2010年9月12日日曜日

モスラ3 キングギドラ来襲

@駄作
@っていうか、なぜこれを興行しようと思えた?

現在に至って平成『モスラ』シリーズは特撮ファンから無視されている。原因はその特殊効果の酷さにある。

『ゴジラVSデストロイア』でゴジラを休業させた東宝だったが、来年の正月に何を興行するのかと思いきや節操無く『モスラ』を発表。だれもが1961の大作『モスラ』のリメイクかその続編を想起させる予告編だったが、翌年、劇場に足を運べば、これがテッケレツのパァ(最低映画館風に)

おそらく平成ゴジラシリーズの半分かそれ以下の予算で制作されており、内容は子供向けにシフトチェンジ。
この「子供向け」というのが、昭和ゴジラの低迷の反省を全く活かしておらず、ただただ押し付けがましい教訓話を強引に引き合いにしながら続く、ショーモないホームドラマと、敵かモスラのいずれかが有利で面白みの無い戦いが続く。
「世代交代を明確に示す新・モスラ誕生」という本作の見せどころ流れに到るまでの全てが酷過ぎる。

翌年には、『モスラ2』を発表、大怪獣ガルーダよりも硫酸で漁師を焼き殺すヒトデの方がよっぽど怖いという本末転倒。

二作が子供に訴える「環境問題」については、子供に教えるというよりは、問題の解決を子供の将来に押し付けているようにさえ思える。

そしてトチ狂った東宝が最後に仕掛けたのがこの『モスラ3』である。
もはや内容はモスラでも子供向けでもない、『ゴッドマン』に近い。

3人の小美人の属性が『ゼルダの伝説』のトライフォースを盗用するに始まる。しかも本編に一切絡まない不要な設定。(当方の駄作評にて定着してきたが、糞映画の第一条件なんです。無意味な設定は)

続けて「嫌いな物を食べるのは自分に嘘を付いたことになる!」という小役の訴え。
しかもコレを黙々と聞き入れる父親が大仁田厚。とりあえずそんなガキ殴っとけよ!

で、我らがキングギドラ尊が上空を飛んで市街地をモリモリ破壊。ここはまあ面白い(約3分ちょっとカップラーメン作るときもこれで退屈しないね!)

しかし、キングギドラ尊の目的がセコ過ぎる。幼児誘拐だもん。
『学校の怪談』シリーズの妖怪と同じノリ。っていうかアレよりも特殊効果が酷い。子供がペラペラの紙みたいになってノイズが走って、ギドラ尊の富士樹海基地にワープする。あまりにも安っぽいぞこの特殊効果。小美人の一人がこの模様を「二億年も生きていたらこんな能力が身につくのか!」の一言で説明してしまうが全然意味がわからない。

小美人の珍プレーは他にもある、主人公に対面して、

小美人「お名前は」
「園田」
小美人「園田なにさん?」
「園田翔太」

迷子センターかよ!

この後も、子供たちを探して洞窟でさ迷う大仁田(以後、劇中で一切活躍はない)や、第一ラウンドでキングギドラに圧倒されたモスラに、園田翔太君が「がんばれ!」と声を賭けられると「キューン!キュワーン!」と相槌をを打つ律儀なモスラなど、ツッコミには事欠かない。

まあ、この辺はむしろ笑えるので許すが、本作は前記の通り特撮効果の酷さ故に、特撮ファンから無視されている。

その真骨頂たるが、タイムスリップして若い頃のキングギドラを殺そうってパート。
 (『ゴジラVSキングギドラ』の頃に同じく、タイムパラドックスの考察は一切なされていない。キングギドラが恐竜を滅ぼしたという設定なのだが、キングギドラ倒したら恐竜が滅ばないので、未来が変わって人類栄へんやろが!)


