2009年12月27日日曜日

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

@未完成作品につき保留
@息子が撮った方の映画は駄作ですらなく糞

世界の深作欣ニの遺作として認知されてしまってるが、実際に深作欣ニ御大が生前直接監督として関わってるとされる場面は竹内力による“ホームルーム”シーンのみとされ、大概の馬脚を晒しているのはオタクな息子の方である。
正直、竹内力の件は物凄い。何度見ても面白いのである。ギャグなのかシリアスなのかその境界が早速曖昧にされる。『野望の王国』の柿崎の活躍を見てるときと同じような感覚に侵される。
ここで、虎の意を借る事となるが世界の三池崇史も『極道戦国志=不動=』のDVD特典において同じ旨を述べている「竹内力が凄い(中略)下手すりゃ深作監督の最高傑作かもしれないよね」のような内容であった。

さて、こうなってくると、深作欣ニが完全な状態で完成させた『BRⅡ』どのような物になったのだろうか?ブルース・リーの『死亡遊戯』のように研究されるべき作品である。
一先ず、独自研究という形で私の見解を残しておく。

1.製作までの経緯~愛と幻想のファシズムと9.11~

まず、製作発表の前から深作欣ニ氏の容態は悪化している。次で最後であると本人は早い段階から悟っていた。そこであの大問題作『愛と幻想のファシズム』の実写化を決意していたとされる。
結局最後まで拘ったバイオレンス映画の集大成とすべく、この題材を選んだのだ。
トウジに藤原竜也を起用という噂もあり、草案が纏まりかけていた折、9.11テロ事件が発生した煽りを受けて「テロリストを主人公とした作品は不謹慎である。」として企画が倒れたとされている。
それを知った時、小生はハァ?としか思えなかった、当の深作欣ニ監督はハァ?では済まなかっただろうが。
何が故に他所の国のドンパチで、こちとらの映画作るを止め無ければならないのか?
もし、これが……イスラム圏で起こったテロだったとしたら、ここまでの配慮を行う必要は無かったはずだ。
米国が傷を受けた事が大事件なのである。
『BRⅡ』にいわゆる反米色が強まったのは一本の映画を潰された監督の私怨なのかもしれない。
同時に、彼は折れなかった、より明確にテロリスト側(嫌味とばかりに米国のステレオタイプ)を描いた作品を世に送り出す事を決心する。『BRⅡ』の冒頭で「“スベテのオトナ”に宣戦布告する。」と嘯く七原は、深作欣ニの本音だったと思われる。(死後、脚本の改変が無ければ)

ここで、すべての“スベテのオトナ”とは七原からすれば、BR法のような理不尽を行う人々であり、深作欣ニにとっては商売の邪魔を行う米追従型社会という体制なのであろう。

なお、映画の出来がお粗末な故に、このセリフ「安っぽい反体制」として片付けられている。
深作監督の名誉の為に言っておく、七原は前作『バトル・ロワイアル』(『BR』)で生き地獄を味わった生き残りであり、彼が日本に対して反体制などと嘲笑される事を行うには十分すぎる動機があるのでは無いかと。物語としては全く問題ないし「お前も大人じゃねーか」ではただの揚げ足取りであり、見苦しい。
ただ、本作の七原がイスラムのテロリストかぶれなのは問題であった。それは後述する。


2.幼稚な反米なのか反米だから幼稚なのか?(少なくとも息子の映画は幼稚)

まず、竹内力が米国に攻撃された国を読み上げるシーンを分析しようと思う。既に笑える光景だが、どうにもコレが遺憾というか癪に障る人が多いようで、Wikipediaにも

>>深作のイデオロギーが加わりアメリカに爆撃を受けた22カ国(日本、中国、北朝鮮、グアテマラなど)の名称を上げるなど反米主義的な要素もあった。

と、本作の欠点として記述されている。

反米主義だから糞なのか?
反米主義の内容が安っぽい反体制だからだめなのか?

このシーンには続きがあり「人の命は平等なんかじゃありません!」そして「人間は、勝ち組と負け組に分かれます。貴方は勝ち組ですか?負け組ですか?」というセリフがある。

そもそも、22カ国中、もっとも多くの人命を奪われたのは日本である。
その日本人が拗ねたように「人の命は平等なんかじゃありません!」とのたまい、あたかも自身が勝ち組のように、「勝ち組と負け組に分かれます。」と堂々と発言。
それを竹内力がハイテンションかつ流暢かつ若干のオーバーアクションで熱弁する。

ハッキリいっておく、風刺としては100満点である。

だが、この後の息子の撮ったほうのがショーモなさ過ぎる。
「あの国を怒らせちゃいかん!」とかもうねぇ・・・

3.キタノシオリは何者なのか?

