2009年12月12日土曜日

復讐者に憐れみを

@おすすめはできません

平野耕太という漫画家がいる。氏のブログ(現在は閉鎖)でパチンコに関する話題があり、曰く「『冬のソナタ』だか『チャングムの秋』とか知らんから、CR『オールドボーイ』とCR『親切なクムジャさん』を出せや!」と、全面的に同意できる氏の作風からは考えられない建築的な提案に私は感激した。その後は、氏の考えたリーチ演出(オデスが餃子食うリーチ、トンカチで歯を抜くリーチ、漂白剤で毒殺リーチなど)が書き連ねられていた。
しかし、本作『復讐者に憐れみを』に関する話題は一切なかった。
本作と『オールド~』『クムジャさん』はパク・チャヌク監督による復讐三部作という“韓流バイオレンス”の触れ込みで日本では公開されており、業界でも屈指のオタクである氏ならば、間違いなく目を通している筈なのだが、その後のCR『シルミド』のいい加減な記事内容からどうにも意図的に本作に関する話題は避けている。

というのもメチャメチャに後味の悪い作品なのである本作。
いや、後味どころか最初から最後まで、嫌な嫌な復讐の、殺し合いの連鎖が描かれる。

『オールドボーイ』では無敵の肉体を手に入れたオッサンによる悪党どつきまくり。
『クムジャさん』では殺しぶりが必殺シリーズのようなギャグと化し、被害描写すらブラックユーモアの域であった。

本作においてはそんなものは微塵もない。電源機による拷問殺害シーンは、ギャグっぽいのだが、見事に滑っており、痛々しい悲鳴が淡々と映され、そこに運悪く出前を届けにきたオッサンすら無慈悲にも殺す。シャレになっていない。

それよりも後の二作との決定的な違いは、悪党が存在していない点である。強いて言うならば、聾唖の主人公から姉の手術費用騙し取ったギャングがいるが、悪党というにはちと弱々しい。騙される主人公も間抜けだった。しかし、姉の為に思考停止していたのだから彼を責めるもの酷。最終的に金策に困り果て、共産主義に傾倒するアレな彼女と共に社長の幼娘を誘拐。姉には、友人から預かったとして、身代金が届くまで一緒に楽しく遊んでいた「ぼのぼの」を見たりして。しかし、姉は誘拐の事実を知って自身病体が原因だと嘆き自殺。 主人公は遺体を木の根元に遺棄、そして自責の念に駆られている内に、誘拐した娘がキチガイに連れ回された挙句に川に投げ込まれる。(聾唖の為に気付けず)
父親は、悲しみのあまりに発狂。空虚な怨念の申し子となりて、警察に捕まる前に犯人を自ら殺害する事を決意。主人公は、ヤケクソになりギャングの根城を襲撃する。
襲撃の当日、父親は、主人公の彼女を殺害。負傷しながらも襲撃に成功し主人公だったが、待っている筈の彼女は既に死体袋に包まれていた。
絶望し、生気さえ失せた主人公、だが父親は、容赦なく彼に襲い掛かり、足の健を切り刻んで川に放り込む、ここで父親は主人公に悲痛な顔をして呟いた。

「おまえ、多分いい奴だ。だから、解るだろ?俺がお前を殺すのが。」

復讐を終えた父親だったが、思わぬ所から彼に刺客が向けられた。
刺客たちに滅多挿しにされ、見に覚えないの無い「天誅」の二文字を貼り付けられる。

苦痛にもだえ、呻き喚き泣き叫び苦しむ父親の眼前には、自らの手で解体した聾唖者の肉塊の詰まった砂袋があった。

END。
(その後スタッフロール中にも父親の呻き声が絶命するまで聞こえるという不愉快極まりない仕様である。)

復讐を描き、徹底的に不愉快になった映画の前例としてショーン・S・カニンガム、ウェス・クレイブンによる『鮮血の美学』がある。こちらは「最低映画館」の岸田裁月氏のレビューれ有名だが、こちらはまだ、殺される側が当然の報いであったし、ボロボロ傷ついた復讐者の悲しみ俯いた姿のラストカットに希望を見出せる余地があった。
本作はどうだろう?強烈な不幸と死の連鎖にはケータイ小説だのの“悲劇”性は無く、恐ろしいまでにリアルな物だ。だからといって特にメッセージ性や教訓の無いハードさ。構築された映像は洗練され、隙が無く完成度は復讐三部作中最も高い仕上がりなのである、だが誰が見ても得しない、そんな映画。

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