ここ、恐竜も勿論出てきますが、新しい着ぐるみを作る予算なんざありません。挙句にCG技術を持っていないので、ミニチュアで再現しておるのですが、ほんと、油粘土かなんかで作られたとしか思えない悲惨な造詣(夏休みの工作みたいな)で、見ているこっちは発狂しそうになりました。恐竜も恐竜なら、セットもセットで、てんで駄目。トイレのタンクの上蛇口に石敷いてそこにひっつける椰子の木のオモチャみたいなのがアホみたいに植えられてる。

以上の やる気無い特撮を散々見せられた後に、キングギドラとモスラの第二ラウンドに突入すが、駆け引きや、怪獣プロレスの要素は一切なく、キングギドラにまったく見せ場の無いままに装甲化したモスラの圧勝で映画は終わる。

なお、本作のキングギドラとモスラの戦いは全て、富士の樹海で行われている。なにも破壊される対象もなく、盛り上がりのバトルは東宝特撮の醍醐味というものを一切体現できていない。

そんな平成モスラシリーズでも褒められる所はある、悪者の小美人ベルベラと、進化するモスラだ。前者は老け顔だが後年のゴスロリ萌を先駆けてるし、進化するモスラは紛いなりにも子供向けというコンセプトを生かした唯一の良設定だ(ポケモンのパクリでもな!)

しかし、ソレに付けても酷い。
本作を擁護する似非特撮ファン曰く、「低予算の割に頑張った」「子供向けのエンターテイメント」

だアホ。

低予算の割に頑張るって言うのは、愚にもつかないタイムスリップに恐竜の模型を映さないようにする為に、そこを省略できて初めて頑張ると言えるのだ。
そもそも平成ガメラシリーズの予算は5億円と、こちらも平成ゴジラシリーズの半分以下の予算なのだ。そいつと比べて本作はどうだ?お粗末すぎる。

彼らは云う、「平成ガメラは"子供向け"ではない。」と、私は当時、子供の時分に劇場で本作を見たはずだったのだが、100円でビデオ漁るまで本作の存在を忘れている。一方で平成ガメラ燦然と記憶の中に輝いている。故に本作は「子供向け」どころか「子供に忘れられる」映画になっている。面白くないからだ。

東宝が上記のような自称特ファンの支えがあると勘違いしてる以上。日本の特撮の未来はいくらガメラが頑張っても暗い。

2010年6月26日土曜日

アウトレイジ

@名作

これまでの北野武監督の作品は、自身のナルシズムとニヒリズムを徹底的に貫いてきた。ナルシズムという表現をしたら妙な話だが、彼の本業は芸人(英語で言うコメディアン)である。徹底的に自分自身を研究し、追求し、発狂しなければなれない、笑とは名ばかりの修羅のみちなのである。
これまで、自分の体を張って"表現"を行って来て、自分主体でない物を考えるほうが難しいに違いない。だから恥ずかしがらず、「どうだ?カメラ写りはいいだろ?」と堂々と笑顔で答えなきゃダメな訳。

そうしたナルシズムとニヒリズムが先鋭化し、且つ、旧体化したヤクザ映画を否定したのが最高傑作である『ソナチネ』である。

そして、ナルシズムとニヒリズムをより多角化させ挑んだのが、かつて否定したヤクザ映画の潮流に乗った『アウトレイジ』、最高傑作その2である。

まず、北野武が『ソナチネ』で否定したのは、ショーモないTVドラマ並にVシネが量産された時期のヤクザ映画であって、ヤクザ映画そのものの否定ではない。そもそも彼は『仁義なき戦い』のファンを公言している。氏のアイデアが盛り込まれたファミコンゲーム『たけしの挑戦状』の劇中劇に『やくざ対やくざ』という「つまんねーえいが」があり、この頃から既にやくざ映画の先行きの暗さを見据えていたとしたらその先見性に驚かされる。

また、深作欣二が任侠映画を脱して以来、ヤクザ映画は日本固有の映画のジャンルであり、ビデオオリジナル作品でありながら現在も量産されている。このビデオ映画専門のオタクが存在するぐらいだ。多くは凡庸かそれ以下だが、確実に見ごたえある作品や名作も存在する(例、『新・仁義の墓場』、見ごたえ"だけ"なら『修羅のみち』)

『アウトレイジ』は北野武監督によるジャンル・ヤクザ映画であり、このジャンルでも面白い映画は撮れることを再認識させてくれる。

"俳優(本業:お笑い芸人)"ビートたけし演じる、大友は末端組織の組長で、暴力だけでヤクザ稼業で飯を食ってきた凶暴な老人だ。カッターナイフで指を詰めようとするヤクザを見てニヤニヤ笑い、挙句、カッターを取り上げてそいつの顔面をメッタ切りにする強烈なサディストだ。ビートたけしが演じてきたヤクザの中でも完全に異質の存在である。デビュー作『その男、凶暴につき』以来の暴力的な人間だ。