ベターだが、「テロの犠牲者として七原を許せない人物」に尽きる。
しかし劇中で喚きまわって「やっぱゆるします、だって主人公だもん☆」と、“観客を泣かせる感動的な現象(笑)”として流される。
ただし、息子が撮ったBR2は敵までもが「俺にだって女房子供がいるお!」と説明的に感動的(笑)で死ぬため(意味不明)、本件に限った事ではない。
前作では、死に際にはドラマを交えつつもリアルに抑えており、辞世の弁は殆どがモノローグとなっている。
欣ニ監督が存命ならばこの演出は生かされ、もう少し、殺伐とした心情が垣間見えたろうに。

また、キタノは七原が最初に殺した“オトナ”である。
もう少し因縁めいたものを盛り込む余地は腐るほどあった。


4.では、名作だったか?
答えはNO。
本作の問題点は、現実のテロリストと作中のワイルドセブンの整合性の悪さである。
そもそも七原が罰したい敵は、BR法が運用されながら知らんプリを決め込んでいる偽善者“オトナ”のはずだ。
だから、プロローグで都庁を爆破・粉砕・虐殺した。
(ここは、特撮シーンなのでほぼ、欣ニ氏の要望どおりと思われる。ホームルームと同様、シリアスとしてもギャグとしても、ものすごい)

間接的に米国が関わっている描写があるが、むしろソレが混迷をよんでおり、グダグダになっていく。
やはり、七原はそれらとは異なった反体制としての、反逆者としてのテロリストである必要があるのだが、劇中で明確に紛争地帯の武装勢力に影響を受けたとされている。

アルカイダなどのテロ組織も実態を探れば米国とは別の体制であり、無力な人々を殺戮する事を武勇と称えているヤクザどもである。

おそらく、監督存命でもこの点が改善されていたとは思えない。

そもそも、前作『BR』も正直、名作とは言いがたい。
メインキャストがどう見ても中学生には見えないのに、原作どおり中学生のままだし、 だれが生き残るのか丸解りだ。

だが、国産残酷映画の傑作である。
最近の監督は低予算を言い訳に、チープな残酷描写で笑いを撮る映画ばっかだ。(しかも既在の映像を真似てパロディーと言い訳する体たらく)
低予算しか与えられない身の程を知れよと、全力投球しろよと。
『BR』は爺さんがそれなりの予算を与えられながらも、残虐過激な映画を大真面目に撮ったのだぞと。

また、ある朝のニュースで、「撮影末期になって突然、アフガンでのロケを行った」と報道された。
もはや、アフガンでロケを行う体力など、病態の欣ニ監督には残っていない筈であり、ほぼ後付のラストである。だが、深作欣ニ氏は、七原が死ぬラストに難色を示していたとされている。もし、このラストが欣ニ監督の実現不可能な願望だったとしたら、やはり映画の出来は知れていた。
殆どコスプレのような衣装はどうにかなっただろうが、何故にアフガンを絡めるのだろう?

ただ、映画として致命的にリアリティーに欠け、感動的で美しい(イケメン)な死を盛り込んだような、息子の映画にはなっていない筈だ。
大きな破綻こそあれど、映画としてはリアリティーを保ちつつ、深作式バイオレンスにより蹂躙される登場人物、感動的というよりは無情な死の連続、前作同様に残酷映画の傑作となっていた余地はある。


4.異説として。

元々、クエンティン・タランティーノ監督が米国大統領役で出演する予定であった。
氏は、筋金入りのオタクであり深作欣ニの狂妄的信者であり、生粋のアメリカ人である。
この点から、BRⅡはアメリカ人など受け入れずに反米的内容を行う事はしようとしていなかったようとも考えられる。
私怨を含めて、冒頭のホームルームのような米国に向けて風刺を行おうと思ったのではいか?反米と風刺ならば、その意味合いは異なる。前者はインテリの世界だが、後者はデザインだ。
故にむしろ、観客の内半分を怒らせる不謹慎な映画を作る事が目的だったと言っても過言では無い。

