを与えられているのだ。これはドラキュラにニンニクや十字架という弱点があるような妥当な設定だ。しかし、本作ではゾンビが視界を奪われた暗闇で有利という描写すら無くただただ他作品と比較して脆弱な個体となっている。
まあ、高校生=ガキが相手にする上に、銃の無い日本が舞台なんだから必要な設定だろうと思っていると、主人公たちは日本では有り得ない事に簡単に重火器を入手してしまうのである。

この時点で本作は、主に米国で生産されるゾンビ映画を、日本を舞台に置き換えた際にシュミレーションすべきである銃規制という環境下でのゾンビとの戦いを完全に放棄している。しばしばコメディーと評される『ショーン・オブ・ザ・デッド』でさえこの考察に踏み込んでいた。

その経緯があまりにもお粗末も良い所で、運良くゾンビになっていない警官の遺体から、拳銃を手に入れるまでは良いとしても、主人公らに同伴する保険医の友人が警察の特殊部隊で、マンションの一室に馬鹿みたいにデカいライフルやら散弾銃を弾と一緒に3丁も置いており、それを無断に拝借する。果てには右翼団体の庇護受けるなど、日本において深刻な火力不足という事態に一介の高校生が全く陥らないのである。

この緊張感の無さに拍車をかけているのが“萌え”を重用した陳腐以下のキャラクター群像である。

この作品のメインキャラクターは主人公以外に男が居ない。もう一人、居ることは居るのだがデブのガンマニアというモテ無い街道まっしぐらのオタク君(モデルは平野耕太らしいが俺は認めない)。それ以外は全員女性という緊張感0のパーティー。

特に主人公らの同伴者である保険医だが、街中にゾンビが居るという非常自体であるにもかかわらず、彼を守る大人という認識というものがなく、酔っ払て主人公に欲情し甘えたり、ブランド物服を破られて怒るなどといった、手のかかるお姉さんというキャラクターが全面的に押し出されており大人不在という最低系ラブコメから引用されたような人物である。

続いて剣道部の毒島ついてはただただ不愉快でしかない。
マンガとしか形容できない武家口調の彼女を大和撫子キャラとして萌えの対象と捉えているファンが居るが、下賎であることもはなはだしいというもの。初登場時に噛まれた生徒を生きてる内に撲殺するというインパクトは評価するものの、その後は服が濡れれば、裸エプロンにTバックで主人公の前に堂々と現れたりゾンビを殺せば「濡れる!」とサディストの色情狂にしか見えない。特にゾンビや暴漢を相手に立ち回って性的興奮をするなどとは本作に限らず性的サディズムと敵への加虐欲を一緒くたにした底の浅いキャラクターの典型ともいえる。その後も和服を着たりるなど形式ばった大和撫子を作り手は演出するのだが、やるだけキャラクターが浅さが露呈されるだけ。黒髪美少女が刀振り回してゾンビを狩り殺す事に文句言いたいのでは無いが毒島はただのテンプレートの寄せ集め。虚数の塊だ。

第8話におけるようやくピンチといえるピンチに陥る描写もひどい物で、ハマーみたいな大型車両に主人公一味はほぼ無傷で乗っているのだけれど、放置されたゾンビ用のバリケードに行く手を遮られるのだけれど、このバリケードがDVDで修正されるんじゃないだろうかってぐらいのスッカスカのワイヤーで作られている。ほんと、大人2、3人一変に通れるぐらい。

後ろからゾンビがやってきてみんな戦い始める。この戦い方もヒデーの。JKの巨乳を三脚代わりにライフルぶっ放すわ、その銃弾を追ってカメラがが上記の侍(笑)ガールの股間の間を通り抜けて食い込みパンツのドアップ。続く2発目は、侍ガールの揺れる乳と乳の間を間一髪ですり抜けちゃうの。

金網がスカスカなのはこんなくだらないシーンに時間をかけて作画スタッフが手を抜いたのかよ?