従来作では、周囲のヤクザが、落ち目に入って一廉の人物であるような姿を見せ、たけしもその内の一人であるが、狂気を内包させて描かれる。その様は、暴力的というよりは静かなトリックスター的な存在だった。

本作は上記の通り、ニヒリズムの多角化を見せており、終盤で化けるオールマイティーなトリックスターは存在せず、様々な種類の極悪人どもが内部抗争で暗躍をする事となる。

その極悪人どものキャスティングに関しては完璧である。
此処には列挙できないが、名だたる俳優全員が名演を披露する。

序盤こそ、Vシネと大して変わりないストーリーラインが提示されるが、徐々抗争は雪だるま式に巨大化していき、誰もが映画内で描かれる抗争の終点を予想する事ができなくなるだろう。

『アウトレイジ』は、『仁義なき戦い』を超えたヤクザ映画の一本である。

2010年6月5日土曜日

悪党図鑑「ナムル」



知力………8(機転・3 計画・5)「カニパンら少年の活躍が無かったら間違いなく勝っていた」
学力………7(文系・3 理系・4)「A級以上発明家免許を持っている可能性が高い」
技能………8(アナログ・4 デジタル・4)「暴走チップなどの設計能力から考慮」
武力………3(武器・2 格闘・1)「絵に書いたような知将」
生命力……10(肉体・5 精神・5)「心身ともに恐ろしい不死身ぶり」
政治力……10(指導・5 交渉・5)「権謀術数を使い、見事に会社内部を掌握」
権力………9(地位・4 影響力・5)「社長以上の発言力を持ち、彼が与えたロボットへの被害は十分深刻」
性質………8(度胸・5 冷酷・3)「人間には手を出さない。ただし二期では命と引き換えに母星を破壊しようとした。」
ルックス……5(美しさ・3 怖さ・2) 「良くも悪くもニヒルな二枚目」
カリスマ……7(オーラ・5 威圧感・2)「反ロボット派からは英雄・皇帝扱いされている」
ポリシー……10(信念・5 野望・5)「ロボットの意思などプログラムの数列に過ぎん!」
運…………10(チャンス・5 ピンチ・5)「後述するカニパンの存在以外は全てが上手い行っていた」

総合点95 総合評価・・・S

『発明BOYカニパン』時代
ロボットの叛乱、その脱構築であろうナムルは、意思をもつロボットと人間が共存するシャラク星において、「ロボットは人の下に道具であるべき」という信念の持ち主で、“なかよし回路”をもった思考型ロボットの絶滅を目論む。

秀逸なのはその手段で、所謂“悪の秘密結社”というものの実態を持たず、ロボット開発王手のエレックカンパニー社内に隠し部署を作り、ロボットの暴走を誘発する回路、その名も“暴走チップ”を発明。

その目的は、暴走によるロボットの破壊ではなく、「“なかよし回路”を持つロボットは暴走する」というネガティブキャンペーンを展開することであった。

やがて自身が、副社長に収まり、会社の全権を事実上完全に掌握すると、エレックカンパニーにおいてなかよし回路搭載ロボットの開発を完全に停止、さらに新型暴走チップを用いてネガティブキャンペーンを強化。街の公共用のロボットから思考型ロボットを追放する事に成功する。

ここまでは見事に主人公一向を欺き続け、ほとんど計画通りに“なかよし回路撲滅計画”を進めていた。しかし、社長の娘ミルクにその正体を露呈してしまう。

軟禁には成功するも、人間に対しては良心があり、口封じは出来ないと首をかしげていた所に、なかよし回路のリサイクル工場の位置を知る。
そこで、巨大移動要塞を使い、リサイクル工場の直接破壊を決行するが、主人公カニパンらの活躍により失敗に終わる。しかし、リサイクルに必要な材料Kリキッドの多くを駄目にしてしまう事に成功。
Kリキッドの再生の為に旅に出た主人公らの妨害を始めるが最終的には失敗。