前記の通り、残されたスタッフは、無き深作欣ニの遺志を汲んでアフガンロケを行ったのか、それとも脚本を書き直して行ったのか。
しかし、タランティーノによる米国大統領の実現は見送った。
何故だ?
「スケジュールが合わない」というのが通説だが、劇中の描写から察するに、米大統領はカメオ出演程度だったはずでは?
ここでも、脚本の改変があったのだろうか?
もし、タランティーノが大統領で「これから貴様等はなんの手助けも受けず、ただひたすら、死ぬだけだ。どこまで もがき苦しむか見せてもらおう。死ぬがよい。」とか言ってたらギャグにしかならないだろうが、映画の異常さは際立った事だろう。 前作でもなんとか・アスカ・ラングレーの中の人が作品の異常さを盛り上げていた。

だが、もし、残されたスタッフが本作をギャグ扱いされる事を忌々しいと思っていたら・・・
深作欣ニの遺作を撮ることに酔っていたら・・・

感動的(笑)でリアル(どこが?)な反米映画、つまらない訳である。

2009年12月26日土曜日

近況

@最近、「超遠未来バイオレンス」の更新ばっかですが、ちょっと下心があって、完成を急いでいます。しばらくこんな感じですがお付き合いください。
@クリスマス、「深作欣ニ」祭りを一人で開催していたのですが「BR2」は深作欣ニの作品としてカウントすべきではない。
@同時にBR2は未完成作品として研究されるべき題材
@健太は、マイナーなエロ雑誌のレイプ小説のような悲惨な目に会って二度と日本映画界の敷居をまたぐな。
@開催した甲斐あってか、『いつかギラギラする日』のDVDを1500円で新品で入手しました。奇跡は必然によって引き起こされる物なのです。

2009年12月12日土曜日

復讐者に憐れみを

@おすすめはできません

平野耕太という漫画家がいる。氏のブログ(現在は閉鎖)でパチンコに関する話題があり、曰く「『冬のソナタ』だか『チャングムの秋』とか知らんから、CR『オールドボーイ』とCR『親切なクムジャさん』を出せや!」と、全面的に同意できる氏の作風からは考えられない建築的な提案に私は感激した。その後は、氏の考えたリーチ演出(オデスが餃子食うリーチ、トンカチで歯を抜くリーチ、漂白剤で毒殺リーチなど)が書き連ねられていた。
しかし、本作『復讐者に憐れみを』に関する話題は一切なかった。
本作と『オールド~』『クムジャさん』はパク・チャヌク監督による復讐三部作という“韓流バイオレンス”の触れ込みで日本では公開されており、業界でも屈指のオタクである氏ならば、間違いなく目を通している筈なのだが、その後のCR『シルミド』のいい加減な記事内容からどうにも意図的に本作に関する話題は避けている。

というのもメチャメチャに後味の悪い作品なのである本作。
いや、後味どころか最初から最後まで、嫌な嫌な復讐の、殺し合いの連鎖が描かれる。

『オールドボーイ』では無敵の肉体を手に入れたオッサンによる悪党どつきまくり。
『クムジャさん』では殺しぶりが必殺シリーズのようなギャグと化し、被害描写すらブラックユーモアの域であった。

本作においてはそんなものは微塵もない。電源機による拷問殺害シーンは、ギャグっぽいのだが、見事に滑っており、痛々しい悲鳴が淡々と映され、そこに運悪く出前を届けにきたオッサンすら無慈悲にも殺す。シャレになっていない。

それよりも後の二作との決定的な違いは、悪党が存在していない点である。強いて言うならば、聾唖の主人公から姉の手術費用騙し取ったギャングがいるが、悪党というにはちと弱々しい。騙される主人公も間抜けだった。しかし、姉の為に思考停止していたのだから彼を責めるもの酷。最終的に金策に困り果て、共産主義に傾倒するアレな彼女と共に社長の幼娘を誘拐。姉には、友人から預かったとして、身代金が届くまで一緒に楽しく遊んでいた「ぼのぼの」を見たりして。しかし、姉は誘拐の事実を知って自身病体が原因だと嘆き自殺。 主人公は遺体を木の根元に遺棄、そして自責の念に駆られている内に、誘拐した娘がキチガイに連れ回された挙句に川に投げ込まれる。(聾唖の為に気付けず)
父親は、悲しみのあまりに発狂。空虚な怨念の申し子となりて、警察に捕まる前に犯人を自ら殺害する事を決意。主人公は、ヤケクソになりギャングの根城を襲撃する。
襲撃の当日、父親は、主人公の彼女を殺害。負傷しながらも襲撃に成功し主人公だったが、待っている筈の彼女は既に死体袋に包まれていた。
絶望し、生気さえ失せた主人公、だが父親は、容赦なく彼に襲い掛かり、足の健を切り刻んで川に放り込む、ここで父親は主人公に悲痛な顔をして呟いた。