かくもゾンビの頭がパーンとか、仲間がゾンビに食われるとかいうゾンビ作品の醍醐味は起こらないまま。侍ガールと主人公は、散々乳やらパンツやら晒した挙句、余裕綽々とゾンビの群れを素の足で突破する・・・

つーかさー、こいつら重火器持ち歩いてるのにスッカスカのワイヤーを切れるようなペンチすら用意してないのかよ!
例えばゾンビに追い詰められたシーンで「そうだ!金網を切れ!早く!車載工具使え!」って流れになって、仲間たちが撃っても撃ってもやってくるゾンビの中で車載工具にあったバールで無理矢理に金網をねじ切っていって、人ひとりギリギリで通れる穴を空けて金網を突破。主人公らは難を逃れるが仲間の一人が・・・って流れならハラハラしておもろいんとちゃうん?

ていうかデブ(平野耕太とは認めない)は、武器の知識満載の癖にレザーマンの十徳プライヤーぐらい携帯しといてよ!男のロマンは銃撃戦<<ワイヤー切って要塞潜入といえばミリオタの義務じゃろがい!(ゴリエ風に)

このように浅い知識でゾンビを射撃の的程度にしか認識していない、世のゾンビマニア達には腹立たしい内容なのである。
たしかに『バイオハザード』はゾンビ虐殺ゲームという評価もあって、射撃の的ではあるんだけど、あれはまだ「ゾンビと戦える」という発想の黎明期のものだし、後年の『デッドライジング』もゾンビ虐殺ゲームには違い無いし、終盤フランクが強すぎたり、銃の優位性が皆無等は私的に評価を落とさざる得ない。
だが、これらは『ゲーム』であってクリボーにまでキャラクターは要求されない、それどころか両ゲームのゾンビはちゃんと作品のアイコンとして機能している上に、プレイヤーの攻撃によって倒されるその瞬間、血と肉の華と開花する時、確実に主人公よりも輝いて描かれている実質主役と言ってもいい。そもそも両者は倒しても倒しても現れる恐怖をしっかりと描いているし、ゲームオーバーも有り得る。

しかしアニメでそれをやるのはどうなんだ?本当に没個性な射撃の的だもん。強力な個体や以上に目に付くファッションのゾンビなんていやしない。主人公らの攻撃力が衰える事は無く(ハーブを食う代わりに精々JKが風呂入る程度)せっかくゾンビがえげつない死に方する時でさえ主人公やヒロインのほうが輝いて描かれている。同じことは『実写版バイオハザード』にも言えるが、本作は一つ頭飛び抜けて酷い。『実写版バイオ』は一応ヒロインアクションとしてはしっかりと作られている上に、スプラッターシーンにも趣を置いている。

本作は例えるならば、自分の考えたゲームの内容をベラベラと喋り始めた挙句に「ここで裏技が使える」と悦に浸って妄想を垂れ流されたようなものだ。しかも20分x12話=240分延々と。

しかし、本作。コレだけでアキバ系のお兄ちゃんの人気になったのではない。全編に頻繁に挿入されるネトウヨ的な未熟な政治的見識を全肯定するシーケンスの数々。

例えば、主人公らが武器を手に入れたマンションから見える橋にバリケードが築かれているんだけど、そこに「彼らはゾンビではない!米軍が開発した殺人病ウイルスの犠牲者なのだ!」という世にもぞんざいな反米左派が橋に大挙。その凶行によりバリケードが崩れゾンビと人々が橋の上で入り乱れて、人間屠殺場と化すホラー描写に転換される・・・・・・事は無く、警官が左翼を射殺して事態を収拾させる。

あのー?パニックは?地獄絵図は? 

ていうか、こういう時に大挙するのってプラカードもった学生運動残党じゃなくて子供を抱えた親とか怪我したり噛まれた人かその親族や友人だよね? いや、いないことはないのよ。左翼に対して絶対数が有り得ないぐらい少ないの。むしろ彼らは警察に従順に描かれて、左翼が邪魔をして死んだって展開。