逮捕されるが、脱獄。シャラク星から脱出した。

『超発明BOYカニパン』時代

時期は不明だが、その逃走過程で、シャラク星は、より人間に近いアンドロイドにより気象・環境がコントロールされていた事を知ると、「ロボットに支配され生かされてきた」と彼のプライドは許さず、シャラク星の創造主、タイシ博士をトレースしたアンドロイドを破壊、改造。その傀儡に収まる。
そして最悪の事態を考慮して作られた、シャラク星の心臓部を、避難用の新惑星に移動させる、“賢者のプログラム”を悪用し、その新惑星に「思考型ロボットの存在しない理想の帝国」を建造する野望を抱く。
そして暴走事件から5年後、同志を集い、惑星ナムル帝国計画を強行。

「暴走したタイシロボットが、ロボットの為だけの惑星を作り出し、なおかつ賢者のプログラムを発動」というシナリオを描き、脅えたロボット達が泣く泣く、人間を置いて新惑星に移動。しかし、ロボット達をそこで大量虐殺、「タイシロボットと、裏切りもののロボットたちはこのナムルが破壊した」と英雄談にした
挙句「賢者のプログラムは中止が不可能。ならばロボットの為の惑星を奪回し、裏切りもののロボットの存在しない理想郷を作るべき」と主張。
筋書き通り、新惑星に人々は大挙。パニックがピークになる。

ロボットはおろか、人の善意さえ信じないで混乱を嘲笑する有様は『ダークナイト』のジョーカーを先取りしたと言えば大げさだが、前作のように人間には手を出さないかった姿は既に無く。手段を選ばぬ非情の男と化している。新惑星では皇帝に納まり、なかよし回路不要論を絶対とする民衆の統率する気で居たと思われる。

しかし、カニパンらの攻防と、アンドロイドの一体であり、カニパンの恋人であるアンジェリカ(アン)が、新惑星に潜入。賢者のプログラムの中止に成功する。

五年越しの計画が破綻し自暴自棄となったナムルは、二人を新惑星の崩壊で道連れにしようと企むが失敗。いよいよ発狂すると、シャラク星の心臓部を、かつての暴走チップを模した小型宇宙船で攻撃。心臓部をメルトダウン状態にすると、自身もその衝撃波で命を落とした。

しかし、図らずとも強靭な生命力で生存。目を覚ました時には、カニパンら発明家の引き起こした大奇跡、シャラク星の復活を目の当たりにし愕然。挙句、自身の意思を取り戻したタイシロボに「あなたは悲しい人間だ」と、諭される。

しかし、彼は新天地を求めて、宇宙への放浪を開始した。奇しくもその日は、幼い頃から「タイシ博士のようにロボットと人間が仲良く暮らせる惑星を作る」という夢に向け、カニパン達が宇宙へ旅立った日であった……


文章にすると、とんでもない大悪党に思えるが、いかんせん小学生向けのキッズアニメの悪役なので大げさに暴れても、バイキンマンに同じくデフォルメされているので悪役としては怖さという物に欠けている。実際、書いてみて劇中の彼のズッコケと、計画の妙なリアルさの差には筆者が驚いてしまった。
そんなんだから、なかよし回路の撲滅を志した理由が、「家庭教師ロボットのスパルタに耐えられなかった」だもん。もっとも、親の愛情に飢え、ロボットとの友情を育む事ができなかったと約5秒ぐらいモノローグが入ったが・・・・・・
やや出来の悪い続編ではシリアスな秘密結社の親玉になっていたのでそのへんを掘り下げてさえいたら、もう少し面白かったかもしれない。

社長の娘、ミルクも手なずけようとも考えていたが、当のミルクはファザコンじみた我侭をカニパンにぶつけるようになっていた。
また、5年間越しの計画もカニパンと恋仲になったアンドロイドによって頓挫。
彼の計画が悉く破綻したのは主人公カニパンがモテた事に尽きる。

ちなみにナムルを慕っていた秘書は、実に頭が愉快な有様で、クールなナムルと良いコンビであった。

2010年6月2日水曜日

発明BOYカニパン

『発明BOYカニパン』

@なつかしきC級キッズアニメ

本作、制作までの成り立ちが不明慮なアニメ作品の一本である。『スラップスティック』というTVゲームを基にしているまでは解っているが、そのアニメ化なのか、セガサターンでのリメイクを見越した商業展開の一環だったのか、ドリームキャストへの転換期でポシャッタ作品を元にしているのかよく解っていない。
「コロコロコミック」での番宣の内容も、本編の内容と著しく異なっていたとされている。