「おまえ、多分いい奴だ。だから、解るだろ?俺がお前を殺すのが。」

復讐を終えた父親だったが、思わぬ所から彼に刺客が向けられた。
刺客たちに滅多挿しにされ、見に覚えないの無い「天誅」の二文字を貼り付けられる。

苦痛にもだえ、呻き喚き泣き叫び苦しむ父親の眼前には、自らの手で解体した聾唖者の肉塊の詰まった砂袋があった。

END。
(その後スタッフロール中にも父親の呻き声が絶命するまで聞こえるという不愉快極まりない仕様である。)

復讐を描き、徹底的に不愉快になった映画の前例としてショーン・S・カニンガム、ウェス・クレイブンによる『鮮血の美学』がある。こちらは「最低映画館」の岸田裁月氏のレビューれ有名だが、こちらはまだ、殺される側が当然の報いであったし、ボロボロ傷ついた復讐者の悲しみ俯いた姿のラストカットに希望を見出せる余地があった。
本作はどうだろう?強烈な不幸と死の連鎖にはケータイ小説だのの“悲劇”性は無く、恐ろしいまでにリアルな物だ。だからといって特にメッセージ性や教訓の無いハードさ。構築された映像は洗練され、隙が無く完成度は復讐三部作中最も高い仕上がりなのである、だが誰が見ても得しない、そんな映画。

2009年11月28日土曜日

黒い太陽731の動画版レビュー

『黒い太陽731』
@駄作

http://www.nicovideo.jp/watch/sm8939801

ニコニコ動画はGOOGLEのブログサービスに対応していない事が発覚。
ご鑑賞いただくにはアカウントが必要なのであしからず。

*なんかネット右翼批判な動画になってしまった。
*製作に時間をかけすぎた。
*「ローゼン閣下」と「ゴルゴ13閣下」。選挙では後者の方が少なくとも有利だったろうに。
*宇宙人「リベラルが思想が麻薬とはよく言ったものだ」 
*麻…いや、川中島「暗い…開票モニターが真っ暗だ・・・」
*麻…いや、川中島「卑しい電気紙芝居風情に俺の画像を使うなど無礼なクソバエが!」

11/30追記

*思い出してみれば、今回の動画製作の切欠は、ネット右翼がウザイのと、左翼気取がウザイと思って作り始めたのだ、政治色が濃くなったのは当然だ。だが、これはこれでいいのだ。出来の良し悪しは視聴者の皆様に委ねて俺は次回作を作ればよいのだ。

2009年11月14日土曜日

クール・ワールド

@カルト的要素を備えつつも凡作。92年の時点で“萌え”を否定した狂気の予言録

1945年、大戦から帰還したフランク(ブラッド・ピット)は交通事故で母を失い、自身もアニメの世界にワープしてしまう(以後、母親の死と1945年は本筋に関わらない)
そして92年、ジャック(ガブリエル・バーン)は獄中にて「クール・ワールド」というディストピアコミックを執筆し、 カルト的な地位を得ていた。(しかし、5分ぐらいして出所する。罪状は本編で1度触れられるだけでやっぱり本筋に関わらない)
しかし、彼は出所前から「クール・ワールド」の世界に引き込まれるようになっていた。そして、いよいよ、夢ではなく実際に「クール・ワールド」を行き来していると悟ったジャック。
自身の創作した魔性の美女ホリーに萌えているところに「漫画と人間がセックスすると漫画が人間になっちまう!」とこの世界の住人と化していたフランクが忠告を加える。
しかし、ホリーは現実世界に執拗な憧れをいだきジャックはやがて誘われるがまま・・・

レビューしてみるとひたすら、ややこしい作品である。
安っぽいアニメと実写の混合、行き当たりばったりで余計な設定が多く説明不足で洗練されていないストーリー、豪華俳優陣、あまりにシニカルでゲテモノと形容できるアニメキャラ、などもはや挙句に果てが無い。
問題なのはこれらが、噛み合ってすらいない内に強烈な個性を発散させるに到る。