なんつーか、警察という国家権力がネトウヨの嫌いな物を否定するのをやりたかっただけじゃないの?
普通のゾンビ作品はゾンビにこういう役を譲る。ゾンビが左翼の内蔵を掻き分けて残虐な処刑を加えるのだ。観客が見たいものはソレの筈だからだ。
しかし、アニオタの間で増えるネトウヨ層はゾンビよりも国家権力が左翼を殺すのを望んでいるのね。
他にも『狂い咲きサンダーロード』のスーパー右翼みたいな連中が市民を守っているんだけど、ゾンビ化した同胞をオリに入れて要塞で「自己犠牲」や「愛国」などの綺麗事を並べて、保護している市民の前で処刑する。彼らの意思・肉体の強さやカッコよさを前面に押し出しているのだが……ごめんなさい。わざわざゾンビを要塞に連れ込む時点で、保護されている身分でも市民は「キチガイだぁ」って思っちゃうよ。綺麗事まで並べられたら尚更。
あげく原作では彼らを思想派右翼として三島由紀夫を引き合いにしているのだがそれでいいのか!自衛隊のお偉方を人質にして自衛隊員に「クーデターしようぜ!」っていうような人だよ?映画『MISHIMA』劇中でもあのへんの件は、思想派右翼としてではなく、劣等感とコンプレックスの暴挙として描かれてたんだが。

少なくとも「ここのお館様はキチガイだが、ゾンビに対抗できる武力を持ってるから従っておこう」か「あのキチガイをどうにかして縄で包んしまって、自分たちでこの屋敷を乗取ってしまおう」という打算的な見解が人によってぞろぞろ出てくるハズだ。しかし、このアニメには彼らのような小市民的考えの大人は登場しない。右翼の屋敷に保護された大人たちは全員日教組的な左翼思想の持ち主で、「彼らはゾンビではない!米軍が開発した殺人病ウイルスの犠牲者なのだ!」と言い放つような愛国心とやらを忘れた人間しか居ないのだ。

別に右翼がどーの左翼がどーの俺が言いたい訳では無い。というかこんなアニメを引き合いに言ったら馬鹿だと思われることぐらい解ってる。上記の通りで、回りの見えなくなっている災害被害者や、打算的な見解がきる大人の存在を無いことにして進行する右左の二極論で物語が成り立ってしまう事が極めて不自然であるといいたいのだ。ゾンビという災害、パニックを描くストーリーで登場人物を2人しか出さないようなものではないか。

他にもペ・ヨンジュンをゾンビ化させて射殺したりしている。まあ、イ・ビョンホンだとゾンビ相手に大立ち回りをやらかして「コーブラー!!」(ジ~アイジョ~♪)とかやるからヨンジュンなんだろうけど、ヨンジュンもコムド(韓国の剣道流派)・合気道を収めているので、剣道部の女子高生が活躍できる世界ならそこそこ戦える筈だと思うんだけどね。

あと冒頭やENDロールに入る各国の危機的状況の描写が本編の内容と比較して極めてアンバランスに思える。っていうか駄作の定番である無意味な設定の描写だ。

なお、本作はそれなりにヒットしてしまい、第2期の制作が決定している。

・・・ごめんなさい。もっと言いたい事があるんだけどもう悲しくなってレビューできない。

兎に角かような駄作にもファンが付き、スポンサーが歓迎する日本アニメの現状はもはや世界一のアニメ大国などとは言えない危機的状態に陥っていると断言できる。(誰だよ、アニメの殿堂作れとかいったバカは。)

確かに深夜アニメとはいえ、こういう題材が表に出てきたのは評価すべきかもしれない。しかし、逆に言えば“萌コンテンツ”に乗る為には題材を選ばないというスポンサーの底の浅さが露呈した。テレビドラマと変わらないよ。

俺はアニメの娼婦を見たいんじゃない!ゾンビが見たいんだよ!もっと言えば美少女フィギュアなんざ買わねーからゾンビのフィギュア売れ!スポンサー!

と、いうわけで紛いなりにも面白い和製ゾンビアニメのアイデアを箇条書きして本作への溜飲を下げる事にする。

・OPはディルアングレイがものすごいゲロ声で最高のバラードを送ってくれる。ライブでは『残』並に何言ってる解らなくなる。
・主人公は派遣労働者。相棒は土方。
・ヒロインに豊齢線アリ。
・幼女の首を絞めてレイプするキモオタとが出てくる
・ゾンビのリボルテックとかフィギュアがモリモリ販売される。
・ゾンビのデザインはフルチ作品を参考にしておりウジやらゴカイやらの作画が糞リアル
・ゾンビは731部隊が開発した細菌兵器が原因。
・その封印を解いたのが赤ィなんたらっていうテロリスト。目的は帝国主義のネガキャンの為という回りくどさ
・過激派のボスは部下に黙って強盗計画を並行させていて、この騒動で退職金代わりに頂戴しようと目論んでいる。最後に「この金は俺のもんだ!ゾンビのケツを拭く紙になんざさせねぇ!」とかのたまって死ぬの。
・分身の術紛いの高速で移動しながら火の玉ばらまくアホみたいに強い個体が最終鬼畜兵器的に登場する。
・テロリストは復活させたその個体が皆殺しにする「ワタシハ ダレノ メイレモ ウケナイ タダ ハカイ スルノミ」
・なんか高圧ガス的な圧力が加えられた鉄パイプ的なナニに貫かれて、やたら強いっていうか1コインクリアさせる気が無い個体は死ぬ。