いずれにしろ、企画が未熟なままでスタートした本編前期と、後期ではスタッフのモチベーションが大きく異なっているようにも思える。

前半は子供向けと明らかに手を抜いているようにさえ思える。ただ、これは「どこまで子供向けに徹するか?」を試行錯誤した結果だとしたら失礼な言いようだが。こども騙しの一言で片付けられた。
そもそもキャラクターのテンプレートぶりが酷く。前半で登場した主人公カニパンの同級生は一人を除いて後期には殆ど登場しなくなる。

一方で後期は、ライバルキャラクターの登場と共にエンジンが温まっていき、主人公らのキャラクターの個性が際立つようになる。
特に悪役のナムルとその秘書のワルノリに拍車が掛かっていく。ナムルに関しては悪役図鑑で書くとして、
人格を持ったロボットと、人間の共存する平和な世界で、西に東と駆け回るドタバタなトラブル解決劇はTV漬けだった子供時代を送っていた人には、懐かしさを持って迎え入れることができるだろう。
結局タイアップの類が最後まで起こらなかった事で、スタッフも予算以外の制約も無かったのだろうか、この低予算キッズアニメは見てる側もストレスレスで見れるファミリー向けへと終盤には昇格を遂げた。

『超発明BOYカニパン』

@ラストで挽回するもC級以下

前作の翌週から放映が開始された。しかし、ドリームキャストを中心としたSEGAなどのタイアップが入り込んだ上に、萌えアニメの台頭が始まったあおりを受けて、痛々しい仕上がりになっている。

第一に、世界の危機が迫っているのに世界観が前作よりも狭まってしまったのはどういう事だ?物語は青年カニパンの家と、世界の裏側を行き来するつまらない物になっている。
第二に、ただでさえ低予算なのにアクションシーンを盛り込んでしまい、作画のクオリティーは見るに耐えない。
第三に、まったく魅力の無い新キャラクターとのラブコメが織り交ぜられた、前半のくだらなさ・・・

ただし、ナムル復活後以降の、惑星崩壊の危機は二転三転と盛り上がりを見せ、最終回前編後編の熱い展開は、前作後期のテンションの高さと、初代トランスフォーマーばりの無茶と、日本アニメ特有の臭い演出が同居した傑作となっている。前作終盤のパーティー+NEWヒロインを加えて旅立つエンディングも好印象だ。

でも上記の3点は本当に見るに耐えない。見てて本気で怒りたくなって来る。優秀の美を飾ったとはいえない。

ブラッディ・ウェンズデー

@隠れた良作

実話を元にしたTVMで、銃乱射事件犯人の、悪夢・幻覚・孤独・不安などの心の病んだありさまを描ききった問題作である。

明らかな低予算作品だが、廃墟となったホテルのロケーションや、男の身の回りで起こる事象と、幻覚が入りみだる構成は秀逸であり、終盤では見てるこっちもその判断が困難になるほどだ。
男と、彼を介する観客にとって、おぞましい迷宮に迷い込んだような多大な不安を催す。
映画の半分以上は病んだ男の住むホテルでの密室劇だが、その迷宮の中で、男の心に静かな狂気が徐々に、徐々にと蓄積されていく。

特に秀逸なのは、幻覚として現れるベルボーイの存在感だ。彼は、犯人の分身なのかそれとも・・・・・・それも解らないままに、男はいよいよ、破滅に向かって本格的に病んでいく。そのありさまは、あまりに憐れだ。

この度のDVD化に際し、発売元はラストの銃撃シーンをスプラッターものとして売りにしているが、心理ホラーの秀作として強く押したい。

2010年5月13日木曜日

マジシャン(TAYP-0)