ブラピに到っては「俺はいったい何の映画に出ているんだろう?」というストレスが表情に常ににじみ出てしまっている。アニメは後で合成されるため、撮影中は常に不安だったのか。
そもそも役柄が1945年に不慮の事故でアニメ世界の刑事になってしまった童貞の帰還兵だ。こんなわけのわからない役はない。一応、戸惑う主人公にアニメの世界のルールを解説する役になるが、彼の説明といえば

「漫画と人間がセックスすると漫画が人間になっちまう!」
そのりくつはおかしい。
「ペンは危険だ!吸い込まれてしまう!」
ペンで武器を描くとう発想は無かった、インクがペンの中に吸い込まれるのだ。しかし、吸い込まれるだけで後で普通に出てくる事が可能。ブラピは何を慌てているのだろうか?
「火炎電球を奪わせるな。」
火炎電球、どう聞いても英語では「アニメと現実の境目を塞ぐ“スパイク(栓)”」と聞こえるのだが、この謎の翻訳により意味不明なものとなっている。

観客が知りたい「1945年当時から存在するアニメの世界をどうやってガブリエル・バーンが獄中で再現できたの?」
この点は「お前がこの漫画を作ったと思うな!」のセリフで一蹴し作中で一切触れなくなる。

彼はラストで、現実世界で童貞のまま息を引き取ったブラピがアニメとして転生し、アニメの世界で筆下ろしをする。吹き替えをするブラピの声は妙に元気溌剌であり、ヤケクソの境地に達したものと思われる。

しかし、かように不安定なブラピ、なぜかカッコいい。男の目から見ても妙にカッコよく、主人公を演じるガブリエルは二次元の美少女(しかも自分の創作)に翻弄されるピエロとなっている。

ホリーはエロイ。「ロジャーラビット」のジェシカラビットの極端すぎるセクシーラインをバランスよく整えて露出度アップして色情狂にしてせっせっせよりも過激な事をしてくれるのである。
だが、問題が二つ有る。
一つは上記の通り本作の漫画キャラは人間とセックスすると人間になる。
で、人間になったホリーを演じるのは

キム・ベイジンガーさんじゅうきゅうさいなのだ。
キム・ベイジンガー三十九歳なのだ。
キム・ベイジンガー39歳なのだ。


キム・ベイシンガー美人だけどさ・・・・・・さすがに老けて見える。
ホリーは多分20代だ、もし仮に29歳だとしよう、これは20代、もしくは30代と形容できる。
しかし、39歳は40代としか形容できないのが男の掟なのだ。これを破ると死ぬのだ。
つまりキムは20代のエロエロなビッチを、40歳にもなって演じている事になる。頼むから仕事えらべよ!
いつまでジャック・ニコルソンみたいな面した究極のキチガイピエロに至高のキチガイ求愛をされる美女の地位にいてるつもりなのかと。

もう一つ。彼女は“現実”に妙に執着する。
なんというか、このリアルに執着する二次元嫁とそれに追従する空想好きの主人公の図が、男性の女性に対して潜在的に恐れている事を顕著に示している気がしてならない。

2ちゃんねるでよく「これはただの絵だ。」とか「それは人間をタンパク質だ言ってるのと同じなわけよ。」と言われる昨今だが、本作の場合は「おいおい、それは女だぜ?」と根源的かつシンプルな回答を92年の時点で述べている。
「萌え萌えしてる相手って所詮女じゃん」っていう絶望的(?)なテーマが主題となっている。

しかし、物語はブラビといいマッチョなアメコミヒーロとなったガブリエルといい“現実”の否定で締めくくられるのだ。

「どんな美人でも女なんてめんどくせーよ!アニメ見ようぜ!アニメ!」
どんだけ狂ってるんだよ!

萌えキャラどもに無防備すぎるアキバ系の兄ちゃんたちに必要なのは、ホリーのような女の嫌な所に特化したエロい姉ちゃんなのかもしれない。うん。

2009年9月26日土曜日

コードギアス 反逆のルルーシュR2

@サンライズは一刻一秒でも早く本作を公式に黒歴史と称して、どんな低予算低作画でも構わないから3話程度のOVAを予定しつつ1話で打ち切りという忌々しき目に会い、そちらを正史にするべき
@大駄作