平野耕太先生。こっちのほうが面白そうでしょう?

2010年9月12日日曜日

モスラ3 キングギドラ来襲

@駄作
@っていうか、なぜこれを興行しようと思えた?

現在に至って平成『モスラ』シリーズは特撮ファンから無視されている。原因はその特殊効果の酷さにある。

『ゴジラVSデストロイア』でゴジラを休業させた東宝だったが、来年の正月に何を興行するのかと思いきや節操無く『モスラ』を発表。だれもが1961の大作『モスラ』のリメイクかその続編を想起させる予告編だったが、翌年、劇場に足を運べば、これがテッケレツのパァ(最低映画館風に)

おそらく平成ゴジラシリーズの半分かそれ以下の予算で制作されており、内容は子供向けにシフトチェンジ。
この「子供向け」というのが、昭和ゴジラの低迷の反省を全く活かしておらず、ただただ押し付けがましい教訓話を強引に引き合いにしながら続く、ショーモないホームドラマと、敵かモスラのいずれかが有利で面白みの無い戦いが続く。
「世代交代を明確に示す新・モスラ誕生」という本作の見せどころ流れに到るまでの全てが酷過ぎる。

翌年には、『モスラ2』を発表、大怪獣ガルーダよりも硫酸で漁師を焼き殺すヒトデの方がよっぽど怖いという本末転倒。

二作が子供に訴える「環境問題」については、子供に教えるというよりは、問題の解決を子供の将来に押し付けているようにさえ思える。

そしてトチ狂った東宝が最後に仕掛けたのがこの『モスラ3』である。
もはや内容はモスラでも子供向けでもない、『ゴッドマン』に近い。

3人の小美人の属性が『ゼルダの伝説』のトライフォースを盗用するに始まる。しかも本編に一切絡まない不要な設定。(当方の駄作評にて定着してきたが、糞映画の第一条件なんです。無意味な設定は)

続けて「嫌いな物を食べるのは自分に嘘を付いたことになる!」という小役の訴え。
しかもコレを黙々と聞き入れる父親が大仁田厚。とりあえずそんなガキ殴っとけよ!

で、我らがキングギドラ尊が上空を飛んで市街地をモリモリ破壊。ここはまあ面白い(約3分ちょっとカップラーメン作るときもこれで退屈しないね!)

しかし、キングギドラ尊の目的がセコ過ぎる。幼児誘拐だもん。
『学校の怪談』シリーズの妖怪と同じノリ。っていうかアレよりも特殊効果が酷い。子供がペラペラの紙みたいになってノイズが走って、ギドラ尊の富士樹海基地にワープする。あまりにも安っぽいぞこの特殊効果。小美人の一人がこの模様を「二億年も生きていたらこんな能力が身につくのか!」の一言で説明してしまうが全然意味がわからない。

小美人の珍プレーは他にもある、主人公に対面して、

小美人「お名前は」
「園田」
小美人「園田なにさん?」
「園田翔太」

迷子センターかよ!

この後も、子供たちを探して洞窟でさ迷う大仁田(以後、劇中で一切活躍はない)や、第一ラウンドでキングギドラに圧倒されたモスラに、園田翔太君が「がんばれ!」と声を賭けられると「キューン!キュワーン!」と相槌をを打つ律儀なモスラなど、ツッコミには事欠かない。

まあ、この辺はむしろ笑えるので許すが、本作は前記の通り特撮効果の酷さ故に、特撮ファンから無視されている。

その真骨頂たるが、タイムスリップして若い頃のキングギドラを殺そうってパート。
 (『ゴジラVSキングギドラ』の頃に同じく、タイムパラドックスの考察は一切なされていない。キングギドラが恐竜を滅ぼしたという設定なのだが、キングギドラ倒したら恐竜が滅ばないので、未来が変わって人類栄へんやろが!)