登場作品『ハウス・オブ・ザ・デッド』『ハウス・オブ・ザ・デッド2』

知力………4(機転・2 計画・2)「バカでは無いだろうが力押しが目立つ」

学力………1(文系・1 理系・0)「片言の英語を喋る程度」
技能………0(アナログ・0 デジタル・0)「化け物なので」
武力………10(武器・5 格闘・5)「GST界で最強との声多数」
生命力……9(肉体・4 精神・5)「宣言どうり蘇る。が、いつも不完全な状態」
政治力……0(指導・0 交渉・0)「化け物なので」
権力………0(地位・0 影響力・0)「化け物なので」
性質………10(度胸・5 冷酷・5)「某STGでは無いが“鬼畜”を冠するに相応しい」
ルックス……10(美しさ・5 怖さ・5) 「無骨なグロさと中二病的カッコよさが見事に同居」
カリスマ……10(オーラ・5 威圧感・5)「こいつを倒す為に何人ものプレイヤーの財布がカラに」
ポリシー……7(信念・5 野望・2)「スベテヲハカイスル、と豪語するが、続編で最強の座をあっさり譲るあたり紳士」
運…………4(チャンス・2 ピンチ・2)「発揮される場面なしにつき」

総合点 55 評価……A(突出点が大きい為)

お断りしておくが、『ハウス・オブ・ザ・デッド』は鈍動なゾンビを倒すゲームであって、初見殺しも多々あれど、弱点をよく狙えば、最終ステージへの到達にはそう苦労しないはずだ。
ところがこのマジシャンはその戦術が全く通用しない。なんてったて分身の術紛いの高速で移動し、弾幕と形容できる火玉をぶちまけ回るのだ。そして、従来のボスのように弱点の説明ナシ(UNKOWN)その実は、筋繊維のような部分全部というのは製作者の良心なのだろうが、装甲に覆われた部分と同系色で、弾幕の処理で精一杯のなか、何所に当たった時にダメージ判定が出たのかなど解らない訳であって……続編ではエンペラーという純粋な攻撃力、弾幕は彼を上回るトンデモボスが登場するが、弱点がわかりやすい赤いコアであるため、まだ対処のしようができた。というか、前座で復活したマジシャンさえ倒せていれば、倒す事は可能である。

3以降のボスは常識的な範囲の難易度に収まっているが、これはこれで良いのだろうか?確かに堅実な難易度で見事にボスととりえているが、語られる事も無い。筆者は僻んで言う訳で無いが、GSTという媒介はカップルのデートコースの為の物になってしまったようで寂しくもある。確かに、難易度ばかり上がれば某STGの最終鬼畜兵器やら極殺兵器のような常人では対処しきれない(クリアできない)事態に陥りかねない。

しかし、しかしだ、ノーコンテニューとか、得点を一定値上回ったゲームファンへのご褒美としてマジシャンのような鬼のように、と言うよりも鬼そのもののような強い、ただ只管、純粋で澱みのない強いボスを用意すべきではないのだろうか?

そうすれば、お笑い芸人と化しつつあるワイルドドッグにも希望の光がある。

2010年5月6日木曜日

凶気の桜

@普通

本作なかなかセンスの光ったバイオレンス映画の怪作だ。窪塚を「イケメン俳優」とよいしょして、ヤンキーの青春映画を期待していた世間一般の評判は散々なのも納得だ。レイプなどドギツイ犯罪描写が続く上に、その被害者が所謂ヤンキーども。不良映画なら主人公サイドの筈だがこのバイオレンス映画で描かれるのは零細新興右翼ネオトージョーの不良狩りと、ヤクザとか殺し屋とかそんなんだ。

PVの手法を作中にふんだんに取り入れており、洗練はされていながともかくその大胆さは評価するべきだろう。冒頭の東映マークには引き込まれるし、ネオトージョー一派の不良狩りと私生活も、なかなか野蛮が伝わってくる。
窪塚君も「なに考えてるか解らないアブナイヤツ」としては能面ぶりでも納得の配役だ。

しかし、問題なのはストーリーが旧体系のヤクザ映画に従順すぎた事と、ヤクザと交流を深める内に信頼関係を築いてしまい、心身共に傷ついてしまうという難しい役どころを、窪塚が全然できていないこと。前半こそヤバイヤツでキマっていたが、後半は完全に能面だ。もったいない。

あと、スタッフロール後のオチ捻くれすぎ。全くの蛇足であり、本編ラストの余韻を自らの手で潰してしまっている。

(右翼だか、在日だかの描写にテーマ性が生かされていないという評価があるがこういうのは無視する。これ、そんな映画じゃねぇから。)