前作『コードギアス:反逆のルルーシュ』に関してはいい加減な愚文を残しているので、先にこちらを作り直すべきなのかも知れないのだが、この『R2』への落胆の意を表さない限りそれはできない。 昔のブログで、『R2』のレビューは毎週書いていたが、後半でそれを中断させてしまう程の下らなさだ。
放送終了からこの1年間、この大駄作とようやく向き合い、ケリをつけられる。
はっきり言って『コードギアス』第一作は名作とは言えずとも2000年台を代表する傑作と言って過言ではない。第一作のラストで終わらせていても完璧に近い仕上がりであった。理想的なバッドエンドと言える。問題だったのは、この大駄作たるの為に余計な伏線を残していた事だ。そこまで上手く閉めた作品に伏線残してまで作られた『R2』は、第一作の功績を完膚なきまでに潰してしまっている。

1・ 完成された悪の活躍を放棄
主人公のルルーシュ、一期放映中こそ「『デスノート』の夜神月をヘタレにした感じ」として人気を博し、劇中でも「頭でっかちの童貞坊や」と嘲笑され、「シスコン」形容される妹への執着に顕著だ。彼のシスコンぶりは、所謂「妹萌」による近親相姦的な物として認知されているが、どちらかというと『スカーフェイス』のトニー・モンタナのソレに近い。「俺は親父よりマシだ。」という、ある種のコンプレックスの裏返しなのである。トニーと違う点といえば、妹にその点が見抜かれていない事と、環境に恵まれた身体障害者ゆえにこの妹がいつまでも幼いままなのだ。
しかし、ラスト3話で主人公のルルーシュが完全無欠の悪の権化と化す驚きがあった。
それが堕落なのか、はたまた逸脱なのかは解らないが、このコードギアスという物語がルルーシュの悪の花道を描くと言うのならば、一段の目標を見事にクリアしてる。『デスノート』はそこを疎かにしてしまっており、「本当の悪は自身が悪である事を自覚していない」という先入観ありきになってしまっていた。確かに、「価値観の異なる存在」というのは最大の脅威となる、しかし、スラムキングやジョーカー、柿崎憲等といった自身を悪と認識している“絶対悪”は存在しているし、彼らの凶行の数々は語り草となっている。その多くは、到底「価値観の差」では埋め合わせできない残虐非道。その点ではルルーシュは彼らに近い、
私はこのラスト三話にて魔王と化す主人公の秀逸な展開、描写でこのコードギアスというアニメが傑作であると確信した、というかこのラスト3話が無ければ此処まで褒めていない。(実はこのラスト3話の前には『ナディア島編』よりも酷い中だるみが続いている)
ルルーシュは此処でようやく、夜神月では成し遂げられなかった歴代の悪党たちと肩を並べるに到るのである。
しかし、それでも彼のアキレス腱である妹ナナリーが捕らわれ、戦場から離脱したルルーシュは、旧友スザクに魔王となった自身を完全否定され銃口を向け合うと、虚しく銃声が響いた。
で、「R2」になるのだが……
冒頭からルルーシュは記憶が消されており、記憶を取り戻し、再びブリタニアに挑戦するのだが、一期ラスト3話における魔王としての才覚が記憶と共に戻る事は永遠に無かった。R2は終始、「頭でっかちの童貞坊や奮闘記」が繰り広げられ、挙句の果てに一期においては魔王の嘲笑するべき綺麗事をのたまう始末。
続編で描くべきは魔王と化したルルーシュの覇道ではないか?
どうしても「主人公は実は可哀想な奴なの!」と乙女ロード行くにしても、前作と同じような事で泣き言抜かす主人公ではなく、別の事で嘆き悲しむ主人公でなくてはならない。
いや、綺麗事が悪いとは言わない。かつての梟雄・魔王が名君主・英雄として蘇生する物語だとすればそれで良し。だが『R2』には改心などという描写や、テーマが打ち出されている所は一切無かった。

2・無意味なスーパーロボット化
第一作からナイトメアフレームという、ロボットが登場している。これがよくダサイと後ろ指差されているがソレが良い。こいつらの造形は実に形容しやすく、近代型戦車に手足ポン付けしたようなロボットだ。しかも脱出用コンテナに胴体が殆ど占拠されていて物凄くブサイクなのだ。そこが最高だ。量産機の故にか、ここまで“リアル風”にデザインした潔さに敬意を感じるし、正直シブイ。これが画面所狭しと、潰し合いを繰り広げる。例えるなら「ザクとザクがガチバトル(ククルス・ドアン除く)」最高だ!
メインキャラの専用機はコレに無理矢理デコーレションを加えて空飛んだりして壊滅的にダサイのだが。で、『R2』ですよ。
序盤はともかくとして、この量産機にも飛行ユニットを搭載することが主流となってしまい、一期に頃にあった『野望の王国』的な戦略が展開されなくなる。かといって、ソレを穴埋めする空中戦というものは非常に乏しく、上記のメインキャラ専用機の射撃の的と化す。なにも面白くない。