ここ、恐竜も勿論出てきますが、新しい着ぐるみを作る予算なんざありません。挙句にCG技術を持っていないので、ミニチュアで再現しておるのですが、ほんと、油粘土かなんかで作られたとしか思えない悲惨な造詣(夏休みの工作みたいな)で、見ているこっちは発狂しそうになりました。恐竜も恐竜なら、セットもセットで、てんで駄目。トイレのタンクの上蛇口に石敷いてそこにひっつける椰子の木のオモチャみたいなのがアホみたいに植えられてる。

以上の やる気無い特撮を散々見せられた後に、キングギドラとモスラの第二ラウンドに突入すが、駆け引きや、怪獣プロレスの要素は一切なく、キングギドラにまったく見せ場の無いままに装甲化したモスラの圧勝で映画は終わる。

なお、本作のキングギドラとモスラの戦いは全て、富士の樹海で行われている。なにも破壊される対象もなく、盛り上がりのバトルは東宝特撮の醍醐味というものを一切体現できていない。

そんな平成モスラシリーズでも褒められる所はある、悪者の小美人ベルベラと、進化するモスラだ。前者は老け顔だが後年のゴスロリ萌を先駆けてるし、進化するモスラは紛いなりにも子供向けというコンセプトを生かした唯一の良設定だ(ポケモンのパクリでもな!)

しかし、ソレに付けても酷い。
本作を擁護する似非特撮ファン曰く、「低予算の割に頑張った」「子供向けのエンターテイメント」

だアホ。

低予算の割に頑張るって言うのは、愚にもつかないタイムスリップに恐竜の模型を映さないようにする為に、そこを省略できて初めて頑張ると言えるのだ。
そもそも平成ガメラシリーズの予算は5億円と、こちらも平成ゴジラシリーズの半分以下の予算なのだ。そいつと比べて本作はどうだ?お粗末すぎる。

彼らは云う、「平成ガメラは"子供向け"ではない。」と、私は当時、子供の時分に劇場で本作を見たはずだったのだが、100円でビデオ漁るまで本作の存在を忘れている。一方で平成ガメラ燦然と記憶の中に輝いている。故に本作は「子供向け」どころか「子供に忘れられる」映画になっている。面白くないからだ。

東宝が上記のような自称特ファンの支えがあると勘違いしてる以上。日本の特撮の未来はいくらガメラが頑張っても暗い。

2010年6月26日土曜日

アウトレイジ

@名作

これまでの北野武監督の作品は、自身のナルシズムとニヒリズムを徹底的に貫いてきた。ナルシズムという表現をしたら妙な話だが、彼の本業は芸人(英語で言うコメディアン)である。徹底的に自分自身を研究し、追求し、発狂しなければなれない、笑とは名ばかりの修羅のみちなのである。
これまで、自分の体を張って"表現"を行って来て、自分主体でない物を考えるほうが難しいに違いない。だから恥ずかしがらず、「どうだ?カメラ写りはいいだろ?」と堂々と笑顔で答えなきゃダメな訳。

そうしたナルシズムとニヒリズムが先鋭化し、且つ、旧体化したヤクザ映画を否定したのが最高傑作である『ソナチネ』である。

そして、ナルシズムとニヒリズムをより多角化させ挑んだのが、かつて否定したヤクザ映画の潮流に乗った『アウトレイジ』、最高傑作その2である。

まず、北野武が『ソナチネ』で否定したのは、ショーモないTVドラマ並にVシネが量産された時期のヤクザ映画であって、ヤクザ映画そのものの否定ではない。そもそも彼は『仁義なき戦い』のファンを公言している。氏のアイデアが盛り込まれたファミコンゲーム『たけしの挑戦状』の劇中劇に『やくざ対やくざ』という「つまんねーえいが」があり、この頃から既にやくざ映画の先行きの暗さを見据えていたとしたらその先見性に驚かされる。

また、深作欣二が任侠映画を脱して以来、ヤクザ映画は日本固有の映画のジャンルであり、ビデオオリジナル作品でありながら現在も量産されている。このビデオ映画専門のオタクが存在するぐらいだ。多くは凡庸かそれ以下だが、確実に見ごたえある作品や名作も存在する(例、『新・仁義の墓場』、見ごたえ"だけ"なら『修羅のみち』)

『アウトレイジ』は北野武監督によるジャンル・ヤクザ映画であり、このジャンルでも面白い映画は撮れることを再認識させてくれる。

"俳優(本業:お笑い芸人)"ビートたけし演じる、大友は末端組織の組長で、暴力だけでヤクザ稼業で飯を食ってきた凶暴な老人だ。カッターナイフで指を詰めようとするヤクザを見てニヤニヤ笑い、挙句、カッターを取り上げてそいつの顔面をメッタ切りにする強烈なサディストだ。ビートたけしが演じてきたヤクザの中でも完全に異質の存在である。デビュー作『その男、凶暴につき』以来の暴力的な人間だ。

従来作では、周囲のヤクザが、落ち目に入って一廉の人物であるような姿を見せ、たけしもその内の一人であるが、狂気を内包させて描かれる。その様は、暴力的というよりは静かなトリックスター的な存在だった。

本作は上記の通り、ニヒリズムの多角化を見せており、終盤で化けるオールマイティーなトリックスターは存在せず、様々な種類の極悪人どもが内部抗争で暗躍をする事となる。

その極悪人どものキャスティングに関しては完璧である。
此処には列挙できないが、名だたる俳優全員が名演を披露する。

序盤こそ、Vシネと大して変わりないストーリーラインが提示されるが、徐々抗争は雪だるま式に巨大化していき、誰もが映画内で描かれる抗争の終点を予想する事ができなくなるだろう。

『アウトレイジ』は、『仁義なき戦い』を超えたヤクザ映画の一本である。

2010年6月5日土曜日

悪党図鑑「ナムル」



知力………8(機転・3 計画・5)「カニパンら少年の活躍が無かったら間違いなく勝っていた」
学力………7(文系・3 理系・4)「A級以上発明家免許を持っている可能性が高い」
技能………8(アナログ・4 デジタル・4)「暴走チップなどの設計能力から考慮」
武力………3(武器・2 格闘・1)「絵に書いたような知将」
生命力……10(肉体・5 精神・5)「心身ともに恐ろしい不死身ぶり」
政治力……10(指導・5 交渉・5)「権謀術数を使い、見事に会社内部を掌握」
権力………9(地位・4 影響力・5)「社長以上の発言力を持ち、彼が与えたロボットへの被害は十分深刻」
性質………8(度胸・5 冷酷・3)「人間には手を出さない。ただし二期では命と引き換えに母星を破壊しようとした。」
ルックス……5(美しさ・3 怖さ・2) 「良くも悪くもニヒルな二枚目」
カリスマ……7(オーラ・5 威圧感・2)「反ロボット派からは英雄・皇帝扱いされている」
ポリシー……10(信念・5 野望・5)「ロボットの意思などプログラムの数列に過ぎん!」
運…………10(チャンス・5 ピンチ・5)「後述するカニパンの存在以外は全てが上手い行っていた」

総合点95 総合評価・・・S

『発明BOYカニパン』時代
ロボットの叛乱、その脱構築であろうナムルは、意思をもつロボットと人間が共存するシャラク星において、「ロボットは人の下に道具であるべき」という信念の持ち主で、“なかよし回路”をもった思考型ロボットの絶滅を目論む。

秀逸なのはその手段で、所謂“悪の秘密結社”というものの実態を持たず、ロボット開発王手のエレックカンパニー社内に隠し部署を作り、ロボットの暴走を誘発する回路、その名も“暴走チップ”を発明。

その目的は、暴走によるロボットの破壊ではなく、「“なかよし回路”を持つロボットは暴走する」というネガティブキャンペーンを展開することであった。

やがて自身が、副社長に収まり、会社の全権を事実上完全に掌握すると、エレックカンパニーにおいてなかよし回路搭載ロボットの開発を完全に停止、さらに新型暴走チップを用いてネガティブキャンペーンを強化。街の公共用のロボットから思考型ロボットを追放する事に成功する。