3・曖昧な敵ブリタニア
これは第一作の頃からの欠点である。本作は、仮想歴史としてアメリカは独立に失敗。大陸にはブリタニアという軍事主義の専制君主国家が存在しており、これが世界の三分の一を植民地としている。
その凶暴性を露呈していた存在が若本規夫氏演じるルルーシュの実父、シャルル皇帝であった。登場早々、彼は民主主義の一切を否定し、暴力の一切を肯定する人格破綻者の演説を披露。作中からブリタニアは狂っているという事だけが漠然と巨然と伝わってきた。そして無差別だが計画的に植民地を拡大する軍事侵略国家として描かれる事となる。ただ、国家としての描写はなんというか浅いものだった。ブリタニアの腐敗した軍閥や封建制度なども非常に端的で、意味を成していない。
で『R2』ですよ。
物語中盤から終盤手前にかけて暴力の権化の如く立ちはだかっていた皇帝が、実は平和を望んで人類補完計画のような物を成功させる事こそが最大の目的であると、主人公ルルーシュに語られた。
はっきり言って「はぁ?」である。上記の文章、読んでも意味がわからないと思う。俺は何度本編を見直してもこう表現しかできない。全くもって意味不明なのである。この突如発生した意味不明イベントは、視聴者を置いてけぼりに展開される。
この人類補完計画的な何かを差し置いても、「実は平和を望む世界最強国家の最強な皇帝は嫌々、狂人演説と一方的侵略を行っていた」っと、意味不明である。
更に問題なのは、この人類補完計画的な何か、実現するために、他国へ侵略する必要が全く無い。
一体なんだったのかまるで判らない。本気で意味がわからない。
もう筆者は本件についてこれ以上の執筆を放棄する。9月から執筆をはじめ、一ヶ月以上この項で筆が狂い始め何度も書き直した。

とにかく、一期の頃で描写の浅さが目立った敵である侵略国家が、意味不明なオカルトじみた計画を世界平和の為にこそこそがんばっていた事が発覚。ただし、侵略は計画に一切関係ない。
という曖昧すぎる描写に俺が怒っている事だけは伝わればいい。本件によって一期から培われた物語が頓挫するに到る。

4・サンライズ版、『野望の王国』になりきれず主人公自殺END
『R2』は第一作で描かれていたルルーシュというキャラクターからは、おおよそ考えられない、主人公の自殺にて物語が締めくくられる。その内容というのは、世界を独裁政治で支配したことで全ての憎しみを向けられた存在となった自分を、ゼロという「救世主」に扮したスザクに討たせることで憎しみを断ち切るというもの。オレが思うにこんな計画は成功しない。日本レベルだけで考えても、マスコミの言うままに鳩山を神輿に上げた大衆といい、「俺たちの麻生!」と政治家を疑わないオタク層といい、世の中には、権威という物にどうしようもなく弱く、彼らの前では思考を停止してしまう人が沢山いる。ともなれば、ルルーシュの死=権威の喪失を憂う者たちとの新たな戦いの火種にしかならないのだ。

少なくとも、第一期のルルーシュならば、こんな考えは嘲笑の対象だし、なによる自分がまるで可哀想な奴みたいで絶対にやらない。『R2』作中でもさしたる改心の描写などなく唐突に自殺する。
コードギアス一期が、ロボットや仮想歴史が横行するような世界観であるにも関わらず、このような夢想事が入る隙が無いほど殺伐として荒んだ『野望の王国』状態を見事に描いていた。しかし、結末で人類全員が世間の問題や憎しみをルルーシュ自身に向けるなど、生善説に根性&精神論の作品になってしまっている。
と、主人公ルルーシュを中心に、本作の破綻ぶりを示したが、脇を固める登場人物全員にも同じく設定破綻に行動の矛盾が生じており、もはや列挙しきれない。大きなものを上げると・・・
作中最大のライバルのスザクにしても、立ち回りがいい加減で、裏切るタイミングや、立ち回りが悪く、主人公に対してのさしたる脅威となっていない。ルルーシュの日本人を寄せ集めた私兵、黒の騎士団にしても、終盤で敵であるブリタニアと手を結ぶなどは、一期における日本人の冷遇描写を考慮するに本作の世界観までもが大いに揺らいでいる。