ここまでは見事に主人公一向を欺き続け、ほとんど計画通りに“なかよし回路撲滅計画”を進めていた。しかし、社長の娘ミルクにその正体を露呈してしまう。

軟禁には成功するも、人間に対しては良心があり、口封じは出来ないと首をかしげていた所に、なかよし回路のリサイクル工場の位置を知る。
そこで、巨大移動要塞を使い、リサイクル工場の直接破壊を決行するが、主人公カニパンらの活躍により失敗に終わる。しかし、リサイクルに必要な材料Kリキッドの多くを駄目にしてしまう事に成功。
Kリキッドの再生の為に旅に出た主人公らの妨害を始めるが最終的には失敗。

逮捕されるが、脱獄。シャラク星から脱出した。

『超発明BOYカニパン』時代

時期は不明だが、その逃走過程で、シャラク星は、より人間に近いアンドロイドにより気象・環境がコントロールされていた事を知ると、「ロボットに支配され生かされてきた」と彼のプライドは許さず、シャラク星の創造主、タイシ博士をトレースしたアンドロイドを破壊、改造。その傀儡に収まる。
そして最悪の事態を考慮して作られた、シャラク星の心臓部を、避難用の新惑星に移動させる、“賢者のプログラム”を悪用し、その新惑星に「思考型ロボットの存在しない理想の帝国」を建造する野望を抱く。
そして暴走事件から5年後、同志を集い、惑星ナムル帝国計画を強行。

「暴走したタイシロボットが、ロボットの為だけの惑星を作り出し、なおかつ賢者のプログラムを発動」というシナリオを描き、脅えたロボット達が泣く泣く、人間を置いて新惑星に移動。しかし、ロボット達をそこで大量虐殺、「タイシロボットと、裏切りもののロボットたちはこのナムルが破壊した」と英雄談にした
挙句「賢者のプログラムは中止が不可能。ならばロボットの為の惑星を奪回し、裏切りもののロボットの存在しない理想郷を作るべき」と主張。
筋書き通り、新惑星に人々は大挙。パニックがピークになる。

ロボットはおろか、人の善意さえ信じないで混乱を嘲笑する有様は『ダークナイト』のジョーカーを先取りしたと言えば大げさだが、前作のように人間には手を出さないかった姿は既に無く。手段を選ばぬ非情の男と化している。新惑星では皇帝に納まり、なかよし回路不要論を絶対とする民衆の統率する気で居たと思われる。

しかし、カニパンらの攻防と、アンドロイドの一体であり、カニパンの恋人であるアンジェリカ(アン)が、新惑星に潜入。賢者のプログラムの中止に成功する。

五年越しの計画が破綻し自暴自棄となったナムルは、二人を新惑星の崩壊で道連れにしようと企むが失敗。いよいよ発狂すると、シャラク星の心臓部を、かつての暴走チップを模した小型宇宙船で攻撃。心臓部をメルトダウン状態にすると、自身もその衝撃波で命を落とした。

しかし、図らずとも強靭な生命力で生存。目を覚ました時には、カニパンら発明家の引き起こした大奇跡、シャラク星の復活を目の当たりにし愕然。挙句、自身の意思を取り戻したタイシロボに「あなたは悲しい人間だ」と、諭される。

しかし、彼は新天地を求めて、宇宙への放浪を開始した。奇しくもその日は、幼い頃から「タイシ博士のようにロボットと人間が仲良く暮らせる惑星を作る」という夢に向け、カニパン達が宇宙へ旅立った日であった……


文章にすると、とんでもない大悪党に思えるが、いかんせん小学生向けのキッズアニメの悪役なので大げさに暴れても、バイキンマンに同じくデフォルメされているので悪役としては怖さという物に欠けている。実際、書いてみて劇中の彼のズッコケと、計画の妙なリアルさの差には筆者が驚いてしまった。
そんなんだから、なかよし回路の撲滅を志した理由が、「家庭教師ロボットのスパルタに耐えられなかった」だもん。もっとも、親の愛情に飢え、ロボットとの友情を育む事ができなかったと約5秒ぐらいモノローグが入ったが・・・・・・
やや出来の悪い続編ではシリアスな秘密結社の親玉になっていたのでそのへんを掘り下げてさえいたら、もう少し面白かったかもしれない。

社長の娘、ミルクも手なずけようとも考えていたが、当のミルクはファザコンじみた我侭をカニパンにぶつけるようになっていた。
また、5年間越しの計画もカニパンと恋仲になったアンドロイドによって頓挫。
彼の計画が悉く破綻したのは主人公カニパンがモテた事に尽きる。

ちなみにナムルを慕っていた秘書は、実に頭が愉快な有様で、クールなナムルと良いコンビであった。

2010年6月2日水曜日

発明BOYカニパン

『発明BOYカニパン』

@なつかしきC級キッズアニメ

本作、制作までの成り立ちが不明慮なアニメ作品の一本である。『スラップスティック』というTVゲームを基にしているまでは解っているが、そのアニメ化なのか、セガサターンでのリメイクを見越した商業展開の一環だったのか、ドリームキャストへの転換期でポシャッタ作品を元にしているのかよく解っていない。
「コロコロコミック」での番宣の内容も、本編の内容と著しく異なっていたとされている。

いずれにしろ、企画が未熟なままでスタートした本編前期と、後期ではスタッフのモチベーションが大きく異なっているようにも思える。

前半は子供向けと明らかに手を抜いているようにさえ思える。ただ、これは「どこまで子供向けに徹するか?」を試行錯誤した結果だとしたら失礼な言いようだが。こども騙しの一言で片付けられた。
そもそもキャラクターのテンプレートぶりが酷く。前半で登場した主人公カニパンの同級生は一人を除いて後期には殆ど登場しなくなる。

一方で後期は、ライバルキャラクターの登場と共にエンジンが温まっていき、主人公らのキャラクターの個性が際立つようになる。
特に悪役のナムルとその秘書のワルノリに拍車が掛かっていく。ナムルに関しては悪役図鑑で書くとして、
人格を持ったロボットと、人間の共存する平和な世界で、西に東と駆け回るドタバタなトラブル解決劇はTV漬けだった子供時代を送っていた人には、懐かしさを持って迎え入れることができるだろう。
結局タイアップの類が最後まで起こらなかった事で、スタッフも予算以外の制約も無かったのだろうか、この低予算キッズアニメは見てる側もストレスレスで見れるファミリー向けへと終盤には昇格を遂げた。

『超発明BOYカニパン』

@ラストで挽回するもC級以下

前作の翌週から放映が開始された。しかし、ドリームキャストを中心としたSEGAなどのタイアップが入り込んだ上に、萌えアニメの台頭が始まったあおりを受けて、痛々しい仕上がりになっている。

第一に、世界の危機が迫っているのに世界観が前作よりも狭まってしまったのはどういう事だ?物語は青年カニパンの家と、世界の裏側を行き来するつまらない物になっている。
第二に、ただでさえ低予算なのにアクションシーンを盛り込んでしまい、作画のクオリティーは見るに耐えない。
第三に、まったく魅力の無い新キャラクターとのラブコメが織り交ぜられた、前半のくだらなさ・・・

ただし、ナムル復活後以降の、惑星崩壊の危機は二転三転と盛り上がりを見せ、最終回前編後編の熱い展開は、前作後期のテンションの高さと、初代トランスフォーマーばりの無茶と、日本アニメ特有の臭い演出が同居した傑作となっている。前作終盤のパーティー+NEWヒロインを加えて旅立つエンディングも好印象だ。

でも上記の3点は本当に見るに耐えない。見てて本気で怒りたくなって来る。優秀の美を飾ったとはいえない。

ブラッディ・ウェンズデー

@隠れた良作

実話を元にしたTVMで、銃乱射事件犯人の、悪夢・幻覚・孤独・不安などの心の病んだありさまを描ききった問題作である。

明らかな低予算作品だが、廃墟となったホテルのロケーションや、男の身の回りで起こる事象と、幻覚が入りみだる構成は秀逸であり、終盤では見てるこっちもその判断が困難になるほどだ。
男と、彼を介する観客にとって、おぞましい迷宮に迷い込んだような多大な不安を催す。
映画の半分以上は病んだ男の住むホテルでの密室劇だが、その迷宮の中で、男の心に静かな狂気が徐々に、徐々にと蓄積されていく。

特に秀逸なのは、幻覚として現れるベルボーイの存在感だ。彼は、犯人の分身なのかそれとも・・・・・・それも解らないままに、男はいよいよ、破滅に向かって本格的に病んでいく。そのありさまは、あまりに憐れだ。

この度のDVD化に際し、発売元はラストの銃撃シーンをスプラッターものとして売りにしているが、心理ホラーの秀作として強く押したい。