また、破綻というほどではないが、ジュレミアという登場人物がおり、前作でルルーシュに貶められ絶命するが、左右非対称サイボーグの復讐鬼と化して復活を開始する。だが、あっさりルルーシュの仲間になってしまい、その調理を間違っている。

私はかつて、終盤の予算的なクオリティ低下を遺憾に思うゆえに「エヴァンゲリオン」を最低のアニメと評したが、本作は予定調和で製作されていたにも関わらず、列挙しきれない破綻を膨大に生み出し、近年、キャラクターの造型が重視されるゆえに作画にばかりアニメの評価が傾いているが、ストーリーにおいて本作に劣る駄作は恐らく向こう10年登場しないだろう。「エヴァ」と「R2」は世間的に傑作であっても私にとっては10年に一度の大駄作たちである。

2009年9月22日火曜日

人肉饅頭三部作

『八仙飯店之人肉饅頭』

@傑作

凶悪殺人鬼ウォンはマージャンに負けた腹いせに八仙飯店の一家を惨殺、店を乗っ取っり死体を饅頭にして売りさばいた。しかし、従業員たちは当然、店長一家の不在を不審に思う、それに気づくや否やウォンは男性従業員を伝票刺しで殺害、続けて女性従業員を強姦した後に、女淫に割り箸の束を叩き込み殺害。やはり饅頭の具にして売りさばく。かれは、饅頭に出来なかった部位を海に捨ててしまった為に警察に逮捕されるが、中々口を割らない。刑事たちは彼を取調室、留置所、病院にてリンチに駆ける事でようやく、一連の凶行を認めるのだが…

残忍な描写ばかりが話題になった作品だが、実際はバイオレンス映画の暴力性と、スプラッター映画の残虐性が同居した凶悪殺人鬼の凄まじい無軌道かつ残虐なる犯行をアンソニー・ウォンが見事に怪演し、場違いな刑事たちのコメディリリーフな演出が加わり、その二つが絶妙なテンポの良さで拮抗し、香港返還前の熱気と不信感が生んだ会心作となっている。グロテスクなのに「見たい」と思わせてしまうあたりは、怖い物見たさエンターテイメントとして見事に昇華させている事は間違いなく、「羊たちの沈黙」路線に乗っけての興行だったが本作でしか見れない物もちゃんと持っている。犯人の人肉を饅頭にする凶行が、変態的なカニバリズムに直結した行動ではなく、死体の処理の為に選んだ最善策と思考しており、本人は人肉を食していない。先述の事件を追う刑事たちの大袈裟過ぎないコントなどは本作の持ち味である。

『八仙飯店之人肉饅頭2』

@凡作
前作から、実に五年後に製作され、全く期待されていなかった事に加えて、特筆する点が特に無く絶望的なまでに知名度の低い作品。
アンソニー・ウォンは、デブで小市民の刑事を演じている。
本作で殺人鬼を演じるのはポーリー・シュン、ブルドックみたいなババァをペンキ撒いた挙句に燃やしたりやりたい放題。 あ、Mの方々、美人さんですよ。
この娘(ファン)が、淫乱で散財家の嫁の尻に敷かれている主人公を誘惑するわけであります。
旦那がファンと外に出た時に惚気て軽はずみで撮ったウエディングドレス店の写真が嫁が帰ってきたら家中に飾られ、いよいよ、修羅場になって、ファンは嫁を殺害。死体を処分するために、旦那は嫁のバラバラ死体を泣く泣くチャーシューに、それでもファンの異常さはとどまる事は無くついに…
ポーリーの目玉をカッと見開いた目をドアップに映される凶行は、所謂ヤンデレの奔りであり、もうちょっと評価されてもおかしくは無いのだが、いかんせんアンソニー・ウォンの狂演には敵わない。
また、宣伝に虚偽が見られ、アンソニー・ウォンとポーリー・シュンが肉を焼くという劇中ではありえない姿が、ビデオのジャケットでも確認でき、そもそも、人肉饅頭ではなく嫁のチャーシューだ。


『八仙飯店之人肉饅頭3』

@駄作
本作は、複数犯を描いておりますが、全員罪が意識に耐え切れず完全犯罪目前で自白してしまうという、ある意味、3作中もっともリアリティがある題材である事意外、特に書くべき点は無く、第一作の功績と前作の変化球を一切踏襲していない代物。つまらないです。そもそも、人肉すら登場しないし。